第49話 死ぬ気で突進してくる奴が、一番怖い_後半


「イチローさん! アレンさん! 無事ですか!?」


 雄叫びを上げることに夢中になっていて、俺達はシルト少尉の声に気づくのが遅れてしまった。


 炎の壁の外側を、こちらに向かって走ってくる、二つの人影が見える。


「二人とも、返事をしてください!」


「俺達はここです! 怪我はありません!」


 二人はこちらに気づいて、近づいてきた。


 シルト少尉と、リデカだ。


「よかった、二人が無事で・・・・!」


 これで、アルカディアへに帰還できる。



 ――――後は、それだけのはずだった――――のに。



「・・・・っ!」



 突如として、炎の壁から分離した炎の塊が、俺達の前に立ち塞がっていた。



 ――――それが、炎を衣のように纏った、ビヒモトなのだと、すぐに気づくことができなかった。



 気づく前に、炎を纏ったビヒモトが、大きく腕を振るう。


「ぼさっとすんなよっ!」


 俺を庇って、前に飛び出たジョンの腹部に、ビヒモトの拳がのめり込んだ。


「ぐあっ・・・・!」


 殴り飛ばされたジョンの身体は、まるでボールのように軽々と宙を舞っていた。地面に落ちた後も転がり続け、その姿は砂埃の向こうに消えてしまう。


「――――」


 俺は呆然としていた。ジョンの姿が見えなくなった後、俺が正面に目を戻すと、そのビヒモトは、俺の眼前に立っていた。


(・・・・なんて生命力だよ・・・・)


 ビヒモトは炎に焼かれながらも、炎の壁を突破ったようだ。


 そしてまだ、生きている。炎と、肉が焼ける臭気すら纏い、俺達の前に立ちはだかるそのビヒモトの姿は、地獄に住んでいる悪鬼を彷彿とさせた。


 炎の色でよく見えないが、ビヒモトの頭部と、胴体に、魔装防具の輪郭が見えた。


(そうか。魔装武具が炎の熱から、かろうじてあいつを守ってるんだ!)


 皮肉なことに、アルカディアの魔装防具の力が、本来ならばすぐに消えるはずだった彼らの命を、かろうじてこの世に繋ぎ止めているのだ。


「ビヒモト! まだ生きてるの!?」


「リデカさん! あのビヒモトを殲滅します! 手伝って!」


「はい!」


 だが、俺を助けようとしていたシルト少尉とリデカの背後に、新たな影が現れる。


 ――――炎に巻かれることを逃れた数体のビヒモトが、シルト少尉とリデカに襲いかかろうとしていた。


「・・・・っ!」


 二人は、すぐにその気配を察知したようだ。


 シルト少尉は抜き放った剣を、振り向きざまに跳ね上げて、ビヒモトの身体を斬りつける。


 リデカは立ち止まるどころか加速し、攻撃の直後、スライディングをしてビヒモトの股下を潜り抜ける。


 そしてビヒモトの背後に回り、うなじを短刀で貫いていた。


 二人はビヒモト達と対等に戦えているが、そのことに手一杯で、俺の救助にまで手が回りそうにない。


 その間に、炎に包まれたビヒモトが、俺に近づいてくる。


「イーチロー!」


 俺を助けようとして、リデカはこちらを振り返った。


 ――――だがこの状況で、自分以外の誰かを気遣うなんて、自殺行為だ。


「・・・・!」


 リデカの視線が横に逸れた、その一瞬を狙って、ビヒモトの拳が振るわれる。リデカは横に転がることで攻撃を避けたものの、距離を測り損ねたのか、木の幹にぶつかっていた。


「くっ・・・・」


 痛みで、素早く立ち上がれずにいる彼女に、ビヒモトの影が忍び寄る。


「リデカ!」


 だが、ビヒモトがリデカに伸ばそうとした腕は、手首のあたりから、縦に走った閃光によって、斬り落とされていた。


 手を斬り落とされたビヒモトは、鮮血を散らしながら、のたうち回り、割鐘のような絶叫を吐き出す。


「立ってください!」


 立ち上がれずにいるリデカに、シルト少尉が手を伸ばした。


 よかった、二人は大丈夫そうだ。


 ――――だが、俺に気を抜く余裕はない。俺の目から二人の姿を隠すように、再び、炎を纏ったビヒモトが、じりじりとにじり寄ってきたからだ。


「イチローさん!」


「俺は大丈夫です!」


 俺は虚勢を張り、そう返した。


 二人の注意を、目の前の敵から逸らしてはならない。俺を助けようとすることで、今度は二人が、自分の命を危険に晒すことになってしまうのだ。


(自分の力で、何とかしないと・・・・!)


 震える膝に力を込めて、俺は目の前の敵を睨み付ける。


 肉が焦げる、耐えがたい臭気が、鼻腔に入り込む。あの状態でよく生きていられる、と俺はこんな状況なのに、関心もしていた。


(相手は瀕死だ! 俺にだって、やれるはず・・・・!)


