第16話 蠢く闇
「しっかし、あんなおっかないやつだとは思わなかったぞ。」
「ああ、植田さん、だいぶビビってましたもんね。」
「ばっちがっ……いや、ビビってたよ。召喚体をあんなふうに壊されるとは思ってなかったからよ。しかもなんだよ、地面にひび入っているとかおかしいだろ。『身体強化』ももっていんのか?あの男。」
アロハシャツの男が中背の男に肩を落としながら言う。6人の男たちはそろってビル街のはずれにある、アパートやマンションが立ち並ぶ郊外を歩いていた。
「しかし、石倉さんも突然極秘任務だとかいって俺たちを駆り出すとはな。ま、諜報部隊だから慣れてるが。」
「それにしても、演技とはいえ、民間人を守る僕らが民間人を襲うっていうのは、あまりいい気がしませんでしたね。」
「確かに。で、手加減しなきゃなぁって思ってたら瞬殺された――」
「加藤さん弱すぎでしょ。予定だともうちょっとあの高木君って子を抑えているはずだったのに。おかげで僕がずっとあの子の相手する羽目になりましたよ。」
「いや~雀田さん、申し訳ない!」
「というか、皆演技下手すぎだ。だいたい、植田、あの『これは折れてますね~』とか、いつの時代だよ。」
「ええええ。結構いい線いってたと思ったんすけど!?」
「いや、笑いこらえるのに必死だった。」
「しかし、失敗しましたね。あの吉岡勝輝という男が『複合創造』使ったときと、大原典子って名前聞いて驚く演技をすることを忘れていました。」
「あー、確かに。ばれてなきゃいいが……」
「『複合創造』はとんでもなく珍しい能力だし、大原典子は有名な特秘能力者。やっぱ普通、最初に聞いたら驚きますよね。彼が『複合創造』を持っているという話を宗次さんからきいた時みたいに、驚くべきでした。」
それまで明るい口調で話す彼らに、薄手のチェックの上衣を着た男が小さく言う。
その言葉を皮切りに、彼らの口調は急に静かになった。
「……しかし、宗次さん、本当にあれでよかったんでしょうか。」
「だな。あの優華って呼ばれていた子、妹さんだよな。会いに行ってないんだろ?」
「それは無理でしょう。宗次さんは死んだとして報道されています。彼が生きているのを知っているのはごくわずか。我々第9隊のメンバーだけですよ?まぁ、僕らも彼が生きていると知って大分驚きましたが……」
「ああ。石倉隊長はどうして宗次さんが生きているのか知っているみたいだが、俺達には教えてくれなかったもんな。きっと何か深いわけがあるんだろう。まぁ、そうでなきゃなんで生きているのかって話だが。」
彼らは黙り込み、黒いアスファルトを見つめる。何もかも分からない状況だったが、それでも、唯一の家族に会いに行けないということがいかに悲しく、つらいことであるかくらいは感じ取れていた。特殊部隊に所属すると、家族と過ごす時間が極端に減る。特に、諜報部隊である第9隊はその傾向が強かった。だからこそ、彼らは妹に会えない宗次の胸の内を静かに察していた。
アロハシャツの男は、今にも雨が降りそうな雲を見上げる。
「いつか、宗次さんが妹さんに会えるように、俺たちが頑張らないとな。」
「はは。植田、今回一番のビビりがそれを言うのか?」
「いや、いいだろぅ、それくらいよー。」
小さな笑いが、6人の間に広がる。
「さーて、帰るか~。雨も降りそうだしな。」
「ええ。――いや、待ってください。」
1人の男が立ち止まり、緊張した声で告げた。それに合わせ、全員が立ち止まる。
「どうしました?雀田さん?」
雀田と呼ばれた男は、前方を凝視している。他の5人の男は、彼の強張った顔を見てただならぬ気配を感じた。
彼の視線の先、点滅する街灯の奥。そこに、何かいる――
ペタリ、と地面に吸い付くような音が脳髄に響く。水から這い出てきたかのような、静かで冷たい音。そしてほどなくして、一人の人物が暗闇から姿を現した。
暗がりでもわかる、白くほっそりとした首。足元までに伸びた薄紫色の髪。その髪は頭の後ろで一つに結われている。そして、何よりも印象的だったのは、その女が来ている白い着物だった。その着物には、大きく紫色で、ある柄が描かれていた。
「アレは――」
「――蜘蛛柄の女!」
6人の男たちが一斉に警戒態勢をとる。長身の女は、その手に一本の刀を握っていた。目的もなくそんなものを夜に持ち出しているとは考えにくい。
「ちょ、ちょっとまて、あの白い鍔、勝輝って男が創っていた長刀に似てないか?」
