第50話 脳金女子の、三分クッキング_前半


 心地よい振動が、背中を揺らしている。


 馬の蹄の音で、俺は目覚め、重たい瞼を開けていた。まず真っ青な空が目に入る。


 ――――平穏な景色だ。まるで俺が知っている日本の気怠い昼下がりのような――――もしかして、異世界から現実世界に戻ってきたのだろうか。一瞬、俺はそんな風に考えていた。


 それにしても、背中に感じる振動は何だろう。疑問に思って、少し視線を動かすと、馬の首が見えた。


 ――――どうやら俺は、馬の背に横たわっているようだ。俺が背中に感じていた振動は、馬が歩くときに生じる振動だった。


 よく見れば、胴体にロープが巻かれてある。意識がない間に転落しないように、鞍に括りつけられたのだろう。


(現実世界に戻ってきたわけじゃないのか・・・・)


 ――――安心したような、落胆したような、複雑な気分だ。


「・・・・目が覚めた?」


 リデカの声が聞こえて、視線を横に流す。


 俺を乗せた馬と同じ速度で、リデカを乗せた馬が、横を歩いていた。俺達の前後には、同じ速度で歩く外界調査隊の隊員がいる。彼らがたどるのは、森を真っ直ぐ貫く、アルカディアに続く道。


「あんまり動かないでね。イーチロ―の肩の骨、外れてたし、腕はかなり腫れてたから、応急処置と、添え木をしてるの」


 そう言われて、自分の肩を見下ろしてみる。俺の左腕は、添え木でがちがちに固められている。


 肩の骨は、魔法剣をビヒモトの首に突き刺した時に、外れたのだろうか。いや、それ以前に、ビヒモトに痛めつけられた時にすでに、ダメージを受けていたのかもしれない。


「・・・・今、帰り道?」


「うん」


 リデカは頷く。青い髪が、わずかに揺れた。


「・・・・あの後、どうなったんだ?」


「ビヒモトの包囲網を突破することができたから、意識がなかったイーチロ―やジョンさんを馬に乗せて、すぐに移動した」


「そうか・・・・ジョンは無事か? 他に怪我人は?」


「ジョンさんはイーチロ―より元気だし、怪我人はいないよ」


 無事、包囲網を突破することができたようだ。


 安心感から、俺の身体からは骨を失ったように力が抜けて、馬の背中から滑り落ちそうになっていた。リデカが俺を支えて、元の位置に戻してくれる。


 俺は頭を少し持ち上げ、他の人達を観察してみる。誰もが疲れ切っているのか、萎れた花のように項垂れ、歩く速度も遅かった。


「イチローさん、起きたんですか?」


 ぼんやりと景色を眺めていると、列の前のほうにいたシルト少尉やレノア少尉が近づいてきた。


「気分はどう?」


「・・・・身体中が痛いです」


「全身、切り傷やら火傷だらけだったからね」


「・・・・俺だけが馬に乗っていて、いいんですかね。なんだか申し訳なくなるんですが・・・・」


 みんなが疲れていても歩いているのに、自分だけ悠々と、馬に乗っていることに罪悪感を覚える。


「何言ってんのよ。あなたが最大の功労者なんじゃない」


「気にせず、ゆっくり休んでください」


「・・・・ありがとうございます・・・・」


 二人のお墨付きをもらい、俺は安心する。


「なにかあったら、私を呼んでくださいね」


「・・・・ありがとうございます」


 そう言われたものの、シルト少尉を小間使いに使えるはずがない。たいていのことは左手だけで何とかなるだろう。


「・・・・早く、アルカディアに帰りたいです・・・・」


「そうですね。私も今回ばかりは早く帰りたいです」


 そう言って、シルト少尉は笑った。






 昼になり、一行は足を止め、食事を摂ることになった。


 食事担当の隊員が、大鍋で調理をはじめる。


 スープの美味しそうな匂いが漂いはじめ、はじめは疲弊のせいで食欲すら湧かないといった様子だった人達も、お腹が鳴りはじめたようだった。


「レノア少尉」


「私も手伝うよ」


 食事担当じゃなかったけれど、忙しそうにしている調理班を見て、じっとしていることができなくなった。


 手伝おうかと申し出ると、彼らは首を横に振った。


「少尉に手伝ってもらうなんてできませんよ。俺達だけで、大丈夫です。それよりも、喉は乾いていませんか? 他の隊員が果物を見つけてきてくれたので、それでジュースを作ってみたんです」


