第47話 命を賭けて、頑張ってみようと思う



 ――――よく敵人を至らしむる者は、これを利すればなり。



 敵を誘いたければ、利で釣れ。


 ビヒモトを動かしたいならば、魔法刻印を持っている俺が、囮になるしかない。俺は何度も、自分にそう言い聞かせていた。



「おい、ぼさっとすんなよ」


 いつの間にか、ぼんやりしてしまっていたらしい。ジョンに小突かれて、俺は自分を取り戻す。


「これから、正念場なんだぞ」


「わかってるよ」



 今、俺とジョンは、アルカディアに続く道の側にいる。



 真っ直ぐ伸びた、細い一本道の両側は、木々と藪に塞がれていた。その道の先に、ビヒモトが作った柵が見える。


 俺達は今、草叢の影に身を隠していた。


 その場所からビヒモト達の様子を盗み見ると、彼らは呑気に談笑していた。お菓子を食べながらお喋りに興じる姿は、井戸端会議をしているおばさん達や、酒を飲んでくだを巻いているおじさん達と、何も変わらない。


 ――――これから俺達は、あのビヒモト達の前に出ていかなきゃならない。


「本当に囮役になるつもりなのか?」


 ――――囮役になると言い出した俺に続いて、なぜかジョンも、囮役に名乗り出ていた。


 今回の作戦の成功には、囮役の存在が大きく関わっている。万が一、一人が敵を引き付けることに失敗した場合、作戦がすべて瓦解してしまうのだ。


 だから囮役をもう一人増やすべきだというジョンの意見が受け入れられ、俺とジョンに、その役目が任された。


「お前が失敗した時のために、別の人間が囮役を引き継ぐ必要があるだろうが。お前が死んだときは、俺がその役目を引き継いでやるよ」


「・・・・死ぬかもしれないんだぞ」


「んなことはわかってるよ!」


「ふふふ・・・・」


「くくく・・・・」


 恐怖のあまり、俺達はおかしなテンションになっていて、気づけばどちらも、気持ちの悪い笑顔を浮かべていた。


「こ、これは、自分の力を見せつける、またとないチャンスだ。お前一人に、活躍の場を独り占めさせてたまるかよ・・・・」


「いきなり死亡フラグを立てるなよ・・・・」


「え? 何だって? シボウフラグって何?」


「・・・・知らないほうがいいと思うぞ」


「何なんだよ! そこまで言ったなら、最後まで教えろよっ!」


 俺はジョンに肩をつかまれ、がくがくと揺さぶられた。


 ジョンの声には、余裕がない。――――それでも勇気を振り絞って、この場に留まろうとしている。


「・・・・ジョン。あらかじめ言っとくけど」


 伝えなければならないことを思い出し、俺はまたジョンに話しかけた。


「・・・・何だよ」


「もし俺が敵に捕まって、人質になったとしたら――――無視して行けよ。優先すべきは作戦の成功だから、助けようなんて思わなくていい」


「当たり前だろ。言われなくても、そうするつもりだ」


「・・・・あっそ」


 ジョンの返事は呆気なかった。まあそんなものかと、俺もすんなり受け入れる。


「・・・・もし逆に、俺が人質になったとしても、捨てていけ。作戦の成功を、何よりも優先しなきゃならないんだ」


「・・・・わかった」


 ――――作戦の成功が、何よりも大事。俺達は友達じゃなく、仲間と呼べるほどの時間も過ごせてはいないが、その認識だけは共有できている。


 失敗すれば、何十人もの仲間達の命が、ここで潰えることになってしまうのだから、何が何でも、俺達はやり遂げなければならない。


 道の向こう側の草叢から、サルドゥが顔を出した。


 そして、手で合図を送ってくる。


「向こうの準備は整ったようだ。行くぞ」


「ああ」


 俺は覚悟を決め、草叢から出て、ジョンと並んで、道の真ん中に立った。


 道の真ん中に立った俺達を見ても、ビヒモト達は、すぐには反応しなかった。まさか追われている人間が、自分から出てくるとは思っていなかったようだし、すっかりリラックスモードだったから、頭の働きも鈍っていたのだろう。


 一度は流し、二度目でようやく、俺達を認識して、瞠目する。


「・・・・あいつら、二度見しやがったぞ」


「くつろぎすぎなんだよ・・・・」


 ビヒモトの動作が妙に人間じみていて、なんだか気が抜けてしまった。


 ビヒモト達は小声でやりとりし、ゆっくりと立ち上がる。


 だが警戒し、すぐには近づいて来ようとしない。


「・・・・あいつら、やけに警戒してやがるぞ。もっと何かで引き付けないと・・・・」


「わかってる。――――これの見せ所だな」


 俺は、魔法剣を持った腕を持ち上げる。


 魔法刻印の光を目にして、ビヒモト達の目の色が変わった。


 そしてビヒモト達は何かを喚きながら、俺達を追いかけてきた。


「来た!」


「逃げるぞ!」


 俺達は身を翻して、全力で走り出す。


 背後から、ビヒモト達の雄叫びが聞こえてきた。逃げるものを追いかけるのは人間の本能、そしてモンスターの本能でもあるのか、俺達が逃げ出した途端、彼らも勢いよく追いかけてきたのだ。


