第8話 鈴木一郎さんと、鈴木太郎さんのイメージに、なにか違いがあるだろうか
――――少女は、目抜き通りに立っていた。
雑多の中に身を置きながら、人々が生みだす、ゆったりとした流れには混ざろうとせず、道の真ん中で、ぼんやりと夜空を仰いでいる。
魂が抜けたような、その姿が気になり、俺は話しかけてみることにした。
「あの・・・・」
少女に近づいて、声をかける。
「大丈夫? ぼんやりしてるみたいだけど、もしかして、気分が悪い?」
すると少女は俺に目を向け、なぜか驚いた顔をしていた。
「あ、ごめん」
突然声をかけたから、驚かせてしまったのだろうか。俺はいつもの癖で、反射的に謝ってしまう。
「・・・・あなた、私が見えるの?」
「え?」
「・・・・ううん、何でもない」
少女はゆっくりと、瞬きをした。その瞼の動きを、なぜかカメラのシャッターのような、機械的な動きに感じる。
「――――見つかった、あなたの名前」
「え・・・・?」
「あなたは、古屋一郎君だよね」
初対面の人に、突然名前を言い当てられて、驚く。
(・・・・もしかして、女神の信徒なのか?)
だけどすぐに、その答えに行き着いていた。
女神の信徒も、初対面なのに俺の名前を知っていた。よくわからないが、それが魔法の力というものなのだろう。深く考える必要はない。
「違った? 古屋一郎君じゃない?」
少女は首を傾げる。
「うん、俺は古屋一郎だよ。君は女神の信徒?」
少女は首を横に振る。
「違うの? それじゃ、女神に近い立場の人かな? だったら・・・・」
「私の名前は、グレモリー」
俺の声を遮って、少女は――――グレモリーは名乗った。
「よろしく。あなたと仲良くなりたいな」
「よ、よろしく」
こんなに可愛い子に、仲良くなりたいと言ってもらえるなんて、光栄だ。
「・・・・?」
なぜか、すれ違った人に、奇異なものを見るような視線を向けられる。
自分の髪型や、服装がおかしいのかと思って、確かめた。
だけど特に、おかしなところはない――――はずだ。
あの病院着のような服なら目立っていただろうが、今は女神の信徒に服をもらって着替えたから、アルカディアの一般的な出で立ちになっている。
俺の顔立ちが、この国では珍しいからかもしれないとも考えたが、昼間はあんな目は向けられなかった。
「あなたの国のことを深くは知らないんだけど、一郎って言う名前は、よくある名前なの?」
「ううん、どうだろうな・・・・古臭い名前だって言われたことはあるけど、特別珍しくはなかったはずだ。名字も平凡だから、平凡な名字と平凡な名前を組み合わせて、印象に残りにくい感じ」
「古いけど、一般的な名前なんだ」
「そう、ジョン・スミスみたいなもんだよ」
そう言って、ジョン・スミス自体もこの世界では通じないことに気づいてしまった。
「ふうん・・・・そうなんだ」
「俺には一郎って名前が似合ってるだろ?」
取り立てて良いところもなく、かといって多分、ひどく悪いわけでもない自分の容姿を自虐して、そう言ってみた。
「ううん、あなたは一郎って言うより、太郎って感じ」
「一郎と太郎の間に、どんな違いが!? というかなんで異世界人なのに、太郎っていう名前を知ってるの!?」
一郎と太郎。その二つの名前の間に、取り立てて挙げるほどの違いがあるだろうか。鈴木一郎さんと鈴木太郎さんという二つの名前を聞いても、その名前から浮かび上がる人物像はほぼ同じだぞ。
「ここでの生活には、慣れた?」
「ああ、ある程度は慣れたよ。ここは理想の世界だな。町は綺麗だし、町の人達は優しいし、税金はないし――――本当に、いい世界だと思う」
「・・・・そう」
グレモリーは目を伏せた。長い睫毛が、目元に影を落とす。
「・・・・『来訪者』。本当に、便利な言葉よね」
「え?」
急にこめかみが痛み、また、シャカシャカという音が聞こえた気がした。
――――痛みのせいか、無視していた疑問の糸が、気になりはじめる。
(・・・・どうしてこの子は、俺の名前や、来訪者だってことを知ってるんだ?)
