初めて、肩を並べました
その夜ボニーは寝つけなかった。
日没後まもなく、一日で最後の《嵐》が通り過ぎてしまうと、彼女は窓を大きく開け放って冴えざえとした月光を室内に迎え入れた。
惑星スミルナには三つの月があり、そのうちの二つが寝静まった町を明るく照らし出している。ボニーは「カズマの店」で働くようになってから、店の屋根裏部屋を間借りしていたが、その小部屋の窓からは町の半分ぐらいが見渡せた。
深夜のナザレ・タウンで、おそらく今にぎわっているのは酒場『クリヤキンの店』とその隣の娼館だけのはずだ。夜通しこうこうと灯りのついた店内では、これまでと何も変わりなく酒がふるまわれ、女たちが媚態を示しているだろう。
ボニーはベッドの下に押し込んであった古い皮袋を引っぱり出した。皮袋の口を下にして振り、中身をベッドの上に落とした。
白いシーツの上で不吉な輝きを放っているのは、かつてアルテア解放軍の制式銃であったゴライアスAK4988型レイガン《アイリス》。軽量だが抜群の命中精度と安定性を誇り、銀河連邦内の多くの星系で軍用あるいは警察用として採用されている銃である。
ホルスターとエネルギーカートリッジ数個がその周囲に転がる。
捨てよう捨てようと何度思ったかわからないが、結局捕虜収容艦を脱走してからずっと今まで持ち歩いてきたものだ。
カートリッジの口には、長期保存の間の自然損耗を防ぐためにテンシル製のピンが差し込まれている。ボニーはそのピンを指先で弾き飛ばし、エネルギーカートリッジをブラスターに装着した。銃身がわずかに振動し、エネルギーの充填が行われていることを示した。
まっすぐ腕を伸ばして銃を構えてみる。まるで自分の体の一部のように自然に感じられた。
――朝方近く。階下で扉が開き、また閉じる音がした。
ボニーは屋根裏部屋を勢いよく飛び出した。
無人の道路はすでに薄明るい。さえぎる物なく広々と伸びる東の地平線が毒々しい赤色に染まり始め、やがて来る太陽の圧倒的な支配に備えて、大気にしずかな力の気配が満ちている。空気はまだ冷たい。
しばらく歩くと、かなり前方を同じ方角へ歩いていく店主の後ろ姿が見えた。
速くはないが着実で揺るぎのない足どりだ。「決意」という文字が広い背中に浮かび上がっているかのようだった。
腰には当然のごとくガンベルトが巻かれている。《ネメシス》が月明かりを浴びてときおり光る。
ボニーは、それ以上距離を詰めようとせず、店主の後ろをついていく形で歩き続けた。
店主も彼女の気配に気づかないはずがないのに、振り向きもしない。彼らはしばらくそうやって無言で歩き続けていた。
やがて店主が足を止めて振り返った。
「ついて来るんじゃねえ」
「ついて行ってるんじゃない。あたしが行こうとする方向に、ボスが歩いてるだけよ」
店主はボニーの銃に目をとめ、いまいましそうに舌打ちした。くるりと踵を返し、また歩き始める。ボニーも一定の距離を保ったままその後を追った。
長いあいだ無言で歩いた後で店主は再び足を止めた。
「……おまえには戦う理由がないはずだ」
「理由なら、ある。マントウのためよ」
ボニーは胸を張って答えた。
「コッホ先生にはずいぶんいろんなパンを食べさせてもらったもんね」
店主はほろ苦く笑った。
「おまえの年頃ってのは、胃袋でものを考えやがるからいけねぇ」
言い捨てて、また歩き始めた。
二人はしばらく、そのまま無言で、町のメインストリートを歩き続けた。
二人の間を乾いた風が吹き抜け、昨夜の《嵐》でどこかから吹きちぎられた木切れが、からからと地面を押しやられていった。
「止めたって、無駄だからね」
ボニーは店主の背中に向かって叫んだ。
「あたしはもう決めたの。今日こそ、ボスと一緒に戦わせてもらう」
店主は三たび足を止めた。ボニーを振り返ったその瞳が、かすかに柔らかい光をたたえたようだった。
「足手まといになるんじゃねえぞ」
「そっちこそ。中年があんまり張り切ると、あとでガックリくるんだから!」
ボニーは店主に追いついた。彼らは肩を並べて、ひとけのない道路をクリヤキンの酒場へ向かって歩いて行った。
ボニーと店主が扉を肩で押し開けて中に入ると、『クリヤキンの店』には客の姿がまったくなかった。椅子が倒れ、こぼれた酒がテーブルを汚し、落花狼藉の跡が生々しいが、薄明るい店内には不思議な平安が満ちている。カウンターの向こうでバーテンダーがあくびを噛み殺しているところだ。
