終章 再戦
1
隣国の領主はクロアたちの出兵を許可してくれた。許可ついでに援軍を出そうか、との提案もしたそうだが、事が事だけに第三者の介入は不適切だとクノードは判断し、遠慮した。
翌日、クロアたちは再び武官をともなって出立した。今回の出征は国境を越える。移動距離が長くなるため、指揮官は自分の騎馬あるいは飛獣を用い、また指揮官以外の歩兵は騎兵及び飛兵に相乗りして行軍する。相乗りする者の中に、戦闘員ではない女性がいた。フュリヤだ。彼女は飛馬を操るクノードのうしろに座っていた。その服装はおよそ領主夫人とは思えぬ粗末な衣類。その服はアンペレへ訪れたときに着ていたものだそうだ。胸のあたりが窮屈そうにぴっちりしている。それは生地がちぢんだのではなく、フュリヤがアンペレに住む間に体型が変わったのだという。フュリヤはヴラドとの出会いを境にして夢魔らしい色香に目覚めた、と自己分析しており、その見解は的確らしかった。
クロアは自分の飛獣を使わずにいた。ベニトラは隊を離れて先行するダムトに預けてある。代わりにタオの飛竜に同乗した。タオの仲間である男女はおらず、彼らはユネスの隊に同行したという。万一、封鎖した賊の拠点にヴラドが出現すれば、ユネスの隊は全滅必至、という観点で、そちらへ加勢することとなった。
タオの飛竜にはレジィとマキシも乗っている。レジィは竜の飛行を怖がり、クロアの腰に抱きついてくる。その一方で、魔獣に興味津々なマキシは飛竜の騎乗体験にいたく感激する。この飛竜にクロアたちが乗ることになったのも、ほとんどマキシの希望によるところが大きい。
「クラメンスの飛竜に乗れるとは、夢にも思わなかった!」
赤い鱗をなでさすりながら言う。マキシは先頭に乗るタオに声をかける。
「この飛竜はダフユスという名前で合っているかな?」
「そのとおり。こいつも有名なんだな」
「ミアキスと同時に生まれた、双生の竜なんだろう?」
「ああ、ミアキスと兄妹ではあるが、あまり似ていない。こいつは人形態を嫌う」
ミアキスの名前にはクロアの聞き覚えがあった。「ミアキスって」と口走るとマキシが嬉々として解説する。
「リックと初めて会った時の酒場にいただろ? あの寡黙な女剣士のことさ」
「あー、女たらしと一緒にいた女性ね」
タオが振り返る。なぜか不機嫌な顔をしていた。
「チュールに会ったのか」
「お会いしましたわ。それがどうかなさいまして?」
「やつは貴女に失礼なことをしでかさなかったか?」
「そういえば……妙な脅しをしてきたり、レジィにちょっかい出したりしましたわね」
クロアの腰につかまるレジィがきゅっと力を込めた。魔人に口説かれたことを恥ずかしがっているらしい。
「不快な思いをさせて申し訳ない。やつに注意はしているが、一向におさまらないんだ」
「あなたが謝らなくてよろしいですわ。それにわたし、過ぎたことは気にしませんの」
「そうか……貴女は心が広いな」
タオはそれ以上話さなかった。タオがなにを思って、剣仙と呼ばれる男の行ないに気を張らせているのかクロアにはわからない。マキシにたずねても、彼はタオとチュールの関係を知らないという。
「ただ、チュールがクラメンスの腕を斬り落とした張本人だとは聞くな」
「え……仲がおわるいの?」
タオがクロアの仮説を否定し、説明を加える。
「やつと父は、むかしから親しい。やつが腕を斬ったのも、父が頼んでしたことだ。そのとき父は解呪できない猛毒の呪印を受け、死をのがれるために、やむなくそうしたらしい」
「『らしい』?」
「私が生まれるまえの出来事だ。正確なことは知らない」
「じゃあ……タオさんのお父上が隻腕になったあとで、タオさんのお母上と結ばれた、ということ?」
「そうみたいだな……」
タオはあまり確信をもっていないかのような答え方をした。そのときクロアは自分が無神経な問いをしたのではないか、と思い返す。
「あ……もしかして、あなたのお母さまは、もう……?」
タオは半魔だという。彼の父が生粋の魔人なので、母は人間ということになる。タオはすでに数百年も生きているため、母親の寿命はとっくのむかしに尽きてしまっているはずだ。
「いや、母は生きている。人間ではあったが、いまは魔人にちかい存在になった」
「人間が、魔人に……?」
「貴女の母方の祖母は人間だが、実年齢より二十歳ほど若く見えるな。どうしてだと思う?」
「えっと……そういう体質?」
「魔人に深く関わった影響だと思われる。そういった現象を私の両親は意図的に行なった、と考えてくれればいい」
「そ、そうなんですの……」
クロアの祖母はすこしずつ加齢している。タオとその母のように数百年と生き永らえる様子はないが、卑近な例として挙げられたようだ。おそらく厳密な話をするとクロアの頭では処しきれないとタオが思ったのだろう。
国境の関所を飛び越えたころ、クノードのもとに小さな物体が飛来した。楕円の石に透明な羽の生えている。それは通信用の術具であり、専用の石に音声を吹き込み、連絡をとりたい人物へ届くよう念じて飛ばす。その飛ぶ様子が羽虫のようだと言われ、伝え虫という名が付いた。伝え虫が放たれた方向は進行先、剣王国からだ。クノードが録音された声に耳を傾けた。すると全隊停止の号令が出る。
「賊の住処に賊がいなくなっているそうだ。いるのは魔人だけだという。皆はここで一時待機してくれ!」
クノードは赤い飛竜に接近する。
「タオ殿、一緒に現地へ行ってもらっていいかな?」
「わかった」
伝え虫に発信元への案内をさせ、クロアたちは後を追いかけた。
2
伝え虫を追跡する者のうちには、クノードとタオの飛獣のほか、リックとフィルの二人組もいた。リックたちは領主からの待機の命令を聞かなかったのだ。魔人が人間の言うことを兵隊ばりに遵守するなどとはクロアたちも期待していないので、だれも咎めなかった。
白い竜と化したフィルは我先にとばかり速度を出す。伝え虫は追跡者との距離を感知して速度を増減する仕組みのため、続く飛獣たちも全速力を出す事態になった。そうして着いた場所が山奥の山荘だった。開けた空間がすくない場所ゆえ、飛竜を着地させられない。フィルは大胆にも空中で人型へ化け、リックとともに落下した。クロアも空から降下しようかとしたが、マキシに止められる。
「まあ待て。こんなときにも飛獣が役立つぞ」
マキシが女の妖鳥を呼び出した。妖鳥は人の腕でマキシとクロアを抱える。
「まずは僕らだけで降りよう」
妖鳥は二人を運送する。クロアが地に足を着けたとき、地上にはすでに父の飛馬がいた。騎手が夫人の下馬を手伝っている。
(ここで……お母さまとはおわかれ?)