 必死に走る。ビヒモトの足は速い。ほんの一瞬でも、気を緩めることはできなかった。


「攻撃地点はどこだ!?」


「わからない! そろそろ到達しているはずだけど・・・・!」



 俺がそう言った瞬間、銃声が鳴り響く。


「・・・・!」



 背後で、ビヒモト達の絶叫が弾けた。



「撃て! 撃つんだ!」


 道の側面の、草藪から聞こえてきたのは、ロペス少佐の指示だ。


 走りながら振り返ると、側面から掃射された銃弾に身体を嬲られ、ビヒモト達がばたばたと倒れていく。


「やった! うまくいったぞ!」


 ――――最初の狙いが的中し、俺は思わず、歓声を上げてしまう。


 俺とジョンが囮役になり、ビヒモトを引き付ける。


 道は細く、ビヒモトにもおそらく走る速度に個体差があるから、追いかけるうちに、自然と縦列になるはずだった。


 そしてビヒモト達の側面に隙が生まれた瞬間を狙って、両側から弓や銃で攻撃を加える。


 それが、第一の作戦だった。


「喜ぶのはまだ早いぞ!」


「わかってる! 走るぞ!」


 からくも銃弾を逃れたビヒモト達は、森の中に逃げ込んだようだ。


 銃声もとっくに聞こえなくなっていて、ロペス少佐達が、その場から離脱したことがわかる。


 追跡はいったんは途切れたが、ロペス少佐達の撤退に気づいたのか、しばらく走って振り返ると、また追いかけてくるビヒモト達の姿が見えた。


 仲間を呼んだのか、先に進むたびに追跡者の数は増えていって、最初は数人だったのが、今では数十人にまで膨らんでいる。


「急げ、急げ、急げ!」


 息を切らしながら、必死に走った。


 ――――そして森が開ける。



 ――――広大な空の下に、草原が広がっていた。






「俺が囮になって、ビヒモトを引き付けます」


 俺が決意を伝えると、レノア少尉達は眉を曇らせていた。


 リデカも、不安そうに俺を見ている。


「・・・・まさか、命を賭ける気?」


 そして、そう問われる。俺は苦笑した。


「・・・・いえ、俺にはそこまでの根性はありません。ちゃんと生き残るつもりなんで、安心してください」


「死ぬかもしれないのよ?」


「・・・・このままじっとしていても、いずれ全員が死ぬことになると思います」


 自分自身の言葉が、胃の中に重く沈んでいく。俺は暗い気持ちを振り払うため、できるだけ大きな声で話を続けた。


「ビヒモト達の前で、俺が魔法刻印を見せてから、怯えた逃走兵を演じれば、彼らは俺達の後を追ってくるはずです」


 俺はそう言いながら、シルト少尉達の表情を窺った。


「魔法刻印を見せれば、間違いなく追ってくるでしょうね。――――それで、その先はどうするの?」


「ビヒモトにも、素早さには個体差があるはず。俺達を追いかけるうちに、自然と、縦に長い行列になるはずなんです。側面はがら空きだ」


「側面から攻撃を仕掛ける、ってことね?」


「はい、そうです。森の中から、弓矢で攻撃を仕掛ければ、ビヒモト達は逃げるか、それでも俺を追うことに専念するか、どちらかを選ぶはず。弓部隊は、逃げるビヒモトを殲滅することに専念してください。遠くにいる仲間まで呼ばれたら、厄介ですから」


「いいのかよ? お前を追うビヒモトの殲滅を、優先すべきじゃね?」


「いいえ、逃げるビヒモトを追うほうが優先です。応援を呼ばれれば、俺達は確実に全滅する」


 強く言い切ると、サルドゥは口を噤んだ。


「じゃ、あなたはどうやって逃げるんですか?」


「別の方法で、ビヒモトを倒します」


 ヒルマさんの問いかけに返事をして、俺はレノア少尉を見る。


「レノア少尉。確か今朝も、偵察に出てましたよね? ビヒモトはどれぐらいの数で、どんな風に道を塞いでいるんですか?」


「えっとね・・・・」


 レノア少尉に問いかけると、彼女は木の棒を手に取り、地面に地図を描いてくれた。


「今朝の偵察では、アルカディアに続く道の先に、五十体程度のビヒモトの姿を確認できたわ。森の中も、巡回してる。だけど確認できたのは、見やすい位置にいた連中だけよ、他にも潜んでいる可能性はある」


