チョコレートの悪魔

そのへんにいるありさん

チョコレートの悪魔

 ある日、僕の目の前に悪魔が現れた。


 それは、物語に出てくるような、一般的な悪魔にありがちな黒色ではなかった。茶色で、小さな角が二本生えている、手のひらサイズのちんちくりんの悪魔だったんだ。

 尻尾は槍のような三角形で、ゆらゆらと揺れている。


「おいお前!話を聞いているのか!?さっきからずっと、上の空じゃないか!!」


 ぱたぱたと小さな羽根を動かす悪魔は、高い声で叫ぶ。ふよふよと宙に浮いていて、耳にも近いからだろうか……。うるさくて堪らない……!


 大声を出さないでくれよ……!僕は偏頭痛持ちなんだっ……!!


「おお、そうか……!それはすまなかった……!」


 悪魔も偏頭痛の辛さを知っているのだろうか。素直に一つ頷いて、僕から少し距離を取った。その小さな体を動かすのに合わせて微風が吹き、甘い香りが鼻をくすぐる。僕はそれに触発されて、ポケットにそっと手を伸ばす……。


「あっ、お前っ……!やはり話を聞いていなかったんだな!?」


 ……チクリッッ!!……痛っ!?

 右手に鋭い痛みが走った。


 ……そう、犯人は悪魔だ。見ると、その小さくもとんがった角が僕の手の甲に深々と突き刺さっている。


「何をするんだ!痛いじゃないか!!」


 僕は驚いて、悪魔が刺さったままの手をぶんぶんと振り回した。

 そして、悪魔が目を回しているうちにと、体をぐわしっ!と思いっきり掴んだ。

 そのまま勢いよく引っこ抜くと、針穴ほどの傷が残っていた。少し血が滲んでしまっていて、何気に痛い。


 僕の動きについていけずに、目からチカチカと星を飛ばしている悪魔を、両手でぎゅっと握りしめる。そうすると、悪魔は苦しそうに呻いた。


「うぐぐ……。ちょっとお前っ……!手を、手を離せっ!」


 悪魔はそのつるつるボディに汗をにじませ、じたばたとする。


 ……心なしか手がベタついてきたので、僕はしぶしぶと悪魔を開放した。悪魔が羽根を整えてよろよろと飛び立ち、浮力に身を任せるのを見届ける。

 そして、僕はおもむろに手のひらをペロリと舐めた。


 ううむ!極上な味!チョコレートだ!!

 悪魔って美味しいんだなあ……!


 悪魔を今にも舐め尽くしてしまいそうな、よこしまな視線に気がついたのだろう。悪魔はぶるりとひとつ身を震わせると、無言で僕へ何かを差し出した。


 ぽとり。手に乗せられたそれは……。


 ……これはっ!チョコレートだ……!!


 僕の手の中では、銀色の包み紙がキラキラと光を反射している。


 これ、僕がポケットにしのばせているものより高級そうだ……!


 悪魔は口元を歪めてにやりと嗤った。


「ああ、そうさ。これはチョコレートだ。それも、とってもとっても美味しいやつさ」


 本当は今すぐにでも口に入れたかったけれど、まだ右手の痛みが残っているのでやめておいた。


「ほほう……。次は左手をグサッとやってやろうと思っていたのだが。人間とは案外賢い生きものなのだな」


 悪魔はカラカラと声をあげて嗤う。


 それは違うだろ!人間が賢いんじゃない!僕が賢いんだ……!!


 そう口を尖らせると、悪魔はまたどこからか、2つの銀色を取り出した。

 その小さな体躯で、自分の頭ほどの大きさのチョコレートをギュッと握りしめる様は、少し可愛いなと思ってしまったよ……。


「賢い君にプレゼントだ。君にやったのは、願いを叶えるチョコレート。1つ食べると、1つだけ願いが叶うのさ。そして、ここにあと2つある」


 願いを……叶える……?


