ほろ苦い微笑みが刺さりました

 店主は、ボニーとキャンディとセルゲイ・クリヤキンの身体のありとあらゆる器官(特に脳と神経系)についての推測、それに彼らの祖先の遺伝的特質に関する想像をたっぷり五世代分ぐらいにわたって並べ立てた。これほど微に入り細にうがったカラフルな罵詈雑言を耳にしたのは、ボニーも初めてだった。


 激しい罵声の流れが止んだのは、キャンディが「壊した壜と棚の代金はボスのクリヤキンに弁償させる。もしボスが支払いを拒んだ場合は、自分が用心棒の給料から月賦で弁償する」と誓いを立てたためである。


 店主は、まだ怒り冷めやらぬといった風情で、息を弾ませながら二人を睨み据えた。


 キャンディがカウンター奥の掃除を続けている間、ボニーは店主を手伝って、ヴァイシャ・タウンで仕入れてきたという品物の箱を倉庫まで運んだ。重い箱に軽い箱、色々とりまぜて運びながら、ボニーは店主に「巡回登記団」とは何なのか尋ねてみた。


 店主は一瞬、ひどく奇妙な表情でボニーを見返した。


「ずいぶん……耳が早いじゃねえか?」


「?」


 きょとんとするボニーに対し、店主はちらりと十分の一秒ぐらい笑ってみせ、


「今ちょうど巡回登記団の連中が、ヴァイシャの隣のセーブル・タウンまで来てる。言い換えると……もうすぐここは『フロンティア』ではなくなっちまう。そういうことだ」

と答えた。




「巡回登記団っていうのは、各地を巡回して、土地の権利者を登記して歩いてる連中のことだ」


「……そのまんまじゃない。もしかして、あたしのこと、馬鹿にしてる?」


「こらっ、アホ、軽い箱の上にそんな重いもん乗せるんじゃねえ。下の箱がつぶれちまうだろうがっ。……ある程度開拓の進んだ惑星に《中央》が送り込んでくる。やつらが来たってことは、連邦軍のくそでかい戦艦がこのスミルナの衛星軌道上で待機してるってことよ。……こらっ、その足をどけねえか、この脳たりん! そこに入ってるのはベリージュ星系からわざわざ取り寄せたオーデコロンの壜だぞ、一体いくらすると思ってる!? わーっ、だからって箱を傾けるんじゃねえ! おまえの脳みそは一度に一つの事しか処理できねえのか。宇宙港の清掃ロボットでもおまえよりはましだぞ!?」


 悪態によってときどき遮られながらではあるが、店主がボニーに説明したのはだいたい次のような内容だった。


 《中央》こと銀河連邦政府は、開拓が始まって数十年たつ星系に対して、法務官と戦艦いっぱいの武装部隊を送り込んでくる。それがいわゆる巡回登記団だ。法務官たちは、星系内の可住惑星のあらゆる可住陸地部分を調査して回って、その所有者を確定する。そうやって大陸の権利関係を示した地図を作っていくのだ――誰がどの土地を所有しているか、境界線はどう引かれているか。いったん調査が済んだ町は、その後むやみに無登記の権利変動が行われたりしないように、小規模な治安維持部隊によって管理される。


 巡回登記団によって開拓地に秩序がもたらされ、権利関係が安定するわけだが、彼らの最終目標は国家の設立にあるのだ。新しい銀河連邦加盟国家を誕生させる手続。その手続によって、今のところ航行星図に単にG0701-elibatnca-0117とのみ記載されているスミルナも――ちなみにそれはG型の主星と七つの惑星(うち一つの可住惑星)を持つ、第百十七星区にある星系という意味の整理番号だが――正式な星系政府としての名称を与えられる。


 巡回登記団による土地の権利関係の調査・登記が完了すると、次は住民投票が行われる。新国家をどういう政体にするか――王制か共和制か帝政か――、そしてその最初の指導者を誰にするか、住民自らが選択するわけだ。それが決まれば、あとはその指導者が、《中央》の法務官の指導にしたがって憲法や主要な法律・制度を決定し、必要な人員を採用し、新国家の骨組みを固めていく。新国家が設立されるまでに通常三、四年はかかるといわれる。


