第5話 刻む音

 その後のことは断片的にしか覚えていない。コンビニでずっと泣いていた俺を、パトカーで駆けつけた警察官が保護してくれた。俺は泣きながら、この前廃団地で木戸が刺されたこと、その時その部屋の扉に×印があったこと、今木戸の部屋に行ったら部屋の扉に×印が刻まれていたことをたどたどしく告げた。警察官は表情を固くすると、俺をパトカーの後部座席に乗せて、木戸の部屋を見に行った。


 コンビニの店員は、大声で説明された事情を聞いて顔が引きつっていた。ただ、ドアを開けたわけでもないのに、中の人間が死んでいると断定した俺のことを少し気味悪く思っているようにも見えた。

 けれど、あの廃団地で同じ経験をしたら、あの中で木戸が死んでいるに違いないと、誰だって確信する。あの×印は、それくらいの鮮烈な印象と恐怖を俺に植え付けていたのだ。


 やがて、険しい顔で、足早に警察官が戻ってきた。俺の傍に付いていた相方に、一言告げる。

「応援を呼べ!」

 その言葉が全てだった。


 木戸は部屋の中で刺されて死んでいたらしい。部屋の中から、ストレッチャーが出てきて、それに乗っているものが、白い覆いでぐるぐる巻きにされているのを見て、俺はまた泣いた。


 木戸が死んでしまった。殺されてしまった。

 それも、得体の知れない何かに。

 そのことが恐ろしくて仕方なかった。一体どこで間違えてしまったんだろう。俺たちは。どうして木戸が死ななくてはならなかったのか。


 そして、次は俺が殺されるんじゃないのか。そんな、確信にも似た嫌な予感が襲ってきて、俺はパトカーの後部座席で身震いした。


 警察署に連れて行かれた俺は、またもそこで聴取を受けた。例の菊池警部補も出てきたが、俺があまりにも取り乱していること、返り血を浴びていないこと、監視カメラに映っていた俺の行動からアリバイがあると判断したのか、渋々俺を帰した。

 菊池は俺を疑っている。

 冗談じゃない! 俺だって被害者だ。あの団地で、扉一枚隔てたところで化け物とニアミスして、今度は友達がとどめを刺されたっていうのに! どうしていつもこうなるんだ。俺は何も悪くない。


 一番俺のことをわかってくれていた木戸が死んでしまった。ぽっかりと心に穴が空いたような、椅子の背もたれがなくなってしまっったような。そんな喪失感。


 空っぽになりながら、俺は警察署から家に帰った。俺の部屋のドアはまっさらなもので、多少細かい傷がついてはいたが、それは全然×印には見えなかった。


 帰宅してから、俺はぼんやりと、あのインターネット掲示板のオカルトスレッドを眺めていた。あの廃団地には、一体何がいたんだろう? もっと詳しいことが書いていないか探し続ける。うまくいけば、木戸の仇を取れるかもしれないし、俺も怯えなくてすむ。疑われなくもなる。

 自分のことを考えているのが少し後ろめたくて、俺は夢中でスレッドを漁った。


 けれど、正体らしきものは掴めなかった。奴が起こす怪奇現象のことばかり。


 いわく、「機材が不調になる」。

 いわく、「変なものが写る」。

 いわく、「妙な音が聞こえる」。


「そんなことは知ってるんだよ!」

 俺は苛立ってテーブルを叩いた。どこかでガリガリと固い物を引っ掻く音が聞こた。その書き込みの主が妬ましくて仕方ない。どうしてお前は無事だったんだ。なんで木戸が刺されないといけなかったんだ。どうして俺たちだったんだ。

 悔しくて、悲しくて、何より恐ろしくて俺は八つ当たり気味にブラウザを閉じた。誰かが自分より不幸になってくれないと気が済まない、追い詰められている時特有の、渇望にも似た他責感。


 どうして。


 当然ながら、木戸が刺されたことによって騒ぎになった事件だったため、今まであそこで刺されて生きて帰ってきた人間はいなかった。刺されて死んだか、出くわす前に帰って来たかだ。


 そこで、俺はふと疑問を覚えた。誰もあの団地の、×印がついた部屋に入ろうとしなかったんだろうか。


 そう言えば、木戸も×印の付いていない部屋で倒れていた。印が付いた扉なんて、廃屋探険していたら絶対入りたくなるものだと思うのだが……。


 俺はもう一度スレッドを注意深く読み直した。部屋に入ろうとした人間の書き込みを探す。しばらくかかったが、見つけた。


『×印のついた部屋は鍵が掛かっていて開かなかった。付いていない部屋は開いたけど、逆に怖くなってそのまま帰った。なんか誘い込まれているような気がして』


 そう言えば、警察は×印の扉を全部開けたから、印付きの部屋に死体があると言うことがわかったわけだが、その時はこじ開けたのだろうか。あれだけの部屋を全て無理矢理開けるのはかなり時間がかかりそうだが、俺が取り調べを受けている途中で判明したのだから結構早かったんじゃないだろうか。


 ……形にならない嫌な予感がする……。


 その時だった。インターフォンのチャイムが鳴った。俺は背中に冷水を浴びせられたような気分になる。

 もう一度鳴った。誰だか確かめに行くべきなのに、身体が動かない。

 ドアが強い力で叩かれる。


「──警察署の菊池だ。美津濃、いるんだろ?」

 全身の力が抜けて行った。俺は苦笑しながら鍵を開けて、菊池を入れた。

 生きてる人間なら誰でも良かった。

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