第48話 死ぬ気で突進してくる奴が、一番怖い_前半



 草原に踏み込み、どれぐらいの間、走っただろうか。


 背の高い草のせいで、少し走っただけで、もう手足は傷だらけになっていたが、傷の痛みなど感じる余裕はなかった。



 そして俺とジョンは、草原の中央で立ち止まる。


「・・・・この辺りでいいんだよな?」


「ああ・・・・」


 二人揃って膝を震わせながら、振り返り、ビヒモト達を待つ。



 弓部隊の攻撃のおかげで、俺達とビヒモトの間には距離ができていた。遅れて草原に集まってきたビヒモト達は、俺達から少し距離を開けて、立ち止まる。――――その数の多さに膝の震えがひどくなった。



「・・・・囮役としての役目は、全うできたみたいだな」


「第一段階は、クリアできたかもな。・・・・ジョン、逃げるんじゃないぞ」


「はは、俺が逃げるって? ・・・・お前が逃げるの間違いだろ?」


「・・・・膝が震えてんぞ」


「お前もな!」


 さっきよりも、ビヒモトの数は増えている。


 周辺を巡回していたビヒモト達を、この場所に呼び寄せることができたようだ。



「――――本番はここからだ」



 ビヒモト達はこちらを睨みつつ、ひそひそと何かを話し合っていたが、この辺りに罠は張られていないと思ったのか、じわりとこちらに近づいてくる。



「・・・・っ!」


「ゆっくり下がれ」


 恐怖で動けなくなっているジョンの肩をつかんで、俺はゆっくりと後退る。


 走ってはならない。まだ着火されていないのに、この段階で俺達が走ったら、ビヒモトも走り出し、火で囲い込めなくなる。


「・・・・ゆっくり下がれば、連中はまだ警戒を解かない。すぐには攻撃を仕掛けてこないはずだ」


「・・・・この前もそう言い切ってたけど、ビヒモトがすぐには仕掛けてこないっていうお前の読みは、本当に間違ってないんだろうな? じゃなきゃ、俺達、ここで嬲り殺しだぞ」


「実際、連中はこっちの動きを警戒してるだろ。・・・・罠が張られているかもしれないと、勘繰っている証拠だ」


 ――――俺の狙い通り、ビヒモト達は罠を警戒しているらしい。俺達から、三十メートルほど離れた場所で立ち止まり、動向を窺うような目で、睨んでくる。


 川が近いからだろうか、俺達の間を、生温い風が流れていって、草木が荒波のような音を立てる。


 睨み合っていたのはどれぐらいの時間だろうか、ビヒモト達が少しずつ動き出し、じわじわと距離を縮めはじめる。


「だけど、いつまで引き付けられる? いつか気づかれるぞ!」


「・・・・焦りを見せるな。敵に気づかれる!」


 俺はポケットから、魔法道具を取り出した。


 ロペス少佐から貸してもらった魔法道具だ。時刻と、方角を確かめられるだけの簡単なものだが、その二つがこの作戦の重要な要となる。


「もう少しで火が付くはずなんだ。火が――――」



 ―――――その時、視界の端で赤い光が弾けた。



 瞬きのような一瞬の光の乱舞の直後、巨大な炎が生まれ、蛇のように草原をうねっていく。


 アルカディア製の揮発油の効果は、抜群だった。火はあっという間に、揮発油が撒かれたラインを巡っていき、炎の壁が出来上がる。



「火が付いた!」


 ――――火が放たれた。


 作戦が、次の段階に進んだのだ。


「逃げるぞ! ジョン! 光石を!」


「おう!」


 俺達は目を守るためにゴーグルを装着し、ジョンが、ビヒモトの集団に向かって、光石を投げ付けた。


 弾けた光が、ビヒモト達の姿を掻き消す。ビヒモト達の呻き声を聞きながら、俺達は身を翻し、北の方角へ全力で走った。


 揮発油は、草原の中心部から、コンパスで描いたように、円のラインに振り撒かれてあった。揮発油の効果で、炎は円のラインをなぞりながら広がっていき、ビヒモト達を炎の中に閉じ込めてしまう。


 光石で目を潰されたビヒモト達が、目を開けた時にはもう、赤い炎の蛇は、赤い波となっていた。さらに風が炎をなびかせ、火の粉を撒き散らし、炎の絨毯はさらに拡大していく。


