第1話 息を潜めるものたち

 木戸が俺に与えた仕事は、本当に簡単な物ばかりだった。どちらかと言うと小間使いに近いが、彼は本当に雑用に困っていた様で、俺が一つ仕事をする度に心底幸せそうな顔をするので俺も悪い気はしない。だって、前職ではコンビニで昼飯を買ったくらいで「丁度食べたいと思ってたんだ! ありがとう!」なんて言われない。いやそっちの方が普通なんだが。


 撮影にも同行した。大した機材は任されなかったが、三脚とかそう言うものを運んだりはした。廃屋を撮影しているときの木戸の顔は真剣そのもので、俺は廃屋ファンというものに対する認識を改めた。「人が立ち入らない所に入れる俺スゲー!」と言いたい目立ちたがり屋だとずっと思っていたから。木戸は昔からどちらかと言うと、学級委員をやったりする、目立つタイプの男だった。だから、遂に木戸もそう言う方面に行ったのか……と言う気持ちも少しあったのである。


 独りならただただ薄気味悪いだけの廃屋も、木戸がいると「被写体」になった。木戸が「撮りたい」と言うだけで、そこは捨て置かれた建物ではなく、写真に撮られるべきもの、モデルになった。彼の真摯な気持ちを表すかの様に、廃屋の写真はどれも、どこかしらにぴりっとした緊張感を孕んでいる。

 まるで息を潜めるように……。


 息を潜める……。


 もしかして……本当に何かが潜んでいるんじゃないだろうか。それが、木戸の視線にとらわれないように、息を潜めている……。


 そこまで考えて、俺は笑って首を横に振った。馬鹿馬鹿しい。そんなものいるはずがない。俺には霊感というものはなかったし、怪奇現象の類も信じていない。幽霊の正体見たり枯れ尾花と言う。人の存在しないミスを発見する馬鹿上司だっているのだから、いない幽霊を見てしまう人もいるだろう。


「なんだよ」

 俺が笑ったせいだろうか。パソコンで作業をしていた木戸が笑いながらこちらを振り返った。

「いや、何か、こう言う廃屋って幽霊とかいるのかなって思って……」

「俺は見たことないけどね」

「だよな」

「でも……」

 木戸は写真を手にとって、言った。

「こう言う建物が残ってるのって、そこに入るべき『何か』がいるからじゃないかって俺は思うんだ」

 真剣な顔。いつも撮影をするときの、あの顔だ。

「つまり……?」

「つまり、誰かの仮住まいかもしれない。だから、そこにいるかもしれない『何か』に対する敬意を忘れたらいけない。俺はそう思っている」

「そう言うものか……」

「おかしいか……?」

 不安そうに言われる。俺は慌てて両手を振った。

「いや、そんなことはない。そんな風に考えたことなかったけど……木戸は優しいよな」

「え? そ、そうかな……」

「優しいって言うか真面目って言うか……」

 そう言えば、こいつは学級委員に立候補するような真面目くんだった。廃屋が、さまよえる魂の仮住まいだなんて、俺の頭からは出てこない言葉だ。


 微妙な沈黙が流れた。俺だって、木戸がしてくれるみたいに木戸のことをちゃんと褒めたい。いや、褒めたいと言うのはお門違いなのかもしれないが、俺が木戸のことをすごいやつだと思っていることを伝えたい。けれど言葉が出てこない。

 一方、木戸は木戸で、別に褒められるべきことだとは思っていないようだ。どちらかというと、ノートの切れ端に書いたポエムを読ませてるくらいの感覚なのだろう。


 微妙な沈黙が続いた。木戸がものすごく照れているのがわかって俺はいたたまれない。

「そんなこと言ったの、美津濃が初めてだよ」

「俺が保証する。お前絶対廃屋写真家として有名になるよ」

「そうだと嬉しいな」


 そんな話をした数日後、木戸が俺に撮影への同行を打診してきた。こいつの真面目なところは、無職の俺に「お前どうせ暇だろ、来いよ」と言わずに「いついつの何時なんだけど空いてるか?」と聞いてくるところだ。

「空いてるよ。お前の家に集合で良いか?」


 そして、俺たちはその廃団地に行くことになった。

 これは仕事ではなく、木戸が個人的に撮りたい建物だった。前々から廃屋ファンの中では噂になっていたらしい。ただ、どういうわけだか写真はあまり上がっていなかった。俺も興味を持ってネットで調べたが、何故か大型掲示板のオカルト系スレッドにたどり着いた、

 いわく、「機材が不調になる」。

 いわく、「変なものが写る」。

 いわく、「妙な音が聞こえる」。


 よくある心霊スポットみたいな噂だった。


『なんか、鉄の扉を硬いものでこするようなゴリゴリって音が聞こえたんだよ』


 誰かのその書き込みだけが俺の心には残っていた。

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