第30話 カールスルーエの戦い

 11月26日。ガーリー軍第二機甲師団は、ラオターニーデルングの泥沼を、正体不明の敵の砲撃を受けながら、丸二日かけて突破し、ようやくライン川の左岸へ進出した。川を渡れば、そこは目的地のカールスルーエだが、侵攻開始から二週間が経過したうえ、予定を十一日も超過しており、将兵の疲労は限界を超えていた。辛うじて湿地帯を突破できた戦車の燃料だってほぼ底をついている。

 そこで、ボナパルトはカールスルーエ攻撃に取り掛かる前に、同市を西の対岸から見張るガーリー軍占領軍駐屯地へ入ることとした。この駐屯地も、自由軍やこれに同調する民兵の妨害により補給が断たれ、物資窮乏の状況にあったが、仮にも侵攻軍の主力に食糧と燃料を乞われたら、拒否するわけにはいかない。しかも、駐屯地司令は佐官、将官たるボナパルトより階級は下だ。要求を断れようはずがない。

 将軍は師団の進路を駐屯地に取りながら、泥まみれのマレンゴ重戦車の中に収まり、外の雨の音を聞く。幽霊のような青い顔で、キューポラのスコープ越しに白く煙る外を覗いていると、ヘッドホンに報告が入る。

『閣下。こちら作戦参謀。橋の向こう、カールスルーエ市内に敵装甲師団と思しき車両を発見しました。橋を落とすなり、このまま攻勢に出るなり、された方が良いのではありませんか? 加えて、駐屯地よりこの街道を挟んで南側の町、マクシミリアンザウも、敵が潜伏していないか、念のため偵察すべきではないかと思いますが』

 将軍は力なく無線機を触って、応答する。

「作戦参謀。こちら師団長。対岸の敵を今すぐに攻撃するのは、兵と兵器の疲弊から言って、あまりに困難だ。しかし、補給後は直ちにカールスルーエの敵を叩く。故に、唯一の侵攻ルートである橋を破壊するわけにはいかない。……ランヌ大尉。偵察小隊を選定し、敵の動向を見張らせろ。ああ、マクシミリアンザウは捨て置け。そちらに偵察兵をさく余裕は、もはやない」

 若干の空白の後、Ouiウィ, Généralジェネラール(はい、閣下)とヘッドセットが応答した。将軍は深く嘆息し、うなだれる。

 戦勝国・・・にして占領軍・・・たるガーリー軍の惨めな隊列が敵の目前で、灰色の空の下、凍えるような雨の中、貧しい駐屯地へ吸い込まれるように入って行った。




 ボナパルト将軍らは、駐屯地司令の佐官にまるで疫病神かのように迎え入れられた。二週間断続的に行われた駐屯地部隊と自由軍カールスルーエ独立装甲擲弾兵連隊との小競り合い、そして物資の枯渇から、心身ともにやせ細った大佐が虚ろな目で、駐屯地司令室にて国の英雄・・に敬礼する。

「将軍とお会いできて光栄です。きっとこのことを伝えたら、故郷の妻と娘は喜ぶでしょう」

 白骨のような顔で、まったく不釣り合いな世辞を述べ、国民的英雄たる将軍を出迎える。積極や好意とは真反対な様相に、ボナパルト将軍はかすかに眉を引きつらせた。

「妻と娘喜ぶだろうとは、まるで大佐自身は喜んでいないようではないか」

 と、大佐がはっとして見返してくる。

「……私はそう言いましたか?」

「たしかにそう聞こえたぞ」

「……お許しを。言い間違いです。疲れていて、まったく頭が回っていなくて……」

 将軍と副官、そして奇妙なお面をつけた作戦参謀を、来客用ソファに座るよう促すと、自身はおぼつかない足取りでデスクに向かい、ゆっくりと書類の山を掻き分けだす。

 “招かれざる客”の三人はソファに掛けつつ、駐屯地司令の緩慢な動作を遠目に見やる。ベルモン中佐はやや心配そうに、ランヌ大尉は疑いの目で、ボナパルト将軍は空の期待を込めた目で。

 と、司令は長い時間をかけてようやくある書類を見つけ出し、紙束を持って三人の元へやって来た。

「現在の在庫リストです。昨日の作成ですから、そう大きくは変わってないでしょう。自由軍、もとい反体制派のあの、独立装甲擲弾兵連隊とかいう郷土歩兵部隊との戦闘は、一昨日の昼が最後でしたから、特に武器弾薬の類はそのリスト通りです」

「独立装甲擲弾兵連隊の攻撃は激しいのか? 聞けば、素人歩兵の集まりだそうではないか。その程度の攻撃、この駐屯地の部隊と大佐の指揮があれば、容易に跳ね返せるだろう?」