「食べながら念じるだけでいいんだ。それで大抵のことが上手くいく」


 願い、かあ……。




 まず、身長をあと20センチばかり伸ばして、気になるあの子に告白して、デートを申しこむでしょ、そして地球の裏側で結婚して、誰も知らない場所で幸せな一生をおくる。多少貧乏なことくらいは目をつむろう。ただ、少しばかり贅沢な食事はしたいなあ。可愛い娘が欲しいし、立派なキャンピングカーを買って、またそれで世界一周しちゃったり……。


 うん、1つ目の願いは『身長を伸ばす』!これにしよう!!


 僕がチョコレートの包み紙を剥がしかけたところで、悪魔はこう言った。


「それを実現させるのは難しいと思うぞ?」



 ……え!なんでだよ?


「だって、身長を伸ばしたところで好きな子はなびかないし、デートにも応じないだろう。そして、地球の裏側ってどこだよ。日本の裏のブラジルのことか?どうやって行くんだ?お前、高所恐怖症で飛行機乗れないだろ」


 僕の夢をことごとく壊していく悪魔。僕はしぶしぶとチョコレートを引っ込める。


 やめろ!悲しくなる!……大体、なんで僕の考えてることが分かるんだよ!?


「いや、お前が自分で言ったんじゃないか。そもそも、セリフははじめからカギカッコに入ってなかったぞ。思ったことが全部口に出てしまっているのか?お前は無意識でそれをやっていたというのか?だとしたら面白いな」


 うそだろ……?そんなことあるはずが……。


 ……え。僕、ほんとに口に出してた……?


 悪魔の、すべて聞こえていたのだが?という顔を見てしまっては、それが真実なのだと認めざるを得ない。


 うわ、僕はなんて恥ずかしいことを!……みんな、お願いだから忘れておくれよ!!



「ははっ!お前って、なんて愉快なやつなんだ……!!」


 どうやら、僕の慌てっぷりがお気に召したらしい。


「ほら、願い事はすぐじゃなくていいんだ。それは、よーく考えて使えよ」


 はいはい、言われなくてもそうしますよーう!


「あ!……ただし、1つだけ約束しろ!これを3つ食べきってしまうまでに、甘いものは決して口にしないって!チョコレートは特にな!!」


「え、なんで?」


「冒頭部分で言ってたんだがな!甘いものは禁止だぞ、その理由はな……って!お前が聞き取らなかったせいで、みんなにも伝わっていないじゃないか!!」


 そうなんだ?まあ、そんな怒らないで……。


「はぁ……。いいか?今度はよく聞いてろよ?あのなあ、チョコレートって甘いだろ?」


 まあ、ビターを除けば甘いんじゃないかな?


「そして、甘いものを食べると、幸せになるだろ?」


 ああ!少なくとも、僕は幸せになるね!


「その幸せな瞬間こそが、願いを叶えるチャンスなんだよ。だから、それより前に甘いものを食べるなよ?」


 別にいいじゃないか。甘いものを食べたって!


 このチョコレートが甘くなくなるわけじゃないしさ!なにより、それは甘党の僕にはできない相談だ!!


「いやいや、絶対にやめろよ!?……ほら、どんなに甘いみかんでも、ケーキを食べた後に食べると酸っぱく感じるじゃないか!それに、ケーキを食べた後にまたケーキを食べると、甘ったるくて嫌になるだろ?」


 別にならないよ。2個目のケーキだって、ちゃんと美味しい。


「あー!そんなことが言いたいんじゃない!……2個目のケーキより、1個目のケーキの方が美味しく感じるだろ?……え?これでも分からないのか?……なら、ほらあれだ!ケーキの1口目は特別美味しいだろ!!ほら見ろこれだ!!」


 それはまあ分かるけどさ?だからなんだと言うんだ?


