第26話 女獅子と軍服女子

 11月22日。ガーリー軍第二機甲師団が侵攻を開始し、ザールブリュッケンの大虐殺を起こした十一日後、同師団がプファルツの森の横断を始めた九日後、そして、ボナパルト将軍がカールスルーエ到着を予定していた日の七日後……未だ敵遠しカールスルーエ郊外、ライン川の東の岸に、三機の中型ヘリコプターが降り立った。地元の市民やスコーピオン自由軍の将兵らが集まり、強い西陽の中、喝采で出迎える。ライン河畔に着陸したヘリコプターの機体側面のドアがスライドして開かれると、疲労感を隠せない降下猟兵らが幽霊のように姿を現す。前代未聞の作戦によって、プファルツの森の敵機甲師団などを十日間にわたって翻弄し続けた英雄たちに、群衆から惜しみない拍手が送られる。その集団の中より一歩前に出て精鋭歩兵らを迎えたマンシュタイン元帥が、長い赤髪の三つ編みをヘリのローターの爆風になびかせながら身振り手振り指示を出している女性を見つけると、自ら歩み寄る。フレッドの接近に気が付いた男性の副隊長が、赤髪の指揮官の肩を叩き、元帥の方を振り向かせた。

 フレッドは、回転を落としつつあるローターの風を感じられるところまで近づき、今作戦の最大の功労者に対し敬礼する。元帥からの敬意に気が付いた赤髪の女性指揮官は、慌てて正対すると、背筋を正し右手を額に当てた。直後、カメラやマイクを抱えた報道班が息せき切って元帥の隣へ滑り込み収録を始める。元帥は、真横に不躾にも雪崩れ込んできた公式の野次馬をかすかに睨むと、正面で敬礼する指揮官に目線を戻し、微笑みを浮かべて右手を腰まで下ろす。そして、まだまだ轟音の止まらないヘリコプターのエンジン音に負けじと叫ぶ。

「ロージャーシュ・コダーイ少尉! 史上初の試みであったヘリボーン作戦、そして、十日間にわたる敵機甲師団の足止めと、ザールブリュッケンにおける敵補給部隊の撃滅など、誠に見事であった! 少尉の歴史的偉業は、カールスルーエ市民の生命を守る大きな一助となった! まさに少尉は、いや中尉・・の勇気は、Löwinレーヴィン(女獅子)のようだ!」

 ロージャーシュは驚いて赤目を見開いた。――刹那、豊かな赤毛の三つ編みがローターの最後の爆風に踊り、さながらライオンのたてがみのように映える。

 元帥はいたずらに成功した子どものように、青銅色の瞳を細め、無邪気に笑いかけた。

「ロージャーシュ・コダーイ少尉に、中尉昇進を命じる! さらに、歴史上前例のなかったヘリボーン作戦と、敵主力機甲師団の足止め、及び、敵本国からの補給の妨害という困難かつ重大な特殊任務を無事完遂したことを讃え、自由軍初となる黒豹鉄十字章を授与する!」

 報道班と反対側に控えていた、元帥同様の黒いパンツァージャケットを珍しく着込んだマリーが、手に持った箱を開き元帥に差し出す。フレッドは両手で丁寧に、銀縁が映える黒い鉄十字章を取り出した。その光沢がかった黒い十字の中心には、狩りの姿勢で伏せる黒豹が浮き彫りされている。スコーピオン自由軍にて制定された特殊任務を成功させた者へ贈られる勲章の姿だ。

 フレッドが、鉄十字章に結わえられた黒赤金三色が走るリボンを左右の手で広げて持ち、中尉・・を正面から見つめる。と、ほぼ同じ身長の降下猟兵士官は、わずかに首を垂れた。元帥の手がコダーイの首を回り、後ろ側でリボンを結わえる。

 元少尉は、元帥の手が離れるのを感じると、頭を上げた。首元はずっしりと重く、栄誉ある勲章がたしかに吊り下げられている。コダーイは両足を音を立てて合わせ、敬礼した。

「一人目の受章、ばり嬉しかです! この栄誉に恥じん戦果を、今後もお約束します!」

 強烈な訛りに、フレッドはかすかに眉を上げて驚くが、すぐに破願し返礼した。

「期待しているぞ。帰路の無事を祈る」

 二人が右手を下ろすと、マリーが勲章の入っていた空箱に、真新しい中尉の襟章と肩章を添えてコダーイに手渡す。おめでとうと言って握手すると、北欧などからかき集めてきた石油系の航空燃料を満載したトラックが元帥らの周りに駆け寄って来て、ヘリコプターへの給油作業に取り掛かった。

