第13話 元帰宅部には、やっぱり体力がない


 アンバーが案内してくれたのは、神殿の近くにある、巨大な建物だった。



 アンバーによると、その建物は、普段は訓練場や近所の人の集会場として使われていて、緊急時には避難場所になるそうだ。


 内部は二階まで吹き抜けになっていて、デザインは学校の体育館に似ている。数千人が雑魚ねできそうな広いスペースで、なるほど、災害時の避難所としては最適な場所だ。


 中ではすでに、大勢の人が訓練に勤しんでいた。鉄棒やダンベルなど、体を鍛えるためのいかにもな道具が置いてあって、彼らは自由にそれらの道具を使い、筋力増強に勤しんでいる。



「アンサルディさーん、連れてきたよー」


 アンバーは俺の腕を引っ張って、一人の男性に近づいていく。


 眼鏡をかけた、短髪の男性が振り返った。年齢は二十代後半ぐらいだろうか、優しそうな顔立ちをしている。


「ああ、その子が、最近ここに来た、来訪者なのかい?」


「そうだよ。なんか来訪者っぽくない顔でしょ」


 来訪者っぽいって、どんな顔だよ、と心の中でツッコミを入れたが、まずはアンサルディさんに自己紹介をしたかったので、その時は黙っておいた。


「この人は、アンサルディさんっていうの。外界調査隊の隊員の、体力測定を担当してるんだよ」


「そ、そうか」


 自己紹介。――――それは、社交的な人にとっては何気ないことでも、コミュ障の俺にとっては、最初の難関となる。俺はおどおどしながら、自己紹介をするタイミングを計っていた。


「アンサルディさん、こっちは、イチローって言うのよ」


 と思っていたら、アンバーが俺の代わりにあっさりと、その難関を突破してくれた。


「そうかい。よろしくね、イチロー君」


「は、はい、よろしくお願いします」


「それじゃ、私は行くから」


「ああ、彼を捜してくれてありがとうね、アンバー」


 アンバーは役目を終えたとばかりに、俺達から離れていった。


(え? アンバー、帰っちゃうの?)


 アンバーは、アンサルディさんに言われて、俺を呼びに来ただけだ。だから用事が終われば帰るのも当然なんだが、俺は引き留めたくなってしまう。


 初対面の人と二人きりにされることは、自己紹介よりもさらに、難易度が高い。


「じゃ、イチロー、頑張ってね」


 引き留めようと思っていたのに、アンバーは俺の返事を聞かずに、集会場を出て行ってしまった。


「・・・・・・・・」


 案の定、微妙な空気が流れてしまう。


「さて、それじゃ、君の体力を測定しようか」


 アンサルディさんがあっさり仕事の話に移ってくれたので、俺は少し安心する。


「こっちに来て」


 アンサルディさんについていくと、彼は鉄棒の前で立ち止まった。


「それじゃ、イチロー君。僕がいいって言うまで、そこの鉄棒にぶら下がってくれるかな?」


「は、はい」


 アンサルディさんに言われた通り、俺はジャンプして、鉄棒にぶら下がった。


「君が何分ぶら下がっていられるか、今から時間を図るからねー」


 いかにも流れ作業と言った様子で、アンサルディさんはストップウォッチのような時計のスイッチを入れる。


(・・・・小学生の時にやらされた、体力検査みたいだ)


 鉄棒にぶら下がりながら、俺の頭には、小学生の時の記憶が蘇っていた。


 異世界に来たはずなのに、日に日に、異世界に転移したという実感が薄れていくのが、哀しくてならない。


(・・・・きつくなってきた・・・・)