 その最初のステップである住民投票において、投票権は、所有する土地の面積に比例して分配されるのだ。どんなに小さくてもこの星に土地を持っているかぎり、国家の将来を決める選挙の投票権を与えられる。ある者の二倍の面積の土地を持つ者は、与えられる投票権も二倍である。多くの土地を所有する者は大きな発言権を持つことになる。ある意味、非常に理にかなった制度である。


「……ところが、『三十九パーセント・ルール』ってのがある。こいつがなかなか曲者でな」


 荷物を運び終え、倉庫のシャッターを下ろしながら店主が言った。


 それは国家設立に際しての特例だ。星系内の可住惑星の可住大陸部分の三十九パーセントを越える面積が、ある一人の個人または一法人によって所有されていると認められた場合、住民投票は行われない。その星系は、その個人/法人だけのものになる。新国家の政体もそいつが自由に決めてかまわない。


「……実際問題、ある星系の三十九パーセントを所有するっていうのは大変なことだ。それだけの土地を所有できる奴なら、事実上もうその星系を支配下に置いてると見ても間違いねえ。そういうことで定められた特例なのよ」


「わかったわ、それがゴライアス惑星開発公社の狙いね! 社員のクリヤキンを使って、土地を買い占めさせて、三十九パーセントをめざすつもりなんだ。そうすればこの星系を丸ごと自分たちの思うようにできるから……」


 店主はうなずいた。


「星系全部を手に入れちまえば、やりたい放題だからな。惑星の軌道や自転・公転周期を変えることも、人工太陽を据えつけることも、大気の組成を変えることも――要するに、惑星開発だ。ゴライアスの連中はたぶんこの星系に、可住惑星を最低三つは作り上げるだろうぜ? 

 そしていちばん金になりそうな形に惑星を改造する。美しい楽園を作って観光地にするか、兵器製造会社が商品のテストをするための仮想戦場を作るか、あるいはそのまま変人の金持ちか宗教団体に星系丸ごと売り渡すか……まあ、使い道は色々あらぁな。

 惑星開発ってのはこの銀河系でいちばん儲かるビジネスなんだ」


「……すごくスケールの大きい話なのね」


 ボニーは感心した。クリヤキンには巡回登記団が来る前にこの町の土地を入手しなければならない理由がある、ということは十分理解できた。莫大な利潤がかかっているのだ。星系国家ひとつ、という。


 二人は無言で店へと戻った。


 店内へ入ると、カウンターの奥からキャンディが、


「あ、カズマさん。ここの掃除、終わりましたわ。あたくし、もう帰ってもよろしいかしら?」


とのんきな声をあげた。とっとと失せやがれ、と答えると店主はボニーに再び向き直り、


「おまえには関わり合いを持つ理由がねえ。関わらずに済むことには手を出さない、というのが生き延びるための賢明な方法ってもんだが――ここで起こっているのと似たような事は、銀河系いたる所で起こってる。もし興味があるんなら今夜八時、教会に来るといい。寄合いがあるんだ」







 以前に『嵐』を避けるため飛び込んだあの教会へ、ボニーは再び足を踏み入れた。


 礼拝場の奥の方、説教壇に近い辺りの椅子に、すでに数人の農場主たちが腰を下ろして低い声で話し合っている。彼らのほぼ全員とボニーは顔見知りだった。黙ってうなずく者、けげんそうな顔で見返す者、疲れたような笑顔を見せる者と反応はさまざまだったが、ボニーの登場を男たちは受け入れたらしい。また何事もなかったかのように小声の会話を続けた。


 コッホ先生も来ていた。そしてメイベルも。

 メイベルはうれしそうに駆け寄ってくるとボニーの手をぎゅっと握りしめた。


 神父の姿はなかった。


 店主が顔を出したのは八時きっかりに近い時刻だった。定刻をすこし過ぎた頃に町長のスタンソンが現れ、「やあ、すまんすまん。待たせたな。もう全員揃ってるようだから、始めようか」と威厳のある渋い声で言って参集した人々の真ん中に座った。


