遊びの時間は終わりました
その男は朝一番の大陸横断列車に乗ってナザレ・タウンへやって来た。
黒い髪をきれいに撫でつけ、きちんとプレスのきいた真新しいシャツを着た、小柄な中年男だった。ネクタイの太さも《中央》で最新流行のもので、シルバーグレイのベストの胸ポケットから香水を染み込ませたハンカチをのぞかせている。白いエナメルの靴は、砂塵の大陸を数日も旅してきたとは思えないほど、ぴかぴかに磨き上げられている。明らかに肉体労働者のものではない、傷ひとつないきれいな手をしており、爪にはマニキュアが行き届き、高価な指輪を指に光らせている。
申し分のない伊達男ぶりだった。
しかし、いかんせん、顔が悪すぎた。尖った顎、なんとなく薄汚れた感じのする口の周り、真ん中に寄った猜疑心の強そうな目。全体的にネズミを思わせる顔つきだった。その貧相な顔立ちのせいで、しゃれた服装の効果も台無しだった。
男の名はビート。
ゴライアス惑星開発公社の従業員名簿にはB・ダリル・セオドアという名前で登録されているが、『気取り屋』ビートという通り名のほうがその筋では知れ渡っている。
昔からゴライアス関係の汚い仕事を一手に引き受けている男だった。
ビートは妙に隙のない動きで列車を降り、歩き始めた。彼に続いて、黒のスーツを着た屈強な大男たちが次から次へと三十人以上降り立った。この異様な一行を駅員は目を丸くして見送った。
「おまえのせいだぞ、キャンディ」
デスクの奥に腰かけたセルゲイ・クリヤキンがきっぱりと言い渡した。
キャンディは手を口に当て、かふっ、と可愛らしい音をたててあくびをかみ殺した。
酒場『クリヤキンの店』の二階にある小さな事務所。クリヤキンは出勤してきたばかりのキャンディを早速呼びつけたのだ。ボスである自分が朝早くから夜更けまで忙しく働いているというのに、夕方近くになってのうのうと現れるこの従業員を怒りに満ちた目で睨みつけながら、クリヤキンはとがった声で言った。
「今朝、本社のよこした『壊し屋』が町に着いた。もう私にはここの采配を任せておけない、ということらしい」
「ふーん。ま、仕方ないんじゃありませんこと? 話を聞いてみれば、あたくしだって思いますもの、あなたのやり方は手ぬるいと」
雇い主に対する尊敬の念などみじんも感じられない態度で、おっとりと言い放つキャンディ。やっぱり最近の若い奴はわからん、とクリヤキンは内心頭を抱えた。
豊かな銀髪、実直そうな四角い顔、こざっぱりとした服装。クリヤキンは無法者をはべらせる酒場と娼館のオーナーというよりは、教師とでもいった方が似合いそうな堅い外見の持ち主だった。
仕事ぶりも几帳面だった。女たちの管理(きちんと月に一度は医師の診察を受けさせている)。数十名におよぶ子飼いのごろつきの性格・特性を把握したうえでの役割分担、労務管理。町の住人たちとの土地建物賃貸借契約の処理。そして少しでも『所有地』と呼べるエリアを増やすための、北部山地の開拓工事の監督。
フロンティアで本社のために土地を入手する仕事にかけては、クリヤキンは超ベテランだった。もう二十年近く銀河系あちこちの開拓地を転々としてきた。酒と女を商うのは辺境の町で勢力を得るためのてっとり早い方法だし、資金稼ぎにもなる。この稼業については一から十まで心得ているのだ。
自分はそこそこ良い働きぶりをしている、とクリヤキンは自負していた。
酒場の経営でトラブルになったことはないし、町の買い占めも順調に進んでいる。
だがこのキャンディ――気まぐれだしやる気もないが、おそろしく腕だけは立つ流れ者――と話していると、ペースが狂ってくる。「事態を掌握している」という自信が揺らいでくる。
