第12話 奴隷少女との生活が――はじまらない


「ここまでくれば、大丈夫かな・・・・」


 どれぐらいの間、走っていたのか、逃げている間のことはまったく覚えていない。気づけば俺達は、第二地区の高台まで逃げてきていた。


 そして俺は、少女に向かい合う。


「も、もう、安全だと思うよ・・・・」


「そう・・・・」


「・・・・・・・・」


「・・・・・・・・」


 ――――何を言えばいいのだろうか。


(・・・・逃げられて、よかったね、って言うべき? ・・・・いや、なんか違う気がする。そんなことよりも、追われていた事情を聞くべきか?)


 コミュ障がコミュ障である原因の一つに、この場の会話に相応しい内容を、チョイスできないという特徴がある。


 コミュ障の俺はその時も、どんな話題を選べばいいのか、わからなかった。


「え、えっと・・・・き、君、すごい運動能力だったね」


 そして最終的に口から出てきたのは、そんな言葉だった。


 助けようと思って、勢いで追いかけたものの、少女が捕まりそうになっているのを見て、怯んでしまっていた。なけなしの勇気を奮い起こしたが、実際に筋肉の塊のような男相手に格闘する気骨はなかったのだ。


 だけど少女は、俺よりも小柄なのに、果敢に男に立ち向かっていって、蹴りの一撃で倒してしまった。壁を駆け上がるなんて、まるでオリンピックレベルの身体能力だ。


「・・・・あなたは誰なの?」


 少女の瞳には、警戒が浮かんでいる。誘拐されそうになった後では、無理もなかった。


「俺はイチロー」


「・・・・私をどうするつもり?」


「ああ、誤解しないで。ただ、人助けがしたかっただけなんだ」


 俺がそう言っても、少女の警戒が解ける気配はなかった。


(この状況で信じてなんて言っても、無理かな・・・・)


 彼女が誘拐犯から逃げている間、大勢の人達がその様子を目撃していたのに、誰も手を差し伸べようとしなかった。


 誘拐犯の男達が、怖かったのだろう。


 あの人達を責められない。――――俺も、以前の世界で同じような場面に出くわしたのなら、巻き込まれることを恐れて、目を逸らしたはずだ。


「・・・・どうして誘拐犯に捕まることになったんだ?」


 少しでも緊張をほぐせればいいと、話題を振ってみる。


「・・・・わからない。箱舟っていう場所から出て、森を彷徨っていた時に、誘拐犯に捕まったの。・・・・罠が張られていることに、気づかなくて」


 無視されるかもしれないと覚悟していたけれど、少女はちゃんと答えてくれた。


「箱舟? ってことは、君も来訪者なのか」


「来訪者・・・・?」


 少女は首を傾げる。


「いったん、座ろう。来訪者のこと、この国のことをきちんと説明するから」


 少女は迷いを見せつつ、話をするために、近くの草地に腰かけてくれた。


 俺は警戒されない程度に距離を開けて座り、アンバーと、女神から聞いた内容を、話して聞かせた。


「・・・・そう。それじゃ、私は、その『女神様』って存在に起こされて、箱舟の中で目覚めたのね」


 話を聞き終えた少女は、吐息のように呟きを零す。


「多分、そのはずだ」


「・・・・・・・・」


「今から、神殿に行こう。女神様が君を保護してくれるはず」


 来訪者の俺を、女神は手厚く保護してくれた。家も仕事も当面の生活費もすべて、女神が与えてくれたのだ。彼女にも同じ待遇をしてくれるはず。


「・・・・ううん、私は行かない」


 だけど彼女は、首を横に振る。


「どうしてだ?」


「・・・・私のところには、女神の信徒? っていう人達は来なかった。私は、来訪者として招かれた存在じゃないのかも。それに、女神という存在を、まだ信じられない。だから、その人達のところには行きたくない」


「ただの連絡ミスじゃないか? もしかしたら、到着が遅れただけかも。俺も、アンバーに先に会ったから、信徒に会う前に神殿に行ったけど、多分、箱舟の付近で待っていたら、信徒が迎えに来てくれたと思う。君の場合も、そうだったんじゃないか?」


「・・・・・・・・」


 少女は答えなかったけれど、目が言葉よりもはっきりと、拒絶の意思を示している。どうしてなのかはわからないけれど、少女は、まだ会ったことがない女神にたいしても、不信感を抱いているのだ。


 女神に対して不信感を抱いていることには、何か理由があるのだろうか。初対面でそこまで踏み込むことは気が引けて、質問できなかった。


「・・・・とにかく私は、あなたやこの国の人達が、女神と呼んでいる存在には会いに行かない。・・・・信用できないから」


「じゃ、これからどうするんだ?」


 少女は俺から視線を外し、森を見回した。


「・・・・この場所には緑が多いから、何とか生きていけるかも」


「まさか、森の中でサバイバルをするつもり? いやいや、無茶だって! サバイバルって、結構難しんだぞ!」


「箱舟から出て、誘拐犯に捕まるまで、数日間、森の中で過ごしてたけど、動物を捕まえたり、木の実を捜したりして、何とか生きてたよ。むしろこの場所は緑が豊かで動物も多かったから、食事には困らなかった」


