第21話 迎撃のもてなし

 ガーリー軍の侵攻から一夜明けた11月12日の朝8時を過ぎても、スコーピオン自由軍参謀本部は、未だザールブリュッケンの被害状況や、ガーリー軍第二機甲師団の現状と計画などの詳細を正確に把握しきれずにいた。しかし、何とか一程度の見解をまとめるには至っていた。

 元帥は漆黒の装甲服姿で椅子に掛け、虚ろな目で何杯目か分からないコーヒーをすすりながら、隣に立つ参謀総長の声に耳を傾ける。

「敵の最終目的は、バーセン地方の再占領にあると考えられます。現在いるザールブリュッケンより東へ進み、ラインラント・プファルツ地方南端部を横断、ガーリー軍占領軍歩兵連隊などが駐屯するカールスルーエやバーセン・バーセンを奪還しつつ南下し、ガーリー国境沿いのバーセン地方の占領地を復活させるということです。こうすることで、平和戦線派領域の西側の広い範囲に橋頭堡を確保することができます。このような南北縦に長い範囲で再占領が現実となれば、戦略的に劣勢な我が軍は対応に苦慮すること疑いありません」

 朝になって参謀本部へと呼び出されたザイトリッツ大佐やブリュッヒャー大佐など第一装甲師団の主だった士官らが、壁面の作戦地図の前に居並び、参謀総長の説明に、険しい表情を浮かべながら首肯する。

 それを元帥は正面から眠そうな目で見つめ、あくび交じりに呟く。

「真剣な表情で聞いてもらったところ悪いが、限られた情報の中、私と参謀総長らとで、徹夜で検討した結果だ。半分夢が入ってるかもしれんし、もう半分はコーヒーの幻覚かもしれん。諸君らも深夜に叩き起こされて寝不足かもしれんが、俺たちよりは寝てるだろう。そんなお前さんたちから見て、今の話どう思う?」

 元帥同様、黒い装甲服を身にまとうザイトリッツ大佐が真っ先に口を開いた。

「正論だろうと思いますよ。たしかに裏付けに乏しい点が多いですが、現実的で妥当な予想ですね」

 ブリュッヒャー大佐も顎をさすりながら、無言で首肯する。それから周りの気配をうかがっていた砲兵士官のオットー・ミュラー大佐が、怪訝な声をあげた。

「今の説明には異論ありません。……ただ、あの、直接関係はないかもしれませんが、朝刊にあったザールブリュッケンの記事で、一点どうしても気になることがありまして、皆さんの意見を伺いたいのですが、今少々よろしいでしょうか?」

 制服姿の参謀総長が銀縁の眼鏡を押し上げつつ首肯し話を促す。すると、大佐は暗灰色ドゥンケルグラウの野戦服の胸ポケットより朝刊の切り抜きを取り出し、周りへ掲げて見せる。

「この写真です。ザールブリュッケンの火災の様子を近隣都市から撮影したものとのことですが、ただの火災にしては火柱が大きすぎると思いませんか?」

 士官らや参謀総長がしげしげと覗き込む。元帥だけは椅子に座って半目でコーヒーをすすっているが、カップの覆いが外れると、その口元はわずかににやりと緩んでいた。

 ブリュッヒャー大佐がオールバックの赤髪をなで上げながら、首を傾げる。

「火災で空気が温まって、上昇気流が発生し、巨大な火柱ができたのではないか?」

「しかし、それならもっと直線的に立ち上がるはずだ。だが、この写真をよく見て欲しい。これは球体に近い。まるで巨大な火の玉だ。かと言って、敵の砲撃にしては大きすぎる」

 確かにそうだね、とザイトリッツ大佐が呟くと、ミュラー大佐は言葉を続けた。

「これは私には、大量に集積された爆薬等が一気に爆発したことによる炎に見える」

 ベテランの砲兵隊長の指摘に参謀総長は困惑した様子で返す。

「しかし、ザールブリュッケンには、まださほど多量の弾薬はないはずです。補給計画が敵の妨害によって遅れていましたから」

「友軍はそうかもしれません。しかし、侵攻してきた敵だって弾薬は集積するはずです」

 敵の……? と参謀総長が呟く。

「そうです。信じがたいことではありますが、敵は自ら街に火を放ち、それが自軍の燃料や弾薬に引火して、何キロも先の街から見えるほどの大爆発を引き起こしたのではないでしょうか」

 半信半疑といった表情で、参謀総長や他の連隊長たちは首を傾げる。が、よく通る声が砲兵士官を褒めたたえた。

「さすがだ、オットー! お前さんなら、気付いてくれると思っていた」

 皆が声の主を見やる。注目を浴びながら元帥は、コーヒーカップを大きく傾け、唐突に眉をハの字にした。

「カーシャ、お代わりを!」

 隣室からメイドが盆を持って現れ、フレッドはその盆に空になったカップを静かに置く。ポーラント人のメイドが速やかに退室すると、フレッドはようやく椅子から立ち上がった。

