第9話 異世界に来たばかりなのに、魔女に攻撃されて、もうわけがわからない


 逃げていく群衆に混じって、必死に走る。


 背後からは、錯乱した人々が追いかけてきていた。


「イチロー、魔女が見えるの!? すごいね!」


 ほとんどの人が恐怖に戦いている中、俺の隣を走っている女だけは、怯えるどころか、好奇心で目をきらきらと輝かせていた。


「魔女って、一体、何なんですか!?」


 走りながら、俺は治安維持部隊の男に問いかける。悲鳴と怒号が飛び交っているから、大きな声を出さないと相手に声を届けられない。


「魔女は魔女だ! 女神と対立するものだ!」


 男の答えは、要領を得ないものだった。


「魔女の目的は何なんです!?」


「アルカディアを手に入れることだ! 魔女には実体がないから、代わりに人々の心の中に入り込み、幻覚を見せると言われている!」


 俺が見た、あの美しい少女、あれも魔女が作り出した幻覚なのか。


 確かに半数の人々は錯乱しているけれど、残る半数はきちんと正気を保っている。正気を保つ人々は、錯乱してしまう人々と何が違うのか、という疑問が湧いた。


「精神攻撃を仕掛けられているのに、どうして俺達は大丈夫なんですか?」


「はっきりした理由はわからないが、魔力に対する抵抗力の差なんだそうだ! 魔力に弱い者は、心を乗っ取られてしまう」


 話をしている最中に、錯乱した男が飛びかかってきた。


「うわっ・・・・!」


「眠ってて!」


 その男に首をつかまれそうになったけれど、素早く俺の前に回ったアンバーが、男を殴り倒してくれた。男は一撃で昏倒し、動かなくなる。


「つ、強い・・・・」


 強さを見せつけられ、俺だけじゃなく、治安維持部隊の男達も声を失っていた。どうやらアンバーの強さは、この世界でも規格外らしい。


 剣ではなく、拳を使ったのは、できるだけ軽傷ですませようという、アンバーなりの気遣いなのだろう。


「さ、急ぐよ」


 声を失っている俺達を置き去りにして、アンバーは走りだしてしまう。


「ま、待って! 待ってください、アンバー様! 俺を置いていかないで!」


 アンバーに守ってもらうしかないと思い、俺は急いでアンバーを追いかけた。


 その後も何度か、俺は錯乱した人々に襲われそうになったが、すかさずアンバーが彼らを拳で黙らせてくれた。


 アンバーのおかげで、俺達は無事、神殿に到着する。





「女神様、助けてください!」



 ――――神殿前広場は、逃げてきた人々が押し寄せ、混乱していた。


「待つんだ! 神殿に入る前に、荷物検査を行う! 全員、一列に並べ!」


 治安維持部隊が神殿の広場を封鎖し、なぜか神殿に逃げ込もうとする人々の手荷物を検査していた。


「荷物なんか、検査してる場合ですか! 早く神殿に入れてください! このままじゃ、魔女に攻撃されてしまいますよ!」


「落ち着いてくれ。まずは荷物を・・・・」


「早く入れてくれよ!」


 現場は大混乱だった。母親に手を引かれ、列に並んでいる子供が、怯えて泣き叫んでいる。


 その検問によって、俺達も神殿に入ることができずに、人垣の後ろで立ち往生してしまった。


「どうして神殿に入れてくれないんだ? なんで検問みたいなことを・・・・!」


「――――魔女の手先を、神殿の中に入れないためです」


 鈴を振るような声が聞こえて、俺は振り返る。



 群衆の中に、真っ白な少女が立っていた。


「エイレーネ様・・・・?」


 思わずその名前を呼ぶと、エイレーネ様はこくりと頷く。


「イチロー、どうしたの?」


 アンバーが俺の様子がおかしいことに気づいて、俺の視線の先に目を向ける。だけど、その顔に驚きが浮かぶことはなかった。


「何を見てるの?」


「アンバー、もしかして見えてないのか?」


「・・・・何の話?」


 アンバーの眉根に、皺が溜まる。


 アンバーの反応を見て、あらためてエイレーネ様と、群衆の様子を見比べた。女神がそこにいるのに、群衆は誰も彼女のほうを見ようとせず、検問をする治安維持部隊のほうばかり見ている。