店全体を見渡せる位置にある奥の丸テーブルで、キャンディがひとり、グラスに酒を注ぐのに集中していた。瓶が何本もテーブルに並んでいる。例によって、比重の違う液体を注ぎ分けて層状にしようとしているのだ。
歩み寄ってくるボニーたちをちらりと見上げたが、またグラスに視線を戻してしまった。
眉を寄せ、唇を尖らせ、いかにも「集中しています」という風情のその表情からは、銃を携えて乗り込んできたクリヤキンの敵を彼女がどう思っているのか読み取ることはできない。
ボニーはキャンディのテーブルから少し離れた位置で足を止めた。
長年の相棒と戦わなければならないのは、気が進まない。お互いの戦闘能力を考えると、手加減してやり合うなんて無理だ。絶対に本気の殺し合いになる。
でも――遅かれ早かれ、こういう状況になる運命だったのかもしれなかった。
ボニーは大きく息を吸い込み、きっぱりと、こう切り出した。
「あたしたち、クリヤキンを倒しに来たんだ。……もしあんたが自分のボスのことを、義理立てするに値する相手だと思ってるなら、遠慮は要らないから銃を抜きなよ。勝負しよう」
「AK4988《アイリス》、ね……久しぶりに見ましたわ。やっぱりあなたには、モップとバケツよりも、そちらの方がずっと似合ってますわよ、ボニー」
物憂げな笑みをちらりと浮かべるキャンディ。
相手からまるで戦意を感じなかったが、それでもボニーは緊張をゆるめなかった。
しばらく沈黙が続く。
「あたくしにはもう、雇い主はいないんですの。本日付をもって失業者ですわ」
不意にキャンディが言った。ボニーは眉をひそめた。
「どういうこと?」
「知りませんでしたの? クリヤキンさんは死んだんです。五日前だったわ。本社から来たビートって奴に殺されて……そのまま北の山に埋められ、葬式も出してもらえませんでしたの。今じゃここの采配をふるってるのはそのビートですわ」
「じゃあ、コッホ先生の店に火をつけたのも、そいつの仕業ってこと?」
「さあ、よくわかりませんけど……あの男ならそれぐらいの事はやりかねませんわね。会社の利益が人の命よりも最優先、みたいなこと言ってましたもの」
キャンディが濃い青色のリキュールを慎重にグラスに注ぐ間、ボニーと店主はその場に立ちつくし考え込んでいた。
やがて店主が険しい声で尋ねた。
「そのビートという男は、どこにいるんだ」
「隣ですわ。『モリーの店』の一階の奥にあるスイートルームを
モリーの店というのは、この酒場と同じくクリヤキンが経営していた娼館で、酒場のすぐ隣にある。クリヤキン亡き後、その娼館も、自動的にビートの管理下に入ったのに違いなかった。
ボニーと店主は踵を返し、酒場を出ようとしかけた。
その背中にキャンディの声が飛んだ。
「気をつけなさいね、ボニー。あのビートというのはただ者じゃなくてよ。その上、ごつい手下を三十人も連れてますから」
ボニーは足を止めて振り返った。
客のいない酒場はやけにだだっ広く見えた。その中でぽつんとひとり座っているキャンディはどこか迷っているような、戸惑っているような、そんな風情に見える。
カウンターの奥でバーテンダーが、明らかに彼女らのやり取りに必死で耳を傾けながら、力をこめてグラスを磨いていた。
「……あんたはどうするのよ、キャンディ。一緒に来ないの?」
ボニーの声は、からっぽの店内で意外なほど大きく響いた。バーテンダーの肩がびくりと震えた。
キャンディはちょっと笑った。
「あたくしの手を借りたいのなら、素直にそう言ったらどうですの?」
「誰が。あんたの手助けなんか要らないわよ。ただ……ボスを殺されっぱなしで、それでいいの?」
「クリヤキンさんは、ただの雇い主ですわ。あたくしが酒場に目を光らせ、あの人はそれに対して給料を払う。それだけの関係です……」
キャンディはうつ向き、機械的な手つきで、一本のボトルを持ち上げた。
「だけど、あの人が殺されてからというもの、どうもすっきりしないんですの。たぶん、あたくし、あの人のこと、けっこう気に入ってたんでしょうね」
店主は足早に酒場を出て行った。
ボニーは急ぎ足でその後を追った。彼女が出て行った後、スイングドアが頼りなげに何度も大きく揺れた。
ひとり残されたキャンディは、黄色の液体をそっとグラスに注いだ。
不意に、グラスの中の液体の層が揺らぎ、拡散した。
混ざり合ってしまった酒を、キャンディは表情のない目で眺めた。
その手が、首から下げたペンダントの深紅の宝石をぎゅっと握りしめた。
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