第14話 箱舟には行きの切符しかない


 ――――一時間後、俺はハムスターが遊ぶ回し車のような形状の、巨大な車輪のなかで、ひたすら走っていた。



「・・・・ちょっと、何してんの?」


 戻ってきたアンバーが、そんな俺を、呆れた目で見ている。



「いや、これめっちゃ楽しくてな!」


 手足が軽い。身体を、撥ねのように自由自在に動かせるという感覚に、俺はすぐに夢中になっていた。しかも長時間走っていても、疲労感を感じない。



「アンバーはどうしたんだ? もしかして、アンバーも訓練するのか?」


「違うよ。イチローの様子を見に来ただけ。・・・・予想外の展開に、度肝を抜かれてるけど」


「ほんと、魔装防具って半端ねえよ! こいつめっちゃ俺の身体を軽くしてくれるもん!」


「ま、まあ、魔装防具がすごいのは認めるけど・・・・何か、別人みたいなテンションになってない?」


「うおおおお!」


 もっと早く走れるのか、それを確かめるために、俺は加速する。回し車がかたかたと音を鳴らした。


「すごいよね、その子。さっきからずっと走り続けてるんだよ?」


 アンサルディさんが、アンバーの隣に並んだ。


「しかも加速しすぎて、時々回し車から弾きだされるのに、全然めげないし」


「あはははは!」


「・・・・なんか、やばいお薬をやった人みたいなテンションになってるんですけど。このまま走り続けて、大丈夫なんですか?」


「大丈夫じゃないかな。この調子で頑張ってくれれば、体力もつくだろうから、一安心だよ」


「・・・・その前に、イチローの心臓が止まったりしません?」


「大丈夫だって! ぜーはーぜーはーぜーはーぜーは・・・・」


「めっちゃ疲れてんじゃん! 心臓止まる前に、少し休みなよ!」


 我を忘れて走り続けているうちに、俺の息は切れ、全身汗だくになっていた。足を止めても汗は止まらず、だらだらと流れ続けている。


「さ、さすがに疲れた・・・・かな」


「うーん、確かにそろそろ休んだほうがよさそうだ。イチロー君、しばらく休憩とって」


「は、はい・・・・」


 俺は足を止め、ふらつきながら、回し車から降りる。


「ほら、こっちに座りな」


 アンバーに促されるまま、俺は壁際に腰を下ろした。壁に背中を預けて深呼吸すると、激しかった動機の勢いが、少しずつ弱まっていった。


「ほんと、この世界の道具はすごいな」


「魔装防具でテンション上がるのはわかるけどさ・・・・それにしても興奮しすぎだよ」


「目が輝いてただろ?」


「うん。普段死んでる目が、魚の鱗みたいに輝いてて、気持ち悪かった」


「その反応はひどくない!?」


「うそ、うそ、冗談だって」


「・・・・ちょっと傷ついたぞ」


「でも次の魔装防具の説明がはじまったら、忘れるでしょ」


「うん」


 俺とアンバーは顔を見合わせて、笑い声を散らした。


 ――――これが、魔法の力なのか。


 一生無縁と思っていた、身体が飛ぶように動くという感覚を味わわせてもらって、俺はこの世界に招いてくれた神様に感謝した。


(そういえば、この世界には魔法はないのかな?)


 魔装武具の強さは、身を持って思い知った。だがそう言えばまだ一度も、魔法と呼べるものを目にしていない。


「この世界には、魔法はないのか?」


 異世界といえば魔法だ。求める最後の要素を探して、俺はアンバーに話しかける。


「あるよ」


「あるのか!?」


「だけど、使える人は限られているね。総督とか、治安維持部隊の隊長とか、そのあたりの人達だけかな」


「・・・・へ? どういう意味だ? 魔法の才能って、すべての人に備わってるんじゃないのか?」


 アンバーは苦笑して、肩を竦める。


「違う。そもそも、『才能』じゃないから」


 俺は首を傾ける。俺の仕草に合わせて、アンバーも少し頭を傾けた。


「魔法は、女神様から儀式を経て、賜るものなのよ。総督とかの一部の偉い人が、その役職に必要な力を与えられるの。特に、防衛を任された総督とか精鋭部隊、外界調査を任されているS級ハンターとかが、力を与えられることが多いね。総督や信徒も魔法を賜るけど、役職に似合った魔法だから、イチローが思い浮かべるような派手なものじゃないと思う」


「賜る・・・・」


 予想外の展開だ。まさか、魔法が習得形式ではなく、付与形式だとは。


「魔法の力は有限なの。だからその力を、最大限に生かせる人に渡さなきゃいけないのよ」


「だとしたら、まず偉い立場にならないと、魔法を使うことはできないってことか?」


「そうよ。当たり前じゃない。だってそんなヤバい力が、ヤバい奴に渡ったら、まずいことになるでしょ?」


 アンバーの明るい声を聞きながら、俺は自分の計画がガラガラと崩れ去っていく音を聞いていた。


 俺だけにしか習得できない奥義を身に着けて、外界の敵に無双し、有益な人間だと、周りに認めてもらう――――それが俺の計画だった。


 だけどそんな俺の願いとは裏腹に、力を得たければ、まずこの国で立場を得なければならないようだ。順序が逆で、力より、立場が先なのだ。


(ま、そんなもんか・・・・)