 さらに悲しいことに、運動不足の弊害か、早くも体力の限界を感じて、腕がぷるぷると震えはじめていた。


「・・・・あの、どれぐらいぶら下がっていればいいんですかね?」


「退屈? はは、ごめんね。暇なら、歌でも歌っていいよ」


「いえ、そういうことじゃなくて・・・・」


 駄目だ、もう限界だ――――俺は会話の途中で鉄棒を手放してしまい、ちょこんと着地した。


 書類に視線を落として、会話の間もこちらを見ようとしなかったアンサルディさんが、ようやく俺に目を戻し、驚いた顔を見せた。


「・・・・あれ? もう、体力の限界?」


「・・・・・・・・はい」


「・・・・・・・・」


 アンサルディさんは困ったように、ペンの持ち手のほうで、頭を掻く。


「君は――――あんまり体力には自信がないみたいだね」


「時間が短かったですか?」


「俺は長く、調査隊の志願者の体力検査をやっているけど、君がぶっちぎりで最短だね」


「・・・・・・・・」


 体力がない。――――この世界でも引き続き、その現実を思い知り、俺の両肩にずしりとのしかかる。


「うーん、困ったなあ・・・・」


 アンサルディさんは書類を片手に、何かを考え込んでいる。


 その様子に、俺は不安を覚えた。


「・・・・もしかして、俺、試験に落ちますか?」


「これは検査だから、落ちる落ちないっていうのはないけど・・・・その体力だと、外界調査に出るのは、ちょっときついかもしれないね。あ、だけど安心して。そう言う人のために、特別プログラムがあるから、それで今から、体力をつけていこう」


 ――――何だか、アンサルディさんの眼差しが段々と、落第生を見る目つきに変わってきた気がする。――――いや、気がするのではなく、実際にアンサルディさんからすれば、俺は間違いなく、落第生なのだろう。


 おかしい。異世界で無双する物語が、結局、異世界でも現実世界と変わらない扱いを受けている。


 早くも今後のことが頭を過ぎり、俺は深い溜息を吐き出した。


「落ち込む必要はないよ。君のように、身体能力に恵まれない人達のために、女神様が専用の防具を用意してくれているからね。それを使っていれば、自然と体力もついてくるから」


 アンサルディさんはそう言って、落ち込む俺の肩を、勢いよく叩いてくれた。慰めようとしてくれているのはわかるのだが、アンサルディさんは力が強いのか、肩が痛い。


「専用の防具って、何ですか?」


 俺がそう問いかけると、アンサルディさんは壁に吊り下げてあった脛当てのようなものを取り、俺の前に差し出してくれた。


「これを装着してみて」


「・・・・え? 何ですか、これ」


「魔装防具だよ」


「ま、魔装防具!? 」


 その中二心をくすぐる言葉に、一瞬で虜にされて、俺は気づけば引っ手繰るように、脛当てをつかんでいた。


「それを足に装着してみて」


「は、はい」


 魔装防具と聞いただけで、心が躍る。どんな効果をもたらす防具なのか、それを聞くことすら忘れて、俺は脛当てを足に嵌めようとしていた。


 足に近づけると、脛当ては蟹の鋏のように、自動的に開いた。


 驚きつつ、輪っかの中に足を入れると、今度は自動的に閉じる。サイズが合うかどうか気になったが、脛当てのほうが俺のサイズに合わせて、少し縮んでいた。


(ハイテクな機械みたいだな)


 機械のように、足の熱を感知しているのだろうか。自動的にはまってくれるなんて、靴ベラいらずだ。


「立ってみて」


 アンサルディさんに言われるまま、俺は立ち上がった。――――だが、特段、何かが変わった感覚がしない。


「・・・・特に、何も変わった気がしないんですが・・・・」


「走ってみてよ」


 アンサルディさんはにこにこと笑っている。俺は戸惑いつつも、走り出すために、姿勢を低くした。


「あ、違う、違う。目標地点は、あっちの壁ね」


 アンサルディさんは俺の後ろにまわると、俺の腕をつかんで、身体の向きを変えさせた。


(・・・・どの方向に走っても、同じじゃないか?)