「・・・・・・・・」


 確かに、誘拐犯を蹴り飛ばすほどの逞しさと、身体能力を持っている彼女なら、森の中で生きていくことも可能なのかもしれない。


「・・・・本気で行くつもりなのか?」


 少女はこくりと頷く。


「・・・・そうか。君が決めたことなら、仕方がない」


「・・・・それじゃ、私は行く」


 少女はすっと立ち上がり、身を翻す。


「あ、あの、ちょっと待って!」


 それでも気になったから、俺は少女を呼び止めた。


「君はきっと大丈夫だろうと思うけど、それでも万が一、困ることがあるかもしれないから――――念のために、俺の家の住所を教えておくよ。第一地区のこの場所にあるから」


 俺はポケットから引っ張り出したメモ用紙に、俺の家の住所を書き込んで、それを少女に渡した。


「暇取り屋っていう店の住所も、一応、書いとくから。俺がここに来たばかりの頃、よくしてくれたアンバーっていう人が、しょっちゅうそこに入り浸ってるんだ。きっと、君の力になってくれるはず」


「・・・・ありがとう」


 少女はメモ用紙を丁寧に折り畳み、ポケットに入れた。


「私の名前、リデカ」


「え?」


「・・・・この国も、女神様のことも信じられないけど、あなたのことは信頼できる。・・・・何の見返りもなく、私を助けてくれた」


「・・・・・・・・」


「――――助けてくれて、ありがとう」


 少女が――――リデカがはじめて、笑顔をくれる。その笑顔に、見惚れてしまった。


 そして、リデカは森のほうへ去っていった。


(・・・・うまく逃げてくれるといいんだが)


 俺が助けられるのは、ここまでだ。まだ自分の生活も立て直せていないのに、少女を匿えるだけの余裕はないし、町のど真ん中にある、来訪者の住居には匿えない。誘拐犯に見つかってしまう可能性がある。


(・・・・やっぱり、匿うべきだったのかも・・・・)


 ――――手を貸した以上、リデカが誘拐犯から完全に逃げ切るまで、見守るべきだったのかもしれないと、俺は後悔する。


 今からでも、リデカを追いかけるべきか――――俺は迷う。


(・・・・それにあの顔、どこかで見た気がするんだよな・・・・)


 リデカの顔に、見覚えがある気がしていた。


 だけど、いつ、どこで見たのか、それをはっきりと思い出せない。


(前世の知り合い――――なわけがないか・・・・)


 この世界に来てからの記憶ははっきりしているから、すでに出会っていたのなら、忘れるはずがない。消去法で、前世の知り合いということになるけれど、それは考えにくいことだ。


 リデカは、彫りが深く、肌は雪のように白い。日本人の顔立ちじゃないし、アメリカ人やイギリス人とも違う。


 もっと北のほう――――北欧の顔立ちだ。


 だけど北欧の美少女が、俺の以前の生活圏にいたはずがない。


(だけど、よく知っている顔のように思えるんだよなあ)


 人形のような顔立ちの、少女だった。あのレベルの美少女なら、忘れるはずがないのに、どうしても名前を思い出せない。思い出せないという違和感が異物になって、喉に引っかかっているように、気持ちが悪い感覚だけが残った。


「イチロー」


「へっ!?」


 突然、誰かに肩を叩かれて、俺は跳び上がりそうになった。


「なによ、そんなに驚いて」


 俺の肩を叩いたのは、アンバーだった。俺以上に、アンバーが驚いている。


「なんだよ、アンバーか・・・・」


「何? 喧嘩売ってる?」


 軽い扱いがお気に召さなかったらしい。眉尻を吊り上げるアンバーに向かって、俺は拝むように、両手を擦り合わせた。


「ごめん、ごめん。さっき、見るからに物騒な連中が走っていってさ。あいつらかと思ったんだよ」


「ああ、やばい奴らがいたそうね。ああいう連中のことは、治安維持部隊に任せておいたほうがいいよ」


 関わり合いにならずにすむなら、俺もそうしたい。姿を視界にとらえた瞬間に、全力でフェードアウトしたいと思っている。だけどあの時は、治安維持部隊の到着を待っている時間がなかった。


「そうだ、そんなことを言いにきたんじゃないのよ。イチロー、私と一緒に来て」


「え? どこに?」


 一緒に来て、という言葉の響きに、少し胸がときめいた。


「イチローは、外界調査隊に選ばれたんでしょ? 外界調査に行く前に、訓練を受けなきゃならないのよ。だから来て」


「・・・・ああ、そうなんだ・・・・」


 なんだ、外界調査のことか――――落胆しながら、俺はアンバーと一緒に歩き出した。


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