 手伝うどころか、逆に飲み物をもらってしまった。


 私がここにいると、逆に邪魔になってしまうと感じ、私はその場を離れる。


 そして、リリーのところに戻った。


 リリーは、他の隊員から離れ、森の方角をぼんやりと見つめていた。


「リリー、はい、飲み物」


「ありがとう、エリカ」


 リリーは飲み物を受けとりつつも、なぜかその場所から視線を外そうとしない。


「何を見てるの?」


「あの子を見ていました」


 リリーが指差した方向には、いつもフルヤ君と一緒に行動しているチビッ子ちゃんの姿があった。


「なにか作ってるみたいね」


 今、担当の隊員が食事を作ってくれているのに、それとは別に、彼女は何か、料理のようなものを作っているようだ。しかも即席の炉のようなものまで作っている。


「・・・・食材はどこから持ってきたのかな? 食材は少ないから、当番の人が湧けるはずもないし・・・・」


「さっき、自分で兎を取ってました。それをちゃっちゃと捌いて、調理していました」


「器用な子ね」


「手裁きが完璧で、見ているだけで楽しかったです」


 何をしているのかと思っていたら、リリーは料理番組を見る感覚で、ちびっ子ちゃんの調理を眺めていたらしい。


 そう言えば、リリーは今でも、私から見ると退屈に感じるような、子供向きの演劇などを、楽しそうに眺めていることがある。チビッ子の料理も、見ているだけで楽しかったのだろうか。


「ちょっと話しかけてみましょうよ」


「料理の邪魔しないほうがいいんじゃないでしょうか?」


「でも、見て。苦戦してるみたいじゃない」


 チビッ子はお手製のまな板で、肉を裁こうとしていたけれど、骨にナイフが食い込んだのか、苦戦している様子だ。


「手伝ったほうがいいんじゃない?」


「そうみたいですね。話しかけてみましょう」


 リリーも、本心ではチビッ子に話しかけたかったようだ。うきうきしながら、ちびっ子に近づく。


 疲れたのか、腕を止めて、ぼんやりしていたチビッ子は、私達の接近に気づいて顔を上げた。


「シルト少尉、レノア少尉・・・・」


「チビッ子ちゃん、何を作ってるの?」


 私が問いかけると、チビッ子ちゃんは見るからに不機嫌になった。


「・・・・その呼び方、止めてください」


「どんな料理を作ってるんですか?」


「・・・・兎肉の煮込みです。栄養が必要だと思ったから」


「もしかして、イチローさんに食べさせるつもりで作ってるんですか?」


「・・・・・・・・」


 献身的な子だ。フルヤ君のために、ビヒモトに占拠された場所に乗り込むぐらいなのだから、勇敢でもある。


「なら、手伝いますよ。この肉を切り分ければいいんですよね? 代わります」


 リリーは強引にチビッ子ちゃんの横に割り込むと、まな板の前に立った。


「・・・・!」


 そして思いっきり、剣を振り下ろす。


 ダン、ダン、ダン、と、タップダンスのような音が、リズミカルに響き渡った。


 予想外の肉の切り方に、唖然としているチビッ子を尻目に、リリーは肉を切り刻んで――――訂正、切り分けていった。


(・・・・なんて残念な切り分け方・・・・)

 傍らでリリーの大胆な料理を眺めて、私は心の中で溜息をつかずにはいられなかった。


 腕力に物を言わせて、チビッ子よりもスムーズに肉を切り分けてはいるものの、肉のサイズはバラバラで、切り方も歪だ。


 リリーは成績と戦闘能力の高さには定評があるものの、性格が男前すぎるため、随所に残念な要素が垣間見えてしまう。


「切れましたよ。どうします?」


「み、水で洗って、下味をつけて、鍋の中に――――」


「こういう料理は、シンプルなのが一番ですよね。ちゃちゃっと、塩で味付けしましょう」


 そう言ってリリーは、肉を豪快に水で洗うと、砂を撒くようにちゃちゃっと塩を振りかけ、片っ端から鍋に放り込んでいく。


「ちょっと! リリー、雑過ぎ!」


 さすがに止めるべきだと思い、私はリリーの腕をつかんだ。


「なにか間違いましたか?」


「別に間違ってないけど・・・・料理まで男前じゃなくていいのよ!」


 そんなこんなでばたばたと料理の準備を終え、後は食材を煮込むだけになった。


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