第15話 人助けは、最後までやり遂げるのが難しい


 そして俺は、家に帰った。


 第一地区に戻る頃には、太陽は沈みはじめていて、町は暮れなずむ空の色に染められている。通りを帰宅する人々が埋め尽くし、どこか気だるげな空気が流れていた。


 来訪者の住宅は、第一地区の奥まった場所にある。一棟の建物の内部を区切った構造で、各区画が独立した住居になっている、長屋風の造りだ。


 だけど、壁の防音は優れていて、隣家の物音は届かない。プライバシーは守られていて、住み心地は最高だ。


(お隣さんは、まだ帰ってきてないみたいだな)


 来訪者のための住宅は今、空き家ばかりで、この付近にも、この家と右隣の家にしか、住人がいない。今、その隣人もまだ帰ってきていないようだ。


 家にたどり着いて、俺は玄関の取っ手をつかもうとする。


「・・・・ん?」


 鍵を開けていないのに、手が当たっただけで、扉は抵抗なく開いていった。


「あれ、俺、鍵をかけ忘れてたのか?」


 鍵をかけたつもりだったが、実際に扉は開いている。多少の違和感を覚えつつ、特に深くは考えずに、家の中に入っていった。


「よう、正義のヒーロー君」


 ――――誰もいないはずの家の中から、俺を出迎える声があった。


「・・・・っ!」


 部屋の中央に置かれたテーブルに、三人の男が、薄ら笑いを浮かべて、座っていた。うち一人はスキンヘッドで、髪の代わりのように複雑な模様のタトゥーが頭皮を覆っている。


「昼間会ったばかりだから、俺のことを忘れたなんて言わないよなあ」


 ――――リデカを追いかけていた男達だと気づき、心臓が縮みあがる。


「あの時のハゲェッ!?」


「誰がハゲだッ!?」


 男は怒りを爆発させて、持っていたコップを投げ付けてきた。


「ひっ・・・・!」


 慌てて横に飛び退く。コップは壁に当たり、粉々に砕け散った。


「まずい、逃げなきゃ――――」


 身を翻そうとしたタイミングで、扉が閉まった。


 ――――俺は気づかなかったが、扉の裏側に、男が潜んでいたのだ。


「あ――――あ――――」


 唯一の出口を塞がれて、俺に逃げ場はなくなっていた。


 男達にじわじわと、包囲網を閉じられて、俺は部屋の中央に立ち尽くす。


「・・・・あの女はどこにいる?」


「・・・・え?」


「てめえの横やりのせいで取り逃がした、あの女だよ! どこに連れて行きやがった!? まさか、もう、別の組織に売り渡したんじゃねえだろうな!」


「ち、違う! そんなことはしてない!」


「だったら、どこにいる!?」


「知らないんだ! あの子は隠れるために、どこかに行ってしまったから、俺はあの子の行き先を知らない!」


 動揺して、舌が回らない。それでも必死に状況を説明したけれど、俺が言い返せば言い返すほど、男達の目は凍えていった。


「――――あいつが見つからねえなら、てめえの命はねえぞ」


 男はキッチンに近づくと、俺が置きっぱなしにしていたナイフを手に取り、近づいてくる。切っ先を向けられ、膝が震えた。


「あいつにはなあ、もう高値がついてたんだ。一生遊んで暮らせる金だ。なのにてめえのせいで、金を回収できなくなった。まったく、骨折り損だよ・・・・。誰かに、損失分を補ってもらわねえとなあ。お前もそう思うだろ?」


「・・・・・・・・」


「てめえに、損失分を払ってもらう。明後日までに、金を用意しろ」


 絶望的な要求をされて、目の前が真っ暗になった。


「ま、待ってくれ! 今の俺に、金なんてないよ!」


「金が払えないなら、死ぬしかねえよなあッ!」


 男は、怒鳴りながらテーブルを蹴り倒す。


 テーブルに置かれていたコップや皿が床に落ちて、音が散っていった。


「どう落とし前をつけるつもりなんだよ、ああっ!?」


「・・・・っ!」


 きっとこれだけ音を立てても、隣家には騒動が伝わっていないはずだ。それほど、この国の防音技術は高い。


 助けを求めても、きっと声は届かない。


(・・・・ここで殺されるのか?)


 いい人間になろうと行動したことで、死ぬことになるなんて――――この世界でも神様は皮肉屋で天邪鬼だ。


(どうする? どうすれば――――)


「――――すみません」


 ――――不意に訪れた静寂に滑り込むように、ノックの小さな音が、耳に入り込んできた。


 男達はハッと肩を強ばらせて、血走った目で、玄関を睨み付ける。


「すみません。誰かいませんか?」


 ノックの音に、誰かの声が重なった。


(誰だ? いや、そんなことは今はどうでもいい!)