「その1口目が大事なんだ!一番美味しく感じる時が一番幸せだろ……!?」


 ……ふぅん?そんなもんなのか?まあ、いいけどさ。


「これの効果を甘く見るなよ!まあ、これは文字通りに甘いチョコレートなんだけどな……!!」



 悪魔はそれだけ言って、煙のように消えた。





 まったく、なんだったんだ……?


 僕の脳裏には、上手いこと言ってやったぜ……!という悪魔の最後のドヤ顔の残滓ざんしがこびりついている。


 えーっと!どうしよう!

 早くこのチョコレートを食べてしまわないと!でないと、それまで他に甘いものを食べられないっ……!


 ……でもさ!せっかく願いが叶うんだ。やっぱり、ちゃんと考えてからじゃないとね!



 そう結論づけた僕は、今日は寝ることにした。


 お願いごとは、明日の僕に任せよう!




 その日見た夢は、最悪だった。悪夢というやつだ。


 はじめに、何も無い真っ白な空間に僕とアイスクリームだけが存在していた。


 プールのように大きなカップに、丸々とした大きなアイスクリームが入っていたんだ!

 それは、夢の中なら食べ放題っ……!!っという、いつもならとんでもなく素晴らしい夢になのに、今回ばかりは違ったんだ!


 そう!僕の次に賢いみんなは、もう分かるよね!?



 ……なんとアイツは夢の中にまで現れたんだ!!


 なんで来ちゃうの?帰ってよ!!僕の素敵な夢の邪魔をしないでよっー!!


 悪魔は言ったんだ。


「夢の中でだって美味しい思いをしたらダメに決まってるだろ!甘いものなんかは絶対にダメだ!!」


 あ〜あ〜!聞こえな〜い!


 こんな大きなアイスクリームなんだよ?食べる以外の選択肢があるふぉーとでも……?


「お前っ、ふざけんなよ……!なにさりげなくアルフォート食おうとしてんだよ!そもそも、なんでいつの間にか手に持ってるんだ!夢の中だから思いのままってかっ……!?」


 ぶーぶー……。ケチな悪魔め……。


 ……ほら見ろ!悪魔のせいで、アイスクリームが溶けてきたじゃないか!どうしてくれるんだ!


 このままじゃ、せっかくのアイスクリームが水分だけになっちゃうよ!


「アイスクリームの夢を見たお前が悪い!……しかもチョコレート味ときた!お前、本当に約束守る気がないのな!!」


 仕方ないじゃないか!僕は世界で一番チョコレートが好きなんだから!!


 ……約束?そんなのをした覚えはないねっ!悪魔が一方的に僕を制限するような『約束』を押し付けただけだ!どうせ、僕が甘いものを我慢する姿を見て、笑いたかっただけだろう……!!


「なんだと……!こちらは願いの叶うチョコレートの対価に、甘いものを我慢するささやかな苦しみを頂こうとしたのだ!これは遊びではないし、一方的なんかじゃない、立派な『契約』だ!!」


 ふいに逸らされた悪魔の視線を追うと、目に飛び込んできたのは右手の甲の、悪魔が刺さった跡。それが、ぽわわん……と白っぽい光を出した。


「これが証拠だ!わかったか?」


 いやいや、なんだよそれ……!なんで手が光るんだよ!?……しかもなんで『契約』が勝手に結ばれているんだよ!?これは立派な悪徳商法じゃないか……!!


「悪徳商法だと?……これは、お互いに利がある関係だ!お前みたいに後になって文句を言うやつは稀で、今までの人間は二つ返事で応えたのだぞ!!」


 "後になって" ってなんだよ!僕ははじめから、「うん」も「わかった」も「かしこまり☆」も言ってないんだってば……!


