第28話 焦土作戦

 マンシュタイン元帥がカールスルーエで迎撃準備を整え、勝利の予告までしている頃、ガーリー軍第二機甲師団はプファルツの呪われた森をようやく抜け、農村での略奪に勤しんでいた。しかし、この農村には事前に敵機甲師団の到来が予告されていたため、住民は一人残らず逃げ出しており、食糧や燃料もことごとく持ち出され、空腹に眩暈を覚えながら倉庫の隅でようやく見つけたものが、飢えたねずみという状態だった。

 第二機甲師団は疲弊し切っていた。すでに歩兵は八割以上が、燃料切れとなった装甲車両を放棄し、徒歩を強いられており、いよいよ主力たる戦車を捨てる時も近づいてきている。不足しているのは車両用の燃料だけでなく、当然兵士を動かすための食糧も全く足りていない。町の少ない山中で神出鬼没な敵の攻撃に晒される中、ガーリー将兵の食事は日に三度が二度に、一昨日からは二度が一度に減っていた。空高く舞う敵に手が届かなかった結果、あれだけいたぶられたのに、銃砲弾だけは比較的たんまり残っているのが、かえって憂鬱になる。

 それでも、森の中で十日にわたって進軍を遅延させられたのは、逆にある希望をボナパルト将軍らにもたらしていた。当初の作戦では、第二機甲師団がわずか三日でカールスルーエまで急進し、後を追うようにして後方部隊が同市まで補給路を繋ぐ計画になっていた。それが森で十日も足止めされたのだから、今は物資が不足していても、補給隊は師団のすぐ後ろまで来ているはずだ。将軍は森を出たところで、予定地より約28キロ手前で、予定日より七日遅れで、最初の補給を受けようとしていた。

 しかし、将軍は副官の報告に、思わず声を荒げた。

「補給部隊が来ていないだと!? 一部隊も送れないとはどういうことだっ?!」

 ベルモン中佐は一度うつむく。それからすぐに目線を上げて、報告を続ける。

「占領軍総司令部からの通信によりますと、各駐屯地は、独立装甲擲弾兵連隊や、その他自由軍とは直接関係のない地域住民などの烈火のごとき襲撃・包囲を受けており、どこも補給部隊を出せる状況にないそうです。また、ザールブリュッケンを橋頭堡に本国から補給を行う計画については、幾晩かに及び、物資の集積場を謎のヘリコプター部隊が空襲、または、ヘリボーン・・・・・部隊に襲撃され、補給部隊の将兵が多数戦死。累計して輸送車両の七割以上が破壊され、食糧や燃料といった物資も九割近くが火の海に没するか、敵に奪われたとのことです」

「謎のヘリボーン・・・・・部隊と言うと、我々をプファルツの森に十日も留め置いたのと同じ降下猟兵か?」

「全く同一の部隊とは言い切れませんが、少なくとも同種の部隊ではあるでしょうな」

 将軍がやわらかな髪を掻きむしり、肺一杯の息を吐き出す。

「後方では補給を遮断され、行く先では町の人と物に逃げられ……ここまで物資を完全に断たれるとは……皇帝ナポレオンがモスクワで味わったがごとき焦土作戦だ。それに、ヘリボーンなる戦術も頭が痛いが、何より自由軍とは関係のない市民まで攻撃し出すとは――。ザールブリュッケンでの過ちが、プロイス人の怒りに火をつけてしまったようだな……」

 副官は何も言えず、唇の端を下に曲げ、目線を気まずそうに下げる。が、その横に音もなく佇んでいた仮面の男が口を開いた。

「過ぎたことを悔いても仕方がありません。今はカールスルーエへの到着だけを考えましょう。駐屯地に辿り着けさえすれば、物資は融通を受けられるはずです」

 作戦参謀の現実的だが前向きな提案に、将軍は髪をかき上げながら数度うなずいた。

「そうしよう。人と兵器の空腹は変わらない――いや酷くなる一方でも、せめて士気だけは高く保たないといけない」

 ランヌ大尉が首肯する隣で、副官は案ずるように将軍を見上げた。

「ラオターニーデルングは迂回しますか?」

 攻撃性を自らの体内に取り戻しつつあったボナパルトは、副官の慎重な提言に水を差され、眉をひそめて見つめ返す。

「なぜ迂回する必要がある?」

「ラオターニーデルングは、プファルツの森同様、機甲師団にとって突破が容易でない地帯ですぞ。あちこちに小川が流れ、そこら中がぬかるんでいる湿地帯です。ただ突破するだけでも、今の師団では時間がかかりましょう。加えて、プファルツの森であれほど執拗に前進を妨害してきたマンシュタインです。ラオターニーデルングにも、罠を張っているのではありますまいか?」

 将軍は副官の諫言に、かすかに冷静さを取り戻し、あごに手を当てて考え出す。しかし、両目に――白い半仮面に埋まった左目にも火をたぎらせながら、作戦参謀が一歩踏み込む。

「閣下。これ以上、時間を無駄にすることはできません。ラオターニーデルングに敵が何かを仕掛けていると決まったわけではありませんし、一直線にカールスルーエを目指すべきです。湿地帯とは言え、横断すれば幅はたかだが10キロ、迂回すれば距離は四倍以上に伸びます。迂回すれば、腹をすかし士気の低下した兵士らが、脱走し始めるに十分な距離と時間を稼ぐことになるでしょう。スコーピオン自由軍の装甲師団が十二分な迎撃態勢を整える時間をも、与えてしまいます。恐れずラオターニーデルングを横断し、カールスルーエへ最短ルートで向かうべきです、閣下」

 老練の風格を持ち始めた副官が何か言いたげに口を何度か開け閉めするが、彼の弱まった声帯が鳴る前に、将軍の若々しい声が響いた。

「そうだな。最短ルートでカールスルーエを目指そう。それが地獄における最善策だ」

 すっかり強気になった上官に、副官がようやく言葉を発する。

「しかし閣下、万一マンシュタインがラオターニーデルングの出口で待ち構えていたら、どうするのです?」

「その時はその時だ」

 ベルモン中佐は驚きたじろいだ。脇に立つランヌ大尉は、動かぬ表情で将軍を見つめる。ボナパルト将軍は、柔らかな前髪をかき上げ、馴染みの年配の副官の方を向いて嘆息した。

「……日に一度の食事がやっとの我々が、あまり贅沢を言うことはできないさ」

 副官はうなだれるように、首を縦に振った。


 翌11月23日、ガーリー軍第二機甲師団は、久方ぶりの平地を東に約18キロ突き進んだ。師団の縦列は、朝に降り出した凍えるような冷たい雨の中、ずっと農地の間を進んだが、彼らの左右を囲んだのは豊かな作物ではなく、畑を焼き払った後の黒くぬかるんだ大地だった。無論、農作地付近に点在する村は、全てもぬけの殻となっていた。冷徹な名将マンシュタインの指揮する焦土作戦は、平和戦線派市民を大々的に巻き込みながら、着実に第二機甲師団の命を削っていく。


 そうして一週間以上も空腹を満たし得ぬ中、24日早朝より、機甲師団は二つ目の難所へ突入した。小川が千々に流れる水浸しの低湿地帯、ラオターニーデルングである。ただでさえぬかるんでいる湿地は、前日から降り始めた初冬の雨により、さらに状態を悪くしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る