第4話 追い掛けてくる印

 木戸からメッセージが来たのは、それから数日後のことだった。若くて健康、鍛えていた木戸は、回復も早かったらしい。

『大丈夫か?』

 というのが最初の一言だった。俺は、自分は無事であること、見舞いに行きたいことを伝えた。返事はすぐに来て、彼は病院のホームページと病室を教えてくれた。俺は財布とスマホだけ持って家を出た。


 例の廃団地のことは、ニュースになっていたが、廃墟であること、被害者のほとんどが身寄りのない人間だったらしいこともあって、すぐに下火になった。インターネットを見ればまた違うのだろうが、俺は怖くてあの団地にまつわるものを検索する気にはなれなかった。


 見舞いの品に何が良いのか、まったく見当も付かなかったが、俺が買っていったのはパジャマだった。入院したことないので何が必要なのかもわからないが、そんなに洗い替えがあるとも思えなかった。紺色のものを一着買って病院へ行く。

 面会票に木戸の名前と俺の住所氏名、関係を書いて受付に渡し、病棟へ上がる。三階の外科病棟、その個室だった。

 三階か……。


「木戸!」

 ノックしてドアを開けると、木戸はベッドの上で本を読んでいた。俺の顔を見ると、ほっとした顔をして本を置く。

「美津濃! 良かった無事で」

「こっちの台詞だよ馬鹿……」

 生きて動いている木戸を見ると安心した。あのまま死んでしまうんじゃないか……そんな気すらしていたから、ここ数日はずっと生きた心地がしなかった。


「警察から事情を聞かれたよ」

 木戸はあっさりとその話をした。俺の方がどきっとしたくらいだ。

「俺のこと、何か言ってた……?」

「美津濃との関係とかすごく詳しく聞かれたけど、友達です、くらいしか言うことないし……疑われた?」

「少し」

 ここだけの話にしろ、と言われたから、俺は他の部屋にも死体があったらしいことは言わなかった。しかし、木戸は知っていたようで……というか警察から聞かされたのだろう。

「あの団地……本当に人が帰ってこなかったんだな……」

 病室が重い空気になった。

「そうみたいだな……俺たちは運が良かったんだ」

「お前がいてくれて良かったよ」

 木戸はそう言って笑う。

 あの時、俺が機材のことも気にせずに、あちこちに箱をぶつけながら歩いていたら? 扉の向こうから聞こえる音を不審に思って、反対側を覗いていたら? 木戸を見つけて悲鳴を上げていたら?

 一体どうなっていたんだろう……。

「どんな奴だったか覚えてないのか?」

「見てないんだ。気が付いたら刺されてて……ランタンはあったけど、暗くてよく見えなかった」

「そうか……」

 知りたいような、知りたくないような、そんな気持ちだ。

「本当に……」

 俺は小さな声で思わず口に出してしまった。

「本当に、何?」

 木戸はきょとんとして首を傾げる。俺は押し黙ってしまった。けれど、木戸が目を瞬かせているので、恐る恐る口に出す。

「本当に、人間だった?」

 今度は木戸が押し黙る番だった。またしても、病室の空気が重くなる。

「……わからない」

「そうか……」

「でも……」

「でも?」

「少なくとも人の形はしていた、と思う……」

 どんどん声が小さくなっていく。木戸にも確証はないらしかった。


 廃墟に潜んでいるものへの敬意は忘れたらいけない。そう言って写真を撮っていた木戸が、まさかそれに刺されるなんて思いもしなかった。

 こんなに一生懸命なのに……そう言うものに襲われるのは、不真面目で、廃墟をそれこそ「人が入らない所に入れる俺スゲー!」と言ってしまうような連中だと思っていたのに。

「しばらく廃墟撮影もやめておくよ。どうも、きちんと許可を取らないといけないみたいだしな。またこれで何かあったら、警察に怒られそうだ」

 やはり、廃墟に入ったこと自体にも言及されたらしい。

「ああ、それが良い」

「なんか、悪いな。手伝ってもらってたのに」

「いや、気にしないでくれ。でも、また遊ぶ分には構わないだろ?」

「もちろん。退院したら連絡するよ」

 そう言って、木戸は俺に笑顔を見せてくれた。


 その後、俺はバイトを探した。木戸がくれたなけなしの報酬は食事代くらいにはなったが、光熱費をまかなうには当然足りなかったし、退職してから、貯金も減る一方だった。

 見舞いには行けなくなったが、メッセージを送ったりして、木戸とやりとりはしていた。ある日退院が決まったと言うので、俺はおめでとうを言って家に行く約束を取り付けた。

 俺はお中元で送るようなそうめんを持って行った。生麺は日持ちしないが、乾麺なら長く置いておけるし、最悪の場合、茹でてそのまま食べても良い。傷が痛くて買い物に行けないときの食料に、と思ったのだ。


 俺は約束の時間に木戸の家に行った。何度も通ったアパートの二階。階段を上がって、並ぶ扉を見て、立ち尽くす。


 その一つに、×印が刻まれていたから。


 何度数えても木戸の部屋だった。俺は頭から冷水を浴びせられたかの様に震えた。

 いや、誰かが悪戯で引っ掻いたに違いない。

 いや、誰が引っ掻くって言うんだ。

 いや、でもここはあの団地じゃない。この印に意味はない。

 意味はない筈なんだ。


 永遠にも思える時間。蝉がずっと鳴いている。規則正しく鳴いている。時間が回っているみたいだった。


 俺は悲鳴を上げると、そうめんを放り出してコンビニに駆け込んだ。

 泣き叫びながら店員に喚き散らして警察を呼んでもらった。


 木戸が死んでいるかもしれない。扉に×印が。


 それを自分の口で言うのが、どうしようもなく怖かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る