「悪魔の契約などそんなものだ!良いものと悪いものを同時に差し出すことで、無理矢理にでも対等な関係を勝ち取ることができるのさ!……お前、『願いが叶うなら甘いものを我慢する価値がある』と思っただろう?或いは、『美味しいチョコレートを食べられるならまあいいか』と思ったのかもしれないな!」


 それは同意したも同然だ!と悪魔は嗤う。


 ずるいよそんなの!この悪魔!!


「ははっ!それはどうも!!人間の間では、『鬼!悪魔!人でなし!』が悪い意味で使われているみたいだがな、悪魔の業界では褒め言葉なんだぞ!!我は悪魔なぁーりっ……!!わーはっはっはー!!」


 この悪魔、なんてやつだ……。



 結局、僕は悪魔の妨害により、夢の中でアイスクリームを食べることはできなかった。




 次の日。


 僕は清々しい朝を迎えた。

 ついに僕は、1つ目の願いを決めたんだ!


 ズバリ、『甘いお菓子を世界から消す』ということ!!


 願いを叶えるまで食べられないのなら、無くしちゃえばいいよね!3つ目の願いごとで元に戻せばいいんだしさ!!


 このままだと我慢できずにポケットの中のチョコレートなんかを食べちゃって、願いがひとつも叶わないと思うし!僕ってやっぱり頭良いっ……!!



(こいつは正真正銘のアホだ)


 悪魔は嗤う。

 悪魔はずっと見ていたのだ。自分に目をつけられたこの哀れな少年が甘いものの誘惑に負けないかだろうかと。


(……だがしかし、こいつは興味深い。アホだがアホなりに考えられている)


 星の数ほどもある人間の中からこいつを選んだのは、正解だった。


(ふむ。……やはり、さっさと願い事をしてしまった方がいいと思うんだが。こいつは何故こんな面倒なことをするのだろうか。人間の思考にはいつも驚かされる……。いや、これはこいつだからなのか……?)


 とりあえず1つ願いを叶えるチョコレートを食べれば良い。そうすれば、2つ目を食べる前に甘いものを食べてしまったとしても、最低1つは願いが叶うじゃないか。


 ……そういえば、「願いごとが決まらない」と喚いていた奴が前にもいたなあ。あの時は、「とりあえずこのチョコレートを食べろ」と助言したっけな。そうすれば、心の中に誰もが持つ、小さな願い事が自動的に叶えられるのだから。


(……けど、あいつには言わないでおこう。教えたところでどうせ、あいつの身長が20センチばかり伸びるだけだしな。それでは面白くない……)


 悪魔は、願いを叶えるまでの苦しみを食べて生きていたが、それだけでなく、人間の欲深さと、そこから生まれる願いの奇抜さを小さな楽しみとしていた。




 えーっと、このチョコレートを食べながら願えばいいんだっけな……。


(ああ、そうだ。早く願っちまえよ)


 もちろん、姿を隠している悪魔の声が届くことはない。


 悪魔が見守る中、少年はチョコレートの包み紙をむいて……



 ……美味しいっ!!


 これはミルクチョコレートだね……!

 チョコレートを口に含むととっても甘くて素敵な味がした。カカオの香りがふんわりと僕を包み込む。



 ……あ、チョコレートに興味がある人に向けて少し語っておこうかな!


 見なくても全然おっけーだけどね!!



 ミルクチョコレートはね!

 チョコレートのうち乳製品を混ぜ入れたもののことを言うんだ!


 チョコレートに主に使われる乳製品は下の3つ!


 ・脱脂粉乳(牛乳から油のとこだけを取り出して乾燥させたもの)

 ・全脂粉乳(牛乳が粉になったもの)

 ・クリーム粉乳(これは僕もよくわかんない!)


 クリーム粉乳を使用している場合はクリームチョコレートと呼ぶ場合もあるらしいよ!


 ……でも多分、これは生粋のミルクチョコレートの方だと思うな! なんとなくだけど!!


 ミルクチョコレートには、ビターチョコレートと比べて濃厚な甘みとクリーミーさがあり、舌触りが滑らかだから、疲れた時に食べるといいよね!