クロアは母を連れ去ろうとする魔人がどこにいるか、辺りを見回した。
山荘の扉が開く。現れた者は上背のある男だ。服は上等なもののようだが、袖や裾がぼろぼろになっていて、みすぼらしさがある格好だった。そんな衣服をまとっていながら、首から下げた十字の装飾品だけは煌びやかで、見る者の目を惹いた。
(こいつが……ヴラド?)
この大男が普通の人間ではないとクロアは肌で感じた。男の眼光が、自分と同じ輝きをしていたせいだろうか。
男はフュリヤの姿を認め、おもむろに近寄ってきた。クノードがフュリヤの前に立つ。すると男があからさまに不機嫌な顔になった。
「あなたは魔人のヴラド……ですね?」
クノードが緊張した面持ちでたずねる。男は「そうだ」と低い声で答えた。
「あなたが協力する賊たちはどこへ行ったのですか?」
「……町へ行った」
「どの町へ? なんの目的で?」
「知らん。そんなことはどうでもいい。後ろにいる者を渡せ」
クノードは後方を見て、何事かしゃべる。フュリヤが前へ歩み出た。ヴラドは手を差しのべる。だがフュリヤはヴラドに近寄らず、足を止める。
「わたくしは長い間、あなたのおそばを離れて、過ごしてきました」
夫人は組んだ手を震わせながら告白する。
「ほかの男性の連れ合いになって、子どももできました。こんな不義不貞の女でも、あなたはわたくしを、そばにおいてくださるのでしょうか?」
ヴラドは無言で接近する。フュリヤが体を硬直させた。クロアは無意識に杖を握る。大男は臨戦態勢のクロアを一瞥した。だが警戒の素振りなく、フュリヤを片腕で抱き寄せる。
「……ずっと、さがしていた」
心なしか柔らかい声音だった。求めたものが無事に手元へ帰ってきたことを、純粋に喜んでいるようだ。その言葉には、妻の放蕩に対する非難の念はなかった。
捜し物をついに発見した魔人の肩に、トカゲの顔がのぞいた。小さい飛竜だ。取り巻きの身に甘んじていたフィルが「坊やちゃん!」と声を張り上げた。飛竜が魔人から離れ、貴婦人の胸へ飛びこむ──いや、フィルが仔竜を自身の胸元へ引きずりこんだ。フィルは仔竜の翼の根元をがっちりとつかみ、抱きしめている。
「あぁ、やっと見つけた!」
仔竜はされるがままに、養母の愛撫を全身で受ける。ほほえましい母子の再会のかたわらで、竜の主同士が目を合わせた。巨漢は肩を怒らせる。
「このオマヌケ野郎! おめえが女の名前を忘れっからメンドーが増えたんだぞ」
「どういう意味だ……?」
「このあたりの住民にフュリヤっつう名前をたずねていけば、領主の妻だとすぐにわかったんだ。盗賊の子分にならなくたって、その女を見つけられたんだぜ!」
「そうだったか。労苦をかけた」
「謝るなら領主と公女にやれ。おめえが賊の味方をするせいで、こいつらの計画が失敗してんだ」
ヴラドは腕の中にあるフュリヤに確認した。フュリヤがリックの言葉が真実だと言い、自身の家族を紹介する。
「あちらの男性がアンペレ公のクノードです。あの方が……あなたの娘を立派に育ててくれました」
魔人の視線がクロアに集中する。ヴラドはフュリヤを抱く手を放し、クロアとの距離を詰めてきた。ヴラドの予期せぬ挙動に対し、クロアはどぎまぎする。
「な、によ……わたしに用があるの?」
クロアは杖を両手に握りなおし、大男をにらみつけた。にらまれた側はまったくひるまずに、クロアに手をのばす。クロアはびっくりして、半歩後ろへさがった。それでも大きな手はちかづいてくる。その手に敵意は感じられないので、クロアはざわつく心を抑え、目をつむった。
ごつごつとした手のひらが、クロアの頬をさする。その感触は心地よいものではないが、不思議と不快には思わなかった。
「娘、か……」
頬にあった大きな手が、今度はクロアの頭をなでる。クロアはその手に親にちかい温かみを感じた。その反面、はじめて出会う異性に接触されることへの反抗心が芽生える。
「あなたがわたしの父だなんて、認めません!」
頭上の手を払いのけた。ヴラドが身に着ける首飾りを、彼の顔代わりに見据える。
「あなたはお母さまを連れ去るんでしょう?」
問われた魔人は呆気にとられた。クロアはその能天気な反応を見て、いらだちを加速させる。
「お母さまを、棺の中に何年も閉じこめるのでしょう!」
「いけないのか?」
「よくないに決まっているわ! のこされた家族はどうなるの? お父さまはまた最愛の人を失ってしまうのよ。お婆さまも心の拠り所がなくなるわ。幼い妹たちだってそう。でもいちばん困るのはお母さまよ。お母さまは家族が悲しい思いをするのを、平気で見ていられる人じゃない……」
クロアは人間の情など知りようのない魔人と目を合わせた。人間の勝手な言い分を蔑んでいるだろう、と思ったが、彼の瞳はクロアとはじめて遭遇した際のするどさを失っている。
「フュリヤも、嫌なのか」
そう言うヴラドはなぜか、視線をフュリヤには向けず、仔竜を抱く貴婦人に向けた。フィルが大きくうなずく。
「手塩にかけて育てた子と一生会えなくなって……平気でいられる母親はいませんわ」
魔人はうなだれた。クロアの背丈を上回る巨体が、ちぢんでしまったようにも見えた。
(この人は……落ちこんでるの?)
