扉の印

目箒

事の発端

 二年勤めた会社を辞めた。退職の理由は上司と合わなかったから……というと今時の若者と眉をひそめられそうだが、それをして良いのは、言うことがコロコロ変わる上に自分の許可したことを三秒後には忘れているような人種について行ける人だけだと思っている。どんな理不尽なことを言われても耐えた奴だけ俺に石を投げろ。


 退職届を提出して上司に嫌みを言って辞めた俺だが、上司の顔を真っ赤にさせたところで、一銭の得にもならなかった。何しろ無職になってしまったのだから。


 と、いうことの顛末を、飲み屋に呼び出した友人の木戸達也きど たつやに愚痴混じりに報告すると、彼はとても良いことを思いついたかのように手を叩いた。そして言った。

「そうだ。美津濃みずの、次の仕事見つかるまで俺の助手しない?」

「助手? お前何か研究とかやってたっけ?」

「趣味でカメラやってんだよ」

 木戸は屈託無く笑った。

「何を撮ってるの?」

 俺が尋ねると、彼はスマホで写真サイトを見せてくれた。風景写真かと思ったが、そうではない。

「廃屋の写真をね」

 彼は廃屋カメラマンなのだと言う。


 とは言え、彼も趣味だと言った通り、アマチュアではある。だが、その腕が認められ、現在では撮影の依頼が入ることもあるのだそうだ。

「そんなに件数は請られないけどね」

「すごいな。副業をしてるのか」

「そんなたいそうなもんじゃないって! ただ、ちょっと手伝ってくれる人がいたらな、と思うことはあるんだ。だから、どうだお前。次の仕事見つかるまで手伝ってくれよ。報酬も出す」

「報酬なんてそんな」

「いや、友達同士でもこういうことはきちんとしとかなきゃ。ああ、難しい仕事もない。難しくないけど俺がやりたくないことやってくれ」

「例えばなんだよ」

「付けっ放しのテレビ消すとか」

 俺は吹き出した。

「変に高い機材を任せたりもしないよ。どうだ?」

「やる、やるよ。なんだか面白そうだし、やっぱりお前と話してると楽しいから」

 今までは職場に行けば大勢の人間がいることを感じられたが、無職になるとそうも行かない。まず収入がなくなるから、そうそう人の多いところにも行けない。その点、木戸という他人の存在が保証されているなら、受かるかもわからないバイトの求人を眺めるよりよっぽど有意義だろう、と俺は考えたのだ。


 だが、これがいけなかった。この話が悪夢の始まり。

 俺がこれを断っていれば、木戸は手が足りないからとあの廃団地に行くこともなかっただろう。そこで刺されることもなかっただろう。そこで目をつけられて追われることもなかっただろう。俺も。


 けれど、俺たちは予知能力者でも霊媒師でもなんでもなかった。ただの二十代の、当たり前に生きてる凡人だったのだ。

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