第11話 奴隷少女と会いました(買わない)
(・・・・金を稼いで、日々の糧を得て生きていくって、大変なことなんだなあ)
肩に担いだ鋼材が、肉に食い込むのを感じながら、俺はぼんやりとそんなことを考えていた。
「おい、新人! 早くそれをあっちに運べ!」
「は、はい!」
現場監督の怒声に追い立てられて、俺は疲れた手足を忙しく動かす。
異世界に来ても、現実は変わらない。――――そんな世界の無常を思い知る局面に、俺は今、立っている。
「ふはー・・・・」
工事現場での肉体労働はまだはじまったばかりなのに、俺は早くも疲れて、根を上げたくなっていた。
鋼材を目的地に運ぶなり、俺はその場にへたり込んでしまう。
「お前、体力ねえなあ」
そんな俺の全身に注がれる、駄目人間に向けられた、何とも言えない、ぬるい眼差し――――俺は顔を上げることができなかった。
「そんなんで、外界調査に行って大丈夫なのかよ? 怪我人も少なくないんだぞ。死者が出ることだってある」
「そ、そうなんですけど・・・・」
前世では、俺は一度も、肉体労働をしたことがない。運動することも避けていた。中高は一貫して帰宅部で、運動に勤しむ生徒達の傍ら、家に直行してゲームばかりしていた。
そんな俺に、工事現場での作業はあまりにも過酷すぎる。鋼材を運ぶだけで息が上がって、汗が滝のように全身から噴き出していた。
犬のように口を開けて、息を吐き出す俺を見て、現場監督や仲間達は、苦笑していた。
「お前にはこの仕事は向いてねえかもしれねえな。あそこの店で給仕を募集してたから、そっちに行ってみるのはどうだ? 店主とは顔見知りだから、俺が話してやるよ」
「あ、ありがとうございます・・・・」
唯一の救いは、異世界の住人が優しいことだろう。
アンバーもそうだが、ここの人達は善意の塊で、誰かのために何かをすることを、当然のことのように思っている。
こんな優しい世界に来られたことを、俺は心から感謝していた。
そして俺は次に、現場監督の口利きで、飲食店の給仕として働くことになった。
給仕になったのはいいが、今度は客の注文が覚えられなくて苦戦する。
だが、ゲームで暗号をメモする時に鍛えた、速筆の技術で、何とか乗り切ることができた。
「はあ・・・・」
それでも、一日が終わると溜息をつかずにはいられない。
のんびりと、異世界生活をそこそこ満喫できている。
――――だけど、冒険は、無双は、ハーレムは――――俺の今の生活に、かつての俺が思い描いていた要素が、一つでもあるだろうか。まるで、現実世界の延長にいる気分だ。異世界という言葉に、思い描いていた要素が欲しい。
「ご苦労だったね。今日はずっと混んでたから、疲れただろう?」
「ええ、少し・・・・」
「今日は午前だけだっけ? まだ少し早いけど、今日はもう帰っていいよ。ゆっくり休みなさい」
「・・・・ありがとうございます・・・・」
落胆と疲れで重くなった足を引き摺りながら、俺は控室で着替えをして、店を出た。
目の前には、あれほど夢見てきた西洋風の美しい町並みがある。
――――だけどゲームグラフィックのようなその風景を、俺は昨日のように、希望の象徴として見ることはできなかった。
「はあ・・・・」
また溜息を吐き出しながら、雑多の中に入ろうとした。
その時――――喧騒の中に、怒声が混じっていることに気づく。
「待ちやがれ!」
「うわっ!?」
鋭い声に顔を上げた瞬間、勢いよく誰かがぶつかってきて、俺はバランスを崩し、転びそうになる。なんとか踏み止まったが、俺にぶつかってきた人物は、謝りもせずに、俺の横をすり抜けてしまった。
――――すれ違ったのは、一瞬のこと。まず真っ先に、空のような真っ青な髪色に、目を引き付けられる。
髪に隠れて、その人物の顔ははっきりとは見えなかったが、小柄で華奢な身体と、一瞬、俺の腕に絡みついた長い髪から察するに、少女のようだった。