クロアは存外この男がやさしい気質なのではないかと、疑いはじめた。
場が予想外な雰囲気を形成する中、突然、この場にいないはずの声が聞こえた。音源はクノードの目の前にある非生命体だった。伝え虫が二つも宙に浮いている。クノードが血相を変える。
「町が賊に荒らされているそうだ! クロア、もどろう!」
クノードはフュリヤを見たが、なにも告げず、飛馬に乗った。クロアは物影にいたダムトと合流し、ベニトラに騎乗する。マキシは妖鳥に運ばれて空へ上がった。山荘付近に残るのは魔人の関係者のみ。彼らの行動は自己判断任せで、クロアたちは帰参を急いだ。
◇
工房の町は狂乱に陥っていた。施療院の不審火から始まり、文化会館で小規模な爆破が起きた。その対応に官吏が手間取る隙に乗じ、暴徒が略奪行為を働く。あまりに短時間に多発したことから計画的な犯行だと推測できた。これらの対処には通例、領主たるクノードが指揮を執る。だが現在は不在。そのためカスバンが代行を務め、鎮圧の手配をした。屋敷の警備は残しつつ、動かせる武官はすべて町中へ派遣する。暴徒を逃がさぬよう外門は封鎖し、出兵した者たちがもどってきた時のみ開門するよう命じた。主立った将兵が町にいない今、動員できる手勢は脆弱。それゆえカスバンはできうる命令を出し切ったのち、主力部隊に帰還の指示を官吏に伝える。
「ボーゼン将軍に賊の襲撃を連絡せよ! 救援に来ていただく!」
「クノード様にはご報告しないのですか」
「心配せずとも伯には将軍から連絡がいくだろう。あとは賊の拠点に駐屯するユネス隊にも知らせよ!」
領主代行役の前に年若い武官が現れる。彼は武僧兵の身なりをしていた。打撃用の杖を手にした状態で一礼する。
「小官も暴徒の捕縛をしてまいります。カスバン殿にこの屋敷の守備をお任せします」
「オゼ殿、飛馬を使われよ。姉君にもそのように申し付けました」
「承知しました。ただちに向かいます!」
ボーゼンの息子が厩舎へ走った。そこには武装したエメリが飛馬の支度をしていた。彼女が手綱を引く飛馬は二体。片方にはすでに人が乗っている。矢筒を背負ったティオだ。彼は武官に就任して以来、基礎訓練を受けている。一人前にはまだなっていない。実戦には関われない立場だが、本人の強い希望によって戦闘に加わることになった。ただし本物の矢は使えない。町中での戦闘では武官は矢じりの尖らない金属製の矢を使用する。この矢は通常の矢尻より殺傷力を低くしてあるため、領民への誤射のおそれがある状況にはうってつけの武器だ。
「ティオはあまり飛馬に慣れていないの。私と相乗りしてもらうわ」
「わかった、早く行こう!」
平時は禁止される飛獣の飛行を惜しげなく活用し、三人は空へ上がった。町には煙がもくもくと立つ場所がある。その周辺には官吏がいるはずなので、この異変を無視した。町を見下ろし、近辺にいる不審者を捜す。大通りには町を巡回する公共馬車が依然として活動中だ。騒ぎを知らぬわけではないだろうに、職務を遵守しているらしい。
「あの馬車、あのまんまで大丈夫かな?」
ティオが率直に言う。質問は指揮権のあるオゼに向けられている。
「住民の避難を手伝っているのかもしれない。ほうっておこう」
「んじゃ、悪いやつらをとっちめるか」
怪しい人影はすぐに見つかった。大きな袋を肩に担いだ者が二人、小道を走る。オゼはその二人組を調べることにした。飛馬を走らせ、不審者の前へすいっと立ちはだかる。
「そんな大荷物を持って、どこへ行くんです?」
紳士的な問いには問答無用の二本の剣が返ってきた。オゼは杖で攻撃を払う。飛馬を後退しながら防御に徹した。不意に、悪漢の一人が前のめりに倒れる。賊は仲間の異変に戸惑う。その虚を好機と見たオゼは打撃を食らわした。腹部に打突を受けた賊は後方へ倒れる。エメリの飛馬が着陸し、ティオが誇らしげに「ちゃんと当たっただろー?」と聞いてきた。彼の撃った矢が賊の片割れを倒したのだ。その矢は地面に転がっている。尖っていない金属の矢であったので、人体に刺さらなかった。
射手はみずから矢を回収した。それが終わると賊を縛り上げる。オゼは捕縛作業をティオらに任せ、官吏用の羽のない伝虫に語りかけた。
『こちらオゼ。賊を二名捕縛した。みなの首尾はどうだろうか?』
返答はない。町中では相互に通話ができる伝虫を特定の官吏に持たせている。その仕組み上、町の外を遠く離れないかぎり持ち主に音声が届くはずなのだが。
少し間を置いて、たどたどしい声で『逃がしました』との報告が入る。同様のセリフが続いた。数百人の武官が総出しても、捕縛成功例がたったひとつ。それも官吏ではない一般人が倒したのを、捕まえたという。
『その一般人は何人倒したんだ?』
『二人です。その後、ほかの賊をさがしに行ってしまいました』
『賊をさがしに? それはどんな人たちだ』
『二人組の男女の剣士です』
混乱の鎮圧に協力的な戦士がいる。それが頼もしくもあり、不気味でもあった。