 ヤバい力が、ヤバい奴に渡ったら――――アンバーのその言葉が、すべてを表しているように思える。


(・・・・そういや、俺をこの世界に運んだ、箱舟っていうのも、魔法の力で維持されているのかな)


 頭の中に浮かんだのは、目覚めた時に真っ先に見た暗い空間と、浴槽のようなベッドのことだった。


 あの時は自分の状況に戸惑いながらも、深くは考えなかった。なにぶん、意識は朦朧としていたから、考える余裕がなかったのだ。


(それにあの建物――――アンバーは、箱舟って言ってたっけ?)


 思い出すと、妙に気になる。


 あの時は混乱していたこと、一刻も早く、安全な場所に行きたいという気持ちが先走って、箱舟のことを深く考えることはなかったが、こうして衣食住の心配がなくなると、とたんに、箱舟のことが気になりはじめた。


「アンバー」


「ん? 何?」


「箱舟、って何なんだ?」


 俺の問いかけに、アンバーは首を傾げる。


「何って言われても――――箱舟は、箱舟としか、答えられないよ。来訪者をこの国に運ぶ船ってことしか、私も知らないし」


「もしかして箱舟のこと、この国の住人は何も知らないのか?」


「知らないと思う。私も前に気になって、色んな人に聞いてまわったことあったけど、結局誰も知らなかったしね」


「誰も気にならないのか?」


 女神の魔法という分野が優れているだけで、文明は未発達だから、発生する現象について、何も判明していない、ということは、まだ理解できる。


 でも、誰も気にならなかったのだろうか。俺の世界なら、箱舟という謎の物体が存在した時点で、箱舟の謎について、SNSのコメント数がものすごい数になっているはずだ。


「そりゃ、気になるよ。でも、色々制約があってね」


「制約・・・・?」


「この国じゃ、来訪者は女神が呼んだ客人、って考えられてるの。だから当然、箱舟も、女神の管轄なわけ。この国では、女神信奉が一般的で、国民の大半が女神教の信者だってことは、話したっけ?」


「聞いてないけど、あの様子を見てると、ある程度分かるよ」


 俺がそう言うと、アンバーは苦笑した。


「ま、そりゃ、わかるよね。――――で、ここからが本題なんだけど」


 アンバーの顔から、戯けるような調子が消えた。


「・・・・女神教の信徒達は、大半はいい人達なんだけど、一定数の『狂信者』って呼ばれる人達がいるわけ」


 その言葉で、何となく先が読めて、俺は眉根を寄せる。


「女神は必要なことしか喋らず、私達を制約しようとはしない。でも女神のことを狂信的に信奉する人達は、女神の行いに対して、疑心を持つことすら許さないのよ。女神が、来訪者や箱舟のことを、詳しく語ろうとしないという部分を重く受け取って、来訪者や箱舟のことについて議論したり、詮索したりすることを、ものすごく嫌うのよ」


「なるほど・・・・」


 すんなりと、それを理解することができた。


 俺の世界にも、国や人種や宗教に関係なく、一定数の「狂信者」

はいて、聖典に書かれていることを守らないこと、内容を疑うことを許さずに、時には暴力によって他者を攻撃する人までいた。それに近い感覚なのだろうと、その感覚を理解できないながらも、朧気につかむことはできたのだ。


「だから、来訪者や箱舟については、誰も語りたがらないのよ」


「・・・・・・・・」


 だからと言って、来訪者という存在に定義されている俺は、暗黙のルールと言うべきそのルールを、すんなりと受け入れることができなかった。


「・・・・でも俺は、箱舟についてもっと詳しく知りたいんだけど・・・・それも駄目なのかな」


 おそるおそる聞いてみると、アンバーは困ったように眉尻を下げた。


「ごめんね、力になってあげたいけど、詳しい人を知らないのよ。さっきも言った通り、来訪者や箱舟について語っちゃいけないって空気だからさ、詳しい人もいないと思うし」


「そうなのか・・・・いや、気にしないでくれ。ちょっと聞いてみただけだからさ」


 力になってくれるアンバーを、困らせたいわけじゃない。だから俺は、次の頼み事を、最後にしようと決めた。


「だけど、最後に一つ、頼みたいことがある。・・・・俺とアンバーが出会った場所に、連れて行ってくれないかな? ええと・・・・箱舟の森、だっけ? 俺をこの世界に連れてきてくれた、箱舟の中に入ってみたいんだ」


 箱舟が何なのかはわからなくても、俺が出てきた建物は、いまだにあの静かな森の中に存在しているはずだ。アンバーが、俺と出会った場所まで連れていってくれれば、後は自力で、箱舟の場所まで戻れるはず。