 俺がグレモリーを見ていた時と、群衆の反応はまったく同じだった。


「・・・・俺、また幻を見てるのか?」


「幻ではありませんよ」


 呟きに、エイレーネ様は律義に答えてくれる。


「魔女があなたに接触した方法と、同じ方法で語りかけているだけです」


「なんで俺にだけ・・・・」


「――――あなたは、少し特殊ですから」


「特殊? どういうことです?」


「・・・・・・・・」


 エイレーネ様はなぜか、答えてくれなかった。


「・・・・今は時間がありません。協力してください」


「協力・・・・?」


「――――アルカディアから魔女を追い出すために、あなたに力を貸してほしいんです」


 俺は驚いて、エイレーネ様の顔を見つめた。


「グレモリーは、封印されています。本来ならその場所から出られないし、人々に影響を与えることもできないはずなんです」


「だったら、どうして町の人達に被害が出てるんですか?」


「何者かが、グレモリーに協力しているからだと思われます」


 呆気にとられ、束の間、ぼんやりしていた。


「・・・・それは、どういう意味ですか?」


「封印された状態では、彼女はこの場所まで、力を及ぼせないはずなんです。ですが彼女には一つだけ、アルカディアに影響を及ぼせる方法があります。――――迷える人を篭絡し、自分の手先にして、道具を持たせる方法です。その人物が、魔女の道具をこの場所に持ち込み、混乱を招いていると考えられます」


「・・・・アルカディアの人間が、魔女に協力してるってことですか?」


「ええ。おそらく心の隙間に付け入られ、洗脳されているんだと思います。だから、あなたにその人を見つけてもらいたいのです」


「い、いや、待ってください。俺にできることなんてありません。俺、この世界に来たばかりで、魔法の知識もないんですよ!」


「難しいことではありません。魔女の信者を見つければいいんですよ」


「魔女の信者・・・・」


「魔女が人々を錯乱させるために使っている道具は、それなりに大きいはずです。あなたのまわりに、大きな荷物を持った人はいませんでしたか?」


「荷物? そんなことを確かめる暇はなかったし・・・・」


 突然のことに驚いて、逃げていく人達の所持品なんて、気にする余裕はなかった。


「俺には――――何も――――」


「――――決めつけずに、考えてください。なにか小さなことに気づきませんか? 怪しいと思う行動をとっている者は?」


「ねえ、イチロー。さっきから誰と話してるの?」


 アンバーに話しかけられて、まわりから奇異の視線を向けられていることに気づいた。


「い、いや、その――――」


「女神様、助けて!」


 俺の声は、群衆の声に掻き消される。


「――――」


 戸惑いつつ、俺は人々に目を向けた。


 大半の人が、何も持っていない。身一つで逃げてきたようだ。


 道具を抱えている人達は、多くの場合、荷物を運んでいる途中で混乱に巻き込まれただけのようだ。工事のための角材や、野菜が入った箱など、すべて治安維持部隊が念入りに調べているので、魔女の道具だとは思えない。


 何かを抱えている女性もいたけれど、あやしているような仕草から、肌着に包まれたそれが、赤ん坊だとわかった。


 ――――こんなに大勢の人の中から、魔女の信者を捜しだせるはずがない。俺は異世界転移したものの、特別な力は何ももらえなかったのだ。


(俺にわかるわけがない・・・・)


 呆然としながら、エイレーネ様がいた場所に目を戻すと、すでにそこに女神の姿はなかった。


 諦めて、列に並ぼうとしたところで、違和感を覚える。



 ――――喉に引っかかった異物のような、小さな違和感だ。


 だがすぐには、違和感の正体をつかむことはできなかった。


「・・・・・・・・」


 その違和感の正体を探るため、俺はもう一度、神殿の前に並んでいる人々に目を向けた。


 さっきと同じで、混乱した人々の姿が目に入ってくる。特に、目を引く人はいない――――はずだったが。


(・・・・やっぱり、なにか引っかかるな)


 何かがおかしい。――――だが、何をおかしいと感じているのか。


「うるせえぞ、静かにしろ!」


 苛立った一人の男が、泣き叫んでいる子供に向かって叫んだ。子供は怯えて、首を竦めてしまう。


「おい、怒鳴ることないだろ。相手は子供だぞ、怯えてるだけだ!」


「そうだよ、少し落ち着け!」


「うるさい! 俺だって怖いんだ!」


 場外戦まで、はじまってしまった。


 誰もが気が立っているこの状況では、泣き声すら癇に障るのは仕方ないと思うけど、まだ十歳にも満たない子供達に、この状況を理解して黙っていろと言うのは、大人げない。実際にその人の怒鳴り声のせいで、我慢していた他の子供達も泣き出してしまった。



(・・・・泣き出す・・・・?)