 真っ直ぐな線は、道を表している。そしてその両側にあるブロッコリーのような形の絵は、森を表しているのだろう。どうやらレノア少尉は、あまり絵が得意じゃないようだ。


「こっちのほうはどうなってます?」


 俺は、アルカディアとは反対側の道の先に、指を置いた。


「しばらく走ると、森が途切れてて、開けた場所に出るわ。そこには川と、あなたが見たって言ってた、草原がある」


 レノア少尉は、地図に手を加える。雑な縦線で、草原が表現された。


「ま、大雑把に描くと、こんな感じだけど。――――それで? どうするの?」


「まず、生き残った隊員を、三手に分けましょう。そして、三か所に配置するんです」


 俺は、近くに散らばっていた非常食の空き箱を、四つ用意すると、まず一つを手に取って、地図上の道に置いた。


「一組目は囮――――つまり、俺です。道に出て、わざとビヒモトを引き付けます。そのさいに、魔法刻印を見せつけておきます」


 俺は道の中ほどに、囮役の箱を置く。


「そして二組目は、弓部隊です。・・・・そうですね。このあたりに、配置したらどうでしょうか」


 次に俺は空き箱を、ビヒモト達が陣を敷いた場所と、草原の中間点のあたりに、道を挟む形で、二つ置いた。


「残りの人達は、草原のまわりの森に隠れてください」


 最後の、草原のまわりの森に置く。


「これを、ビヒモトだと仮定します」


 最後に、ビヒモトの動きを表すために、赤い空き瓶を手に取り、ビヒモト達が布陣している場所に置いた。


「揮発油や消火石、除草剤は、まだ残ってますよね?」


 外界調査隊の支給品の中には、火を熾すために使う揮発油や、ライターのように簡単に火をつけられる、火石、野営の場所の確保に使うための、即効性の除草剤も入っていた。


「揮発油も他の道具も、十分に残ってる」


「よかった。・・・・確か消火石の白い粉には、炎の拡大を防ぐ効果もあるんですよね?」


「ああ、火の拡大を防ぎたいときに、あらかじめその場所に消火石を投げておけば、それ以上は火が拡大しない」


「そうですか。それじゃ、揮発油を草原に巻きましょう。・・・・まず俺が、ビヒモトを引き付けてから、草原のほうに向かって走ります」


 俺は囮役を表す箱と、ビヒモトを表す空き瓶を持って、草原のほうこうへ動かす。そして弓部隊がいる場所に、箱と空き瓶を置いた。


「ここまで走れば、ビヒモト達は縦列になっているはずです。そこで森に待機していた弓部隊が、側面からビヒモト達を攻撃し、数を減らします。この攻撃で、逃げるビヒモトと、それでも追うビヒモトに分かれるはずです。俺はそのまま逃げ続けて、草原に入ります。さっきも言った通り、弓部隊は、逃げたビヒモトを殲滅することに専念してください」


「草原のほうへ、ビヒモトを誘導するのね。でも、草原はそんなに広くないわよ。すぐに突破されちゃうわ」


「だから俺は、ビヒモトを草原に引き込んでから、ある程度進んだところで、立ち止まります」


「駄目だろ。立ち止まったら、ビヒモト達に捕まるだろうがよ」


 ジョンは不思議そうに、目を瞬かせる。


「いや、ビヒモトは警戒して、近づいてこないと思う」


「どうして断言できるんだ?」


「一度罠に引っかかってるからだ。囮役が中途半端な場所で立ち止まったら、きっと罠が張られていると勘繰るはず。――――それで、時間を稼げる」


 ビヒモトは、人間と同じように思考する、その前提があるからこそ、成り立つ作戦だ。もしビヒモトが、学習能力がない獣なら、一度目の罠で逃げるか、罠があると予測できずに追ってくるかのどちらかだが、ビヒモト達にはおそらく、学習能力はある。


 学習能力は人間を進化させたが、逆にそれが足を引っ張ることもある。一度罠にかかれば、次に同じような展開になるかもしれないと警戒してしまうだろう。その思考の道順がわかっていれば、警戒されることを逆手に取ることもできるのだ。


「――――そして草原に、火を放ちます。俺達は逃げ、ビヒモト達は火に巻かれる」


 非常食の箱が動かされ、地図の草原には、空き瓶だけが残される。


 俺は一同の反応を見るために、顔を上げた。


「ビヒモトを誘い込む場所、火を点ける場所を、あらかじめ決めておいたほうがいいと思います。それに、火が森全体に広がらないように、まわりに消火石と除草剤を巻いておきましょう。作戦がうまくいったことを確認できたのなら、隠れていた人達は、アルカディアに向かって全力で走ってください。――――もちろん、うまくいけばの話ですが」


 事態が、そうそう都合よく進むことはないだろう。犠牲者も出るかもしれない。


 ――――でも、今、この状況で、一人でも多く生き残るためには、危険を冒すしかなかった。


「・・・・・・・・」


 シルト少尉達は考え込んでいる。


「駄目――――ですかね?」


 返事がないから、不安になってきた。



「いいえ。――――私はいい案だと思います」


 シルト少尉の言葉を聞いて、ほっとする。


「エリカ、兄さん。・・・・イチローさんの発案を、どう思いますか?」


 二人はしばらく考え込んでいた。


 そして、顔を上げる。



「賛成だ」


「その作戦に、賭けるしかないわ」



 二人は、ほぼ同時に答えていた。


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