 血圧低下や動脈硬化の予防、老化の防止、それに虫歯になりにくくなったりもするんだって!



 あぁ、美味しい……。幸せ……!!



 おおっと……!!

 いけないいけない!!危うく願いごとをするのを忘れるところだった!!



『世界から甘いものがぜんぶ無くなりますように……』


 ポケットがすっと軽くなって、あ、僕の非常食が消えた……となんだか少し虚しくなった。



 ……あっ!

 ちょ、ちょっと待ってえええ!?


 え、これ残りの願いを叶えるチョコレートも無くなるよね、無くなっちゃうよね!だってこれ甘いんだもの!ああー!!どうしようーー!!



 ……と思ったけど大丈夫でした。

 目の前の机の上には銀色の光がしっかり2つある。よかった……。冷や汗かいたぁー!!


 うん、次はちゃんと考えてから願いごとをしよう!!勢いダメ絶対!!




 僕は家中を、甘いものが残っていないか確認してみることにした。


 お菓子は、しょっぱいものの代表格であるポテチや、素朴な美味しさに定評のあるビスケットなどしか見つからなかった。やっぱり甘いものは何もない。

 今度食べようと思っていたマシュマロも、自分へのご褒美用のプリンも、買い置きしていたミルクティーでさえも。


 どうやら、本当に世界から甘いものが消えてしまったようだ。自分でやっといてなんだけど、寂しい世界になったなあ……。



 大丈夫っ!2つ目の願いごとさえ決めれば、すぐに元に戻すんだからっ!!


 うんうん、そうだよねっ……!!




 甘いものが消えた世界を見てみたい。

 僕は、そんなただの興味本位で街に出てみることにした。



 恋人たちの甘い記念日は終わり、静まりかえった夜。

 白い街並みは暗闇を反射してキラキラと揺れている。


 この雪はいつの間に積もったのだろうか。


 深呼吸をすると、冷たい空気がそっと肺に入り込んでくる。


 なんだか、平和だなあ……。




 対して、悪魔は世界の異変に気がついていた。


(こいつはまた、大変なことをしでかしてくれた!世界が悲しみに満ちている!!これは美味い……!!人間の不幸がとても美味いぞっ……!!)


 悪魔は上機嫌に羽根を動かして、あたりを見てまわる。


 家で職場でコンビニで、あらゆるところで悲しみが溢れている……!!


【あらっ!砂糖をきらしていたかしら!?】

【えぇー!今日はアレ、無いんですかー!?】

【糖分が足りない……。何も手につかない……】

【期間限定スイーツ、楽しみにしてたのにぃー!!】


 そんな声があちらこちらから。


(高みの見物を決め込もうじゃないか!)