少女はぶつかった勢いのまま、路地に飛び込んでいく。
「・・・・何なんだ・・・・うわっ!」
文句を吐き出す暇もなく、また、こちらに勢いよく突っ込んでくる人影を見つけ、俺は慌てて、壁に背中を張り付けた。
「ぼーっと突っ立ってんな! 邪魔なんだよ!」
突っ込んできたのは、今度は少女ではなく、いかつい体格の大男だった。
目付きは鋭く、口髭を蓄え、スキンヘッドの頭全体にタトゥーを刻んでいる。一目で、関わり合いを避けたほうがいいと判断できる人物だった。
しかも彼は、同じように人相が悪い男達を、カルガモの親子のようにぞろぞろと引き連れていた。
そんな団体客が、全力で群衆の中に突っこんできたのだ。誰もが道を開け、込み合っている中、男達の周辺だけ、綺麗に人が捌けていた。
男達も少女を追って、吸い込まれるように次々と路地に入っていく。荒々しい足音も、聞こえなくなった。
「・・・・何だったんだ・・・・?」
嵐のように去っていった混乱に、呆然としながら、俺は呟く。
「・・・・もしかして、誘拐か?」
通行人の、そんな会話が耳に飛び込んできた。
「誘拐? そんな物騒なことが、アルカディアで起こるはずがない。女神様の神獣が、毎日、町を循環してくださっているんだぞ」
「いや、それでも完全に犯罪を防ぐことはできないさ。・・・・噂によると、誘拐犯は、誘拐した人間を、闇市で高値で売っているらしい」
「だったら、早く治安維持部隊に知らせないと!」
「もう連絡したよ」
「・・・・だけど、治安維持部隊が到着する前に、あいつらは姿を消すかもな」
「あの子を助けたほうがいいんじゃ・・・・」
「どうやって? ・・・・俺じゃ、あいつらには勝てそうにない」
ひそひそと聞こえてくる人々の会話から、おおよその事情を把握することができた。
――――やはり異世界でも、こういった負の面はあるのか。
犯罪抑止が行き渡っているこの国でも、一般人は裏社会の人間に立ち向うことを躊躇ってしまうらしい。
「あいつら、どこに行ったんだ?」
「見ろ! あそこにいるぞ!」
振り返ると、通行人が路地の奥を指差している。
俺は考えるより先に、通行人が指差した方向へ走りだしていた。
※ ※ ※
――――男達の荒々しい足音が、すぐ側を通り過ぎていく。
道の窪みに溜まった雨水が、靴底に叩かれて、跳ね上げられる。その一部は、ゴミ捨て場の隙間に隠れた私にも降りかかった。
「見つかったか!?」
「いや、いないぞ!」
「くそ、どこに逃げやがった!?」
そして、虚ろな路地に、男達の声が響き渡る。
声から感じられる、苛立ちと怒り。その負の感情は、見つかった瞬間に、拳に乗せられて、私にぶつけられるはずだ。
ゴミ袋から放たれる悪臭に耐え、呼吸音を悟られることを恐れて、息ができない。苦しみの中、私は必死に目を凝らして、路地の入口を塞いでいる、男達の背中を見つめた。
「何としても見つけだすぞ! あいつにはもう、買い手がついてるんだ! このままじゃ、一生遊んで暮らせる金が、パアになっちまう!」
「わかってるよ! ・・・・俺は向こうを探してくる」
「待て!」
動きだそうとした一人を、もう一人が襟首をつかむことで引き留めた。
「何だよ!」
「見つけたとしても、顔を殴るんじゃねえぞ。あの女を買った奴はなあ、あの雪のように白い肌と、生娘だって言う部分が気に入ったんだ。絶対に顔や腕に、痣を作るんじゃない!」
「わかってるよ・・・・」
そして、男達はどこかに散ってしまった。
「はあ――――」
足音が聞こえなくなってから、私は思いっきり、空気を吸い込む。縮まっていた肺が、空気で満たされて、苦しさで涙が滲んだ。
だけど、咳きこむことはできない。声で男達に気づかれてしまうから。休んでいる暇もない、一刻も早く、ここから遠ざからなければ。
傷だらけの素足で、私はまた走り出した。
(とにかく、ここから逃げないと・・・・!)