 よく見れば正面の壁は、衝撃を和らげるための配慮なのか、クッションで舗装されていた。


(いや、壁と衝突するような勢いなんて、俺の脚力じゃ出ないよ・・・)


 壁と衝突するはずがない。そもそもそんなスピードを、俺の脚力で生みだせるはずがないのだ。心の中でツッコミを入れつつ、俺は利き足を前に出して、腰を低く落とす。


「・・・・それじゃ、走りますよ」


「うん、走って。速度が出過ぎると思うから、あんまり足に力を入れないようにね。かるーく、走るというよりも、競歩をする感覚で、床を蹴って」


「・・・・・・・・」


「あ、合図をしたほうがいいかな?」


「すみません、なんか、走り出すタイミングがわからなくて」


「そっか。じゃ、俺が笛を吹くから、その音で走り出して」


 アンサルディさんは、胸に下げていた笛を手に取る。


「ありがとうございます」


 勝手に走り出せばいいのに、何となくタイミングがわからなかった。


 きっと面倒な奴だと思われているだろうな、と反省しつつ、俺は目の前のことに集中する。


 そして、笛の音が鳴った。


 俺は勢いよく、床を蹴る。


「うお――――」


 その瞬間、俺の身体は勢いよく浮かび上がっていた。


 ぐん、と、まるで新幹線に乗ったときのように、全身に重力が絡み付いてくる感覚があり、まわりの景色が一瞬で通り過ぎた。


 それは、俺が知っている「走る」という感覚ではなかった。まるで身体が浮いているような、現実感がない速度を、全身で感じていたのだ。


「わわっ・・・・!」


 パニックになりながらも、身体は反射的にバランスを取ろうとしていた。


 だけど、足でブレーキをかけても、勢いが削げずに、俺はまた反射的に、もう一方の足で床を蹴ってしまっていた。


 その判断は間違いで、また身体が跳ね上がってしまう。


 あっという間に目の前に、クッションの壁が迫っていた。


「ぶっ・・・・!?」


 そして見事に、俺は顔面から、クッションの中にのめり込んでいた。


 のめり込んだまま、俺はずるずると崩れ落ちる。


「あちゃー・・・・だから、力を入れないように、って言ったのに・・・・」


 アンサルディさんは飽きれている様子だが、今の俺には返事をする余裕がない。立ち上がる気力もない俺を、俺の無様な失敗を見ていた人達の笑い声が包み込んだ。


「すげえ勢いで壁に突っ込んだな」


「新人とはいえ、魔装防具を使ってそこまで派手にぶつかった奴は、はじめて見た。いやあ、久しぶりに笑わせてもらったよ」


「・・・・・・・・」


「大丈夫? 怪我してない?」


 放心状態で座り込んでいる俺が、いつまでも動かないから、心配になったのか、アンサルディさんが近づいてきた。


「まさか、頭打ったんじゃないだろうな?」


 他の人達まで俺のまわりに集まってくる。


「い、いや、大丈夫ですけど・・・・ちょっと何が起こったのかわからなくて・・・・」


 あれは、俺が知る、「走る」という感覚じゃなかった。まるで身体が綿になったように、簡単に高く浮かび上がったから、自分の身体じゃないのかもしれないと思ったほどだった。


 俺の答えを聞いて、アンサルディさん達はまた笑顔になる。


「君が身に付けた、その魔装防具の力だよ。それには、人の脚力を何倍にも高める力があるからね」


「そ、それであんな風に、足が速くなったんですか?」


「そうだよ。身体が軽くて、とても気持ちが良かっただろ?」


「は、はい・・・・」


 あんな感覚は生まれて初めてで、戸惑っているが――――確かに気持ちよかった。運動能力に恵まれなかった俺は、速く走るという感覚とは無縁だったが、魔装防具を身に付けるだけで、あんな感覚を味わえるなんて、思わなかった。


「あ、あの、外界調査に出る時は、この道具は貸してもらえるんですか?」


「ああ、もちろん。だから調査隊の隊員には、魔装防具を付けた戦い方に慣れてもらうために、ここで訓練してもらってるんだよ」


「本当ですか!?」


「それじゃ、今度はこの魔装防具を付けてみて」


 そう言って、アンサルディさんは今度は、籠手の形をした魔装防具を差し出してくれた。


「はい!」


 俺は勢いよく立ち上がった。


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