 フレッドはコダーイを今一度見つめて会釈すると、その場で180度向きを変え、降下猟兵らを背に群衆の方へ歩き出す。その左にマリーが続き、右から報道班が付いてくる。が、右の野次馬・・・はしばらくすると、カメラマンが元帥に向けていたカメラを下向きにしたのを合図に、司令長官らから遠く離れるように撤収していく。ひとたび平和戦線が解放した領域が、敵に再度侵犯されているという危機的な現況において、元帥自らが、侵略者に深刻な打撃を与えたであろう降下猟兵の特殊任務の成功を褒め称えたと報じるに十分な素材が撮れたのだろう。

 元帥は大げさにため息を漏らす。もちろん、それを見逃す女史ではない。

「報道班と一緒に、幸せが七つは逃げたわね」

 マリーのからかいに、フレッドはくたびれた目を向ける。

「……どうして七つなんだ?」

「ラッキーセブンだからよ。一番失いたくない数字じゃない?」

 が、冷徹な現実主義者は、こけた頬をすぼめて再び嘆息する。

「くだらない……。こんな不安定な情勢で、ラッキーなんぞ考えてる場合か」

 負けじと楽天家は言い返す。

「あら。不安定な状況だからこそ、ラッキーが大事なんじゃない。必死に積み上げてきた己の努力を、最後に最高の成功に導くのは、意外とふとした幸運だったりするものよ? 木から落ちる一個の林檎とかね」

 フレッドは言葉では返さず、ただ右手で前髪をかき上げた。マリーは、彼がいつも困ったときにする仕草を取ったのを見て、思わず口元をゆるめる。……元帥との舌戦で、彼女が勝ちを拾うのは非常にまれなのだ。

 しかし、このまま会話を終わらせるのも何となく意地悪いので、新しい話題を切り出す。

「それにしても、普段慎重なフレッドとしては、かなり大胆な手を打ったわよね。できたばっかりの試作兵器を、こんなに本格的に実戦投入するなんて」

 元帥は、背後で給油を受ける最新鋭かつ前衛的な中型ヘリコプターをちらと振り返ってから、隣を歩く技術顧問の碧眼を見やる。

「ホルニッセ強襲ヘリコプターのことか?」

「それもあるわ。と言うか、それに関して言えば……何だっけ、あのヘリから滑り落ちる――ヘリボーン?の訓練なんて、事前にできたの?」

「やるにはやったさ。何せ史上初の戦術だったからな。ただ、今回の戦果は、降下猟兵たちの優秀さに助けられた部分が大いにあるだろう。戦闘報告書を出される前だが分かる。常識的には考えられないほど、実戦投入前の訓練時間は短かったからな。足りない部分は現場で創意工夫して補ったはずだ。そうでなければ、敵の前線と後方連絡線を行ったり来たりしながら、十日にわたって補給を妨害しつつ、一個機甲師団を森に足止めすることなどできんよ。冷静に考えれば、我ながら無茶な命令だった……。しかし、ドクトル・シュミットの機体設計には信頼を置いていたし、重工の製造技術も信じていた。もちろん前線で戦う降下猟兵たちのことも。それで蓋を開けてみれば、全ての歯車がかみ合って、無茶と思った命令でも完遂されていたわけだ。皆に感謝する他ないな」

 マリーが首肯し、金の太いポニーテールが上下に揺れる。それから女史の碧眼が、元帥を見上げた。

「信頼してたとしても、無茶な命令ってことは、やっぱり博打でもあったんでしょ? あんま賭けが好きなように思えないけど。柄じゃないじゃない?」

 元帥は小首を傾げてから、前を向いて口を開く。

「柄か、そうでないかと言えば、むしろいつも通りの選択だよ。強力な兵器があるのに、試作段階だからと投入を躊躇して平和戦線派が崩壊する引き金を引くより、試作段階でも投入して外敵を排し体制維持・促進を図る方が合理的だ。表面的には意外に思えるかもしれんが、俺の中では一貫してる。平時と戦時とでは、表面的な合理性は変わるかもしれんが、本質的な合理性は変わらん。最も重大な目的に照準を合わせ、その目的の達成に最も有効な手段を選択するのみだ。その際に、リターン相応のリスクなら取る」