 モンスターと戦うことを決めて、冒険者という職業を選んだ。


 この世界は俺が思ったような世界じゃなく、今の俺の姿も、夢想していた転移後の自分とはほど遠いが――――だが、今ここで戦うことを放棄すれば、結局、変わることはできないのだ。


(俺だって戦える! 俺だって・・・・!)


 魔法剣を抜き放ち、切っ先をビヒモトに突きつけた。


 だが情けないことに、腕の震えが伝わって、切っ先が揺れている。


 ビヒモトの身体に纏わりついていた炎は、いつの間にか消えていた。消えたものの、炎は鎧で守られていなかった部分に痛々しい火傷痕を残していたが、それでもビヒモトは立ち止まろうとしなかった。


「うわああ!」


 威勢のいい掛け声で恐怖を蹴散らし、俺はビヒモトに斬りかかった。


 ――――だが、俺が振るった魔法剣は、瀕死のビヒモトの剣に、あっさりと弾き飛ばされていた。


 武器を失った俺は、呆然とする。


「ぐっ・・・・!」


 そしてビヒモトの足裏が、俺の腹部にのめり込んだ。


 俺は無様に、地面に倒れる。間髪入れず、ビヒモトは、足で俺の肩を押さえつけ、立ち上がれないようにした。


(俺の腕力じゃ、死にかけのビヒモトにすら勝てないのかよ・・・・)


 ――――それに、ビヒモトの目を見て、わかった。


 あのビヒモトは、もう自分の死を受け入れている。死ぬことを受け入れた上で、死後の功績を求めている。一人でも多くの人間を殺したという称号を欲して、最後の気力を振り絞っているのだ。


 死ぬことを恐れない兵士ほど、怖いものはない。


 もうこのビヒモトには、捨てるものがないのだ。


 そして、ビヒモトが足を持ち上げる。どうやら俺の頭を踏み付けるつもりらしい。


 蹴りで、人間の内臓をぐちゃぐちゃにできる、凄まじい脚力を持っているモンスターだ。踏み付けられた瞬間、俺の頭骨にはひびが入り、脳は掻き回されるはずだ。


(俺は死ぬのか・・・・)


 なんだ、結局俺は死ぬのかよ。


 この世界に来てから数回、死を間近に感じたが、どれも運よく回避してきた。今回だって乗り切れる。――――そんな楽観的な考えが、心のどこかにあったのかもしれない。


 だけど俺は、この世界でもモブだ。シルト少尉やロペス少佐のような、圧倒的な力がない。間近で二人の戦いぶりを目撃したから、わかる。


 ――――俺では到底、あんな風にはなれない。


「・・・・!」


 ビヒモトの足が振り下ろされる瞬間、俺は首をねじっていた。


 ビヒモトの足は、俺の肩を踏み付ける。


「ぐあああ!」


 激痛が電流のように、肩から全身に散っていく。嫌な音も聞こえた。


 腕が動かなくなった。骨にひびが入ったのか、それとも関節が外されたのか、わからないが、激痛の波が襲いかかってくる。頭の中で割鐘を鳴らされているようで、酸っぱい胃液が喉の奥から込み上げてきた。


(嫌だ、死にたくない、死にたくない・・・・!)


 その瞬間、俺の頭は、一つの感情で支配されていた。


 死にたくない、死にたくない。――――その感情に、俺は突き動かされた。


「どけ! どけよ!」


 だが、持ち上げようとしても、拳で殴りつけても、俺の腕力じゃ、ビヒモトの足はびくともしない。


 運動能力においては、ビヒモトのほうがあらゆる点で、人間を上回っている。もちろん、腕力もだ。そのことがわかっているから、シルト少尉やロペス少佐は速やかに、ビヒモトの急所を貫くことだけに重点を置いている。


 力比べになれば、負けることがわかっていたからだ。


 ビヒモトの足がいったん離れて、そしてまた、肩を狙って落ちてきた。


 目の奥で光が弾ける。



 ――――同時になぜか、鋭い痛みが右腕を駆け抜けていった。



「放せ!」


 俺は反射的に、右腕を振るっていた。


 ――――次の瞬間、ビヒモトの絶叫が耳をつんざく。


 何が起こったのか、自分でもわからなかった。さっきまで、巨岩のように微動だにしなかったビヒモトが、今は足を押さえ、絶叫を吐き出しながらのたうち回っている。


 ビヒモトの指の間から、大量の血が溢れていた。


(どういうことだ・・・・?)


 俺は戸惑いながら、視線を彷徨わせた。


 そんな俺の目に、あるものが飛び込んでくる。


「な、なんだ、これ・・・・」


 ――――俺の手には、いつの間にか魔法剣が戻ってきていた。


 さっき吹き飛ばされて、遠くに飛んでいったはずなのに。


 そのうえ、魔法剣はまるで手の平に吸いついているように、手から離れない。俺の腕に浮かび上がった魔法刻印と、魔法剣の表面に浮かび上がった光の線が一体化して、まるで腕の延長のようになっていた。


(・・・・もしかして、刻印のおかげで、魔法剣の力が解放されたのか?)