女神の信徒ではないのなら、俺の情報を知っているはずがない。
なんだか急に、グレモリーの存在が不気味に感じられるようになった。俺は無意識のうちに後退り、彼女から距離を取る。
「・・・・本当にここが、優しい世界だと思う?」
下がっていく俺の足に視線を留めたまま、グレモリーはそう言った。
「この世界が、偽られているだけだとしたら? ――――ここが本当はどんな世界なのか、あなたならいずれ、突き止められるかも」
「え――――」
「それとも――――今、私が、裏側にあるものの一端を、見せてあげようか?」
意味がわからない。眉を顰める俺を、グレモリーはきらきらと輝く目で見上げていた。
「見せてあげるよ」
「さっきから、何を言って――――」
雨粒のように、俺の足元に、何かの影が落ちてくる。
次の瞬間、鈍い音が響いていた。
――――とても嫌な音だった。小さな音だったのに、やけに耳に残る。
怖々と振り返ると、そこに、誰かが倒れていた。
「おい! 誰かが屋根から落ちたぞ!」
一部始終を目撃していた通行人の叫び声で、俺は事態を悟る。
倒れている人の身体の下に、血が見えた。血は石畳の隙間を埋め、じわじわと領域を拡大していく。
「だ、大丈夫ですか!?」
慌てて駆け寄って、呼びかけるも、返事はなかった。
容態を確かめるため、全員で協力して、彼を仰向けに寝かせる。
彼は白目を向いていて、口角からは泡が垂れていた。軽傷で、呼吸はあるものの、異常な状態なのは間違いない。
「どうしたんだ?」
「誰かが、屋根から落ちたらしい!」
通行人が集まってきて、いつのまにか、俺達のまわりに人垣が出来上がっていた。
「足を滑らせたのか?」
「わからない! なんで屋根の上にいたんだが・・・・」
「とにかく、この人を神殿に運ぶぞ! そうすれば、女神が治してくれる! あんた、運ぶのを手伝ってくれ!」
「お、おい、あれを見ろ!」
怪我人を運ぼうと足を持ち上げたところで、また誰かが叫んだ。
「今度は何だ・・・・?」
声の出所を捜し、民家の屋根を指差している通行人を見つけた。
いつの間にか、すべての人々の視線が、屋根に向かっていた。急に世界から音が消えたように、喧騒が消え去り、俺達は静けさに取り囲まれて、緊張する。
それは異様な光景だった。
――――道の両側に並ぶ建物の屋根の上に、数十人の男女が、ずらりと立っている。男女は何をするわけでもなく、一定の間隔を開けて、ただ屋根の上に立っているだけなのだ。
暗くて表情は読み取れないが、立ち方は頼りなく、ゾンビを思わせた。
「まずい、これは――――」
誰かが、なにかを言おうとしたその瞬間。
――――屋根の上の人々が、いっせいに身を投げる。
宙に投げ出された彼らの身体が、落ちてきた。
「きゃあああ!」
そして、鈍い音が何度も響く。
道は、混乱した群衆が生みだす渦に飲み込まれた。
衝撃的な光景を目撃して、思考回路が完全に停止していた俺は、動くことができずに、混乱の中に取り残されてしまう。何度も逃げ惑う人に体当たりされて、尻餅をつく羽目になった。
「うわあああ!」
しかも、奇妙な行動をとったのは、屋根から身を投げた人達だけじゃなかった。
一部の人達が突然錯乱し、他の人に襲いかかってきたのだ。
髪を振り乱し、口角から泡を吹いて、襲いかかってくる人々の姿は、まさしくゾンビだった。
「落ち着け!」
「取り押さえろ!」
他の人達が取り押さえようとしたものの、錯乱した人々は驚異的な力で拘束を振り解き、逆に取り押さえようとしていた人達が、殴り倒されてしまった。
(なんだ? 何が起こってる?)
子供を連れた人や、赤ん坊を抱いた人まで逃げていく。子供は突然のことに驚いているのか、泣き叫んでいた。
「魔女の精神攻撃だ!」
「魔女がアルカディアに入り込んだんだ! 女神様にこのことを知らせろ!」
悲鳴と怒号が連なる中、誰かのそんな声が聞こえた。
(魔女・・・・?)
――――魔女。とんでもないものが出てきたようだ。狼狽えながら視線を動かし、群衆の中にいるグレモリーと目が合って、ハッとした。
この騒ぎを目の当たりにしても、彼女はまったく、動いていなかった。
逃げ惑う群衆が、激流のような流れを作り出して、何人かはグレモリーにぶつかっているはずなのに、彼女は微動だにしない。まるで人々が、その身体を擦り抜けているような光景だった。
(・・・・擦り抜けている?)