「男女の剣士ぃ? おいおい、それってクロアさまが会ってた魔人なんじゃねえの?」
賊の拘束を完了したティオが言う。エメリも同調する。
「お嬢さまが屋敷に連れてきた魔人の仲間、かもね。討伐には同行しなかった、剣仙とその飛竜なんだとか……」
「魔人のほうが役立つとは……くやしいが、甘んじて厚意を受けておこう」
オゼは戦力にならない官吏を呼び寄せ、賊と盗品の一時収容を任せた。到着を待たないうちから次なる捕縛対象を捜しにいく。空中から探索すると戦闘中らしき集団を発見した。そこにはオゼと同じアンペレの兵の姿が数人あり、そうでない者が三人いる。オゼは兵の救援目的で現地へ急降下した。
近づいてみると、兵は三人の賊と戦う最中ではないとわかった。兵士ではない一般の戦士が二人の賊を相手にしており、肝心のアンペレ兵は戦いを見守っている図式だ。なんとも情けない光景だが、観戦せざるえない理由はあった。賊を相手にする戦士の動きが素早く、下手に加勢すれば逆に妨害をしてしまう。その速さは刃物の光が残像として目に焼き尽くほどだった。戦士は賊を翻弄し、蹴りでひとりずつ地に沈めた。そうして賊をすべて倒すと息をついた。うごきを止めることでようやく戦士の姿を視認できた。その姿は銀の長髪の女性だった。
「……あとはご勝手に」
彼女は抜身の剣を鞘にもどすと、そうつぶやいて走り去った。オゼは惚けていた兵たちに賊の連行とその報告を頼む。エメリが弟に「これで六人捕まえたのね」と現状確認する。
「先日捕まった賊は十人。ダムトの目撃報告は全部で十六人。一応は賊をすべて捕まえたという計算ができるけれど──」
「この騒ぎがたった六人の仕業なんだろうか? ほかに加担者がいるんじゃないか」
オゼは次なる捕獲をしに飛翔した。高度を上げる途中、新たな情報が入る。
『西の空に飛行物が接近中! 救援でしょうか』
外壁を守る哨兵からの報告だ。オゼたちが高く上昇してみるとなんらかの群れを発見する。続報によるとそれは二十騎ほどの飛兵だという。飛兵集団を追い抜かした飛竜と虎のような飛獣も現れたといい、伝虫から歓喜の声が多数あがった。虎に似た飛獣を繰る招術士は、官吏のよく知る人物だからだ。
「クロア様が帰ってこられたか。いるかわからない賊の掃討はあの方たちにお任せして、こちらは療術士として負傷者の治療にあたろうか?」
オゼは姉に意見を求めた。エメリはほほえむ。
「そうね。獲物がひとりもいないんじゃ、お嬢さまは不満かもしれないもの」
姉弟は二手に分かれ、被害に遭った住民の救助を優先した。
3
クロアはタオの飛竜と並行して空を駆けた。クロアとダムトが騎乗するベニトラは自身の前方に風よけの障壁を張り、高速移動に際する騎乗者の負荷を減らした。それは飛竜も同様だ。飛竜は以前、姿を隠す効果もあった風よけの膜を張っていたが、いまは姿がはっきりと見える。その背にはタオとレジィとマキシを乗せている。マキシは事情を伝える目的で、上空にいたタオと合流したあと、そのまま飛竜に同乗した。
二体の飛獣の後方に一騎の飛兵が追随していた。クノードの飛馬は全力飛行の継続に耐えられず、疲弊の色が見えた。それでも先駆けてアンペレへ向かった飛兵隊には追い付けており、そのまま隊と共に町へ行くようだった。
クロアは外壁の哨舎に寄る。中に人はいないが、付近にいる弓を携えた哨兵が出迎えた。
「わたしが先に着きましたが、伯もじきに到着します。みなにそう伝えてください」
哨兵はすでに救援の到来が知れ渡っていることを述べ、自身の伝虫をクロアに貸した。予備のものが哨舎にあるから、と言って。
「賊は現在六人捕えたそうです。残る賊の処理はクロア様にお任せしたいとのことです」
「そのつもりですわ!」
クロアが町の上空を飛びはじめた。焦げくさい臭いが鼻をつく。色のうすい煙がたちのぼるあたりへ行ってみた。そこは施療院。周囲には住民と官吏がごった返している。怪我人が押し寄せているが、処置に対応できる人数を超えてしまったらしい。医官や、住民を保護する武官はせわしなく働いている。
「ダムト、タオさんに施療院で治療を行なってもらうよう頼んでちょうだい」
「レジィにもその指示を出しますか?」
「ええ、そうして。それを伝えたあとは、あなたの自己判断でうごいて!」
ダムトが巨大な羽虫の飛獣に乗り、空へ上がった。クロアは足下の住民の視線がベニトラに集まるのを気にして、あてもなく移動した。まもなく伝虫より通話が聞こえる。
『捕まえた賊六名が逃げました! 逃走をたすけた仲間がいます!』
振り出しにもどった。クロアは見張り役の力不足に憤りを感じたが、叱責をこらえる。
『賊は町のどこにいたの?』
『中央広場です。四方に散りました』
クロアはひとまず町の中央へ行くことにした。移動しながらも不審人物がいないか捜した。突然、伝虫からではない音声が聞こえる。
『クロちゃん、飛獣がたくさんいるところに行って!』
幼い夢魔の声だ。ナーマの気配は町中にある。
『盗人は飛獣をうばって逃げる気だってさ!』
