第18話 ようやく、冒険らしい冒険がはじまった


「はあー・・・・」


 ――――そしてその日俺は、手足を金属のように固めてしまうような、強い緊張感を抱えて、大門の前に立っていた。


 待ちに待った、外界調査の日が訪れていた。


 大門前の広場には、俺と同じようにこの時を心待ちにしていたらしい、自称「冒険者」達が集まり、緊張に表情を強ばらせながら、巨大な鉄扉がその口を開いてくれる瞬間を待ち構えていた。


 アンサルディさんから、今回、外界調査に参加する隊員の数は、三百人近くいると聞いている。戦争に行くわけでもないので、多すぎず、少なすぎずといった感じか。


 いつも騒がしさに包まれている町だが、その日ばかりは趣が違い、道行く人も心なしか、どこか落ち着かないように見受けられる。


 俺は貸し出された、外界調査隊の隊服に視線を落とす。軍服に似たデザインの、この隊服に袖を通すとき、なんとも言えない心地になった。冒険者と言うよりは、戦に駆り出される兵士と言うほうが、今の俺の心境を言い表すには、相応しいのかもしれない。


 でも、嫌な心地はしない。外に広がっているのがどんな世界であれ、未知の世界に足を踏み出せるという期待は、どんな刺激よりも勝るものだった。



 ――――そんな俺の、初々しい門出を、台無しにする存在が現れる。



「――――気持ちいい快晴だね」



 振り返ると、そこに黒いドレスを身に纏った少女が立っていた。


「グレモリー・・・・」



 思わず、その名前を呼ぶ。


「とってもいい天気! 門出には、相応しい青空よね」


 グレモリーは友人と話しているような、にこやかな口調で話しかけてきた。俺は状況を悟り、うんざりする。


「また出やがったのか・・・・」


「その反応、ひどいなあ」


 言葉とは裏腹に、グレモリーは笑顔のままだった。


「安心して。今日は、何もするつもりはない。私はただ――――祝福しに来ただけよ」


「祝福・・・・?」


「――――おめでとう、これであなたは、アルカディアの外の世界を知ることができる」


 グレモリーは祝福の笑顔を送ってくれた。


 その言葉を、額面通りに受け取ることはできない。俺は一度、彼女にひどい目に遭わされているのだ。


「・・・・ずいぶん警戒するんだね」


 するとグレモリーは、口の端に不満を滲ませる。


 だけどそれも一瞬のこと、すぐに彼女の顔は、笑顔でコーティングされた。


「だけど、そんなに警戒しなくても、大丈夫よ。もうすぐあなたは、私の影響力の範囲外に出ちゃうんだから」


「影響力の範囲外・・・・?」


「アルカディアの外に出るんでしょう? 私の力は、アルカディアの外には及ばないから」


「アルカディアの外には・・・・?」


 その言葉に、違和感を覚えていた。


(・・・・魔女は、外から攻撃を仕掛けてくるんじゃないのか?)


 何となく、グレモリーは外界から、アルカディアに攻撃を仕掛けてきているのだろうと思い込んでいた。実際は違うようだ。


 エイレーネ様は、グレモリーは封印されていると言っていた。エイレーネ様の言葉と、グレモリーの言葉を照らし合わせると、グレモリーはアルカディアのどこかに封印されているということだろうか。


「――――気を付けてね」


 俺が考え込んでいると、不意にグレモリーの声が低くなった。


「気を付ける・・・・?」


「この国の人間は、女神様の力さえあれば、どんな危険も遠ざけられると、無邪気に信じている。外界調査にも、たいした危険はないと言われたでしょ? 女神様の庇護は外界にも及ぶから、危険はないと、彼らは本気で信じているの。人は長い間、変わらないものの中にいると、ずっとそれが続くと信じてしまうんだよ。本当は、地下水のように、見えないところで変わっていく流れもあるのにね。・・・・今までなら、たしかに女神の影響力は強かったのかもしれない。でも、外にいる『彼ら』が成長してしまったから――――これからは違う」