 命の危機に迫られた状況で、俺は無意識のうちに、魔法刻印の力を、解放したのかもしれない。


 痛みにうめきながらも、ビヒモトは血で真っ赤になった手で、魔法剣を奪おうとしていた。


「うわああ!」


 俺は我に返り、がむしゃらに剣を振り回す。


「・・・・っ!」


 刃が軽く接触しただけで、ビヒモトの指が吹き飛んでいた。


「うわっ!」


 後ろに下がろうとして、地面の窪みに足がはまり、転びそうになってしまった。慌てて体勢を立て直して、横に飛び退いた。


 ――――まったく力を込めなかったのに、簡単に指を斬り落とすことができた。ビヒモトの指が、魔装武具の籠手によって守られていたにも関わらず、ケーキを切り分けるように、簡単に斬ってしまったのだ。


 魔法剣にどんな力があるのか、具体的には知らないが、おそらく接触したものを簡単に斬り落とす力も、この剣には備わっているのだろう。


 ビヒモトは魔法剣の力を恐れたのか、動きが鈍った。


 その間に俺は呼吸を整えて、打開策を考える。


(まともに正面からぶつかっても、きっと勝てない)


 魔法剣の力が解放されたからといって、その力だけでは、俺達の間にある身体能力の差を、埋めることはできない。


 何でも斬れるのだとしても、攻撃を避けられ、反撃されたら、俺はきっと避けられないだろう。


(・・・・それに、ジョンから引き離さないと)


 ジョンは倒れたまま、動かない。生死を確かめられないが、生きていると信じたかった。


 あのビヒモトは、今はジョンのことは眼中にないようだが、何かの拍子にジョンのことに気づき、人質として使おうと考えられたら困る。


 ――――敵に捕まるようなことになれば、見捨てるとジョンは言った。俺が捕まった場合も、捨てて行けと言っていたが、実際、その状況になると、ジョンは俺を庇った。冷酷になりきれない性格なのだろうと思う。


 そして俺も、ジョンを捨てていく気にはなれない。ジョンには、助けられた借りがある。


「・・・・!」


 足元に視線を落として、俺は自分の上着を見つける。


 火を消すために何度も地面に叩き付けたから、土色に汚れたそれは、地面と同化していた。



 頭に、ある作戦が閃く。


 ビヒモトに気づかれないよう、眼球だけ動かして、俺はさっき足を取られた窪みの位置を確認した。窪みは、数歩横にある。



「・・・・・・・・」


 俺はビヒモトと睨み合い、ビヒモトの視線を、自分の目に縫い留めたまま、ゆっくりと横に動いた。


 ――――足を引き摺る振りをして、土色の上着を動かす。そして窪みの上に移動させることに成功すると、後退った。


 ビヒモトは俺の動きに警戒しながらも、近づいてくる。


 距離が縮まり、ビヒモトが飛びかかるために、足に力を込めた。


「・・・・っ!」


 だけど次の瞬間、ビヒモトの身体ががくんと崩れた。


 ――――俺が上着で隠した窪みに、足を取られたのだ。


(今しかない!)


 地面を強く蹴って、ビヒモトに突進した。


(首を狙え!)


 今、ビヒモトは膝をつき、首を狙いやすい体勢だ。


 シルト少尉を救出した時の経験から、武装したビヒモトを殺すには、鎧の隙間を狙うのが一番だと理解していた。



「うわあああッ!」


 叫びながら、魔法剣を振るう。



 だが、ビヒモトのほうが先に俺の狙いに気づいていた。腕で首を庇い、守りが弱い部分を隠してしまう。



 ――――狙いを変えられず、俺はそのまま、腕を振るった。


 腕を、衝撃が駆け抜けていく。同時に、電流のような激痛が走って、呻き声が口から零れていた。



 ――――魔法剣の刃は、まるで柔らかい土に入るように容易く、ビヒモトの腕を貫いて、首まで到達していた。刃は奇跡的に、籠手の隙間に突き刺さっていたのだ。



 刃を首にのめり込ませたまま、ビヒモトの目は、限界まで見開かれている。飛び出しそうな眼球が、俺を見ていた。だらだらと流れる血が、ビヒモトの半身を赤く染めていく。


 俺が首から刃を引き抜くと、硬直したビヒモトの身体はそのまま横に傾いて、ぱたりと地面に倒れた。



 ――――そして以後、ビヒモトは動かなかった。



「はあ・・・・はあ・・・・」


 とっくに体力の限界に達していた。俺は立っていられなくなり、その場に崩れ落ちる。


「イーチロー!」


 ――――リデカの声が、聞こえた気がした。


 でもその時にはもう、俺の意識は霧がかかったようにぼやけていて、休みたいというただ一つの欲求に逆らうことができなかった。



 俺は倒れ、そのまま瞼を閉じた。


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