 また、頭の片隅で違和感が疼く。


 視線を動かして、ある人を捜す。ほどなくして、その人は見つかった。



 ――――肌着に包まれた赤ん坊を、抱いている女性。


 愛おしそうにそれを抱く姿から、腕の中にあるのは赤ん坊だとすっかり思い込んでいたけれど――――それにしては奇妙だ。



(――――どうして、あの赤ん坊は泣かないんだ?)



 母さんが一時期、赤ちゃんを預かっていたことがある。赤ちゃんはとても敏感で、少し空気が悪くなるだけでも不安がるし、犬が近くで吠えただけでも泣く。泣くのが赤ちゃんの仕事、なんて言う人もいるぐらいだ。


 ――――怒号が飛び交う、この異様な状況なら、赤ちゃんもその空気を感じ取り、子供達のように泣き叫んでいるはずなのだ。――――なのに。


 俺は、女性に近づく。女性に警戒されないよう、彼女の死角から、人混みに紛れて、そっと近づいていった。


 慎重にいかないと――――用心していたのに、気配を感じたのだろうか、その女性と目が合ってしまった。


「・・・・!」


 一瞬の睨み合いの後、女性は弾けるように動き出し、人混みの中を逃げていく。


「あの人です!」


 女性を指差して、俺は叫ぶ。


「あの人が魔女の信徒です!」


 できるだけ大勢の人の耳に届くよう、声を張り上げた。


 騒がしかった広場は一瞬で静かになり、針のように鋭い、人々の視線が、一瞬俺に向いた後、俺の指が示す方向へ流れた。


「・・・・っ!」


 女性は視線を浴びて狼狽え、立ち止まっていた。


「あの女性が持っているのは、赤ん坊じゃない!」


「な、何を言うの!? この子は私の赤ちゃんよ!」


「嘘だ! 赤ん坊なら、どうして泣かないんだ!?」


「・・・・っ」


 女性は反論できなかったのか、身を翻して、逃走しようとする。



「待った」


 ――――でもその時にはもう、彼女の前にはアンバーが立ち塞がっていた。



「その腕の中にいるのが、本当に赤ちゃんだって言うのなら、みんなにその可愛い顔を見せてあげてよ。身の潔白を証明するなら、それが一番のはずでしょ」


「・・・・!」


 女性は、その言葉には従おうとしなかった。アンバーの横を、強引に擦り抜けようとする。


「――――抜けられると思ってんの?」


 アンバーのひやりとした声に、鞘から刃を抜く音が重なった。


 閃光が滑らかに弧を描いたのが見え、次の瞬間には、刃は女性の首にあてがわれていた。


「腕の中にある、それを見せて。・・・・これ、頼んでるわけじゃなくて、警告だから。次動いたら、本当に斬るよ」


「・・・・っ」


 判断を間違えば首を斬り落とされる状況で、女性は足が竦んでしまったようだ。動けなくなった女性の腕の中に手を伸ばし、アンバーは、その何かを持ち上げる。それを隠していた布が、はらりと落ちていった。


