第3話 印の意味
当然、警察に事情を聞かれた。俺の聴取をしたのは、菊池と言う居丈高な男で、なんであんな廃団地に行ったんだ、というようなことからネチネチと聞いてくる。
「廃屋カメラマンだぁ? なんだそれは。まっとうな仕事なのか」
「木戸は趣味でやってました」
「趣味で廃屋行くんじゃねぇよ。気色悪い。それをありがたがる連中のおつむも知れたもんだな」
腹が立つ以前に俺はショックを受けて疲れていたので、
「木戸の写真は人気があるんです」
それしか言えなかった。
「それで? やってることは不法侵入だろうが」
「不法って」
「軽犯罪法に抵触する可能性がある」
「そんな」
そんなことってあるのか。誰にも迷惑を掛けていないのに。放置された家の写真を撮って、作品として仕立てるのがそんなにいけないことなのか。
「馬鹿が馬鹿をありがたがるからこういうことになるんだよ。ところで、最近仕事を辞めたってさっき言ってたな。それで木戸の助手になったと」
「はい」
「仕事もあって趣味でも収入がある木戸が羨ましかったんじゃないのか?」
菊池の目が嫌みに細められた。俺はそれで、自分が疑われていることを悟った。
「俺が刺したって言うんですか!」
「お前しか刺せる奴はいないだろうが!」
「菊池警部補」
知らない間に取り調べ室のドアが開いていた。菊池より若い男が立っている。「お耳に入れたいことが」
菊池はまだ俺に何か言いたそうにしていたが、舌打ちをすると俺に一瞥をくれて外に出て行った。
俺はどうなるんだろう。木戸を刺した濡れ衣を着せられるくらいなら、軽犯罪法で罰金を払った方が良い。そんなことより、木戸は大丈夫なのだろうか。記録係の警察官は、こちらに背を向けるばかりで話しかけづらい。彼が木戸の容体を知っているとも思えなかった。
乱暴にドアが開けられた。菊池が苛立った様子で机の前に立つ。座る気配はなかった。
「帰って良いぞ」
「は?」
「帰って良いって言ったんだよ!」
「犯人捕まったんですか!?」
「そうじゃないけどお前は今日帰って良い」
なんだそれは。しかし、これ以上怒らせると「公務執行妨害!」とか言い出しそうだったので、俺はそそくさと取り調べ室を出て行った。菊池を呼び出した若い男が、俺を玄関まで送ってくれる。
「申し訳ありませんでした」
「いえ……それより、なんで俺は今日帰って良いんですかね?」
「実は……ここだけの話にしていただきたいんですが」
彼は俺に耳打ちした。
「……美津濃さんもご覧になったと思うんですが、あのフロア、多くの部屋の扉に×印がついていたでしょう?」
「はい」
「その印が付いている部屋からご遺体が発見されて……三階だけでなく、一階と二階の部屋には全て×印とご遺体が……」
それを聞いて、冷水を浴びせられたように背中が冷えた。
「えっと、じゃあ、木戸が見つかった向こうの部屋は……」
「印はついておりませんでした。あの先の部屋には何も。木戸さんが発見された部屋の扉に付いていた印も、新しいものであるようです。これらのことから、計画的かつ長期的な犯行であると目されています。身元の確認は急いでいますが、恐らくホームレスや家出人」
「そんな……」
「美津濃さんは運が良かったんです」
彼はそう言ってくれた。俺はよろけるように玄関前の階段を降りると、スマホからタクシーを呼んで家に帰った。
ガリガリと音がする。鉄の扉を釘で引っ掻くような音が。
俺は倒れている木戸の傍で立ち尽くしている。ガリガリという音を聞きながらただ立ち尽くしている。
やがて、音が止んだ。助かったんだ。そう思ってほっと息を吐いた。早く救急車と警察を呼ばなくちゃ……。
「木戸?」
もう一度木戸の様子を見ようとしてそちらを向くが、いつの間にか木戸はいなくなっていた。ありえない。
部屋の中を見る。カーテンのなくなった窓が、遙か向こうにある市街地の光を映している。その光の中に、人影の様なものがあった。
「木戸?」
いや、木戸ではない。そいつは引きずるような足音で俺の傍まで近づいて来ると、
「お前の部屋だ」
しわがれた声で言い放った。
「──!!!!」
驚きのあまり跳ね起きた。時刻は午前五時。警察から帰ってくるや、そのままシャワーも浴びずに寝てしまったのだ。
アパートの一室、その玄関ドアに自然と視線をやってしまう。息を詰めてしばらく耳を澄ましてみるが……あのガリガリと言う音は聞こえなかった。
息を潜めているその時だけ、俺の部屋は廃屋になってしまったかのように静まり返っていた。
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