 どうしよう……。


 先程から、あちらこちらで甘いものを求める声がする。


 ……僕の願いごとが、多くの人に迷惑をかけてしまっているんだ。


 悲しみ嘆き、不満に怒り。もしかしたら苦しみまでも。

 これらの負の感情を呼び起こしているのは、他の誰でもなく僕なんだ。それが、急に恐ろしく思えてきて、寒さのせいだけではない震えが全身を駆け回る。


 落ち着け、落ち着くんだ。

 だって、犯罪を犯しているわけじゃないし。それにほら、糖尿病の人にとっては今日は良い日だよ。僕は悪いことなんてしていないんだ。


 無理やりな正当化をして、精神を正常に保つ。

 みんなにはちょっと悪いことをしたなと思うけど、やってしまったものは仕方ないし、もうしばらく、2つ目の願いごとが決まるまではどうか待ってほしい。



 ほんとに、なんにしようかな……。


 思いつくのは『願いごとができる回数を増やして』だとか、『これからなんでも上手くいくようにして』だとか、多分おそらく間違いなく絶対に無理だろうなというものだけ。


 なにげなく近くのお菓子屋さんに入って、商品を眺める。お店は開店しているけれど、甘くないものなんて売っているのだろうか。



「えっ!おじちゃん、そりゃないよ!……私、このクッキー取っといてって言ったじゃないの!!」


 急に張り上げられた声。小学生くらいの少女が、雑誌を店主らしきおじさんの顔に突きつけている。


「ほら、この砂糖がまぶしてあるヤツ!!」


「おう、そうなんだけどよ……!なんかいつの間にかパッと消えちまったんだよ……!」


 申し訳ない。それ、僕のせいだ。


「今日はお母さんの誕生日なのに!お母さんはここのクッキーが好きなのに!!」


 決めた。2つ目の願いごと。


 ……ねえ、君!

 ちょっと待っていてごらん。このおじちゃんはすぐにクッキーを出してくれるよ!!

 

「え?そうなの、おじちゃん?」


 僕の言葉を聞いて目を輝かせた少女は、店主へと確認する。


「おいおい、勝手なこと言ってんじゃないよ!無いもんは無いんだよ!」


 僕は、店主を「まあまあ、出てくるかもしれないじゃないですか」となんとか言いくるめた。



 急いで家に帰って、机の上のチョコレートを……!




 2つ目の願いごと。


 この世界で唯一存在する、甘いチョコレートを口に運ぶ。


『1つ目の願いごとで消えてしまった甘いものを元に戻してほしい』


 そう願うと、ポケットにずっしりとした、愛しい重さが帰ってきた。



 胸の奥から喜びが込み上げて来て、3つ目の願いごとはもういいや、とポケットにあるお気に入りのチョコレートを口に入れる。


 ……やっぱり、美味しい。


 いつもと変わらない味。それなのに、なんでこんなにも心が暖かくなるのだろう。



 もう願いごとを考える必要も無いんだ。

 寝るまでの数時間はだらだらと過ごそうかな。


 テレビをつけて、ソファーに体重を預ける。


【ただいまのニュースです。世界中で糖分を含んだ食品が消えるという事件が起こりました。目撃者の証言によると、それはおよそ30分の間消えてなくなり、またパッと姿を現したそうです。現在原因を捜索中ですが、依然として状況は掴めていないということです】


 おお。もうニュースになってるのか……!

 日本の情報の速さには舌を巻くよ!


 それからは、バラエティー番組やドラマを見て楽しんだ。


 僕はウトウトしてそのままソファーの上で眠ってしまった。



 次の日。

 何か甘いものを食べたいと思い、昨日のお菓子屋さんに向かった。


 すると、そこにはあの少女。店主と話しているみたい。


「おじちゃん!このクッキーはもういらないの。だから返しに来たの」


「そんなこと言われてもなあ……。お嬢ちゃん、1回買った食品は返品できないんだよ。1度人の手に渡ったものは売ることができないし、他にも賞味期限って言うのがあってな……」


 すると、急に黙り込む少女。どうしたのだろうか。


「……あのね、でもクッキーはもう必要ないの。お母さんは食べられないから」


 なんだか嫌な予感。


「お母さん、昨日車に跳ねられて、今は病院に入院してるの……」


 ああ……。


「お母さん、私が『早く帰ってきてね』って言ったから、近道をしようって、いつもなら通らない暗い道を通って帰ってきたんだって。そしたら信号無視の車が来て……」


 それは……。


「お母さんは私のせいじゃないって言うけど、私は……私は……」



 ……そうだ!3つ目の願いごとをしよう!


