おまけ

『忙しい人のための走れメロス』を読んで

3年2組 田野瀬智子


 私が今回読んだ『忙しい人のための走れメロス』は、とても短い物語です。しかしその中には、私がこれから長い人生を歩んでいく上で大切なことが詰まっていました。一場面ごとに、私の今後の指針が示されていたように感じます。

 私が感じた大切なことの一つ目は、自分の感覚に従うことです。物語の冒頭で、主人公のメロスは強い怒りを感じたその勢いのまま城に乗り込み、怒りを抱かせた張本人である王と対峙します。メロスが目の前に立ったことで、王が赤面するという、邪智暴虐とは真逆の状態を引き出しました。暴虐の内に隠された人間らしさを曝け出させたこの場面は、その後の王政の変化を示唆するものと言っても良いでしょう。この変化をもたらしたのは紛れもなくメロスの強い怒りであり、その強い気持ちに従って行動した結果です。私が感銘を受けたのは、メロスが、まさに自分自身の感情だけを根拠に行動を起こしたことでした。同じ場面に出くわした時を想像すると、私は強い怒りを抱いていたとしても、まず周囲の気持ちを確認してしまうと思います。私が行動を起こすとすれば、自分の抱いている感情が多数派だと分かってからです。メロスのように、ただ自分の思いだけを拠り所に行動に移せるようになりたい。今後の私の指針として、参考にしたいと思えるシーンでした。

 またメロスは、邪智暴虐の王政を変えるきっかけを作った勇者と言っても良いでしょう。同じシーンからは、社会を変えるような人は、元々勇者であるからそれを成し遂げられるのではなく、ただ行動を起こしたから勇者となるということも感じられました。自分の強い思いを軸に、行動を起こし、社会に影響を与える。メロスの生き様をなぞりながら、私も社会に良い影響を与えられる人になりたいと強く思いました。

 そして二つ目。これはまさにメロスとセリヌンティウスとの友情の美しさでした。邪智暴虐の王の前、メロスは怒りのままに動いている。そして自分は磔にされている。そんな何が起こるかわからないような状況の中で、しっかりと明確な言葉でメロスが全裸であることを指摘できる。全裸というのは肉体的なプライベートを全てさらけ出した状態なわけで、なかなか触れにくい話題です。それをこの状況で指摘できるというのは、親友としての信頼関係がなせることであると感じました。セリヌンティウスは物語の中でこのセリフしか言っていませんが、それでもこの一言で、メロスとセリヌンティウスが親友であると強く認識できました。短い描写の中に感じ取れる強い信頼関係が美しく、この物語に宿る力を感じさせてくれました。私の人生の中でも、こうした強い信頼を構築できるような人間関係を築いていきたいです。

 また、これは人生の指針とは違いますが、メロスが全裸であることを述べる表現の美しさも印象的でした。前に述べた通り、物語の最後で親友からそのことを直接指摘されますが、その前に赤面した少女がマントを差し出すという描写で示唆がされています。この少し回り道をした表現によって、読んでいる私に徐々にメロスの状態が明かされていくような、服を着ているものだと認識していたメロスの服が一枚ずつ脱がされていくような、そんな感覚を覚えました。少ない描写から、描かれている場面に如実に迫っていく。そこに、文章の力、文学の奥深さを感じることができました。

 ここまで書いてきた通り、今回『忙しい人のための走れメロス』を読んで、その短さからは想像できないくらい様々なことを学び感じることができました。そしてそれらは、今後の人生の指針となるような、長期間に渡ってよい影響をもたらしてくれるものでした。こうした学びを得られたのは、感想文を書くために一文一文じっくりと読み込んだことによると思います。今回の貴重な読書体験を通して読書の楽しさや奥深さを感じることができたので、今後も様々な本をじっくり読み込んで、今回のように色々学ぶことのできる濃密な読書体験を重ねていきたいと思います。その先に、自分自身もよりよく変わっていければと考えています。