私が若い頃にはもう少し目上の人間に対する態度をわきまえていたものだが? とクリヤキンは心の中でつぶやいた。いや自分だけではない。世の中全体がそういう感じだった。『節度』や『礼儀』、そんな言葉がまだ意味を持っていたものだが……。
昼過ぎにようやく目を覚まし、一時間以上かけて入浴し、さらに一時間かけて化粧をして、最高にお洒落をきめてしゃなりしゃなりと出勤してくる酒場の用心棒が、宇宙のどこにいるというのか。
「おまえがもっとしっかりしてりゃ、こんな事にはならなかったんだ。カズマの店に乗り込んだとき、せめて店番だけでも追い出せていれば、多少は事情が変わっていたかも知れないんだぞ。それが何だ、尻尾巻いて逃げて来るなんて……!」
「だから申し上げたでしょ? ものすごーく強い店番で、やり合ったけどかなわなかったんですのよ」
「ちゃんと本気でやったんだろうな? おまえ、すぐに手を抜くから……」
「今さらそんなこと言ったって仕方ないでしょう? それで、一体何なんですの、『壊し屋』って」
「……本社の方針に抵抗する連中をぶっ潰すことを仕事にしている奴らだ」
ひどく真剣な顔でクリヤキンが答えた。
「そのためには手段を選ばん。血も涙も――常識もない奴らだ。そんな奴には本当は来てほしくなかったんだが……」
キャンディは上機嫌をまったく崩さずに事務所を出た。都合の悪いことを言われても軽やかに聞き流す、というのが彼女の特技のひとつだったし、ボスの問題はボスの問題でしかない。自分には関係のないことだ。
数歩進んだとき、階段をのぼってきたばかりの男とぶつかりそうになった。
流行のスーツを一分の隙もなく着こなした、背の低い中年男だ。
その男の後ろには図体のでかい連中がぞろぞろと大勢つき従っている。
キャンディはちらりと男を観察した。男の方でも彼女をじっと見上げていた。二人の視線がぶつかった。
姿勢、身のこなし、目の配り方。そういったもので彼らはお互いの力量を一瞬にして見抜いた。
キャンディはことさらにしゃなりしゃなりと階段を降りて行った。
男は苦虫を噛みつぶしたような表情になって事務所に入って行った。黒ずくめの大男たちは事務所の扉のすぐ外にずらりと並んで待機の姿勢をとった。クリヤキンが作り笑いで立ち上がり、男を迎えた。
「やあ、早かったな、ビート」
『気取り屋』ビートはにこりともせず「町を見てきました。いい所ですね」と言った。それから、何気ない口調でつけ加えた。
「今ここを出て行ったお嬢ちゃんは何者です? 只者じゃありませんね」
「キャンディのことか。下の酒場の用心棒をやらせてる奴だ」
「そうですか――あれが……」
ビートはちょっと考え込むような表情を見せた。
「あんたが言ってたカズマっていうのは、あの用心棒が向かって行ってかなわなかった相手なんですね。こんな僻地にそのような手練れがいるとは……少しは楽しませてもらえそうだ」
「いや、それはカズマ本人ではなくて……」
クリヤキンの説明などビートはまったく聞く気がないらしかった。「お楽しみは後回しにしましょうか」と言い捨てると、スーツケースから取り出した図面をデスクの上に広げた。大陸地図だ。ところどころ毒々しい赤色で不規則な形に塗りつぶされているのは、ゴライアス惑星開発公社が所有権を押さえている地域を意味する。赤い部分は決して大きいとは言えなかった。
「本社の方で裏から手を回しましてね。現在の登記状況が判明しました。スミルナの可住地域中、今のところ我々が押さえている土地の面積は三十四・七五パーセントです」
「三十五パーセントまで行ってないのか。……苦しいな」
思わず顔を歪めるクリヤキン。ビートはうなずいた。
「だからこそ、このナザレ・タウンを丸ごと手中に収めることがいっそう重要になってきます。町全体が我々の物だと認定されれば……普通であれば登記の対象から外される道路や広場、集会所など、全部が所有地としてカウントされますから。今や一ルードの土地でも惜しいんですよ。
