第17話 変な女は、家の中でも高い所にいたがる


 ――――それから、俺とリデカの奇妙な同棲生活がはじまった。



「・・・・なんで、そんな場所にいるんだ?」


 リデカとの共同生活がはじまってから数時間後、俺は早くも、リデカの奇矯な行動に呆れ返っていた。



「あいつらに見つかるかもしれないから、いつでも攻撃できるように、ここにいることにする」



 リデカはなぜか天井の梁部分にのぼり、そこから降りてこようとしない。梁に腰かけ、足をぶらぶらさせているその姿は、まるで猫のようだ。



「あいつらって・・・・誘拐犯のことか?」


「そう。・・・・私には、高値がついていたらしいから」


 高値――――そういえば、あいつらを追いかけていた時に、そんな会話が聞こえてきた気がする。


 リデカの外見を見れば、奴隷市場で高値がつくのも、わかる気がした。低すぎる身長も、圧倒的まな板な胸も、一部のマニアが絶賛するはず。


「・・・・なんで胸を見るの?」


「な、なんでもないよ・・・・」


 俺の考えを呼んだのか、リデカの目はじっとりとした半眼になっていた。


 俺は我に返って、視線を逸らす。


「そ、それじゃ、そこで暮らすつもりなのか?」


「うん。・・・・あの人達に仲間がいないか、まだわかってないんだから、気を抜くべきじゃない」


「でも、ずっとそこにいるわけにはいかないだろ。寝るときや、食事の時はどうするんだ?」


「ここで寝る」


「・・・・・・・・はあ?」


「ここで寝る」


「・・・・・・・・」


 予想外の答えに、俺の思考回路は、束の間止まっていた。


「・・・・いや、待てよ。そんな細い梁の上で寝るなんて、ナマケモノかよ」


「できる」


 できると言って、リデカは譲ろうとしない。


「寝返りを打ったら・・・・」


「寝返りなんてしない。身体を梁に縛りつけておくから」


「修行僧かよ! とにかく、馬鹿なことを言わずに、降りてこい! 落ちたらどうするんだよ、危ないだろ」


「大丈夫。だって森の中では、木の上で暮らしてたし」


「本格的に猿なんだな! いいから、降りてこい!」


「やだ、降りない」


「降りてこい!」


「やだ」


「くそ、こうなったら、引き摺り下ろしてやる!」


 このまま話し合いを続けても、平行線のままだろう。リデカを強制的に引き摺り下ろすしかない――――そんな考えから俺は、リデカが足場に使った椅子を引っぱってきて、それを土台に、梁に飛び乗ろうとした。


 ――――だけど、まったく手が届かない。何度兎のようにぴょんぴょん跳びはねてみても、俺のジャンプは、リデカのジャンプの半分の高さにも届かず、指先が梁にかすることすらなかった。


「ぜーはーぜーはー・・・・」


 しかも体力がない俺は、すぐに息切れして、跳びはねることすらできなくなった。


「・・・・・・・・」


「・・・・・・・・」


 リデカはそんな俺を、憐れむように見下ろしている。俺はいたたまれなくなって、俯いた。


(・・・・冷静に考えたら、梁に手が届くわけないじゃないか・・・・)


 平屋といっても、それなりの高さがある。足場も使わずに、普通は、梁に手が届くわけがないのだ。


 ――――リデカのような、超人並みの身体能力を持つ人間を、除外すれば、の話だが。


 リデカが簡単に、梁に登ったから、自分もできるかもしれないと、勘違いしてしまった。身体能力に雲泥の差があるのに、どうしてできると思ってしまったのか。その勘違いが、恥ずかしい。


「もうあんたなんか知らない! 一生そこに引き籠ってなさい!」


「うん、ありがとう」


 リデカの感謝の言葉に、敗北感が募る。


(まあ、放っておけば、そのうち降りてくるよな・・・・)


 俺はそう結論を出して、話を打ち切った。


 しかし、人のうちに押しかけてきただけじゃなく、梁の上に引き籠るとは、何ともタチが悪い。それだけ、誘拐犯の存在を恐れているのだろう。だけどもっと、別の方法で対処してもらいたいと思う。


 ――――放っておこうと思ったが、頭上に人間がいる状態は、なんだか妙に落ち着かないものだ。何とか早い段階で、リデカが自分から降りてくるように仕向けなければ。


(あ、そうだ!)


 梁の上で眠ると言い張っているリデカだが、食事は下に降りなければできないはずだ。とにかく一度、餌で釣って、リデカを下に降ろそう。


 日が暮れはじめているから、暇取り屋も、もう夕食のメニューを出しはじめているはずだ。


 俺は暇取り屋に行って、店で一番評判の串焼きを買ってきた。


 帰り道、匂いに引き付けられた猫が寄ってくる。この匂いならば、リデカを釣ることができるはず。


「リデカ、飯を買ってきたぞ。ちょっと早いけど、食べよう」


 帰宅した俺が、皿に串焼きを盛りつけはじめると、梁の上でリデカがもぞもぞと動きだす気配があった。


「降りてこい。食べ損ねるぞ」


「・・・・・・・・」


 リデカは物欲しそうな目をしつつ、なかなか降りてこようとしない。


「どうしたんだ? いらないのか?」


 俺はにやにやしながら、リデカに見えるように串焼きの肉に食らいつき、うまそうに食べて見せた。リデカは恨めしそうな目をする。


(さあ、どうする?)