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 私の読書感想文は学校で最優秀賞に選ばれ、市内で最も大きなホールで発表することができた。友達が半ばネタとして持ってきた、たった200文字程度の文章を題材に、その8倍の分量の感想文を書いて評価された。物語を読むのに5分もかかっていない。本なんてほとんど読んだこともなかったから、読書に慣れていたわけでもないのに。他の人は2日3日、長い人だと2週間くらいかかってやっと読み終わったなんて言っていた。5分で読んで、半日で書き上げた。200文字を1600字に錬成した。その効率の良さに、同級生達からは半ば賞賛、半ば嫉妬のような感情を向けられ、一躍時の人となった。次の年から、みんながみんなこぞってなるべく短い本を選んでくるようになったのは言うまでもない。ただ、それはそれで、今度は感想文の分量を達成する作業に苦しむことになったのだが。

 この出来事は私の成功体験として、よき思い出として残っている。感想文が評価されたこともあって、読書にプラスのイメージが加わった。いろんな本を読んで、日記に感想を書いて。面白かったものは感想文を見せながら友達に勧めたりもした。そのきっかけとなった『忙しい人のための走れメロス』の感想文はそれほど真剣に書いたつもりはなかったけれど、結局、そこに書いたように、読書体験を重ねるようになって、今に至るまでの人格形成に大きな影響を与えている。

 そういえば、なぜタイトルに『忙しい人のための』とついているのか、当時から頭の片隅で少し引っかかっていた。


 そんな昔のことを今になって思い出しているのは、その引っ掛かりが解消されようとしているからだ。まさに『走れメロス』が手元にある。忙しい人のためではない。何の修飾語も付いていないものが手元にあるのだ。

 感想文を書いたのが中学生の時。そこから社会は目まぐるしく変わっていった。

 私の周りで一番大きな変化が、インターネットの普及だった。図書室の限られた本棚の中から目ぼしい本を探していたのが、限りのないネットの情報の中から検索ボタンを押すだけになった。日記に感想を手書きしていたのが、ブックログのサイトにぽちぽち打ち込むようになった。

 ネットの海の中で、何も付いていない『走れメロス』の情報を得られたのは偶然だった。ちょうど30歳になる年。あれからちょうど2倍生きたタイミングで見つけられたことに、運命的なものを感じていた。

 手元の『走れメロス』を眺める。久しぶりに再会してすっかり見た目が変わってしまったのに、魅力が増している初恋の人。そんな感情だ。

 今日は休日。外は雨。一日中読書に集中できる。はやる気持ちを抑えつつ、ページをめくった。

 書き出しの一文。全く一緒だ。

 当時の記憶が、まぶたの裏に浮かんできた。

 その記憶とともに、物語を進めていく。そうか、だから親友は磔にされていたんだな。メロスはこんなに走っていたのか。記憶と比較しながら、自然とツッコミが入る。

 『走れメロス』はすぐに読み終わった。中学生の私だったら、この分量でもしんどい思いをしながら読んでいたのだろうな。すべてのきっかけとなった物語だから、自然と懐かしい気持ちになる。

 さて。本を読み終わったらいつもの通りブックログに感想を書かなくては。パソコンを取り出して、物語を思い出しながら感想を書いていく。今回思い出すのは物語だけではない。感想文を書いていた当時の記憶も一緒に。

「この物語は、勇気と友情の物語だ」

 書き出して、あれ、と思う。あの200文字を読んだ時と、書こうと思うことが同じだった。付け加えて何か言えることといえば、結婚式後にうっかり寝過ごしていたところとか、パパッと山賊を蹴散らしたメロスの謎の強さとか、瑣末なツッコミしか思いつかない。

 そうか、分かったぞ。

 はじめに『忙しい人のための』を読んでいてよかった。そうでなければ、一生気づかなかったかもしれない。

 あの物語の本質は、全裸のメロスだったんだ。

 それならば、あの物語のタイトルに『走れメロス』はふさわしくない。そう、メロスが全裸になって、王様の前に己を曝け出すだけでよかったんだ。だから、ちゃんと本質に従ってタイトルをつけ直すとすれば-


『それほど走らなくてもよかったエロス』、完。

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忙しい人のための走れメロス+α 20文字まで。日本語が使えます。 @osushi_mawaranai

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