(そう言えば、あのSの字の木が、目印になるかもしれないな)


 箱舟から出た直後、Sの字の木の枝に、袖を持っていかれたことを思い出した。変わった形の木だから、目印になってくれるだろう。


 だが、ここでもアンバーは、難しい顔を見せた。


「うーん、連れて行くってのは、別に構わないけど・・・・」


「何か、問題があるのか?」


「――――多分、もう箱舟の森に、箱舟はないと思うよ」


「へ・・・・?」


 俺は何度も瞬く。


「ないと思うってどういうことだ? 箱舟があるから、箱舟の森って呼ばれてるんだろ?」


「うん、そうなんだけど・・・・」


 アンバーの歯切れは悪い。


「イチローが自分の目で確かめたほうがいいかも。あそこは新人冒険者でもよく行く場所だから、危険は少ないし」


「そ、そうか。・・・・あ、でも、まずは訓練を最後までやるべきか?」


「いや、今日はもう十分でしょ。さっきのイチロー、テンション上がりまくりで信じられないほど動いてたよ。本当にハムスターみたいだった」


 脳内麻薬が出ているんじゃないかと、自分でも思うほど興奮していたから、正直なところ、さっきまでの記憶がない。アンバーがそう言うのなら、本当にハムスターのような動きをしていたのだろう。


(そもそもこの世界にも、ハムスターはいるんだな・・・・)


 よく考えると、ハムスターという単語が、この世界でも通じることが驚きだ。


「私から、アンサルディさんに話しておくよ。それから行こう」


「助かる」


 そして俺とアンバーは、アンサルディさんに許可をもらってから、箱舟の森に向かった。






 アンバーの案内と、自分の記憶を頼りに、俺は異世界ライフの出発点である森に戻っていた。


「ホントだ――――あの建物が、どこにもない――――」


 目印だったSの字の木と、枝に引っかかった袖の切れ端は、簡単に見つけることができた。


 ――――だけど、Sの字の近くにあったはずの巨大な建物は、どこにもなかった。


 いや、建物どころか、建物があった場所だけが、まるでゴルフ場のように開けていた。一本の木すらない、草地になっていたのだ。


「ここで間違いないはずなのに――――」


 Sの字の木だけなら、似た形状の木だと仮定することもできるが、枝に俺の袖の切れ端までついているのだから、箱舟の近くにあった木で、間違いない。


「ね? ないでしょ」


「うん・・・・」


 アンバーの言葉を、もう疑うことはできなかった。


「箱舟は、来訪者を運んでしまうと、どこかに行っちゃうの。他の来訪者の時も、気づいたらここから消えていて、その結論で落ち着いたんだ」


「去るって、どうやって? あんなに大きな建物だぞ?」


「それはわからないけど・・・・イチローは違う世界から来たんでしょ? 箱舟は不思議な力で、いろんな世界を行き来しているのかも」


「・・・・・・・・」


 俺は念のために、草地に直接、手で触れてみた。


 もしかしたらSF映画のように、そこに存在するのに、立体映像のようなもので隠されているのかもしれないと思ったからだ。


 だが、見えない何かに手の平がぶつかるということもなく、草の感触が手から伝わってくる。


 ――――もう、認めるしかなかった。俺をこの世界に運んだ「箱舟」は、どこかに飛び去ってしまったようだ。


「満足した?」


 俺が立ち上がると、待ってくれていたアンバーが、そう聞いてきた。


「ああ・・・・箱舟は、もうここにはないんだな」


「箱舟はきっと、色んな世界を移動してるんだよ」


 アンバーは、箱舟はそういうものだと、受け入れているようだ。――――だが俺は、この世界に着て間もないからだろうか、アンバーのようにすんなりと、この世界の不可思議な現象を受け入れることができなかった。


 シャカシャカシャカ。またあの音を聞きながら、俺は違和感を感じていた。


 だが、違和感の正体がつかめず、気持ち悪さが喉のあたりに詰まっている。


 俺はしばらくの間、目の前の草原を睨んでいた。


「どうしたの? まだ、納得できない?」


「あ、いや、その・・・・えーと・・・・」


 アンバーに、違和感のことを伝えたい。


 だけど、自分でも違和感の正体がつかめないのに、それをアンバーに説明することはできなかった。


「・・・・そろそろ、戻ろうか」


 どれだけ粘っても、今は違和感の正体をつかめそうにない。これ以上、ここに留まっても実りはないと思い、俺は第一地区に帰ることを決める。俺一人ならともかく、今はアンバーに同行してもらっているし、日暮れまで彼女をここに引き留めることはしないほうがいいだろう。


「そうだね。日が暮れる前に、帰ったほうがいい」


 アンバーはそう言って、停留所に向かって歩きだした。


「・・・・・・・・」


 しつこくつきまとってくる違和感を、振り払うように、俺も勢いよく足を前に出した。


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