「俺もその写真を見て、疑問を感じた。そして、オットーと同じことを考えていた。たぶん第二機甲師団は街を燃やした天罰を受けたんだろう。ちなみに、新聞社に問い合わせたところ、これを撮ったカメラマンは他にも同様の火球を少なくとも十は見たそうだ。さて、そうなると、彼らの物資面の計画に大きな狂いが生じている可能性がある。師団は本来外部からの補給に頼らずとも外征する能力があるが、普通こんな大事故まで想定して準備はしない。そこで問題となるのは、ボナパルト将軍は果たして、この後どうするか、ということだ」

 一息入れて、無意識に右手を口元に寄せる。が、あるように感じたカップがないことに戸惑い、そのまま前髪をなで上げた。

「ボナパルト将軍は、物資・弾薬欠乏の懸念を抱えながらも、奇襲効果のあるうちに平和戦線派領域奥深くへの侵攻を決断するか、あるいは、一旦本国から物資を送ってもらうよう手配し、盤石な態勢を整えるまで侵攻を思い留まるか。どう思う?」

「無論、前進あるのみです!」

 “前進隊長”ブリュッヒャー大佐が一歩踏み込んでこたえる。予想通りの反応に、周囲は若干呆れ笑いを浮かべた。

「折角奇襲したと言うのに、物資が足りないからと言って進軍しないのは、下策です。今ならば、誠に悔しいことではあるが、ガーリー軍が侵攻してきた場合、我らはそれを直ちに食い止めることはできない。だが、敵がザールブリュッケンでバカンスを楽しむと言うのなら、その間にこちらも万全な迎撃準備ができる。何ならこちらから攻撃することだってできます! そう考えれば、こちらを出し抜き対応を遅らせたという戦略上の有利を得ながら、それを自ら捨てるような真似は、愚策でしかありません。そして、ボナパルト将軍は、そのような愚将ではないでしょう」

 いかにも彼らしい論に元帥は首肯してから、対照的な同僚に目配せする。ザイトリッツ大佐は伯爵の甘い微笑みを浮かべ、背筋を正した。

「普段ならアレクの猪突を諫める役ですが、今回ばかりは同意ですよ、元帥。ガーリー軍は奇襲によって、この戦いで主導権を得ました。それを捨てるなんて決断は、指揮官として怠慢以外の何ものでもありません。さらに、あまり考えたくはありませんが、食糧や燃料などは略奪によっても確保できます。ザールブリュッケンの大虐殺を容認した将軍なら、残念ながら、その辺りに躊躇いはないでしょう。物資の不足をある程度現地調達・・・・で補いながら、電撃的に前進すると僕も思いますよ」

 ミュラー大佐も首肯する。元帥は寝ぼけまなこながら、頬の筋肉を緊張させ、さも満足そうに笑った。

「同感だ。そして、ガーリー軍の根本的な物資面の無理こそ、今回我々の勝利の女神となるだろう」

「そうしますと、元帥。今回の基本戦術は、敵を領内へ引きずり込みつつ補給路を遮断し、撃滅する機動防御ですか?」

 ザイトリッツ大佐の問いに、フレッドは半ばうなずく。

「概ねそんな感じだが、別にただ指をくわえて、腹をすかし弱った獲物が来るのを待つばかりでなくともいいだろう。第二機甲師団が一直線にカールスルーエを目指すとすれば、その間には少なくとも二つ難所がある。利用しない手はない」

 連隊長らの目が壁面の地図に集中し、各々自然と獰猛な笑みが浮かぶ。

 それを眺めて、元帥は低く唸った。

「何より、ザールブリュッケンの無垢の市民、我々の同胞を理不尽にも虐殺したことは、私を酷く傷つけた。伯爵グラーフの指摘した通り、これから略奪の被害が他の町に拡大する可能性もある。加えて、私は参謀総長から奇襲の報告を受けた際、こう言ったんだ。『第二機甲師団の将兵を生きて帰させはしない。オリオンを誅する大蠍スコーピオンの名にかけて、卑劣な攻撃にふさわしい最期をくれてやる』――もちろん怒りに身を任せるつもりはない。我々は、理性の欠片もなく感情に身を任せて人を殺す野蛮人・・・とは違う。ただ、無礼な客には相応の礼をもって、もてなそうではないか」

 マンシュタインの“狂信者”の異名を誇る精鋭の士官たちは、元帥の腹の底から出た言葉に頬を紅潮させて姿勢を正す。そして即座に敬礼すると、声をそろえた。

 ――Jawohlヤヴォール! Fürフュア Freiheitフライハイト undウントゥ Gerechtigkeitゲレーヒティッヒカイト!(自由と公正のために!)

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