「今夜は……もう聞いてる者もいるかも知れないが、重大なニュースがある。カズマさん、頼むよ」


 話を振られた店主はこともなげに肩をすくめると、


「俺は今日ヴァイシャ・タウンへ行ってきたところなんだが……噂じゃ『巡回登記団』がもうセーブル・タウンまで来てるらしい。セーブルはそれほど大きな町じゃねえから調査は長くはかからんだろう。そうなれば次はヴァイシャだ。遅くても来月までにはこのナザレ・タウンまで来るんじゃねえか?」


と言った。


 その言葉は激しい反応を引き起こした。集まった農場主や商店主たちは顔を見合わせてざわめき始めた。どの顔にも安堵と喜びの表情が浮かんでいる。


「ついに来たか……助かった!」


「『登記団』が来てくれりゃあ、こわいもんなしだ」


「これでもうクリヤキンに嫌がらせを受けなくても済むようになるのか」


 男たちのざわめきをスタンソンが片手を上げて押しとどめた。


「喜ぶのは早いぞ。『巡回登記団』がこの街に来るまでにはまだ数週間かかる。それまでに土地を手に入れようとクリヤキンも必死になるはずだ。たぶんこれからの数週間は、これまでで一番激しい戦いになるだろう……」


「誰かがセーブル・タウンまで行って、『登記団』に保護を求めるっていうのはどうかね。クリヤキンの汚いやり方について訴えて……治安維持のために、とりあえず兵隊を何人かよこしてもらうように頼むってのは……?」


 声を張り上げたのは町の助役のブルーウィングだった。それに対して、


「いや、たぶん駄目だろうな」


 バイソンという農場主が首を横に振った。


「《中央》の連中は、俺たちフロンティアの住人の安全や財産を守ろうなんて考えちゃいねえ。奴らにとって大切なのは登記だけさ。苦労して調査していったん登記したものが、あとで勝手に変えられたりしないように、治安維持部隊を置くだけなんだよ。だから登記前の町でどんな汚いことが行われていようと関係ねえってわけだ」


「そんな馬鹿な。『巡回登記団』ってのは、正義を守るのが仕事じゃないのかね!?」


「わしらはどうなるんだ。もし『登記団』が来る前に、力づくで土地を奪われたりしたら。泣き寝入りするしかないって言うのか?」


「仕方ないだろうさ。ここはフロンティアだ。法律も何もねえ……自分たちの財産は、自分たちの力で守るしかないんだよ」


「どうすりゃいいんだ。クリヤキンのやつ何を仕掛けてくるかわからんぞ。これまでだって、さんざん嫌がらせを続けてきたんだ。残り時間が少ないとなりゃ、どんな手に出てくるか……!」


 口々に叫び始めた男たちをさえぎって、スタンソン町長のよく通る声が響いた。


「泣き言を並べていてもどうしようもない。あと数週間の辛抱だ。あとたった何週間か、我々の財産を守り抜くだけでいいんだ。結束して共に戦おう。力を合わせてクリヤキンから我々の土地を守るんだ。自警団による見回りを強化して、もし何かあったら、すぐに誰かが助けに行ける体制を整えておくといいだろう」


 町長の言葉が終わると、男たちの間に一瞬、なんとも言えない妙な沈黙が走ったのにボニーは気づいた。


 自警団団長である店主は「自分には関係ない」とでも言わんばかりの超然たる態度で、ぷかぷかと葉巻をふかし続けていた。


 ややあって口を切ったブルーウィング助役の声には、あざけるような響きがあった。


「自警団自警団って……初めに組織したときにはずいぶん威勢のいいことを言ってたが、最近は尻つぼみになっちまってるんじゃないのかい。実際に自警団の活動をしてる人間が、何人いるっていうんだ。初めは各家庭から男手一人を出すという話だったが……おまえさんところのテリーなんか、最近じゃ顔も見かけやしねえぜ」


 バイソンが顔色を変えた。


「そういう言い方はないだろう。まるでテリーが臆病者みたいな言い草じゃねえか。……うちの息子は中央の大学に留学するための勉強をしてて、何かと忙しいんだよ。これからの時代、開拓者といえども学問がねえとな。そういう話をすりゃあ、お前さんだってどうなんだ、ブルーウィング? お前さんもいちおう自警団のメンバーなんだろう?」


