第27話 ラインの夕べ

「いいな~」

 マンシュタイン元帥によるコダーイ少尉……でなく中尉へのサプライズ的な受勲を目撃した一人の女性の影が、嘆息した。紫色の西日に包まれたラインの川辺を並んで散策する、もう一つの長く伸びた影が応じる。

「ンっなにが?」

 スオミラント訛りの強いエッラ・パンティ・ユーティライネン工兵少尉が首を傾げて見上げる。ミディアムストレートの銀髪が、川面をわたった風になびく。ぴったり横を歩く長身のアーデルハイト・ベッカー装甲隊中尉は、銅のように輝きラインの川面のように静かに波打つロングヘアを、後ろ手にかき上げた。

「黒豹鉄十字! 羨ましいなあ。受勲第一号でしょ? やっぱ養成所二期生じゃ遅くなるのかな~?」

 いいな~と、また黄昏る。

 それに対し、養成所一期生で先刻昇進したコダーイ中尉と同期であるユーティライネン少尉は、肩をすくめた。

「何期かは関係ねえっぺ。実際、だちより先に、中尉はシュトゥルムガルトん戦いで、Ⅰ級ジークフリート鉄十字章もらっでるっぺ? ほで、あれも全軍初受勲だったっぺ?」

「まあそうだけどお、一人だけの受章じゃなかったし。それに、ジークフリート勲章もいいけど、黒豹だよ?! 何かめっちゃかっこよくない?!」

 ほんなもんがなあ? と工兵少尉は、かすかに首を傾げた。

 それから、モデルのような長身とプロポーションのベッカー中尉を見上げる。

「中尉は、勲章あづめるために、志願すだンか?」

「あ、中尉じゃなくてハイジでいいよ。作戦中じゃないし。私の志願理由は、私も軍人として戦ってみたかったからなの!」

 少尉は不思議そうな表情で見つめた。

「第三帝国の時は、男しか戦地にいけなくて、女はずっと見送るだけだった。けど、私も男の人と肩を並べて、この国のために、家族を守るために、前線で戦える力があるんじゃないかなって、ずっと思ってたの。でも、実際は頑丈な建物の中で、無線を取ったり看護師したり、もちろんそういうのも大事な仕事なのは分かるけど……私、色々雑でさあ! 苦手なんだよね、そういう事務とか細かい作業とか! 特に注射とかほんと無理! 血管分からなすぎて、機銃掃射より穴あけちゃうもん。軍医の人から、貴様は病院で怪我人を増やす気かあっ! って怒鳴られたこともあるくらいでさあ」

 明るい調子で唐突にまあまあな失敗談を明かされ、少尉は一瞬反応に困って頬をかく。しかし、すぐに柔和な表情を浮かべうなずいた。

「んっだなあ……も父ちゃん出征するン見送るン、辛かったっぺ……。自分はなもできんのかっで、見送るごとしかできんのかっで。も、自分ン力でな、スオミのフィヨルド、守りだかっだっぺ」

「つまり、エッラが自由軍に志願した理由は、私と同じってこと?」

 ハイジの問いに、エッラはかすかに首を左右へ振った。

「いンや、は単に、父ちゃんの背中に憧れだだけだっぺ。自分ン持っでる科学の知識づかってな、押し寄せる敵倒すン、もやっでみでえ思っだだけだっぺ。ほンらその……プロイスはスオミラント人のの故郷でねし」

 憧れかあ、とオウム返しに言うと、プロイス人の中尉は地平に半分沈みかかった夕日を眺める。それから、自身の影がかかったスオミラント出身の少尉の方に、満面の笑顔で振り向いた。

「いいね! そういうの! 自慢のお父さんなんだね!」

 んだ、と返しつつ、ハイジとは逆側の頬を密かにかいた。

 黒い装甲服の中尉が、暗灰色ドゥンケルグラウの戦闘服の工兵少尉にラフに尋ねる。

「お父さんは科学者なの?」

「んだ。爆破工学の専門家だっぺ」

 その道の人には知られた人物なのだが、特別専門でない者からすればハイジのように、へ~、という反応が普通である。エッラは慣れた様子で切り返す。

「んっと、ハイジは? 家ン人、何ン仕事しでるんだっぺ?」

「うちはパン屋なんだ! お母さんで……何代目だっけ? ちょっと忘れたけど、とにかく結構前から、ニュルンベルクで代々パン屋やってる家でさ! だから、自由軍に志願するって言ったとき、初めはお母さんからすっごく反対されたの」

 なして? とエッラは首を傾げる。

「お父さんがさ、東部戦線ってとこに行ったっきり帰ってこなくて、空軍ルフトヴァッフェにいたお兄ちゃんたちはさ、ドーバー海峡ってとこで、二人とも敵に撃墜されたらしいの。それに、総統青年団だった弟も、訓練中に死んじゃった。だから、ベッカー家は今、お母さんと私しかいないの。そんな状況で、万一私まで戦死したら、どうするんだーって」