 布に包まれていたのは、赤ん坊――――ではなく、赤ん坊の形をした、人形だった。


「・・・・赤ちゃんって言葉は、一応、嘘じゃなかったみたいね」


 アンバーは赤ん坊の形をした人形を抱き上げ、目の高さに掲げる。


 ――――とたんに、赤ん坊の形をした人形が口を開けて、笑い出した。


「わっ・・・・!」


 アンバーは驚いて、人形を落としてしまった。陶器製の人形は、地面に落ちた衝撃で身体の一部が壊れたが、笑い声を発することはやめない。


 人形の陶器の肌や、ガラス製の瞳が、燐光を纏うように、うっすらと光っていた。――――人形の身体の奥で、何かが光っているのだ。


「その人形の中に、魔女の魔術道具が埋め込まれているんだ! それを壊せ!」


 治安維持部隊の男が、女性を取り押さえながら、叫んだ。


「えいっ!」


 軽い掛け声と共に、アンバーは足を振り下ろす。


 人形の陶器製の表面は、その蹴りで陥没してしまった。破片が散らばり、内部に隠されていた光る石が、露わになる。


「それだ! それを壊すんだ!」


 誰かが叫び、アンバーはその声に背中を押されて、剣を振り上げた。


「やめろぉぉ!」


 女性の絶叫も虚しく、剣は振り下ろされて、石は砕かれてしまった。


「・・・・!」


 ――――石が破壊された瞬間に、錯乱していた人達の動きが、ぴたりと止まった。彼らはまるで、見えない糸で引っ張られているように、白目をむいたまま、屹立する。


 奇妙な硬直が数秒続いた後、ふっと糸が切れたように、いっせいに人々の身体が傾いていった。大勢の人々が、ばたばたと倒れていく光景を、俺達は呆然と見つめる。


「この国は、虚偽で満ちている!」


 不意に訪れた静寂を、女性の甲高い声が引き裂いた。


「女神は、真実を隠している! 国民を偽り、この偽りだらけの平和を維持しているんだ! グレモリー様が私に、真実を教えてくれた!」


「黙れ! 貴様を連行する!」


 治安維持部隊の男が、女性の両手首に手錠をかけて、彼女を無理矢理立たせた。


「目を覚ますときが来たんだ!」


 連行されながらも、女性は叫び続けていた。誰もが彼女に冷めた目を向け、女性の声は誰の心も動かさないまま、遠ざかっていく。


「あたりだよ、一郎君!」


 女性の声が聞こえなくなったあたりで、今度は鈴を振るような声が、耳に入ってきた。


「正解。君が見つけたのが、私が送りだした人だよ」


 振り返ると、群衆の中に、グレモリーの姿が見えた。


「グレモリー・・・・」


 やはり俺以外の目に、グレモリーは映っていないようだった。グレモリーも真っ直ぐ俺だけを見つめて、薄く笑っている。


「どうだったかな、この世界の平和がどれだけ脆いものか、わかってくれた?」


「・・・・・・・・」


「安心して、誰も死んでないよ。怪我した人はいるけど」


「屋根から飛び下りたんだぞ。なのに、誰も死んでないって言うのか?」


 グレモリーの姿は俺にしか見えず、声も俺の耳にしか届いていない。俺の反論は、また人々の奇妙なものを見るような視線を集めてしまった。


「冷静に考えて。あの人達が立っていたのは、平屋の屋根だよ。あの高さから落ちても、人は死なない」


 最初に落ちた男性も、錯乱状態で怪我を負ってはいたものの、命は落としていなかった。


 アルカディアの民家のほとんどが、平屋や二階建てで、俺の世界のような十階建ての建物はほとんどない。二階程度の高さなら、よほど打ち所が悪くない限り、命を落とすことはないのだろう。


「どうしてあの人を唆して、こんなことをさせたんだ?」


 問いかけると、ふっとグレモリーの顔から、笑顔が消えた。


「・・・・唆したわけじゃない。請われて、真実を教えただけだよ」


「・・・・・・・・」


「――――この国は、虚偽の柱の上に建国された。偽りだらけの、脆い柱の上に、ね。足場が崩れたら、どうなると思う?」


「・・・・・・・・」


「いずれ、あなたにもわかる。また、会いましょう、古屋一郎君」


 最後に微笑して、グレモリーは身を翻す。


 長いドレスの裾が、遠心力でわずかに上がったかと思うと、彼女の姿は大気に溶けるように透明度を上げていって、やがて完全に見えなくなった。







 ――――魔女の脅威は去った。


 錯乱した人々は意識を失ったので、町の人達で協力して、担架で神殿まで運ぶ。グレモリーの言葉は嘘じゃなく、負傷者はいたが、死者は一人もいなかった。


「・・・・・・・・」


 負傷者の搬送が終わると、俺は放心してしまい、広場の花壇に腰かけて、町の人達が走りまわる様子を、ぼんやり眺めていた。


「よっ」


 肩を叩かれて、顔を上げる。


「すごいお手柄だったね、イチロー!」


 そう言って、アンバーは俺の横に勢いよく腰かけた。


「魔女が見えるなんて、すごいね。なんで見えるの?」


「俺にも、よくわからないよ・・・・」


 これが神様から貰った、チート能力というやつなのだろうか。もっといい能力がよかったと思ってしまう。


 グレモリーが残した言葉が、気になっていた。


 ――――虚偽の柱の上に建国された。


「・・・・どうしたの?」


 考えているうちに、険しい顔になってしまっていたらしい。アンバーに顔を覗き込まれて、自分の表情の変化に気づく。


「・・・・グレモリーが、この国は嘘に満ちているって言ったんだ」


 アンバーの眉間に、皺が溜まる。


「魔女の言葉を信じてるの? 駄目だよ、魔女はこの国を狙ってるんだから、イチローまで、虚言で惑わせようとしてるんだよ」


「・・・・アンバーの目から見て、アルカディアはどんな国なんだ?」


「完璧な国だよ! 女神様が私達のために造ってくれた、完璧で完成された国」


 アンバーは迷いなく、即答した。


「そ、そうか・・・・」


 ――――そうだ、ここは完璧な国だ。誰もが思い描く水の都市が、そのまま地上に再現され、道行く人々からは、幸福感が溢れている。


 ――――グレモリーが落とした、一滴の隅のような不安を、俺は見ないようにした。


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