第43話 助けに行ったのに、わりと大丈夫だった件


 洞窟の中は、壁にセットされている松明のおかげで、かなり明かるかった。


 洞窟の中にはもう、ビヒモトはいないようだ。爆発音を聞いて、全員、外に飛び出してきたのだろう。


 壁に、松明を支えるための土台が取り付けられている。アルカディア製のものではないから、どうやらビヒモトが夜を過ごすために、わざわざ土台を持ってきたようだ。


 この明るさでは、ゴーグルの暗視機能は逆に邪魔になる。


 俺達はゴーグルを外して、洞窟内に残っているかもしれないビヒモトに注意しながら、先に進んだ。



「この土台、ビヒモトが作ったのか・・・・?」


 松明を支えている土台の、設計が気になった。ビヒモトがこれを作ったのだとすると、彼らにも、かなりの技術力があることになる。


「今は、そんなことを気にしている場合じゃないよ」


「ああ、そうだな。急ごう」



 やがて俺達は、洞窟の奥に行き着いた。崖になっているその場所には、松明の光も届かず、暗さが凝っている。


「・・・・シルト少尉が落ちたのは、この場所か?」


「ああ、間違いない」


 またゴーグルをつけて、中を確かめるが、底は見えない。



「シルト少尉! 俺の声が聞こえますか!?」


 呼びかけてみたものの、答えは返ってこなかった。



「・・・・俺が下に降りてみる。リデカは、ここを見張っててくれ」


 時間がない。下に降りて、直接確かめてみるしかなかった。


「・・・・わかった。気をつけて」


 地下は暗い。俺はまた暗視ゴーグルと手袋を装着し、持ってきたハーケンを、岩の窪みに打ち込んだ。そこにロープを通して、崖の下に垂らす。


 ロープを使って、下に降りていく。


 シルト少尉を、助けなければ。その焦りが、恐怖以外の他の感情を麻痺させ、俺はロープを支えに降りる間、恐怖を感じずにいられた。



 下まで降り切って、地面に足をつける。湿気のせいなのか、地面はひどくぬかるんでいて、転びそうになってしまった。


「何の匂いだ、これ・・・・」


 ――――洞窟の地下には、なぜか、呼吸も躊躇うような汚物の匂いで満ちていた。この濁りきった空気を、吸い込みたくない。しかし息をしないわけにはいかないので、鼻を塞ぐことで我慢して、あたりを見回す。


 ゴーグルの暗視機能のおかげで、真っ暗な地下でも、壁の輪郭を見ることができたが、誰が落としたのか、松明が落ちていて、その光が逆に邪魔になっていった。


(シルト少尉がこれを作ったのか?)


 ここはとても冷える。夜になればさらに気温は下がるだろう。暖を取るために、シルト少尉が作ったものなのかもしれなかった。


「シルト少尉、いますか!?」


 俺は暗闇に向かって、一歩踏み出し、シルト少尉の名前を呼ぶ。


「シルト少尉!」


 ――――返事は、なかった。


 シルト少尉がここに置き去りにされて、すでに数時間が経過している。


 その上、ビヒモト達は、ここにシルト少尉が隠れていることに気づいている様子だった。


 頭に、残党狩りをしていたビヒモト達の姿が浮かび上がる。


(まさか――――)


 ――――間に合わなかったのか? 不意に過ぎった最悪の予想におののいて、膝が震えてしまっていた。


 迷子になることを恐れて、奥に踏み込めずにいたが、俺はシルト少尉を探すため、奥の暗闇に入ることを決意していた。


 覚悟を決めて、俺は松明の灯りに向かって、足を大きく前に踏み出す。


 爪先に何かが引っかかり、俺は何気なく視線を下に向ける。――――そして、呼吸が止まった。



「・・・・!?」


 ――――毛むくじゃらの身体が、泥の中で、仰向けに横たわっていた。白濁した眼に、半開きの唇から零れ落ちる舌を見れば、すでにそのビヒモトに息がないことは一目瞭然だった。


 よく見れば、そこに横たわっているビヒモトは一体だけではなかった。俺はビヒモトの死体の山の中に、自ら飛び込んでいたのだ。



「どうしてビヒモトの死体が、こんなにたくさん・・・・」


 死体に目を釘付けにされているうちに、どの死体にも矢が刺さっていることに気づいた。矢で急所を貫かれ、ビヒモト達は絶命したようだ。


 膝の震えが、激しくなる。こんなところで座り込んでいる場合じゃないと、俺は膝を叩いて、震えを留めようとした。


(落ち着け、落ち着け!)