「た、確かに。でも、あの男は鞘なんて創っていませんでしたよ?」
「い、いや、今はそんなことはどうでもいい。こいつはあの『カナヤマヒコ』隊長と互角に殺り合ったって話だ。俺たちじゃ勝ち目がねぇ。ここは、なんとか逃げるぞ。」
そう誰かが言った時だった。蜘蛛柄の女の後ろから、さらに一人の男が現れた。
「やあ、みなさん今晩は。」
「お前は――糸川秀則!?」
「おんやぁ、さすがは諜報部隊の皆さん。よく知っていますねぇ。それは良くない。困っちゃうなぁ。」
丸メガネをかけた白衣姿の男は何がおかしいのか、高揚したような高い声で言った。
「それでは、あったばかりで申し訳ないんですが、いろいろ嗅ぎまわられるのは困るんですよぉ。ということで、『紫紺』。」
男は黄ばんだ歯を見せ、ニヤリと笑う。
「――殺せ」
◇
下宿先に帰った大原は湯船に浸かっていた。随分と疲労している大原をみて山田はひどく心配したが、大原は傘を持っていないから走ってきたと嘘をついた。もし能力を使って戦おうとしたなどといえば、自分もやっぱりついていくべきだったと、彼女が彼女自身を責めると分かっていた。山田優華という女性はそういう人物だと、大原は知っていた。真実を言ってしまえば、おそらく山田は常に自分を気にかけ、そして次に勝輝と会えば戦おうとすると分かっていた。心根は友人思いで優しい善人だ。そして自分と同じで、猪突猛進。目的のために、なりふりを構っているような人間ではない。
大原は山田に、戦ってほしくはなかった。それは勝輝と、というだけでなく、単純に戦いに身を投じようとしてほしくなかった。彼女の仇討ちに賛同したのは、本当に敵を倒すことがしたかったわけではない。無理をしようとする彼女を止めたかったからだった。山田は復讐のために手に血がにじむほどの戦闘訓練を続け、体を壊すことも幾度もあった。そんな彼女を大原は見ていられなかった。だから勝輝を追いかけようと思ったとき、彼女は戦闘になることを危惧して一人で行ったのだった。
――お前は、能力を使いこなせていない――
勝輝の言葉が、耳にこだまする。
「偽善者、か……」
大原は、狭い天井を見てつぶやく。水蒸気が天井にたまり、いくつもの水滴が今にも落ちてきそうだ。
確かに彼の言う通り、彼女が全く能力をコントロールできていないのは事実だった。様々な効果を持つ『ネツァク』の中で、彼女が出来たのは人の感情を『打ち消す』ことだけ。しかも力の加減が出来ず、昔はそのせいで何人か病院送りにしてしまったこともあった。
そして、そんな彼女に追い打ちをかけるようにして存在したものがいた。
姉である。
彼女に比べ姉、大原結子の成長はすさまじかった。姉は小学3年生の時にはすでに祖母の能力の1つ、『光に関する能力』の扱いが出来るようになっていた。祖母には及ばなくても、それでもある程度のコツをつかみ、力を行使できていた。そして18の時にはその威力は祖母を超え、この国で第一線を張れる最強のダイバーズになっていた。だが、彼女はそうではなかった。
大原はかつて自身に向けられた言葉を思い出す。
「妹さんは能力が違うとはいえ、なかなか能力が上達しませんな。」
「やはり負担が大きいのでしょう。彼女には荷が勝ちすぎている。」
「姉と比べると、やはり物足りないといわざるをえんな。」
彼女は、一向に能力が上達しなかった。多くの人に能力の使い方について教わっても、後に24時間寝込むほど力を使って練習したとしても、なにも変化がなかった。祖母は焦る必要はないと言っていたが、周囲は常に姉と比較していた。そのことで、彼女の心は限界に近くなってきていた。
能力を使えば、必ず、誰かが姉と比較する。彼女は笑われることが嫌いなのではない。姉が憎いわけでもない。ただ、自分がどれだけ努力してもその努力が報われることのない、この能力が、この自分が恨めしかった。姉と比較されることで、いかに、自分がみじめであるか、無力なダイバーズなのかを思い知らされる。
「それでも――」
彼女は信じていた。たとえどれだけ実力が乏しくても、友達を守りたいと思うこと自体は、誰であれ抱いてよいもののはずだと。たとえそれが、達人の域に達した者から見れば、偽善者であったとしても。
大原は汗もかいていない顔にお湯を掛け、手の平で顔を強くぬぐった。そして肩までお湯につかって彼女はつぶやく。
「それにしても……」
