第9話「美咲と爆弾」

 美咲が爆弾を持って大学にやってきた。


「何それ?」

「爆弾」


 見るからに爆弾なそれは時限爆弾らしく数本のダイナマイトに時計がくっ付いていて、テレビや漫画でお馴染みの、愛嬌ある親しみやすい姿で美咲の右手に納まっていた。


「どうすんのそれ?」

「さあ」

「さあ、って」

「爆弾って何に使えるの?」

「そりゃ爆弾だから、爆発させるとか」

「じゃあ、やってみよう」


 平然と言ってのけた美咲は、爆弾を持って歩き出した。


「おい、どこ行くんだよ」

「どこで爆発させたらいいかな?」


 そう美咲が訊いてくるので、オレは親切に答えてやった。


「何か目標があった方がいいんじゃないか?」

「やるなら派手なのがいいな」

「じゃあ、人の多いところ」

「駅?」


 それで渋谷駅やら新宿駅やらに行ってみたが、美咲はどうもしっくりこないらしい。


「人は多いけど、壊しておもしろいものはないよ」

「ハチ公とかモヤイ像とか」

「ちっちゃい」

「都庁」

「でかいだけ」


 美咲はいろいろ難癖をつける。東京タワーに雷門、通天閣に成田空港、シンデレラ城に姫路城、奈良の大仏に瀬戸大橋と、いろいろ巡ってみるけれど美咲の眼鏡に適う物件は見つからない。


「あれは?」


 日本橋。


「もっと」


 金閣寺。


「ぜんぜん」


 青函トンネル。


「地下じゃない」


 警視庁。


「あと少し」


 国会議事堂が見えてきた。


「これだ」


 美咲は一人でうなずいた。


「キミたち止まりなさい」


 片手に爆弾を持った美咲は当然のように警備員に囲まれるが、美咲は翔んだ。


「マテッ!」


 宙を二、三歩駆け上がると黒髪をたなびかせて美咲は翔び、それを警備員たちが追い掛ける。


「マツンダッ!」


 けれど誰も追いつけない。


「トリオサエロッ!」


 美咲は翔んでいるのだから。


「オウエンヲヨベッ!」


 国会議事堂から百万の人間が溢れ出し、波となって美咲を襲う。百万の顔が黒い波頭のうねりをつくり、二百万の足が天地を呑み込む怒涛を鳴らし、一千万の指が万物を搦める飛沫となって、美咲の美しくなびく黒髪を、肉塊の波に引きずり込もうともがき出した。

 伸びる二百万の腕の一千万の指の端が、美咲の髪をかすめるその間隙。


「うわぁぁあああぁぁぁああぁっ!」


 オレは飛び込んだ。

 オレは掴み掛かる二百万の腕と一千万の指とを振り払って美咲を守る。

 二百万の腕がオレを殴り、一千万の指がオレを掴み、二百万の足がオレを踏み、二千八百万の歯がオレを噛み、百万の舌がオレを罵る。


「サカラウカ、サカラウカ、オノレノムリョクサヲシッテイナガラ。ムノウ、ムノウ、オマエナドダレモアイテニシテイナイ。キヅケ、キヅケ、ムイミヲ、ムダヲ。オマエハナニモキメテハイナイ。オマエハナニモナシテハイナイ。ヒキョウモノ、ヒキョウモノ、ヒトノウシロシカアルケナイ、ムジカクナ、ムジカクナ、ムジカクナ、ニンゲンノナリソコナイ。カタラナイデスムベキカ。トラワレナイデスムベキカ。オマエハタダノニンゲンダ、エイユウニナドナレハシナイ。ジユウナハネナドモテハシナイ」


 抵抗するオレの腕は折れ、肌は裂け、肉はえぐり喰い千切られ、背骨は粉砕され尽くし、青く腫れ上がる顔のまぶたは眼球を血に染めて、赤く開けた世界の向こうに、国会議事堂に降り立つ美咲を見た。

 柔らかくその頂に舞い降りた美咲の髪は、羽をたたむように静かに落ちる。

 二百万の瞳に映る美咲の黒髪。

 そしてすべてを見下ろした。

 そしてすべてを見下した。


「ヤメロ、ヤメロ、ヤメロ、ヤメロ!」


 百万の人間の沸騰が百万の悲鳴を吹き上げて、国会議事堂の頂へと四百万の手足を蠢き動かす。

 嘲笑。

 美咲は赤く吹き飛んだ。

 オレは恍惚の余りに失禁していた。オレは感動の余りに脱糞していた。

 美咲の爆発した光景は赤黒く燃えて、吹き飛んだ人間のカスが瓦礫とともに辺り一面に散乱し、百万の人間が逃げ惑ってぎゃーぎゃーと騒いでいる。

 オレは震えていた。

 彼女は雄々しく、美しかった。

 最後になびくあの長い黒髪が、吹っ飛んで消えていく、あの瞬間。

 オレは涙と汗と、血と泥と、尿と糞便とにまみれながら、その一瞬の美しさに脳髄を奪われて、笑って、笑って、笑い抜いて、泣いて、泣いて、泣き抜いて、喜んで、喜んで、喜び抜いて、羨ましくて、羨ましくて、たまらなくなった。

 彼女は美しかった。

 最高だった。

 三角屋根の吹き飛んだ、国会議事堂が燃えている。

 オレは羨望の眼差しで、人が死んだ瓦礫の山の阿鼻叫喚の炎に向けて、血に汚れた弱った手を必死に必死に求めて伸ばした。




 そんな夢を見る。

 汗にぐっしょり濡れるシャツに、震える手だけが残っていた。

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