「わしは見ての通り腰を痛めてるから……。もし体が動けば、いつだって町を守るために戦う気概はあるんだ。結果としてカズマさんにすっかりお任せすることになっちまってるが……だけど元気で健康で銃を使える男が、他にもいくらでもいるはずだぜ?」


「いつでも、声さえかけてもらえりゃあ、息子のパットを行かせますよ。やる気はあるんだ。ただ今まで全然お呼びがかからなかっただけで……カズマさんが強すぎますからね、ははははは」


「俺だってやりますよ、自警団の仕事。さぼってるみたいに言われちゃあ心外だ。ちゃんとやる気はあるんだから」


「そうそう。ただ、カズマさんがいかにも強すぎるからねえ。俺たち出番なしだ」


 中年の農場主たちが顔を見合わせてへらへら笑っている。


 妙な雰囲気を断ち切るように、町長がひときわ声を高くして言った。


「とにかく、いつも用心していること。そして何かあったら迅速に自警団のメンバーに連絡して、皆で力を合わせて対処することだ。協力して守り切ろう。……今夜の話は、そういうことだ」



 寄合いが終わると、農場主や商店主は三々五々かたまって、声高にしゃべりながら教会を去って行った。最後まで残っていたのは店主とコッホ先生、それに助役のブルーウィングだった。


「なんではっきり言ってやらなかったんだ、カズマさん。今のところ、自警団として町を守ってるのは実質あんただけだって。みんな口先じゃあ協力するようなことを言ってるが……どうだか。ジェシーんところも、葬儀屋のクレマチスんところも、若くて元気な息子がいるはずなのに自警団に出そうともしねえ。結局みんな、我が身が可愛いのよ」


 口角泡を飛ばしてブルーウィングが言いつのる。まあまあ、とコッホ先生がなだめに入った。


「気持はわかるがな、仲間割れはいかんよ。この大事な時期に……。わしらがお互いに足を引っ張り合っていてどうするんじゃ」


「くっそう。わしも、腰を痛めてさえなかったらなあ……!」


 ブルーウィングはしきりと悔しがってみせた。


 店主はただ黙って葉巻をふかしていた。






 教会のいちばん後ろに立って、ボニーは寄合いの間ひとことも口をきかずに、一部始終を眺めていた。


 そしてその傍らには、絶対に離れないと言わんばかりの態度で、もの言わぬ少女メイベルが寄り添っていた。





「……ねえ、それでいいの?」


 ボニーは声を張り上げずにいられなかった。


「みんな、ボスを利用しようとしてるだけなんだよ。あのブルーウィングって親爺だって、そう。みんな勝手なことばかり言ってさ。結局自分たちは手を汚さずに、ボスに土地を守らせようとしてるだけじゃない」


「――俺には、戦う理由がある」


 そう言って店主はうっすらと笑った。


「俺が戦った結果、だれかが得をしようが、それはそいつの問題であって俺の問題じゃねえ」


「いや……だけど、そんなの悔しくない?」


「おまえは若いな、ボニー」


 店主のほろ苦い笑顔がボニーの心に染み渡った。


 二人は連れだって雑貨屋の方角へ戻る途中だった。すでに夜は更け、砂漠地帯に特有の鮮烈な星空が彼らの頭上に広がっていた。辺りに他の人影はなかった。


 不意に店主がふだんとまったく違う声音で言った。


「俺はこの街が好きだ。フロンティアが好きだ。――ここは、人間が余分な殻を脱ぎ捨てて、まっさらな自分に戻れる場所よ。地位も財産も名誉も守っちゃくれねえ。その代わり悪名もみじめな過去の失敗も追いかけてはこねえ。問われるのはただ、自分自身のもつ力だけだ。ここならもう一度、夢を見ることができる。どんな人間でも……」


 ボニーはちょっと呆気にとられて、店主の横顔を見上げた。


 やがて店主はふううーっと肺の底から絞り出すような吐息をついた。


「ま、それも、もうすぐ終わろうとしてるわけだがな」

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