 ほはほうだ、と銀髪の少女は首肯した。

「んで、なして説得できたがね?」

「え? なんで説得できたかってこと?」

「んだ」

「最終的にお母さんにね、私、パンつくるとき塩とか砂糖とかよく間違えるけど、戦場ならそれで迷惑かけることないよ! って言ったら、なんか許してくれた! ちなみに、その日の朝、ゲロ甘いプレッツェル大量生産しちゃって、怒られたばっかだったんだよね!」

 あははは! と本人は純粋に明るく笑うが、几帳面な爆破の専門家はぞっとして前を向いた。パン作りとは次元が違うものの、不適切な薬品取扱による重大事故を、自然と想像してしまったのであろう。

「んまでも、よがったな。希望通り、前線勤務でぎて」

 うん! と明るい顔でうなずく。

 ――笑顔が印象的な人だっぺ……。

 太陽のような表情に思わず見ほれる。それから、その背後に頭を隠してゆく夕日を見て、眉をしかめた。

「んっで、今、どこさ向がっとるがね?」

 問われたハイジは真顔で返す。

「駐屯中のカールスルーエでしょ?」

 瞬間、エッラは足を止めた。ハイジが数歩歩んで振り返る。

「あれ? どうしたの?」

 銀髪の北欧美少女は、呆れたように嘆息し、親指で背後を指し示した。

「カールスルーエは真逆だっぺ」

「え! 嘘!?」

「こンまま北いっだら、ガーリー軍の占領地域だっぺ」

「いや、本気でやばい! 戻ろもどろ!」

 駆け足気味でやって来て、再び二人来た道をゆっくり引き返し出す。

 帰り道、エッラはハイジを見上げた。

「もしがしてだけンど、よぐ道迷う?」

「あ、うん! 地図とか全然分かんない! そう、だから、この前のエアフルトのゴルトイェーガー作戦のときもさ、廃駅のところ初め分かんなくて、敵の方が先に着いてたんだよね! あとで中隊長にそのことバレて、めっちゃ怒られちゃった!」

 相変わらず、あはは! と明るく笑う。だが、彼女の部隊が迷子の間、トンネル内に反響する敵の絶叫と銃声に肝を冷やしながら、金塊の積出作業を指揮していたユーティライネン少尉からすれば、若干無神経にも思える態度であった。万一、装甲部隊が道に迷ったまま辿り着けなかったら、作戦は失敗し、自分はあの冷たいトンネルの中で、オロシー兵に殺されるか――凌辱されたうえで殺されていたかもしれない。体の奥底が冷え、思わず全身が震える。青い顔をしてうつむいていると、ふと肩に何かが触れた。

 驚いて顔を上げ両肩を見やると、黒いパンツァージャケットの上着がかけられていた。

「ごめんね、長時間散歩に付き合わせちゃって。なんか太陽もほとんど沈んでるし、寒くなってきたよね」

 声の方を見上げると、白いワイシャツ姿のハイジが手を合わせて、申し訳なさそうに眉を垂らしている。

 そんな様子に、思わずエッラは噴き出した。

「え? あれ、違った?」

「散策長なっで、寒ぐなったわげでないっぺ。ただ、思ったっぺ。ハイジは大雑把でたまに無神経だけンど、前向きで心ンあったけえ人だっぺなぁ」

「えへへ、ほんとー? ありがとう!! ……ん? 無神経?」

「んっでもな!」

 遮るようにして続けると、エッラは黒いダブルジャケットを丁寧に外して、所有者に手渡す。初冬の宵入り、ワイシャツ一枚で耐える戦友の手は、早くも冷たくなっていた。

「なの方が寒そうだっぺ。はスオミだっぺ、寒さにはづええから。気にせず着てけろ」

 あ、ありがとう! とはにかみ、すぐに腕を通した。

「ねえねえ、エッラ。やっぱスオミラントって寒いの?」

「んっだなあ。場所にもよるけンど、の住んでだヘルシンキは大したごとねえっぺ。んっでも、北ン方、ラップランドは氷点下40度とかなるっぺ。一年の三分ン二は、ゆぎづもってるしなぁ。何より冬ん間は、空が暗えっぺ」

「へえ、そうなんだー」

「なの地元はどうだっぺ?」

「ん? ああ、私の地元?」

 ニュルンベルクはねえ、とハイジが話し出す。それに、エッラが相槌をうち、訛った口調で返すと、ハイジの素直な明るい笑い声が河川敷に響く。


 二人の若き自由軍女性士官。それぞれ祖国も経歴も全く違うけれど、薄闇の中伸びる二人の影は、ラインの川岸で一つに重なっていた。

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