 マリーは相づちを打つと、微笑んだ。

「残りも上手くいくといいわね」

 フレッドは、そうだな、と呟く。だが、そんな返事の一方で、青銅色の瞳は何もない宙を右へ左へ泳いだ。

 その揺れる視線をマリーは見つめ、眉をひそめて元帥の顔を覗き込む。

「ちょっと、大丈夫? 目泳いでるわよ? 休んだ方がいいんじゃない?」

 青銅色の瞳が見開かれ、技師を見下ろす。マリーが横を歩きながら見つめ返していると、元帥の唇がゆるんだ。

「安定剤を飲めば、すぐ良くなる」

「お酒でしょ? まだ一応夕方よ。……まあ、いつも通りだって言うなら良いわ。気絶した後遺症かと思ったから」

 言われて、極度の心身の疲労によりぶっ倒れた一件を思い出し、ばつの悪そうに前髪をかき上げる。

「心配をかけたが、個人的には、よく眠れたという以外に何の影響もなかったさ」

 マリーはかすかに眉をしかめるが、そう、と仕方なく安堵したように息をつく。それから着慣れないパンツァージァケットの襟を引っ張ってから、もう一度フレッドを見上げた。

「で、もう脱いでいい?」

「もう……? 衆人環視の中でか?」

 向かう先、世界最新鋭の兵器たる強襲ヘリコプターを遠巻きに見学する群衆を指さす。

「ち、違うわよ! ここを離れたらの話!」

「無論構わんが……せっかくだし、もう少し着てたらどうだ」

「ええー、硬いのよ、この服の生地。作業着の方が楽だわ」

「まあ、そりゃそうだ。……一応、この後パンツァージァケットでいなければならない用は作ってないからな、好きにしろ」

「……一度引き止めた割に、意外とあっさり許してくれるじゃない」

「うん? まあ、公的な理由で着てなきゃならんというわけじゃないからな。強制はできん」

「え? てことは、私的な理由で着てて欲しかったってこと?」

 マリーが目を丸くすると、フレッドは、はっとして明後日の方に顔を背けた。赤い夕陽の中、その頬はかすかに朱に染まっている。

「いやなに、希少な光景は、長く見ていたいものだろう」

 あからさまな照れ隠しに、女史はからかうような笑みを浮かべ、年下の元帥を挑発的な上目遣いで見上げる。

「ふーん? 私の軍服姿にグッときたわけね? ま、弟以外お断りだけど、悪い気はしないわ!」

「誰がそんなこと言った」

「言わなくても出てるわよ、その反応に。いわゆる軍服女子ってやつね? ほんと男の人って好きねえ、こういうの」

「……女子?」

「あ、言っちゃいけないこと言ったわね」

 三十路の女史が、じとっと睨む。フレッドは再び前を向いて、真顔で返す。

「何のことやら。14センチ砲の音を聞きすぎて、耳が悪くなったんじゃないのか?」

 マリーもつんと正面へ向き直る。

「かもしれないわね。けど、それを言うなら、フレッドは耳でなく、意地が悪くなったのね」

 んなっ、と眉間に皺を寄せ見下ろすが、群衆の歓呼をすぐ目の前からぶつけられ、はっと表情を引き締め顔を上げた。思ったより集団側に戻ってきていたことに今更気が付きつつ、右手を宙に掲げ、ひらひらと振る。兵士と市民の歓声が一層大きくなった。マリーも横でにこにこ笑いながら、手を振っている。

 元帥は手を下ろすと、静まり返った群衆を前に、腹に目いっぱい空気を吸い込んだ。

「自由と公正を希求する市民および兵士諸君! ガーリー軍は早晩死に絶える! 自ら犯した過ちと、我々の裁きとによって! 諸君らがこのラインの川岸で、新型ヘリコプターの次に目にするものは、スコーピオン自由軍の勝利だ!!」

 力強い元帥の言葉に、地響きのような喝采が巻き起こる。フレッドは再び手を振ると、大観衆の中を突っ切るのをあきらめ、技術顧問と二人、群衆の端の方まで回り込んで市の中心部の宿舎へ戻って行った。

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