私は、追手が去った方向とは、真逆のほうへ走った。
そして、喧騒が聞こえてくる方向を目指す。雑多の中に紛れてしまえば、追手の目を誤魔化せると思ったからだ。
路地は入り組んでいる。それでも喧騒を目指してでたらめに走っているうちに、大通りに出ることができた。
「・・・・!」
路地から出ようとした瞬間、すでに雑多の中に、追手がいることに気づく。
――――しかも最悪なことに、私はその男と目が合ってしまった。
「いた! あそこだ!」
「っ・・・・!」
私は身を翻し、路地を舞い戻る。
またでたらめに走ったけれど――――路地の出口らしき場所に、追手が道を塞ぐように両手を広げて立っていた。
「止まれ!」
「・・・・っ!」
追手の警告に従わず、私は速度を上げた。
「この野郎!」
追手は体当たりで留めようとしたのか、向かってくる。
相手は、私よりも頭三つ分は大きく、肩幅も広い。この体格差でまともにぶつかりあったら、私は確実に突き飛ばされる。
とはいえ道幅は狭くて、追手を避けることもできない。
それでも私は足を止めなかった。
私のその行動が、逆に追手を怯ませたのか、速度が落ちる。
――――その隙を狙って、私は勢いをつけて、壁を駆け上がった。
「あ――――」
ぐんと、一気に追手の顔が、目前に迫った。
追手は瞠目して、凍り付いている。
その隙に、私は身体を捩じって、後ろに引いた足を、追手の顔面めがけて勢いよく振るった。
「ぐっ――――」
左顔面に蹴りを食らった追手は横に倒れて、今度は壁に右顔面を強打していた。地面に倒れて、呻いている追手の横をすり抜けて、私は走り続ける。
「こっちにいたぞ!」
だけどまた、道の先から、別の追手の声が聞こえてきた。鞭で打たれたように、私の身体は怒声を聞いて痙攣し、手足が動かなくなってしまう。
三つに別れた道――――でも、どの道も男達に塞がれていて、私に逃げ場はない。待っているのは、絶望だけ――――世界がぐらぐらと揺れるのを感じ、私は壁に寄りかかった。
「――――こっちだ!」
そんな私の頭上から降ってきたのは、蜘蛛の糸――――ではなく、縄梯子だった。
はっとして、勢いよく頭を上げる。
屋上にいる人物が、身を乗り出して、私に手を振っていた。
「上がってこい!」
その人物が、縄梯子を下ろしてくれたようだ。
(誰なの・・・・?)
すぐに縄をつかむことができなかったのは、その人の意図がわからなかったからだ。私には味方はいないし、追われている間、関わり合いを避けて、目を合わせようともしなかった通行人が、助けの手を差し伸べてくれたと、信じることができなかった。
「何してるんだよ! 早く!」
だけど――――その蜘蛛の糸をつかまなければ、私を待っているのは、売られるという結末だけ。――――だったら、賭けに出てみるしかない。
私は覚悟を決めて縄梯子をつかむと、勢いよく梯子を上った。
「急げ、急げ!」
「待ちやがれ!」
上から降ってくる声に急かされ、下からは追手の声が追いかけてくる。
運動は得意だ。すぐに上までたどり着いて、手摺りをつかもうとすると、その前に誰かの手が、私の手首をつかんで、引っ張り上げてくれた。
「怪我はないな?」
私を助けてくれたのは、若い男だった。
この辺りではあまり見かけない、顔立ちだ。
「待てっつってんだろ!」
だけど、追手も甘くはない。私が上にたどり着いた時にはもう、追手は私達の足元にたどりつき、縄梯子に取りついていた。
そして縄梯子をのぼりながら、喉が潰れそうな勢いで怒声を放ってくる。
「てめえ、誰だか知らねえが、余計なことに首突っ込んで、死ぬ覚悟はできてるんだろうなあ、ああ!? お前もだ、女! さんざん手こずらせやがって・・・・二人そろって、地獄を見せてやらあ!」
「あいつも上がってくる!」
声から、凄まじい怒気が伝わってきた。
どうしたらいいのか迷う私とは対照的に、男は素早く動いていた。
「そこで待ってろよ、クソガキども! てめえらがしたことに、償いを・・・・」
「待つわけねーだろ」
縄梯子の上部のロープは、屋上の手すりに括りつけられていたけれど、青年は迷いなく――――本当に迷いなく、それを外してしまった。
「え?」
「――――え?」
追手も、そして私も、男の行動に驚いて、何度も目を瞬かせていた。
そうしている間に、繋がりを失った縄梯子は、それにぶら下がった追手の身体の重さのせいもあって、するすると地面に落ちていく。
「う・・・・ぎゃあああ!?」
落ちていく追手の口から吐き出された悲鳴は、さっきの威勢のいい怒声と比べて、とても情けなく聞こえた。
そして、衝撃と物音が、世界を揺らす。
怖々と目を開けて、下を覗き込むと、追手は塵捨て場の上に、大の字になって転がっていた。
白目をむいて、動かないけれど、追手がぶら下がっていた高さと、塵捨て場というクッションに落ちたことを考えると、命に別状はないはずだ。
「よし、これで大丈夫だ」
「・・・・・・・・」
「今のうちに逃げるぞ」
「え? あ・・・・」
呆然と、落ちた追手を見つめていると、男に腕を引っ張られた。
「あいつの仲間が来る前に、早く!」
私の答えを聞く前に、男は私の手を引いて、走り出していた。
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