 いつも食べているチョコレートを入れているのとは反対のポケット。そこに残り1つとなった願いを叶えるチョコレートがある。


 甘いものは食べてしまったけれど、大丈夫。だって、僕にはこのチョコレートの仕組みがもう分かったから。



 僕は今、とても悲しい。僕の今日の幸せは、一息で吹っ飛んでしまった。一欠片も残っていない。だから、このチョコレートが使えるんだ。


 チョコレートを食べて得た小さな幸せを、願いに込めて、1人の少女へと贈ろう。



 3つ目の願い。

『この子のお母さんが元気になりますように』


 右の手の甲が光った気がした。もしかしたら、悪魔が力を貸してくれたのかもしれない。



 ……そこの君!君のお母さんはもう元気になったよ!クッキーを渡しに行っておいで!



 急に話しかけた僕に驚いたんだろう。少女はビクッとして、そーっとこちらを振り向いた。


「お前は……。昨日に加えて今日までも適当なことを……」


 店主は呆れているようだ。



「え?お母さんは、元気になったの……?」


 ああ、そうだよ。だから、君の笑顔を早く見せてあげないと。


 未だ不安そうな顔をした少女に、ポケットから出した、なんでもない普通のチョコレートを2つ握らせる。


 ……ほら、これは君と君のお母さんに。


 チョコレートは誰もを笑顔にする、魔法のお菓子なんだよ。


 疑うことを知らない少女は嬉しそうに微笑む。


「ありがとう!」


 その笑顔を見て、僕はまた幸せになった。やっぱり、チョコレートってすごい。


 少女が病院に着くまでに、ギュッと握りしめたチョコレートは溶けちゃってるだろうなあ……と思いながら、のんびりと帰路につく。



 ねぇ悪魔!

 いるんだろう?出てこいよ!


 悪魔がくれたチョコレートに、僕はたくさんの幸せをもらったんだ!!


 ありがとう悪魔!!



(そんなこと口にするんじゃねえよっ!あの少女とお前のあの感動シーンを見た後でそんなっ……!泣いちまうじゃないかっ……!!)


 姿は見えないけれど、悪魔の声がたしかに聞こえた。


 ははっ!おい悪魔!

 泣いているのか……?

 僕、悪魔って血も涙もないのかと思ってたよ!


(……グスッ。泣いてなんかいねぇよ!悪魔にだって血も涙もあるに決まってんだろ!!……まあいい!……契約はこれで終わりだからな!最近冷え込むから風邪ひくなよ!!)


 悪魔!僕を選んでくれて、僕なんかのところに来てくれてありがとう!


(お前を選んだのは、たまたまだ!あとお前、自分のことを"なんか" なんて卑下するなよ!お前はお前だ。自分の価値を自分で下げるな!お前らしく、胸を張って生きろ!!)


 悪魔の言葉に、僕は泣きそうになった。

 泣いちゃだめだ。きっとこれが最後なんだから。悪魔とは笑ってさよならするんだ。


(お前との時間、結構楽しめたよ!!……もう会うことはないと思うが、時々こっそり見に来るよ!じゃあな!!)


 悪魔とはそれっきり。今では姿も声も見えないし聞こえない。


 ありがとう悪魔。





 後日、お菓子屋さんに来店した際に、店主のおっちゃんからお菓子の詰め合わせをもらった。


 おっちゃんが僕のことを好きになってしまったのかとちょっと怖くなったけど、全然そんなことは無かった。

 恐る恐る受け取ると、「あの後、あの子がお母さんと一緒に来たんだよ。お前に礼が言いたかったんだとさ」と教えてくれた。


 そうだったのか……。

 心がまたじんわりと暖かくなるのを感じる。


「来年はこの店でクリスマスパーティーを開くんだよ。お前、どうせ予定はないだろ?あの子も来るから絶対来いよ!」


 ああ、そうするよ……!!

 来年は寂しいクリスマスとはおさらばだ!!


 店を出て、はあーっと息を吐くと、僕の想いが空に溶けてゆくような気がした。





 この季節になると思い出す。


 人間を苦しめて喜ぶ悪魔。だけれど、どこか優しいあいつの存在を。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

チョコレートの悪魔 そのへんにいるありさん @SonohenniArisan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