 リストの中身の吟味を副官と参謀に任せ、将軍が尋ねる。と、大佐は首を左右へ振ってうなだれた。

「もちろんこの駐屯地が落とされることはあり得ませんが、精神的なダメージが大きいのです。たしかに敵の一人ひとりの練度は、さして高くない印象です。しかし、郷土防衛の士と謳われるだけあって、士気の高さは尋常ではありません。自分たちの故郷を完全に取り戻すために、必死になって攻撃してきます。それに我が兵が怖気づくのです。そもそも我々は命令で占領に来ているだけで、命を懸けるような鬼気迫った感情を抱けませんし、そこに補給が断たれて、さらに士気が下がっています。それに、武器だって相手の物は高性能です。旧式のライフルを使う我々とは違います」

「例の突撃銃か。シュトゥルムガルトの戦いで猛威を振るっていた」

「あれは強力です。たったの一丁が、小銃、短機関銃、狙撃銃にまで化けます。それに、岩をも砕くような猛烈な火力を持つ突撃砲が、新たに配備されているようでして、我が方の装甲車が複数撃破されました。こちらも数量撃破しましたが、あれは脅威的です」

「突撃砲……?」

「ええ、極めて低車高で、ちょっとした藪でも簡単に姿を隠してしまいます。まるでゴキブリのような奴らです」

 将軍の脳裏に、ラオターニーデルングで遭遇した姿の見えない大火力の対戦車兵器が飛来する。その幻影に像を結びながら、ボナパルトは嘆息した。

「ゴキブリか……それは不愉快だな」

「ええ、実に不愉快です」

 将軍は、ちらと部下二人の様子を見やる。副官と作戦参謀は額を突き合わせて、小声で言葉を交わし続けている。融通を依頼する物資の吟味には、今少しかかるようだ。

 将軍は足を組み替え、駐屯地司令にさらに尋ねる。

「敵の、独立装甲擲弾兵連隊は、どういう戦術を取っているんだ?」

 大佐は疲労を隠せず嘆息した。

「不定期に正門へ雑に押し寄せ、小競り合いをし、少しすると撤退する、その繰り返しです。本気で駐屯地部隊を壊滅させようとか、駐屯地を占領しようとか、そういった感じではありません。あくまで我々に“楽に居座らせない”ようにすると言いますか、やはり精神的なダメージ……いえ、おそらく戦略的な意図がより肝心なのかと」

「つまり、私たち占領軍に疲弊を強いるということか。我々の補給路を同時に叩いているのだから、納得だ」

 大佐は目の下の隈をさすりつつ首肯した。

「その通りです。全ての物資、全ての体力、全ての気力を、奪い去る戦略です。他の駐屯地も同様の目に合っていると聞きますし、我々を物資難に陥らせ士気を低下させることが、此度のマンシュタインめの戦略なのでしょう。このカールスルーエ=マクシミリアンザウ駐屯地も、物資・士気ともに干上がっています」

 そう言って、訴えかけるような目線を将軍に送る。ボナパルトは部下二人を再び横目に見てから、駐屯地司令に同情するように首を縦に振った。

「大佐の苦労は痛いほど分かる。第二機甲師団も、プファルツの森とラオターニーデルングで随分な目に合った。どんな攻撃があろうとも、夜には屋根の下で、足を延ばして眠れていた君たちが、実のところ、心底羨ましかった」

 駐屯地司令が観念した様子で項垂れる。将軍が目配せすると、吟味を終えたベルモン中佐が一つ咳払いをして、要求を伝えようとリストを片手に持つ。

 中佐が口を半ば開いた瞬間、司令室の扉が破壊されんばかりの勢いで開かれた。

 驚いた大佐が飛び上がる。

「何事か?!」

 将軍たちも振り返る。と、そこには第二機甲師団の通信兵が肩で息をしながら立っていた。

 ベルモン中佐が片手に握ったリストを振り回しながら、声を荒げる。

「ここは駐屯地司令室だぞ!? ノックもなしに飛び込んでくるなど、一体どんな教育を受けてきたんだね?!」

 しかし、通信兵はそれにこたえる余裕はなく、一方的に紙片を掲げ読み上げた。

「偵察小隊より入電。敵装甲師団、大挙してカールスルーエより橋を渡り、縦列で西岸に進出を開始。駐屯地正面を通過・・し、ラオターニーデルング方面へ移動中。以上です!」

 駐屯地司令は胸をなでおろした。

「この駐屯地は無事です、閣下。よく間に合われました」

 しかし、ボナパルト将軍は唐突に立ち上がった。両こぶしは腰の脇で固く握られ、かすかに震えている。

「そういうことかっ……」

 大佐が、は? と言って見上げる。作戦参謀が即座に起立し、将軍の横顔を白い仮面越しに見つめる。副官も恐るおそる立ち上がり、長い付き合いになる上官を見上げた。

「そういうことかっ! マンシュタインッ!!」

 将軍の拳に力が入り、伸び放題の爪が、手のひらの肉に食い込む。

 作戦参謀が、未だキョトンとしてソファに座す駐屯地司令をかすかに見下ろすと、一つ息をついて将軍の横顔に尋ねる。

「閣下。敵はこの駐屯地など関心の対象ではありますまい。敵の戦略は徹頭徹尾、我々の補給の遮断にあります。ラオターニーデルングの方へ向かった敵は、本国から連綿と続くはずであった我らの生命線を、ただでさえ寸断されている状況ですが、これをいよいよ完全に根絶やしにするべく出撃したのでしょう。我々がザールブリュッケンより侵攻し再占領してきた土地の解放・・、もとい奪取が敵の意図するところです。補給路の奪取が完全になる前に阻止しなければ、ガーリー軍占領軍全軍は、文字通り、孤立無援の“敵地”にて干からび自滅してしまいます」