『飛獣のいるところ……?』
厩舎のある場所だ。宿屋、同業組合、招獣専門店。そして我が家。候補がいくつか上がった。その中でもっとも飛獣のいる確率が高く、無防備な場所は。
『招獣の店がいちばん狙いやすいわ。わたしは専門店に行きます!』
クロアは最近知った店へ急行しようとした。だが場所を忘れた。ベニトラにたずねる。
「ねえ、招獣のお店はどこだったかしら?」
「魔獣の気配が濃いところへ行けばよいか」
「そうね。おねがい」
ベニトラの案内にたより、クロアは眼下の警戒を続ける。進行方向に飛びたつ飛獣が見えた。二騎、三騎とあがるそれは種類がそれぞれ異なる。正規兵が有する飛馬ではない。
「あれが賊ね! 空中戦の準備はいい?」
「待て。べつの……魔人があちらにいる。攻撃にまきこまれるやもしれん」
統一性のない飛獣の乗り手が次々に落ちた。ベニトラの警告通り、何者かが仕掛けたのだ。騎手のいない飛獣たちが上空をうろつく。
「飛獣たちが逃げたら店の人が困るわね。連れていきましょう」
賊の捕縛は彼らを撃ち落とした者に託し、クロアが旋回する飛獣に接近する。だが飛獣はクロアとベニトラをおそれて逃げてしまう。
「もう! とって食おうとしてるわけじゃないのよ」
飛獣が一体、ふっと消えた。クロアがおどろいて左右をきょろきょろすると「こっちです」と声があがる。地上に招獣の店の者がいた。ベニトラの首輪をすすめた店員だ。その隣りには消えたはずの飛獣と、長身の男がいる。クロアは高度を下げて店員に話しかける。
「しばらくぶりですわね。お店は無事ですの?」
「すこし壊れた箇所もありますが、こいつらが無事ならなんともありません」
店員は飛獣の手綱をひっぱってみせた。その指に指輪がある。招獣と指輪。この二点でクロアは思いあたる事象があった。
「その指輪が……招術の代わりになるんだったかしら」
「そうです。これを使って、逃げる飛獣を呼びもどしたんです。そこらに転がってる賊から回収すれば、上にいる連中も帰ってきますよ」
地べたには倒れた男たちがいる。みなが落下時の負傷のためか、うめき声を出していた。そばには頭に長い布を巻いた剣士がいる。クロアの見覚えがある、色魔の魔人だ。彼は手中にあった石をその場に捨てた。投石によって賊を撃ち落としたらしい。
「あなた、リックさんと一緒にいた──」
「俺が働いた謝礼はあとでもらうぞ」
「公序良俗に反さない希望でしたらお応えますわ」
「ふむ、手厳しいな」
「当然の条件ですわよ」
チュールがくつくつと笑う。クロアは彼を無視して、伝虫に話しかける。
『招獣専門店に賊たちがいます。店の飛獣をうばって逃走をはかりましたが、もう戦闘不能になっています。近くにいる者が連行してくださいな』
応答があり、クロアは再び空へあがろうとした。だが魔人が引き留める。
「まだ賊がいるのか?」
「ええ。せっかく六人捕まえたのに逃がしてしまったのです」
「ここには六人いるが」
「その六人を逃がす手伝いをした者がいるのですわ」
「そうか。では官吏が到着したら俺も捜してやる」
クロアは彼の申し出を受け入れ、上空へあがる。空にはクノードたちが率いる飛兵が散開し、巨大な飛竜も二体いた。白の竜と、青紫の竜。白はリックの飛竜だが、青紫は──
「ヴラドが、来ているの?」
アンペレには縁のない魔人だ。その目的を知るため、クロアは飛竜に近付いた。
4
青紫色の飛竜はなにをするでもなく、どの飛獣よりも高い位置にいた。クロアはその騎乗者が二人いるのを認める。大男の魔人とその妻である。二人はクロアにとって、実の両親だ。
「高みの見物をしにきたの? それとも──」
クロアはヴラドにきつく詰め寄る。
「お母さまを見せびらかすの? アンペレ公の妻ではないと民衆にわからせるために!」
クロアは敵意をむき出しにした。フュリヤの「やめて」という制止がかかる。
「ヴラドは意地悪をしにきたんじゃないの。わかってちょうだい」
「なら、どうして?」
「わたくしを返しにきたの」
クロアは息をのんだ。ヴラドの顔を見遣ると、彼は無言でうなずいた。
「わたくしは母の身が心配だったの。そうヴラドに言ったら、アンペレにもどるようすすめてくれたわ」
「ほんとうに、魔人がそんなことを……?」
クロアは実母の言葉であっても半信半疑にならざるをえなかった。クロアが伝聞で知ったヴラドとは、自分の所有物への執着心が強く、所有物を取りもどすためなら破壊活動もいとわない、乱暴な魔人なのだから。
「わたくしの母はそう何十年と生きられるわけじゃない。クノードも同じよ。それぐらい、待てると……ヴラドは言ってくれたの」
このうえなくクロアたちに好都合な譲歩具合だ。その条件であればクロアも申し分ない。しかし、魔人の気持ちはそれでおさまるのかとクロアは不安に思う。
「ヴラドはそれでいいの? あなただって『こうしたい』という気持ちはあるでしょう」
クロアの質問に魔人は答えない。クロアは彼の煮え切らない態度にやきもきする。