よく観察すると、人々の視線すら、グレモリーの姿を通り抜けていることに気づく。
進路方向に立っている、動こうとしない少女を見れば、一瞬でも視線がそこに固定されるはずなのに、それがない。
(――――見えてないんだ――――いや、それ以上に)
人々の目には、グレモリーの姿は映っていない。――――それどころか。
(――――あの子はあの場所に、存在していない?)
擦り抜けている、と感じたのは正しかった。俺の目に映っているグレモリーの姿は立体映像のようなもので、実体がないのだ。見えていないから、人々は迷うことなく彼女の身体にぶつかっていって、その身体を通り抜けている。
「まさか――――君が、魔女・・・・?」
――――グレモリーの笑みが深くなった。
「――――そう呼ばれることもある」
「君! そこで何をしてる!?」
俺がグレモリーから目を逸らせなくなっていると、誰かに肩をつかまれた。
「ここは危険だ! 早く神殿に避難するんだ! 神殿まで行けば、エイレーネ様が守ってくれる!」
振り返ると、そこに鎧姿の男が立っていた。
「あなたは――――」
「俺は、治安維持部隊の隊員だ。いいから早く、ここから離れるんだ!」
男は俺の腕をつかみ、問答無用で神殿に連れて行こうとしていた。
「ま、待ってください!」
俺は慌てて、その力に逆らう。
「魔女が――――魔女があそこにいます!」
「魔女・・・・?」
彼は眉を顰めつつ、一応、俺が指差した方向に目を向けてくれたが、やはりグレモリーの姿は見えないようだ。
「嘘を言うんじゃない。魔女の姿は、女神様や、一部の力ある者にしか見えないんだ。君に見えるはずがない」
「・・・・え? で、でも・・・・」
魔女だと名乗った少女は、まだそこに留まっている。
「あの子は自分のことを、確かに、魔女グレモリーだって名乗ったんですよ!」
「聞き間違えたんだろう! とにかく、神殿に――――」
「・・・・いや、待て」
その時、俺達の間に一人の男が割り込んでくる。
治安維持部隊だと名乗った男と、まったく同じ鎧を着ているから、彼も隊員なのだろう。俺を避難させようとしている若い隊員と違い、彼は40代ぐらいに見えた。
「・・・・その女は、確かにグレモリーと名乗ったのか?」
「え、ええ・・・・それがどうかした――――」
「どんな姿をしている? 教えてくれ」
質問を遮られてしまった。隊員の鬼気迫る表情に、もう一度質問する気にはなれず、大人しく見えている少女の容姿を伝える。
「・・・・外見は十代後半ぐらいで、身長は俺よりも低い程度、ちょっと紫がかった白い髪に、黒いドレスを着ています。頭にも、黒いベールを被っていますね」
「――――」
なぜかその隊員が、驚いている気配が伝わってきた。
「それで、何かわかるんですか?」
「・・・・ああ。彼の目に、本当に魔女が見えていることがわかった」
彼の言葉に、俺だけじゃなく、若い隊員も驚いていた。
「どういうことです? どうして彼の話を信じるんですか?」
「国民の大半は、魔女の具体的な姿を知らない。エイレーネ様には魔女が見えるようだが、魔女の詳しい容姿については、語ろうとしなかった。魔女の名前さえ、我々のように治安の維持に関わる者以外には、公開されることはない。だから今までも、目立ちたいという理由から、魔女が見えると虚偽を申告する者もいたが、彼らが挙げる魔女の特徴が、女神の話と一致しないため、嘘だと気づくことができた」
「彼が挙げた特徴が、本物の魔女と一致するってことですか?」
「そうだ。魔女の名前はグレモリーで、特徴も、今、彼が挙げたものと一致する。誰も知らないはずなのに、どうして彼は知っていた?」
その言葉に一番驚かされたのは、俺だった。
「ど、どうして――――」
「わからないが、とにかく彼を女神様のところに連れて行こう。きっと女神様なら、何かわかるはずだ。君、一緒に来てくれ」
「え、あ――――」
二人に腕を引っ張られ、俺は仕方なく、走りだすしかなかった。
「ちょっと、イチロー、これ、何の騒ぎ!?」
アンバーがいつの間にか追い付いてきて、俺の隣を走っていた。この騒ぎで、酔いも眠気も醒めてしまったらしい。
「な、なんかよくわからないけど、魔女が出たらしいんだ!」
「魔女!?」
「何をしてるんだ! 早く行くぞ!」
「は、はい!」
治安維持部隊の男は、ゆっくり喋る暇も与えてくれない。
「どこに行くの!?」
「神殿だ! アンバーも来てくれ!」
「わかった!」
俺達は神殿に向かって走った。
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