「助け――――ふぐっ!」


 助けを求めようとしたが、そのことに気づいた男に羽交い締めにされ、口を塞がれた。


「私は向かいの家に住んでいる者なんですが、スープを作りすぎてしまったので、よかったら少し食べてもらえないでしょうか?」


 男達は顔を見合わせ、頬を緩ませた。


(騒ぎを聞いて、駆け付けてくれたんじゃないのか・・・・?)


 希望が見えた――――気がした。でも、気のせいだった。


「・・・・この騒ぎに、気づいたわけじゃなさそうだな」


「このまま静かにして、あいつがどっか行くのを待とう」


 男達は息を詰め、気配を消す。


(頼むから、気づいてくれ!)


 必死に願うと、またノック音が聞こえた。


「すみませーん」


「うるせえ! ちょっと空気を読めば、居留守使われてんのわかるだろうが! さっさとどっかに行けよ!」


 黙っていようとさっき話し合ったばかりなのに、短気な男は我慢できなかったらしい。どんだけ気が短いんだよ、と俺は呆気にとられた。


「・・・・・・・・」


 ――――だけど、それで声は聞こえなくなってしまう。


(帰っちゃったのか? 帰っちゃったのかよ!)


 男の声から、関わらないほうがいい気配を感じ取って、家に逃げ帰ってしまったのだろう。それが賢い選択だ。でも今だけは、賢い選択を取らないでほしかったと思う。


「・・・・帰ったみたいだな・・・・」


「一応、見てこい」


 一人が動き出し、玄関に向かった。


 俺はまだ外に誰かがいる可能性に、最後の望みを託したが――――外には、もう誰も立っていなかった。


(やっぱり、家に帰ってしまったのか・・・・)


 落胆して、項垂れる。――――ふと、ある疑問が頭に浮かんでいた。



(・・・・そう言えば、この家の向かいに誰か住んでたっけ?)



 この来訪者の住宅には、この部屋と右隣の部屋にしか、住人がいなかったはずだ。



「帰ったみたいだぞ。誰もいない」


 いないと知りつつ、念のため、男は外に身を乗り出して、確認していた。



 ――――だけど次の瞬間、男の姿が視界から消えた。



「へっ・・・・!?」


「うぐっ・・・・!」


 男が倒れた音が聞こえ、男が立っていた場所に、ふわりと少女が降りたつ。


「何だ!?」


 少女は青い髪を尾のようになびかせて、不敵に笑う。


「リデカ・・・・」


「てめえ、そこにいやがったのか!」


 リデカは、演武のような優雅な動きで、腕を後ろに引いた。



 ――――風が、顔のすぐ横を駆け抜けていく。



「ぎゃああ!」


 男達の絶叫が、耳に飛び込んできた。



 男達は小型のナイフに腕を貫かれ、血まみれになりながら痛みにのたうち回っていた。



 リデカを見ると、彼女の手には男達の腕に突き刺さったのと同じ、ナイフが握られている。――――リデカが、ナイフを投げたのだ。



「早くこっちへ!」


「・・・・!」


 リデカの声で金縛りが解けて、俺はよろめきながら立ち上がり、建物の外に飛び出した。


「てめえ、この野郎・・・・」


「ひっ・・・・!」


 傷口を押さえ、声を絞り出しながら、男達は凄まじい形相で、俺達を追いかけてきている。


「治安維持部隊が来たぞ!」


 通りの向こうから、誰かの声が聞こえてきた。


 リデカに腕を引かれ、大通りに飛び出す。


 すると人混みを掻き分けて、こちらに向かってくる、武装した男達の姿が見えた。通行人は驚きながら、ぶつからないように道を開ける。


「誘拐犯がいると通報したのは誰だ!?」


「私です」


 リデカが、治安維持部隊の前に進み出る。


「そいつらはどこに?」


 リデカが腕を上げ、俺の家がある方向を指差した。


 誘拐犯の男達にとっては不運なことに、治安維持部隊が、俺の家がある路地を覗き込むのと、男達が家から出てきたタイミングが重なった。



 ――――目と目が合う。治安維持部隊の人達と、男達の視線がばっちりと絡み合った瞬間、俺の頭の中では、そんなメロディが流れていた。



「まずい、逃げろ!」


「あいつらだ! 捕まえろ!」



 そうして、誘拐犯と治安維持部隊の追いかけっこがはじまる。



「待て、お前ら!」


「待てって言われて、待つ奴がいるかよ!」



 去っていく騒々しい足音を聞きながら、俺はその場にへたり込んだ。


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