「あなたはお母さまと一緒にいたいのでしょ? だからずっとさがしていたんでしょう」
「……そうだ」
「お母さまもあなたといたいと思っているはず。だから、時期を決めてお母さまをこちらに帰らせてくれればよいのです。たとえば妹たちの帰省の時期に──」
「何年に一度だ?」
「え? 一年に何度か……」
「そんな細切れの契約はめんどうだ。年単位で言え」
「めんどうですって? あなたは棺桶で寝ていればいいだけではないの」
「フュリヤには飛獣がいない。送り迎えが必要だ」
「そのぐらい、わたしどもがやります」
「その都度、寝所に人が押しよせては困る。安心して眠っていられない」
ヴラドは安眠妨害をうったえている。クロアは瑣末な懸念に対して怒りを吐露する。
「なによ、みんなが納得できるやり方を考えているのに!」
クロアの歩み寄りを親切とは思わない男に、クロアは心を乱される。
「そんなに寝ていたいなら、うちの屋敷で置物みたいに寝っ転がっていればいいんだわ!」
クロアが深い考えなしに適当なことをさけんだ。それを「いいのか?」とヴラドが真正直に聞いた。クロアはあまりに素直な反応をされて、困惑する。
「え……ま、まあ……あなたの寝室ぐらいは用意できますわ」
「そうか。なら、それでいい」
「あの、その場合、ずっとあなたの館を空けたままになるのですけど、よろしいの?」
「つねに留守番がいる。問題ない」
「あ……あと、棺桶は用意できるかわかりませんわ。あなたは規格外の体格ですもの」
「ほこりよけの対策ができていればいい」
意外にも前向きな答えが続々と返ってくる。クロアはそれらの計画が自分ひとりで決められることではないと思い、「お母さまはどう思います?」とフュリヤにも打診した。母はもじもじする。
「クノードがいいと言ってくれるなら……ヴラドの身支度をととのえる時間もほしいし」
ヴラドが「この格好は嫌か」と眉を下げて聞く。フュリヤは笑って首を横にふる。
「いいえ、好きよ。だけどほつれたところは直しておきたいの。ほうっておいたら、そのうちほつれがひどくなって……裸でいなくちゃいけなくなるかもしれない」
「ハダカは……みっともないな」
「そうでしょう。だからいまのうちに、丈夫で長持ちする服をこしらえましょう」
二人の間では当面のアンペレ滞在が決定事項となった。それが実現するかは領主の判断次第。クロアはこの提案を上申するため、騒動の鎮圧に奔走するクノードをさがしにいった。
5
賊の掃討があらかた片付き、町の上空をただよう飛兵の動きは緩慢になった。征伐から帰還した騎兵も町中の巡回にあたる。そのおかげか、飛獣で逃走をはかった賊六名のほか、町中で二人の賊の捕縛に成功する。それは兵士らの成果である。おかげで町の武官の面目は立った。
クロアはさらに伝え虫から入ってくる情報を聞く。クノードは屋敷に帰還した、とわかった。おそらく、領主は屋敷にいたほうが官吏への指示を的確に出せるのだ。父に会うため、クロアも帰宅を果たした。
屋敷内は多少の慌ただしさが残っていた。クロアは適当に官吏をつかまえて領主の居場所をたずね、クノードのもとへ向かう。彼は町中の情報を管理する稗官の仕事部屋にいた。伝え虫の連絡を受け取る稗官が在席し、そのとなりに武装したクノードがいる。クロアの入室に気付いたクノードが「無事でよかった」と娘の安息をねぎらう。
「クロアは飛竜のそばにいたそうだが、なにを話していたんだい?」
「ヴラドと……お母さまの身柄について話しあっていました」
クノードが表情がくもる。
「それで、どうなった?」
「ヴラドはお母さまを返す、と言っています。でも、わたしはそれでよいとは思えません」
「なぜ、そんなことを言うんだ? フュリヤがもどるならそれでいいじゃないか」
クロアは母の本心を明かそうか伏せるか、まよった。しかし言うと決める。
「お母さまはヴラドを……慕っておいでです」
クノードと稗官が硬直する。知ってはならぬことを聞いたがゆえだ。クロアは続ける。
「二人を引き離すのは、よくないと思うのです。けれど、わたしだってお母さまとずっと会えなくなるのは嫌です。ですから、ヴラドを屋敷に招こうと考えております」
「……魔人はどう言っている?」
「承諾しています。お母さまも、お父さまが了承なさればそうしたいとおっしゃいました」
屋敷の当主は考え伏せった。彼の判断ひとつで今後の動向が変わる。そんな決定はこれまでに幾度となくこなしていたはずだが、クノードは沈思黙考した。
「……お父さまはヴラドがそばにいては、お嫌?」
「良い気分はしないだろうな。強大な魔人だ、いつ人間に危害を加えるとも──」
「わたしはあの男の娘ですのよ」
クノードが言葉に詰まった。稗官に重大な情報を聞かせてしまったことにおどろいている。
「場所を考えなさい」
「実の父親のことを隠し通すつもりなんて、わたしにはありません。ヴラドが魔人だから危険だというなら、わたしも同じくらい、危険な存在だと思います」