 さすがにリデカと言えども、あの高い場所から串焼きを奪うことはできないだろう。


 俺がじっと天井を見上げていると、何を考えたのか、リデカは一度顔を引っ込めた。


 そして、梁の上からするすると、紐に吊るされた何かが落ちてくる。


「・・・・・・・・」


 俺の目の高さに落ちてきたそれは、小さな鍋だった。


「・・・・なんだ、これ」


「これに、ご飯入れて」


「降りてこいよ! 飯まで天井で食べようとするな!」


 リデカは渋々といった様子で降りてきた。


 だが、落ち着かないのか、しきりに窓の外を窺っている。


「大丈夫だって。あいつらは、俺達がここにいることは知らない」


「わかってるんだけど・・・・落ち着かない」


 俺は不安そうなリデカの前に、串焼きを突き付ける。


「ほら、早く食べないと冷めるぞ」


「・・・・うん」


 リデカは怖々とした仕草で、俺の手から串焼きを受けとり、一口齧った。


「・・・・どうだ?」


 串焼きがリデカの口に合うかどうか、不安だったが、一口齧った瞬間に、リデカの顔がぱっと明るくなったので、不安は消し飛んだ。


「・・・・美味しい」


「そうか、よかった」


 よほどお腹が空いていたのか、リデカはがつがつと肉に食いつく。


 どんだけ腹が空いてたんだよ、と俺は思わず笑ってしまった。






 ――――リデカが梁の上で眠ると言い張るので、仕方なくその日は、梁の上で眠ることを許した。


「それじゃ、灯りを消すぞー」


 寝間着に着替えて、照明のスイッチに手をかける。


「うん」


 リデカは細い梁の上で寝具を広げ、掛布団をマントのように羽織ると、その中で器用に丸まった。


「本当に消すからなー」


「だから、消していいってば」


 照明を落とすその瞬間まで、リデカがやはりこんな場所では眠れないと、前言撤回してくれることを願っていたが――――考え直すつもりはないようだった。


(・・・・しょうがない)


 俺は溜息を零して、天井の照明を消した。


 暗闇は一瞬で室内を支配する。


 遠くから薄っすらと、夜でも眠ることがない繁華街の喧騒が聞こえてはくるものの、この付近の住人は全員、眠りについているようだ。


 暗闇と共に、心地よい静けさも満ちていて、今日もよく眠れそうだと、俺は思った。――――天井に、不安要素がある点を除けば、の話だが。


「ふう・・・・」


 その問題については、今度考えようと思い、俺はベッドの中に入った。長い一日がようやく終わった――――その喜びに包まれ、俺は幸福な気持ちで眠りに落ちる――――はずだったのだが。


「うわああああっ!」


 ようやくうつらうつらとしはじめた頃、天井から何かが落ちてくる気配を感じて、俺は慌てて跳ね起きていた。


「な――――なっ――――」


「いたた・・・・」


 俺が混乱で何も言えずにいると、梁から落ちてきたリデカが、むくりと身体を起こす。


「お、おい、大丈夫なのか?」


「・・・・うん、一応・・・・」


「お前が人外レベルの身体能力を持っていることは、もうわかったから! でも、梁の上で寝るなんて、無理な話なんだよ! 今度はちゃんと、床で――――」


「ううん、もう少し頑張ってみる」


「お前のその、謎のチャレンジ精神は何なんだよ!」


「心配しないで。寝ぼけてても、ちゃんと受け身は取れるから」


「お前のことだけを心配してるんじゃないんだよ! 落下物があるような状態で、寝なきゃならない自分のことも心配してるんだ!」


 俺の言葉に耳を貸さずに、またリデカは梁に登ってしまい、猫のように寝具の中で丸まった。


 ――――いや、猫そのものだ。しばらくすると、寝息が落ちてくる。


「・・・・一回転落したのに、よく眠れるな」


 リデカの図太い神経に、脱帽する。俺は自分のことを図太いほうだと思っていたが、上には上がいるらしい。


 一回、失敗して痛い思いをしたのだから、二度と落ちないように対策をとるはず。だからさっきのようなことは起こらないと自分に言い聞かせて、俺は再び、ベッドに横になった。


 だが――――結局その夜、俺は何度も、天井からの落下物によって叩き起こされ、長い夜を、まんじりともせずに過ごす羽目になった。






「・・・・・・・・」


 翌日、目を覚ますと、リデカは落ちないように、ロープで自分の身体を梁に縛りつけて、眠っていた。


 本当に苦行じゃないか。なぜそこまで――――根性を発揮する方向が百八十度間違っている気がしたが、そこまでしているのに、起こすのも気の毒に思えてきて、俺は起こすに起こせなくなる。


「ん・・・・?」


 だけど、そこまでしているのに、縛りが甘かったのか、リデカの身体は徐々に重力に引き摺られて、梁の横側に傾きつつあった。


「ま、まずい!」


 梁の側面まで落ちても、リデカは深く寝入っているのか、目覚めない。


 さらにリデカの身体は落ち続けて、今度は梁の裏側に傾こうとしていた。


「リデカ、起きろよ!」


 怒鳴っても、リデカは起きない。


 このままじゃ、リデカが落ちる――――そう思った俺は、慌ててリデカの下に移動して、受け止めるために両手を大きく広げた。


 ――――だが。


 リデカの身体が、梁の反対側に引っくり返る。


 だけどロープのおかげで、身体が落下することはなかった。


 リデカの身体は、梁の裏側に縛り付けられたような状態で固定される。


 俺は胸を撫で下ろしたが、同時に、こちらは散々ひやひやさせられたのに、ここまできてもリデカが静かな寝息を立てていることに、少しイラっとさせられる。


(それにしても――――)


 十字の梁の裏側に、縛りつけられた少女――――まるで、磔にされているようだ。


「・・・・馬鹿らし」


 リデカは大丈夫だ。


 俺はそう結論付けて、見守ることをやめ、暇取り屋で朝食を食べるために、家を出た。


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