この町に、反対勢力を一人でも残しておくわけにはいきません。一人たりともです。誰か一人でも他に土地を持ってる住民がいれば、道路や広場などの公有地をこっちの所有地に含めることができなくなりますのでね。反対派は全員排除する。それが至上命令です」
「排除、か……」
ビートのていねいな言葉に含まれる酷薄な響きが、クリヤキンの気分を落ち着かないものにし始めていた。
「わかった。全力をあげて住民を追い出しにかかろう。多少難航はするだろうがな。……この半年で、話のわかりそうな相手からは全員もう土地を買い上げてしまったので、今残っているのは特に頑固な連中ばかりなんだ」
「半年もやってきて、このざまですか。ちょっと仕事の進め方に問題があるんじゃないですか。――これまでに何人殺しました?」
「は? 殺す、だと? 何の話だ」
「ゼロ、ですか。ふむ。やはり生ぬるい仕事をしているようですね。反対派がしぶとければ、見せしめに一人か二人殺してやればいいんですよ。そうすればビビって他の連中も逃げ出します。それがこういう仕事の定石でしょう? もしそれでも逃げ出さなければ皆殺しにすれば済むことだ」
ごく当たり前のことを述べる口調で、ビートはあっさりと言った。その態度は事務的ですらあった。
クリヤキンは顔色を変えた。
「無茶を言うな! いくら本社のためでもそんなことは……!!」
「何を怯えてるんです? 問題ありませんよ。この星にはまだ法律がないんですから。銀河連邦にも未加入なので連邦法の適用もない。つまり人をいくら殺しても罪に問われる気遣いはないってことです」
「……ずいぶん簡単に言ってくれるじゃないか? 《中央》から来たばかりで何も知らないくせに……」
クリヤキンは机に手をついて身を乗り出し、燃えるような目でビートを睨みつけた。『壊し屋』と呼ばれる連中に対する反感、長年この仕事に携わってきたというプライド。そういった感情がごた混ぜになり、沸騰寸前の憤怒となって彼を突き動かしていた。
「人殺しなどやらない。それは私の主義に反する。あんたは、現場の人間など自分の鼻息ひとつで動かせる下っ端だと思ってるんだろうが……私には私の考えがあるんだ。あんたの指図は受けない」
「おやおや、困りましたね。手を汚すのはいやだと言うんですか? 深窓のご令嬢じゃあるまいし」
ビートは芝居がかった仕草で、わざと嘆かわしげに首を振ってみせた。
「巨大な市場があらゆる混沌を飲み込んでいく……それがこの宇宙の正義です。この世を動かしているのは経済であり、市場なんですよ。市場の大半がゴライアスの統制下に置かれて資源の効率的な配分が可能になれば、宇宙全体の生産性が上がり、人々の購買力も高まる。そうして更なる繁栄が全宇宙に広がるというわけです。自分がゴライアスに所属し、ゴライアスの崇高なる歩みのために奉仕できる立場にあることを、あんたは誇りに思うべきです。……そんな巨大な流れの前では、人間の一人や二人が何だというんです?」
「何が崇高なる歩みだ……! 要するに、でかい儲けのためなら人の命などどうでもいい、ということだろう?」
吐き捨てるようにクリヤキンは言い、片頬を歪めて笑った。
「《中央》で、文明の利器ってやつに囲まれてぬくぬく暮らしてると、感覚までズレてくるらしいな。あんたら本社の人間にはわからんだろうが……ここフロンティアでは、人間の命にはもっと値打ちがあるんだ。ゲームの駒みたいに簡単に扱っていいものじゃない。
