第5話「深夜のコンビニ」
そんなこんなで駅に戻って電車に乗って、ガタゴト揺られて家まで帰って、風呂に入って、着替えて、夕飯食べて、歯を磨いて、髭を剃って、爽やかな好青年に変身したオレは、昼間の時給で深夜のコンビニの棚の整理をやっていた。
一人。
ポテトチップスの袋を掴みながら聞き流すラジオの曲は歌詞もわからない洋楽で、静かだったと思ったら、急に激しくギターが唸り、ドラムのビートの刻みは鋭く、高く速く跳ね上がる音の弾丸は、鈍いベースの低音が余韻を残すと、そのまま静かに終わっていった。
ポテトチップスがきれいに棚に並んでいる。
わざと一袋裏返しにしてみる。
客に背を向けるポテトチップス。
ちょっといい。
レジに立って客を待つ。
「いらっしゃいませー」
二十歳前後の若い男の二人組。
「なに食う?」
「弁当」
「がっちりいくね」
「おまえ野菜ジュースなんか飲むの?」
「いらっしゃいませー」
仕事帰りらしき背広姿の三十男。
「やっぱさ、ケンコーには気を付けねぇと。飲むか?」
「よく飲めんな。野菜はダメだ、受けつけねぇ。やっぱさ、食えないもんは、食っちゃいけねぇんだよ。せっかくそれはマズイって身体が教えてくれてんだからさ」
レジに塩トンカツ弁当。
「お弁当は温めますか?」
「はい」
「お会計五百二十円になります」
「やっぱ若者は肉だべ」
「オレは好きなんだよ」
ピー。
「ありがとうございましたー」
出て行く二人組みに雑誌を立ち読み始める三十男。
プレイボーイ。
ラジオはフォークでかまやつひろしの『我が良き友よ』。
「いらっしゃいませー」
若いカップル。
「うそー」
「なんだよ」
「ありえない。ここ化粧品なーい」
「あるじゃん」
「これじゃないの、もっとちがうやつ」
「なんだよ、つかえねーな」
「べつ行こ」
「あ、ちょっとまって。タバコ買うわ。兄ちゃん、タバコ」
「どちらですか?」
「そこの。そこのそれ」
「えーと」
「トロいなぁ、それだって」
「あの、番号で言っていただけるとありがたいのですが……」
「ああん?」
「まーだー?」
「もうちょっとまてって。なんだ番号がついてるんなら先に言えよ。十八番の奴」
「二百八十円になります」
「今度からはすぐ見つけろよ」
「ありがとうございましたー」
「ダメなコンビニだわ。もう来ないね」
「あたしもー」
カップルが出て行くと、三十男がプレイボーイとビールとポテトチップスをレジに置く。
「お会計八百三十円になります」
袋に詰めるポテトチップスとビール。
「雑誌は別の袋にお入れしますか?」
首を横振る三十男。
「ありがとうございましたー」
週刊誌を小脇に抱え、三十男は店を出る。
一人。
ラジオはまだフォークで吉田拓郎の『落陽』。
「いらっしゃいませー」
酔っ払い。
「こんにちはー!」
「……」
「どーした、元気がないぞー! 若い者は元気がぁ一番! 元気ですかぁー!」
「あー、と、それなりに……」
「ごめんなぁ、酔っ払ってて。お酒がなぁ、おいしくて」
「いえ、そんな」
「キミ、大学生?」
「はい、一応……」
「いいなぁ、いいなぁ、大学生はいいなぁ、若いっていいなぁ、おじさんも昔は大学生だったんだよ」
「そうですか」
「ごめんなぁ、酔っ払ってて。剣道はやってるか?」
「え、いえ、剣道はちょっと」
「剣道はなぁ、こう構えるとな、相手が見えてくるんだよ。隙がな、どうとかとかな、肌でな、わかるんだよ」
「剣道をやってるんですか?」
「三段」
「すごいですね」
「目を瞑ってもな、見えるんだよ。心眼でな、それが達人」
「はぁ、すごいですね」
「ごめんなぁ、酔っ払ってて。キミ東大生?」
「え、いえ、違いますけど……」
「ごめんなぁ、酔っ払っちゃてるもんだから、ごめんなぁ。お酒どこ?」
「あちらです」
缶ビール一ダース。
「ビール十二本、千八百二十四円になります」
「飲むか?」
「いえ」
「ごめんなぁ、ほんとうに酔っ払ってるもんだからなぁ、ダメだわ。はぁ」
買ったビールをその場で飲む。
「あの、すいません。店内で飲むのは勘弁してもらえませんでしょうか」
「あ、ああー、ごめんなぁ、酔っ払ってて。はぁー、どうして飲んでしまうんだかなぁ、どうにかならんかなぁ、やっぱり東大生がいかんのかなぁ、東大生はダメだからなぁ。キミ、酒は飲めるの?」
「飲めますけど、ここではやめてください」
「お酒はね、若いうちが一番楽しいよ。稽古の帰りによく飲んだなぁ。おいしいんだぁ。みんなでね、飲み比べてね、楽しかったなぁー」
「はぁ」
「剣道はいいぞぉー」
「はぁ」
「でも東大生はダメだぞぉー」
「……」
「ごめんなぁ、酔っ払ってて」
二時間居座ったこの四十絡みの酔っ払いは結局店内で寝てしまい、仕方ないので警察を呼んで連れて行ってもらった頃には、朝だか夜だかわからない四時という一番暇な時間帯になっていた。
一人。
ラジオは軽快なJ‐POP。
ポテトチップスはいつの間にかもとに戻っていた。
きっとあの三十男だ。
直されたのかもしれないし、もしかしたら売れたのかもしれない。
どっちでもいいようで、どっちでもよくないかもしれないけれど、それを考えることがどうでもいいように思えてきて、やめた。
集配がやってきた。
商品の陳列。
あくび。
日が昇る。
これで六千四百円。
眠い。
眠りの中でぼんやりとした夢を見る。
夢の中に美咲の黒髪が見えた気がした。
ぼんやりとした夢から覚めると、ぼんやりとした頭が残った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます