正義なんてありません。自分の中以外に

 教会に十二、三人の女たちが集まり、期待に満ちた表情で演壇を眺めていた。全員が既婚女性だ。


 演壇に立っているのは店主だった。

 自警団の活動の一環として、身を守るために女たちに銃の使い方を教えてやってほしいとスタンセン町長から依頼されたのだ。


「えー……ショットガンは、このように構える」


 店主は滑らかな動作で銃を構えてみせた。

 女たちは真剣に店主を眺め、次の説明を待った。


「……」


 店主はそのまま動かない。次の説明をしようともしない。銃の構え方を見せただけで、伝えるべきことはすべて伝えたと言わんばかりだ。

 教会内に沈黙が続いた。


 ああ、もう、見ていられない。ボニーは席から立ち上がり、演壇につかつかと近づいた。


「あのね。銃を構えて立つ時は、膝をこういう風に軽く曲げて、腰を落として重心を低くするの。で、大事なのは、絶対に頭をまっすぐにしとくこと。顔が曲がってたら、正しく狙えないからね? ほら、見て。頭から首にかけて、ちゃんとまっすぐになってるでしょ?」


 不動の姿勢の店主をぺたぺたと触りながら説明する。わかりやすい解説に、観客から感嘆と喜びの声があがった。

 結局、棒立ちの店主を教材にして、ボニーがすべての説明をする羽目になった。


 姿勢と操作方法をひと通り説明し、参加者が一度自分で銃を構えるところまでやって、お開きになった。女たちは笑顔でボニーを取り囲んだ。


「ありがとう、すごくわかりやすかったよ、ボニー」


「これで私たちも戦えそうだ」


「あんたも銃に詳しいんだねー」


 それまで教会の隅で座り込んでいたメイベルが駆け寄ってきて、ボニーの上着の裾をぎゅっと握りしめた。うれしそうに。


 なんだか、くすぐったい気分だ。頬がひとりでにゆるんでくる。


 年上の女たちに囲まれ、メイベルに裾をつかまれて、ボニーは不思議な心地良さを味わっていた。きっとこういうのを小さな幸せというのかもしれなかった。少し離れた所で店主がショットガンをケースに片づけている。いつも通りの仏頂面だが、別に気分を害しているわけでもなさそうだ。


 一同はぞろぞろと教会を出た。雑貨屋の閉店後に行われた催しだから、時刻はすでに遅い。辺りは真っ暗だ。


 一歩表へ出たとたんに気づいた。異様にキナ臭い空気。


「何、これっ……!?」


「ちょっと……もしかして火事じゃない!?」


 立ちすくみ、顔を見合わせる女たち。


 見上げると、無数の灰が燃えながら浮遊しており、まるで大きすぎる星のように、夜空を赤く不吉に埋め尽くしている。

 空気を満たす煙はどんどん濃くなっている。大勢の人たちがあわただしく通りを走り回っていた。自分の家から散水機を引っぱり出そうとしている者もいた。ボニーは火元の手がかりを求めて周囲を見回した。


「パン屋が……パン屋が燃えてるぞ!」


 散水機を引きながら走っていく男の叫び声が、彼女たちの耳に届いた。


 ボニーの背後で、コッホ夫人が激しく息を呑んだ。


 ボニーはメイベルの手を引き、パン屋へ向かって駆けた。その後ろをコッホ夫人が息を荒くしながらついてきた。コッホ先生の店は完全に炎に包まれていた。煉瓦造りの建物のあらゆる窓、あらゆる扉から激しい焔が吹き出してきていた。窓から見える建物の内部は溶鉱炉のように真っ赤だった。


 ひときわ大型の散水機を引いて駆けつけてきた店主が、呆然としたように歩調をゆるめ、立ちすくんだ。


 誰かがまだこの店内に残っていたとしたら――これだけの業火の中を生き延びられるはずはない。それは一目瞭然だった。


 店内で荒れ狂う火は激しさを増す一方だ。噴き上げる黒煙。さかんに建物の外壁を舐める焔の舌。《嵐》に飛ばされぬよう頑丈に固定された「コッホのパン屋」という看板も燃え始めていた。やがて看板は金具から外れて落ち、無残な音を響かせた。


 悲痛な声で叫び続けていたコッホ夫人が地面にくずおれて泣きじゃくった。




 「コッホのパン屋」の内装と家具調度品をすべて焼き尽くし、火が収まったのは、夜明け近くのことだった。

 焼け跡からコッホ先生の死体が発見された。




 その日は快晴だった。相変わらずの情け容赦ない陽光が、墓石の影を枯れた地面にくっきりと刻んでいる。


 先生の葬儀は、《嵐》と《嵐》の間を見計らうようにして執り行われた。


 町外れの墓地には三十人近い人々が集まった。赤ら顔の神父が足を引きずりながらゆっくりと墓穴に歩み寄った。表情は厳粛そのものだったが、はっきりとわかる酒の臭いをまき散らしている。そのことについて誰も何も言おうとしないのをボニーは不思議に思った。


 喪服姿のコッホ夫人が涙ももう枯れ果てたといった風情でうつむいている。その傍らに立つ孫娘メイベルは、黒いワンピースを着せられ珍しくこざっぱりしたなりをしているものの、事態がよくわかっていない様子で、ぼんやりとした無表情のままだ。親しくしているバイソン夫人が、支えるようにコッホ夫人の肩を抱いていた。


「――全能なる神よ 大いなる憐れみもて

 われらが愛するこの兄弟の魂を召し給いたれば

 いまその屍を地にゆだね

 土を土に 灰を灰に 塵を塵に戻し

 終わりの日の甦りと 後の世の生命とを

 主の名によりて堅く望むなり――」


 祈祷書を読み上げる神父の声が、まっさおな高い空に吸いこまれていった。


 ボニーはその声をほとんど聞いていなかった。コッホ先生の笑顔、優しい言葉、試食させられた数々のパンのことを思い出していた。


 参列者たちの交わす囁き声が、不意にボニーを現実に引き戻した。


「……ひどい話だよな。先生の両足を撃って動けないようにしておいて、店に放火したんだって?」


「恐ろしい……なんてむごい事を……それじゃ人殺しじゃないか」


「火をつけた犯人たちは、『クリヤキンの店』に入って行ったって話さ」


「やっぱり、あいつのしわざか。先生がなかなか立ち退こうとしないもんで……」


「……無茶な事しやがる。あんな、いい人に……!」


 ボニーは青空を見上げた。


 太陽の光が無情に降り注いでいた。

 銀河系の最果ての星、正式な名前さえまだつけられていない太陽だ。


 この世に正義などない。“正義”というのは、権力者が愚かな人民を踊らせるために、自分の都合に合わせて振りかざすただの旗印だ。しかし――これではあんまりではないか?


「主よ、あなたの僕なるジュリアス・コッホの魂を

 あなたの御手に委ね奉ります

 では皆さん、お祈りを致しましょう」


 神父はそう言って頭を垂れた。参列者たちも皆それにならい、頭を垂れて黙祷した。


 頭を下げる直前、ボニーの目に、墓穴をはさんで真正面の位置に立っているメイベルの顔がちらりと映った。

 無表情なままの少女の瞳から涙が流れ出て、頬を伝って落ちるところだった。




 夕刻。「カズマの店」の表の扉が、ちりんちりん、という鈴の音と共に開かれた。


「悪いが、今日は休みだよ」


 店主が声をかける。ボニーと店主はカウンターのところで、コッホ先生の冥福を祈って一杯やっているところだった。

 農場主のバイソンが、ばつの悪そうな笑みを浮かべて、戸口に立っていた。


「今日は買物に来たんじゃねえんだ。その……つまり……別れの挨拶にだな……」


 恰幅のいい大男が、今にも消え去らんばかりの風情だ。


 店主は眉ひとつ動かさなかった。


「出るのか。この町を」


 バイソンはかすかにうなずいた。


「『クリヤキンの店』へ行って、土地を売る話をしてきた。クリヤキンの野郎はいなくて、代わりに男のくせに香水をぷんぷんさせやがった、妙な野郎が出て来たんだが……いずれにしても話はついた。耳を揃えて現金で九十万クレジット払ってもらったぜ。それだけありゃあ、息子のテリーをいい大学に行かせてやれるってもんだ」


「そうか。……達者でな。奥さんとテリーにもよろしく」


「ああ。あんたには長い間世話になったな」


 しばらく沈黙が続いた。用件は済んだはずなのにバイソンはなかなか立ち去ろうとしない。店主は黙ってゆっくりとグラスを口元に運んだ。

 不意にバイソンの顔が泣き出さんばかりにぐしゃりと歪んだ。


「俺を責めないのか、カズマさん。臆病者だと。今までさんざん威勢のいいこと言ってきたくせに、真っ先に尻尾巻いて逃げ出す腰抜け野郎だと……!」


 ボニーは思わず店主の顔を見上げた。岩を削って作られた彫像のような店主の顔には、穏やかな表情しか浮かんでいなかった。


「あんたの命の値打ちは、あんた自身が決めることだ。他の人間にとやかく言う資格はねえよ」


「畜生! 罵ってくれた方が、まだ気が楽ってもんだ……!」


 そうつぶやいて顔をそむけ、バイソンは店を出て行った。ちりんちりん、という鈴の音だけがやけに場違いに明るく響いた。


 それは皮切りにすぎなかった。翌日になると、何人もの農場主や商店主たちが次々と別れの挨拶のため訪ねてきた。みんな言い値で土地を手放したのだ――コッホ先生の無残な死によって、クリヤキンに抵抗する勢力は総崩れになろうとしていた。店主に挨拶に来た者以外に、黙って町を去って行った者もいた。助役のブルーウィングなどは、誰にも何も告げずに朝一番の大陸横断列車で姿を消したのだ。


 最後にやって来たのは町長のスタンセンだった。

 ガラス窓から流れ込んでくる夕焼けが、スタンセンの長身を血のように紅く染め上げていた。


「……ここだけは、いつも通りだな」


 ゆっくりと歩み入りながら彼はカウンターの奥に立つ店主に向かって淡く笑った。客のいない店内は静かだった。


「あんたはクリヤキンに土地を売りに行かなかったのか、カズマさん」


「ああ。俺はここを離れるつもりはねえからな」


「そうだろうと思ったよ。……結局、残ったのは我々だけだ。みーんな行っちまった……。もうおしまいだな。この町も」


 スタンセンが歩くたびに床板がきしんだ。

 やがて彼は、カウンターからすこし距離を置いたところで立ち止まった。


「だが、去った連中のことを笑えない。……私もクリヤキンに土地を売ったんだ。クリヤキンの代理だという男と契約を済ませてきた。土地を奴らに売却し、奴らの物となった土地に借地人として住まわせてもらう。土地の売却代金と今後百年間の借地料を相殺する。そんな契約だ。つまり、私の住んでる土地の所有権だけが赤の他人の手にわたっちまった、そういうことになる」


 店主は何も言わずに、カウンターの上の商品を並べ替えていた。スタンセンは続けた。


「なぜそんな馬鹿なことを、と思うだろうが……私まで逃げ出してしまったのでは、私を信頼して町長に選んでくれた者たちに申し訳が立たない。どんなに屈辱的でも町長としてこの町にとどまる。それが私の最後のプライドだ。……私だって悔しいんだ。コッホ先生とはもう十年近いつき合いだった。あの死にざまを見て腹が立たないわけがない。しかし、私には、やつらと戦うだけの力がない。あんなむごい暴力から、自分や家族を守り通す力がない……!」


 店主は不意に顔を上げて、大きな眸(め)で、スタンセンの顔をまともにみつめた。


「一杯やらないか、町長」


 そしてカウンターの下から酒瓶を取り出した。


 店主がカウンターの上にグラスを並べているとき、再びちりんちりん、という軽快な鈴の音が響いて扉が開いた。喪服に身をつつみ、黒いヴェールで顔を隠した小柄な女性が入ってくるところだった。

 女性は店主とスタンセンを見比べて、ヴェール越しににっこりした。

 それはコッホ夫人だった。


「いらしてたのね、町長さん。ちょうど良かったわ。証人になっていただきたいの」


 老婦人はやわらかだが毅然たる物腰で、店主に向かって宣言した。


「私たちの住んでいた土地を、カズマさんに無償でお譲りします。カズマさん、あなたはずっと主人や私たちの良き友人でいてくださったわ。あの土地が何かの形で少しでもあなたのお役に立つのなら、亡くなった主人も喜ぶでしょう。……どうぞあなたのお好きにして頂戴。クリヤキンに売り渡してしまっても別に構わないんですよ。私たちに義理立てする必要はないわ」


 その言葉を聞いて、初めて店主は動揺らしきものを見せた。


「奥さん。しかしそれでは……!」


 コッホ夫人は首を横に振って店主の抗議を遮った。


「あなたに、差し上げたいの。……店が燃えてしまっても、幸い、定期連絡船で《中央》へ帰るぐらいの旅費はなんとかなるんですよ。グブラーズ星系に住んでいる甥っ子が、昔から、フロンティアみたいな危ない所にいないで一緒に暮らそうと言ってくれていてね。メイベルと一緒にそこへ行くつもりです。ここに残って、たった一人で店を再建するには、私は年をとり過ぎているわ」




 ――彼らは、かつてコッホ先生のパン屋があった場所へ赴いた。灰や焼け残った建材などはすでに《嵐》で吹き飛ばされ、ただ煉瓦造りの建物だけが黒々と焼け焦げた姿をさらしている。

 乾いた一陣の風が、その周囲からわずかな灰を巻き上げて、走り過ぎていった。


「ここで、十年間。……本当に、いろいろなことがあったわ」


 コッホ夫人はしばらくの間、焼け跡をじっとみつめて立ちつくしていた。店主とボニー、スタンセン町長はそんな彼女の背中を黙って見やるしかなかった。

 やがて彼女は振り返った。

 そして別れの挨拶のつもりか、三人を順にぎゅっと抱きしめた。

 ボニーが小柄な老婦人の背中に腕を回すと……甘くて懐かしい、焼き立てのパンのような香りがかすかに漂った。


「さようなら、ボニー。元気でね。どこへ行っても、あなたのことは忘れませんよ」

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