過酷な気候、未知の病原菌、無慈悲な自然――フロンティアの連中はそういったものを相手に毎日命賭けで戦っている。頼りになるのは己の力と運だけ。後ろ盾になってくれる物などありはしない。自然と絶えず一対一で向き合って、ここで生きるための権利を勝ち取ってきているんだ。こういう未開の地で暮らしていると、自然に比べたら人間がいかにちっぽけなものか実感できる。そして、それでも懸命に生きようと努力することが、いかに尊いかということもな。
ここにはここのやり方がある。あんたの指図は受けない。この仕事にかけては私の方があんたより詳しいし、私の方法で今までずっと実績をあげてきたんだ」
ビートが大声で笑い出した。クリヤキンは不意に喋るのをやめた。
ユーモアや暖かみというものが、完全に欠落した笑い方。それは不自然で非人間的な笑い声だった。
「本社の出世街道から外れて長年
――店員たちが開店準備に忙しい中、酒場のカウンターでひとり紅茶を飲んでいたキャンディは、階上で響いた銃声に飛び上がった。ミニドレスの裾をつまんで二段飛ばしで階段を駆け上がり、群れているビートの子分たちをかき分け、ドアを蹴破らんばかりの勢いで事務所に駆け込む。
彼女の目に飛び込んできたのは、デスクの向こうの革張りのアームチェアにひどく不格好な体勢でもたれかかったボスの姿だった。
半開きになった口の端からすーっと一筋垂れている鮮血。黒焦げになっているワイシャツの胸元。
天井に向かって見開かれているその水色の瞳は、明らかに、もはや何も映してはいなかった。
クリヤキンの死体を呆然とみつめてキャンディは立ちすくんだ。
「あなたが……やったんですの」
部屋の隅に立つビートに向かって、堅い声で尋ねる。
ビートはゆっくりした動作で大出力レイガンを右脇下のホルスターに収めているところだった。
「ええ、そうですよ。どうします、お嬢ちゃん? ボスの仇討ちだといって私とやり合いますか」
急に部屋の中が恐ろしいほど静まり返った。
キャンディはまだクリヤキンの死体をみつめていた。目を離したくても離せない、そんな風情だった。
「あたくしの仕事は酒場の用心棒です。ボスの護衛ではありません」
「――賢明ですね」
「いい方でしたが、仇を討って差し上げるほど親しくもありませんでしたわ。しょせんは雇い主と従業員……」
言葉とは裏腹に、キャンディの瞳の奥に、静かだがひどく剣呑な焔が揺らめいていた。それを感じ取っているのか、ビートは銃把から手を離そうとしなかった。
「ひとつだけ訊かせていただけるかしら。どうして、殺したんですの? こんな人畜無害な方を」
「職務上の意見の相違ってやつです」
ビートはおどけた仕草で肩をすくめてみせた。
「私はゴライアス惑星開発公社からクリヤキンの仕事ぶりを監督するために派遣された、いわば上役です。本社の利益が最優先される。その点を理解できない社員は要らないってわけですよ。――クリヤキンがこの星でやっていた事業はすべて私が引き継ぎます。酒場の経営もです。もしよければ今までと同じように、酒場の用心棒として使ってあげてもいいですよ?」
キャンディは昂然と顎を上げ、唇をひき結んだ。
「あたくし、無粋な人の下では働かないことにしていますの。ボスに前払いでもらったお給料がまだ五日分残ってますから、その分は仕事をしていきますけど。それが終わったら失礼させていただきます」
立ち去ろうとして、最後にもう一度だけ振り返った。クリヤキンの無残な死に様を目に焼きつけるために。
「勘違いしないでくださいな。たとえこの店を引き継いだとしても、あなたは、あたくしの雇い主ではありませんから」
「どうぞ。お好きなように」
ビートはきざな動作で、胸ポケットから抜き取ったハンカチで鼻を押さえた。
そしてキャンディが事務所を去ってしまうと、溜めていたものを一気に出すかのように、大きく重い息を吐いた。
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