 ――――熱気を浴びて炎に気づいた時にはもう、ビヒモト達に退路はなくなっているのだ。


「走れ、走れ!」


 一方、俺達は出口に向かって必死に走る。


 俺達の逃げ道を残すために、一か所だけ、消火剤を巻いて、火が燃え移りにくくしている場所が用意されている。


 それは草原の中心部から見て、北側の方角にあった。


 だけど、この風の強さだ、いくら消火剤の効果があるのだとしても、時間の経過で、そこも火に埋められてしまうかもしれない。――――あるいは、追いかけてきた炎に、俺達が飲み込まれるほうが先か。


 その前に、草原を抜けなければならない。


「遅いんだよ、早く走れ!」


「こっちは必死に走ってるって!」


 たった数十メートルの距離なのに、とても長く感じる。熱気に背中を炙られている状態では、なおさら出口を遠く感じた。


「急げよ!」


「急いでるって! それにそんなに焦らなくても、まだ時間はある!」


「火の回りは早いんだぞ! 早くしないと――――」



 ジョンが振り返り、なぜか一瞬、黙り込んだ。


「まずいぞ・・・・」


「は?」


「ビヒモト達が、追いかけて来てやがる!」


 慌てて、振り返った。


 ジョンの言葉は正しく、ビヒモト達が俺達を追いかけてきていた。


「あいつら、この状況でまだ、俺達を追いかけてくるつもりか!?」


 光石で足止めして、火を見せれば、ビヒモトは混乱し、逃げ惑うだろうと高をくくっていた。


 なのにこの状況で、連中は逃げることよりも、俺達を追いかけることを選んだのだ。


(いや、もしかして、俺達が向かう方向に、逃げ道があると読んだのか?)


 どちらにしろ、今は逃げるしかない。


「くそ! 速い!」


 ――――人間よりも、ビヒモトのほうが足が速い。距離はかなり開いていたはずなのに、あっという間に縮められていた。



「見えたぞ、出口だ!」


 前方に、炎に塞がれていない道が見えてきた。


 息することを忘れて、走った。


 もう草原は火の海で、雨のように火の粉が降ってくる。


「・・・・っ!」


 出口が近づくと、ジョンに背中を押された。俺は転がる形で、火の囲いの外に飛び出す。


 揮発油が巻かれたラインの外は、除草剤の効果で、草が枯れていた。おまけに消火石の粉が振り撒かれてあるから、この場所までは、火は及ばない。


「と、突破できた――――」



 だが、安堵できたのは一瞬だった。



 閉じられようとしている出口の向こう側に、こちらに迫ってくるビヒモト達の姿が見えた。このままでは、ビヒモトまで炎の囲いから脱出してしまう。


 俺は上着から、揮発油が入った缶を取り出し、それを出口付近に向かって投げた。


「ジョン、爆石だ!」


「わかってる!」


 俺が叫んだ時にはもう、ジョンが上着から爆石を取り出していた。


 そして、それを、俺が投げた缶に向かって投げる。



 ――――爆石が缶にぶつかった瞬間、吐き出された巨大な炎は塊となって、爆風を撒き散らした。


 俺とジョンは吹き飛ばされ、また転がる羽目になる。



「・・・・・・・・」


 ほんの一瞬、意識が飛んでいたのだろう。



 意識を取り戻して、瞼を開けると、業火の光が、目に入るすべてのものを、赤で染め上げていた。



 壁のようにそそり立つそれは、轟轟と唸り声を上げながら、熱気を散らしていて、距離があるのに、その熱気で肌を焼かれるのを感じていた。



 濁った色の中に沈んでいた草原は、今は巨大な松明のように炎を噴き上げて、空を真っ赤に染め上げている。



 俺達はしばらく、炎の前で呆然としていた。


「う、うまくいったんだよな・・・・?」


「あ、ああ・・・・」


 追いかけてきたビヒモト達は、炎に呑まれた。残るビヒモト達も、炎の中を逃げ惑っているはずだ。――――彼らに逃げ場はない。


「やった、成功した! ビヒモト達を、炎の中に閉じ込めることができた!」


 閉じ込められたビヒモト達がどうなったのかはわからないが、生きて出てくることはないだろう。



「お、おい! お前、上着に火がついてんぞ!」


「えっ!? うわ!」


 ジョンの言葉で自分を取り戻して、俺は背中の暑さに気づく。


「うわあああ!」


 慌てて上着を脱いで、何度も地面に叩き付けた。幸い火は消えたが、上着は土色になってしまう。



「作戦が成功したんだ・・・・」


 徐々に、作戦が成功したんだという実感が、込み上げてきた。



「うおおお!」


「ぃやったぁぁ!」



 キャンプファイヤーの前でゴリラに退化するリア充のごとく、俺達は雄叫びを上げる。アルカディア製の揮発油の効果はすさまじく、炎は長い間、勢いを失うことはなかった。


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