「・・・・・・・・」


「だから、気を付けて。この国の人間の言葉は何も信じず、外界でも気を抜かないでね。・・・・あなたには、無事に帰ってきてほしいから」


「・・・・この国が、虚偽に満ちている、からか?」


 俺は以前、グレモリーに言われた言葉を思い出していた。


「そうだよ」


 きっぱりと言い切り、グレモリーは真っ直ぐ俺を見つめる。


「・・・・わからないな。彼らって、誰のことだ? この国の何が、虚偽だって言うんだよ?」


「それは¶§÷〇Δ――――」


「? 何だって?」


 グレモリーの言葉の続きが、聞こえなかった。


「¶§÷〇Δ――――」


 グレモリーは言い直したが、やはりそれは急に外国語になったように、俺には聞き取ることができなかった。


 正確には、グレモリーが何か言おうとすると、急に早回しになったように声が加速して、その部分だけ、聞き取れなくなってしまうのだ。


 グレモリー自身もそのことに気づいたらしく、表情が険しくなっている。


「・・・・どうやら、制限されているようね」


「・・・・どういうことだ?」


「特定の事柄に関しては、言えないように制限してあるってことだよ。――――あなた達が、女神と呼んでいるあの存在が、言論統制してるみたい」


 エイレーネ様が、魔法の力で何かをしているということだろうか。よくわからないが、グレモリーに質問したところで、これ以上何も聞き出せないということはわかった。


「これ以上の会話は無駄だから、大人しく撤退することにするよ」


 グレモリーはにこりと笑う。


「・・・・最後に、あなたになぞなぞを出しておこうかな」


「なぞなぞ?」


「朝は四脚、昼は二脚、夜は三脚で歩く動物は、なーんだ?」


「へっ・・・・?」


「朝は四脚、昼は二脚、夜は三脚で歩く動物は、なーんだ?」


 そのなぞなぞに答えないうちは、他の質問には答えるつもりはないという意思表示なのか、グレモリーは、同じ問いかけを繰り返す。


(何なんだよ・・・・)


 混乱しつつ、答えを考える。そのなぞなぞを、どこかで聞いた気がしていた。


 とはいえ、俺は記憶力がいいほうじゃない。きっと思い出せないだろうと思っていたが。


 ――――また、シャカシャカという音が聞こえた気がした。


 俺は案外簡単に、答えを見つける。


(・・・・スフィンクスが人間にした謎かけか?)


 上半身は人間、下半身は獅子という神話生物が出すという、謎かけ。


 ――――その答えは。


「・・・・人間、だろ?」


「当たり!」


 グレモリーは嬉しそうに笑う。


「その質問に、何の意味が――――」


「正解したご褒美に、あなたが生き残るためのヒントをあげる」


 グレモリーはすっと目を細めた。


「外界に出て、毛むくじゃらの人型のモンスターと出会ったら、逃げたほうがいいよ。仲間を助けたいなんて思わず、一人で逃げて」


「え・・・・?」


「私に言えるのは、そこまで。それじゃあね」


 グレモリーは言いたいことだけ言って、身を翻してしまう。


「待て――――」


「おっはよー、イチロー!」


 急に大きな声で名前を呼ばれて、跳びあがりそうになった。


 振り返ると、いつの間にかそこに、アンバーが立っていた。


「相変わらず、ボーとしてるね。また独り言言ってたの?」


「独り言じゃなくて・・・・」


 説明しようとしたが、すぐに諦めた。グレモリーの姿も消えているし、どうせアンバーには見えないのだから、説明しても伝わる気がしない。


「うう・・・・ちょっと支えて」


 アンバーはふらふらと、俺に寄りかかってきた。


「うわっ、酒くさ!」


 外界調査に出立する日だというのに、アンバーの身体を支えた瞬間、鼻孔に入り込んできたのは、強烈な酒臭さだった。


「ごめんねー、あんまり寝てなくてさあ」


「今日は外界調査だっていうのに、まさか、明け方まで酒を飲んでたのか!?」


「明け方って言うほどじゃ・・・・一時間ぐらいは寝たしィ」


 ――――せっかく異世界に来たのに、無双とは程遠い、給仕の仕事に駆り出される毎日、そして異世界に来て初めて出会った可愛い少女が、実は飲んだくれだったという、非情な現実――――俺は涙をこらえ、現実とはこういうものだと自分に言い聞かせた。