「そんなことは──」
「ないと言えます? お父さまもご覧になったでしょう。ヴラドは……わたしと似ています。この瞳も、怪力も……わすれっぽいところも、バカ正直な性格も!」
クロアは上空でのヴラドの会話を思い出しながら言う。
「ヴラドはお母さまのことを思って、ここへ返そうとしているのです。あの魔人にはなんの得にもならないことなのに……他人を気遣える者が、無意味に人間を傷つけるとは考えられませんわ」
「そう、かもしれないが……」
「お父さまはヴラドのなにが気にいらないの?」
「みなにどう説明する? ありのままを公表するには人聞きが悪いだろう。フュリヤの護衛とでも言うべきか……」
「もう、隠すのはやめましょう」
クノードがまたも驚愕する。クロアは父と視線をそらしながら話す。
「わたしは他人をだますことが好きじゃありません」
「だが本当のことを言っては……」
クロアは第一公女である正当性を喪失する。言われずともクロアは承知の上だ。
「わたしに公女や次期領主の資格がないと官吏や民衆が考えたなら、それでよろしいじゃありませんの。真実を告げないまま、公女だ領主だと慕われるより、よほどましだと思います」
クロアはそっと顔を父に向けた。すると父は悲しそうにうつむいている。
「私は……クロアにはこの町にいてほしいと思っている。クロアの強さと、民衆を想う気持ちは、このアンペレに必要なものだ」
「みなもそう思うのなら、真実を知っても……いままでどおりでいてくれますわ」
クロアはぎこちなく笑った。クノードも口元に笑みがもれる。
「そう、だな……私はあまりにも他人を信じきれないでいたようだ」
なにかが吹っ切れたように、クノードは退室した。
6
賊の襲撃があった翌日、賊の捕縛に功労のあった者をいたわる祝勝会が開かれた。大飯食らいのリックを考慮し、大量の食事が用意される。またしても料理人たちは過重労働に悲鳴をあげたそうだが、これが最後だと思うと料理の品質に手抜きはなかった。
この一件に多大に貢献したチュールとミアキスも宴会に参加した。女剣士は物静かに果物をつまんでおり、その横でマキシがしきりに取材する。女剣士は魔獣学者をうっとうしそうに見るが、拒絶はしなかった。
男剣士は左右にレジィとエメリをはべらせ、女好きぶりを見せつけた。クロアが事前に「スケベなことをしたら殴り倒す」と脅しをかけておいたので、淫猥な行動は起きずにすんでいる。
そのほか、騎兵の指揮にあたったルッツがボーゼンによる武官への勧誘を受けていたり、幼馴染だというティオとオゼが楽しげに話していたりと、一帯は宴らしくにぎわった。その中でクロアはタオと話していた。彼は今回の騒動の最中、怪我人の治療に大いに活躍したという。その功績にクロアが礼を述べ、報酬について問う。
「希望の褒美はありますの? そういえば、わたしをどこかに連れて行く、という話も」
「それはもう果たした。ヴラドの館のことだったんだ」
「え? じゃあ……お出かけは無し?」
「そうなるな」
クロアはせっかくの外出の機会がなくなってしまったことを残念がる。
「んー、ほかにどこかいいところがありませんの?」
「私と同行することで行ける場所、といえば魔界だろうが……行きたいか?」
「なかなか興味深いですわね」
噂によれば魔界とは危険の多い場所だという。クロア単独で行くのは無謀だが、土地勘のある者の案内があればきっと大事には至らない。そう考えると、よい機会だとクロアは思う。
「町のごたごたが落ち着いたら、連れていってくれます?」
「わかった、しばらくここに滞在しよう」
「あなたでしたらきっと、みなが放っておきませんわ」
「それはかまわないが、さきにヴラドの寝床を用意しなくては」
「ヴラドの寝床?」
魔人の居候には適当な空き部屋を提供する、とだけクロアは想定していた。どうもそれでは不十分らしい。
「普通の寝台ではダメだ。ほこり除けがいる」
「よそのお宅でも、ヴラドはほこりを被るくらい寝続けるというの?」
「実際にどう活動するかは知らない。だが、ほこり除けがあればやつは気に入る」
「ではそういったものをさがしてみます。その助言、ありがたく参考にしますわ」
クロアの感謝の言葉を、なぜかタオは気難しい顔で受け取った。クロアは不思議がって「どうかなさいまして?」と聞く。
「わたくし、変なことを言ったかしら」
「いや……貴女はお人好しだな、と思って」
「そうかしら。だって、わたくしがヴラドをここに住まわせると言い出したのですのよ」
「そこが意外だった。ヴラドはひとりで館にもどると言ったんだろう? それを断ってまで面倒事をしょいこむところが、お人好しだ」
「だって、お母さまはヴラドのことがお好きなんですもの。これでお母さまがヴラドをきらっておいでだったら、こんなことしてませんわ。そのときはどんな手を使ってでも、わたくしがヴラドを追い返してやります」
「それも極端な話だな……」