大原は思い返していた。自分と戦う時、そして恐喝に襲われた時、そして模擬戦の時、勝輝は尋常でない戦闘能力を見せていた。戦闘のプロのみが行える『歓芸』、能力に関するするどい観察眼、そんなものは一般人が持っているものではない。
そしてそれは、特秘能力者も、だった。特秘能力者は単純に能力がどれだけ希少で貴重なものかによって決められるため、初期の特秘能力者を除けば戦闘能力の有無は関係がないものである。故に、たとえ特秘能力者といえども、もしダイバーズの戦闘訓練をしたいのであれば、能力競技に出場するか軍隊に入るかどちらかしか道はない。
勝輝は模擬戦のさなか「能力競技に参加していない」と言っていた。なのに、彼は矢島に「試合の経験はあるか」と聞かれて、はっきりと「ある」と答えていた。そうなれば、彼は軍隊で訓練を受けた軍人ということになる。
そして、彼が日本軍の特殊部隊第10隊の大島大輔とかかわりのある『サイセツ』だということが、その予想を裏付けた。何故『サイセツ』が生きているのかは分からないが、明らかに彼が実践の戦闘経験を積んだ軍人であることは、もはや疑いの余地などない。
大原は、彼がひどく人を避けているのは、過去に軍人として何かがあったせいだと思った。召喚体をひどく嫌い、物のように見るのにも、それが関わっているのだろうと思った。そう思えば、彼の言動に納得がいくと。
だが、そうなるとどうしても気がかりな点が新たに浮上してしまっていた。彼が『軍人』で『黒箱』でなかったとすれば、それは理屈を説明するうえで、今一番納得のいくもののはずだった。だが、もしそうだとするならば、彼が軍人だとするならば、それは
「……今彼は18歳。日本軍への入隊が認められる年齢は、18歳からのはずなのに。
――どうして、軍隊の経験があるの?」
◇
「急げ、雀田!早く、石倉さんに報告しろ!」
「やってるよ!だがホログラムが起動しない!妨害電波だ!」
「くっそ!長谷部、国木田!右側からしかけ――」
植田が仲間の二人に声をかけた瞬間だった。
女の右手に、白銀に光る長刀があった。そして、その足元には首が無くなった男の死体が二つある。
「――そんな」
あまりの速さに、抜刀したその動作が見えなかった。その抜刀の瞬間に、二人やられた。
そして、その場にいた全員が勝ち目はないことを悟るその刹那の間に、女は再び動いた。眉1つ動かすこともなく、瞬きの1つもせず、無表情で女は長刀を振り上げる。その動きは流水のように滑らかで、風のように早い。
誰一人、その動きを目で捉えることが出来ない。
誰一人、反撃できる間がない。
「――とべ!雀田!」
刃が自身に降りかかるその直前、男は叫んだ。雀田は仲間が死の間際に自分に言った言葉の意味を、瞬時に理解した。
(俺たちは、諜報部隊。
情報を届けることが、任務――)
「っ!」
雀田が寸でのところで刃を躱し、遥か上空へと飛び上がる。
「くっそおおおおおお!」
仲間の最期を見ることもなく、雀田は一直線に雲に向かって飛ぶ。
(どんなに高速で動こうが、空に逃げれば問題はない!ここまで高くはやってくることは不可能なはずだ。そして、雲の上までいけば電波を妨害されることもない。)
「応答してくれ、石倉さ――」
左腕に取りつけた通信用ホログラムを操作する手が止まる。彼は、自身の目の前の光景を信じることが出来なかった。
女だ。
蜘蛛柄の着物を着た女が、いる。
最初に見た時と全く変わらない無表情な顔。死んだ魚のような瞳が、自分を見据えている。
(馬鹿な――ありえない。飛行能力は、俺のように羽根を持つものでなければできないはず――)
雀田は女の脚を見て気づく。女の草鞋はぼろぼろになって原型は無く、その白い足はところどころ割け、赤い血が滴っている。
(まさか――跳躍してきたのか!?
いや、そんなの、自殺行為だ!身体強化の能力を使っても、『体の組織が保たない』!それにここは、雲の上だぞ!?身体強化でできる跳躍なんて、せいぜい100mが限界だ!そんなこと、人間ができるはずが――)
その時、男は思い出した。
そして全てを悟った彼は、女の死んだ魚のような目をみて小さく嗤う。
ああ、そうだった――
コイツは、
だから、そういう効果も、
あまりによくできているから忘れてしまう。
女が大きく体をひねる。
この女は、人間じゃない。コイツは――
白銀の刃が、空に舞う。
――召喚体だ
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