「大丈夫、大丈夫! 私、外界調査に参加するのは、これで十回目なんだよ! 酔ってたって、どんなモンスターも一撃で倒しちゃうよん!」


 酔いを引き摺って、酔った時特有の痛い仕草をしている彼女を直視できなくて、俺は目を逸らした。そして、外界調査に集まった人々の顔を見回す。


 外界調査は危険で、体力がいる仕事だ。そのため外界調査隊の参加者の男女比は、やや男のほうが上だ。でも、アンバーのように、華奢に見える体格の女性の参加者もいて、しかも彼女達は、俺のように緊張していない。


「・・・・女性もいるんだな。驚いた」


「あったり前でしょ。私だってこうして参加してるじゃない」


「いや、アンバーだけが規格外なのかと――――」


「ああ?」


 アンバーの目が胡乱になる。まずいと思った時にはもう、鼻先が触れそうなほど顔を近づけられて、凄まれていた。


「何? あんた、私のことを、男勝りの暴力女だって思ってたわけ? 内心では、この筋肉女がって思ってたわけ!?」


「いやいやいや、思ってないから、俺が何も言ってないのに、自分のネガティブな気持ちまで、俺が発言したみたいな空気にするのやめてくれる!?」


 とんでもない濡れ衣だ。だが今の会話で、アンバーが、自分の筋肉質な身体にコンプレックスを持っていることがわかった。今後は、彼女の前で筋肉女子について語ることはやめておこう。


「そもそも、この国、圧倒的に女が多いのよね。だからどの職業でも、だいたい男女比は、女のほうが上なのよ。外界調査は、女の割合が低すぎるぐらい」


「この国、女が多いのか?」


「うん。去年の統計で、男女比は確か――――女が男の二倍だったはず」


「二倍!?」


 いくらなんでも、それは多すぎる。


 頭の中に、女子が九割、男子一割の教室の風景が浮かび上がる。それは男子にとって心地いい空間なのか、あるいはとても居心地が悪い、地獄のような空間なのか、というどうでもいい疑問が浮かんでしまった。


 指摘されて、記憶を探ってみれば、確かに街路を歩く人々の男女の比率には、偏りがあったように思う。明らかに、女性の人数が多いのだ。


 今までは、何も考えずに通行人を眺めていたから、そのことに疑問を持つことはなかった。


「それに、魔装武具を使えば、男女の力の違いも覆せるんだから、男女比はあんまり関係ないんじゃない?」


「それもそうだな」


 特殊な武器で、男女の腕力や脚力の違いを完全に補えるのなら、戦争時でも性差が挙がることはなくなるのだろう。


 そう言えば、歴史好きの先生から、ヴァイキングの軍団の中には、女戦士もいた可能性があるという話を聞いたことがある。それに銃が使われるようになってからは、女性兵士の数も増えたそうだ。


 腕力の違いさえ、補うものがあれば、女性でも危険な任務に参加することの敷居は低いのだろう。


(それにしても――――)


 女性達は危険な任務の前だというのに、友達と楽しそうにお喋りしていて、リラックスしている人が多い。


 対照的に、男達はどこか落ち着かないようだ。同じ場所を行ったり来たりして、時間を潰している男もいた。


「どうしたの? きょろきょろして」


「そわそわしている男が多いなあって思ってたんだ。もうすぐ危険な任務がはじまるから、緊張してるのかな」


「ああ、そのこと」


 なぜかアンバーは笑う。


「別に外界調査に怯えてるわけじゃないよ。シルト少尉やレノア少尉を待っていて、落ち着かないんだと思う」


「シルト少尉とレノア少尉?」


 それが誰なのか聞こうとしたとき、背後で風船が膨らむように、男達のざわめきが広がって、俺はそちらに意識を取られた。


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