タオの表情に笑みがこぼれた。クロアも多少過激な発言をした自覚はあったので、この発言は冗談だとばかりに笑んだ。
談笑するクロアにダムトが近寄ってきた。彼は当初、宴会に不参加だった。
「報告します。これ以上の町中の賊の足取りはつかめず、捕まえた八名で全員だと結論が出ました」
「そう、お疲れさま。これで今日の仕事はおわったわね。あなたも宴会に加わりなさい」
ダムトはクロアの隣りの席に座る。彼は飲食物に手を付けず、周囲の者を観察した。
「ところで、アンペレ公の実子ではないという公表をする、というのは本気か?」
タオが質問してきた。クロアは「宴会が終わったらやりますわ」と答えた。
「みなが気分をよくしたところに、冷や水をかけるわけか」
「いいじゃありませんの。いつまでも祭り気分でいてはいけませんし」
「よくもそんな理屈がこねれるな」
タオの意見にダムトも同調する。
「だまっておけば丸くおさまるでしょうに」
「わたしがスッキリできないんだもの。そんな気持ちで何十年とこの町にいたくないわ」
「まったく、難儀な人ですね」
「そんなの、わかりきったことでしょ。それを知っててなんでわたしに仕え続けるの?」
「あなたのようなハチャメチャな人が領主になる可能性があると思うと、この土地の行く末が不安でたまらなかったものですから」
従者の毒舌は快調だ。クロアは彼の毒を無視して、起こりうる未来を問う。
「領主になれないかもしれないわ。もしわたしが平民になったら、あなたはどうする?」
「従者を辞めて、各地を放浪しますかね。一人旅はつまらないので、退屈しない方と同行します」
「たとえばわたしはどう?」
「そうですね……貴女で手を打ってさしあげてもよろしいですよ」
クロアは「まあ、えらそうに」と笑顔で反抗した。ダムトの言葉は不遜であっても情が感じられる。彼もまた、クロアの身分がどうあろうと友でいてくれる存在だとわかる。
(これだけの友人がいたら……わたし、公女でなくなってもさびしくないわ)
クロアはこの場にいる獣の友を、目のとどく範囲でさがした。猫型の友は壁側に設置した椅子の上で、のびのびと寝ている。いつもと変わらぬ、すこやかな寝姿だ。そののんびりとした光景を見ると、胸がじんわりとあたたかくなった。
*
ダムトは町中の掲示板が見える場所で張りこんでいた。はじめは掲示板のまえ通りがかった数人が、掲示物をちらりと見た。なんでもないお知らせの紙や広告がそこにある、とばかり思っていた人々が、次第に色めき立つ。彼らは知人にも異様なお触れ書きの存在を伝えたようで、そのうちに掲示板のまえは何十人もの人だかりができた。彼らは領主からの通達に注目している。ダムトは聴力を高める術を用いて、お触れ書きを読んだ人々の会話を聞く。
「公女さまが、伯の子じゃないなんて……」
「クロア様、これからどうなるんだ」
「『真実を知った領民の総意にもとづき、公女クロアの処遇を決める』ってさ」
「総意ったって……」
「公女のままじゃいかんのか?」
「そうよ、クロアさまは町を守ってくださるもの」
「公女がいなかったら赤い魔獣を止められなかったんだ」
「でも領主の後継者になるのは……」
「クロア様のきょうだいが跡目を継げばいいだろう」
「クロアさまにはいてもらわなきゃ──」
彼らはクロアが公女で居続けることには賛同している。その理由が町の防衛力の維持にあるところが、なんとも打算的だ。
(当然といえば当然か)
ダムトは人々が似たような反応を繰り返すのを見て、張り込みをやめた。クロアが公女の身分を剥奪されることはないと確信を持ったからだ。
(人間も、強者になびく)
クロアの強さをこのむ人々に、ダムトは共感する。彼もまた強者に惹かれ、その生き方を強者とともにあるようのぞんだ一員だ。クロアに仕えるようになった理由も、彼女の秘めた魔人の力に興味を惹きつけられたためだ。
(そこはどんな生き物も一緒か)
ダムトは主人として戴く者の待つ屋敷へもどる。今後、屋敷にはあらたに魔人が同居すると決まった。ところどころ間が抜けている女主人に加えて、同じようなボケっぷりの魔人の世話をすることは、これまで以上に苦労を味あわせられるものになるだろう。だがそれはダムトにとって苦痛ではない。むしろ、よろこびだ。クロアに仕えるきっかけの大元である魔人に、側仕えできるのだから。それは思ってもみない幸運だといえた。もとよりダムトはその魔人にあこがれていて、彼の世話を焼こうとした時期もあった。だが長い眠りにつく彼のそばに居続けることに飽きてしまい、彼の館を離れたのだった。
(これからはもっと、退屈しないな)
ダムトは自然と口角が上がった。普段はめったに笑わぬ彼だが、この時はまことに愉快な気分でいた。クロアたちには見せられぬ表情だと自覚しており、屋敷内に到着すると、いつもの冷ややかな顔つきにもどした。
錦色円環ー紫金の花 三利さねみ @zhishi
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