 動揺を鎮めようと、深呼吸をする。だけど身体の中の何かが噛み合わず、吸っても吸っても、空気が肺に入ってくる感覚がなかった。


 とにかく、状況を確かめたい。中途半端な明るさが、ゴーグルの暗視機能を邪魔になるので、俺はまず、松明の光を消そうとしていた。


 だが、松明を手に取ろうと身を屈めた瞬間――――何かが頬をかすめていった。


「・・・・?」


 何が起こったのかわからず、後ろを振り返る。



 ――――岩壁に突き刺さった矢を見て、戦慄した。



(まずい・・・・!)


 誰かが、弓で俺を狙っているのだ。警鐘に突き動かされる形で、俺は身体を動かしていた。


 泥の中に身を伏せた俺の頭上すれすれを、何かが通りすぎていった。


 このままここに留まるのはまずいと思い、俺は横に転がり、壁の窪みに飛び込んだ。


(だ、誰かが俺に向かって攻撃してきてやがる!)


 ビヒモトの死体があったことから、あのビヒモト達の仲間がいるということだろうか。――――いや。


(ビヒモトの死体がある・・・・?)


 ビヒモト達の死体は、壁のまわりに集中していた。つまり俺と同じようにロープか何かを使って、地下に降りた直後、何者かに矢で射られたということだ。――――そして今、俺を狙っている何者かも、矢を使っている。


 この二つが導く答えは、一つだった。


 俺が考えている間も、矢は容赦なく飛んでくる。


 だけど息を詰めて、物音だけに耳を澄ましていると、攻撃が途絶える瞬間があることに気づいた。おそらく手元の矢を使い切り、新たな矢を探しているのだろう。


 俺はその瞬間を狙って、窪みから飛び出し、声を張り上げる。



「シルト少尉! 俺です、イチローです! 攻撃しないでください!」



 ――――矢が飛んでくることは、二度となかった。



「・・・・イチローさん?」


 しばらくして、聞こえてきたのは戸惑いの声だった。


 そして暗闇の中に、白い人影が現れた。


「本当にイチローさんなんですか?」


「シルト少尉!」


 シルト少尉の姿を確認して、全身から力が抜けていく。俺がその場にへたり込むと、シルト少尉は慌てて駆け寄ってきた。


「どうしてイチローさんが、ここにいるんです?」


「あなたを助けに来たに決まってるじゃないですか。寿命が縮みましたよ。実際に地下に降りてみれば、ビヒモトの死体だらけで・・・・」


 そこでようやく俺は、シルト少尉の手に弓が握られていることに気づいた。


 弓。そして、ビヒモトの身体に突き刺さった矢。――――やはり俺の推測は当たっていたようだ。


「もしかして、このビヒモト達はシルト少尉が・・・・?」


「はい」


 ――――シルト少尉は返り血を浴びた姿で、天使の笑顔を浮かべた。


「私の命は、ここで尽きると覚悟しました。だから最後は、兵士らしく、ここで籠城して、一体でも多くの敵を倒そうと決めたんです。ここはまるで地下の要塞のようで、弓さえあれば、降りてくるビヒモトを狙いやすかったんですよ。ビヒモトを倒し続けているうちに、彼らのほうも不利だと悟ったのか、降りてくることはなくなりました」


「で、でも、食料なんかは・・・・」


「洞窟の奥で、水源と食べられる苔を見つけました。それを沸騰して、食料にすれば、生きられたでしょう。むしろここに落ちたのは死ぬまで戦えという神の思し召しだったのかもしれないと、思っていたところです」


「・・・・・・・・」


 この人の脳筋具合は、色々と飛び抜けている。


 案外、俺達が助けに来なくても、シルト少尉はこの状態で何週間も生き続け、その後救出部隊に助け出されることになったのかもしれないと思った。


 ――――いや、救出どころか、自力で帰ってくる展開すらも、あり得たかもしれない。


「と、とにかく、戻りましょう」


 何とも言えない気持ちになりながらも、まずはここを脱出しなければならないと、俺は緩みそうになる意識を引き締め、動き出した。


 気が抜けていたせいか、ぬかるんだ地面に足を取られ、転びそうになる。


「気を付けてくださいね」


「ここ、すごくぬかるんでますね。それに、ものすごく臭いし・・・・」


「私を殺すことができないので、そのうちにビヒモト達が、糞尿を投げはじめたんです。だから私は、奥に逃げてました」


「え? ・・・・ってことは、この泥みたいなのは――――」


「ビヒモトの汚物です」


「うぎゃあああああぁぁっ!?」


 俺の口から、自分のものとは思えない絶叫が飛び出していた。



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