 ようやく駐屯地司令も敵の行動が意味するところを理解し、目を白黒させる。

「将軍! 幾らでも必要な物資は持って行っていただいて構いません! この駐屯地の命運のみならず、ガーリー軍占領軍全体の命運が、閣下とマンシュタインの対決にかかっているのです! 何の遠慮もいりません!」

 しかし、部下の兵らと同様に腹をすかしたボナパルトは、拳を握りしめて叫んだ。

「そんな暇はない! 空腹が何だ! 燃料の不足が何だ! まずは、目の前の敵を止めるんだ!! 補給など、その後でいい!」

 明らかに暴走気味な上官に、思わず副官が止めに入る。

「閣下! まずは補給をなさるべきです。そもそも敵の機動は、こちらを誘い出す罠かもしれませんぞ。不用心に攻撃するようなことは、避けるべきではありますまいか」

 ベルモン中佐の真っ当な意見に、将軍は一瞬歯噛みする。が、すぐに首を横へ振った。

「いずれにせよ、今、目前の敵をザールブリュッケンの方へ行かしてしまったら、燃料不足の我々では追撃は困難だ。早晩我々は完全に敵地に孤立し、勝機は潰える。罠があったとしても、それを承知の上で、今、ここで、止めに行かなければならない局面だ」

 作戦参謀も、将軍の言葉にうなずく。副官はあきらめたように首を左右に振って嘆息した。

 ボナパルト将軍が目を血走らせて命じる。

「中佐! 師団に出撃命令! 準備が整い次第、各個に出撃せよ! 急ぎ出撃し……敵装甲師団の戦列を寸断して、こちら岸に、西岸に来た敵縦列に側面攻撃を加える! 急げ!!」

 機動戦の名手“天翔ける孔雀”の突然の指令に、師団はようやっと落ち着けた腰を、大して休ませる間もなく、すぐ飛び上がらせることになった。それでも、その動作は正直、全体に緩慢であったが、将軍のマレンゴ重戦車が否一番に出撃するのを目撃すると、慌ただしく全兵士がその後を追う。ある者は泥まみれの戦車に乗って、他の大多数は小銃を抱えて小走りに。ガーリー将兵の向かう先、真っ白に雨けぶるライン川西岸に、巨大で無骨な敵戦車の隊列が、一本のぼやけた黒い線となって見えてくる。

 将軍の攻撃命令が轟く。

 ばらばらに駆け出してきた第二機甲師団は、細長い縦列にまとまって、敵戦列を横からピンポイントに貫いた。後続の部隊が続いて割って入り、敵戦列を引き裂いていく。先頭を行く将軍車は、突破から数百メートル地点で右へ直角に曲がると、雨煙の向こうに辛うじて確認できる敵縦列の左側に沿ってラオターニーデルング方面へ突き進む。ボナパルト将軍が敵先頭を捉えられれば、自由軍の寸断された隊列は、縦列南の分厚い白煙の中からガーリー軍に攻撃され、北を装甲車通行不能な沼地に挟まれ、進退窮まるはずだ。

 快足重戦車マレンゴのエンジンが、甲高い唸り声をあげる。120ミリ砲を、雷のような速さで敵先頭まで持っていく――。ボナパルト将軍はキューポラより顔を出し、雨粒が左頬に機関銃のように叩きつけられるのも気にせず、約200メートル先に伸びる黒い影を凝視し続ける。


 その時、不意に右方上空が真っ赤に染まった。


 激しい赤色の閃光に、思わず目を向けると、数個の赤い太陽が一度に目に入る。呻いて目をつむると、次の瞬間、地獄まで穴を穿つような凄まじい爆轟が襲い掛かってきた。本能的に足が震える。心なしか45トンのマレンゴ重戦車が、浮いた気さえした。猛烈な熱風が右頬をはたく。途端、激しい耳鳴りに襲われ、同時に、肺の空気を持っていかれるような苦しさを感じ、思わず嘔吐く。

 今まで全く経験したことのない異常な爆発。おそらくは――信じ難いことだが――敵の新型爆弾による攻撃に、眩暈を感じていると、不意に本物の白い日差しがやわらかく降り注いだ。尋常ならざる熱波と爆風が、周囲を真っ白に覆っていた雨と雨雲を消し飛ばしたのだろうか……。


 ボナパルト将軍はふらつく頭を押さえながら、視界の晴れた周囲を見やる。そして、自らが陥った現実に気が付いたのだった。

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