第18話 急報

 すると、鉄公爵アイアン・デュークは大げさにため息をついた。

「特に知りませんが、ガーリー軍は、端から援軍に行って当然の立場でした。疑問を持つところではありません。解放戦争に至った根本的要因、つまり、そもそも終戦条約や終戦自体にプロイス人が不満を抱く原因となったのが、首都を二度も占領され、カイテル元帥が降伏文書に調印した時もなお首都を占領させていながら、分を弁えず勝者の占領統治に参加したガーリーなのですから。目下の状況を現出させた責任を取るには、積極的に参戦するのが筋だ。戦勝を首都で祝えない戦勝国など、あったためしがありません。彼らに本来、勝者を名乗る資格はない。そんな負けておきながら戦勝国の席に無理やり座った立場であるにも関わらず、厚顔無恥なガーリー人は相応の努力をしなかった。それどころか、占領地域で無法を働き、プロイス市民の怒りを煽り続けました。あまつさえ、元帥を暗殺するよう真っ先に提案した」

「私の暗殺計画は、ガーリーの提案だったのか?!」

「そうです。ボナパルト将軍は不本意な様子でしたが、総司令官たる老元帥が、連合軍プロイス占領軍首脳部の会議でそう提案したのです。もっとも、いらぬ犠牲を出さずに済むという理由で、我が連合王国軍もその案に便乗しましたが、我々の置かれた立場であれば、選択肢の内に入れることもやむを得なかったでしょう。しかし、まさかガーリーが提案するとは……はじめ聞き間違いかと思いました。あのように無責任な人類がこの世にいるとは、想像を絶することだ」

 フレッドは深く首を縦に振り、グラスを仰ぐ。

「私も、パリスを占領しながら、祖国の敗北を知ることになるとは思いもしなかった……。実はな、敗北を知った後、師団司令部を置いたホテルの部屋で、妻に宛てて手紙を書いたんだ。今となってはどこに行ったか分からんが、私が処刑された後のことを頼む手紙だった。だが、それを書いている頃、ベルーンで妻は子宝を腹に宿したまま、オロシー兵にレイプされ、殺されていたんだ……そして、俺はおめおめと生き残ってしまった――」

 そうでしたか……と公爵が、少々驚きながら首肯する。と、フレッドは目をこすり、首を左右へ振った。

「失礼。脈絡のない話をしてしまったな。どうも、思ったより酒が回ってるようだ」

 肩をすくめ、水差しを空いたグラスに傾けると、一気に煽る。目の覚める冷たさが、喉から腹へ、そして背筋へ駆け抜けた。

 正面に座る鉄公爵は紳士的に、気遣うように息を漏らすと、I’m so sorry to hear that. と今一度慰みの言葉を掛けた。フレッドは数度うなずき、眉間に皺を寄せながらDanke と返す。

 しばらく気まずい沈黙が二人の間に落ちる。フレッドはウィスキーの入ったグラスを弄り、足を組み替え、前髪をかき上げる。それから、何か新しい話題を切り出そうと、口を半ば開いたところで、デスクの黒電話が鳴った。ブレナム公が驚いて顔を上げる。フレッドは、Entschuldigungエントシュールディグン(失礼) とプロイス語で断り席を立つ。そして、今夜二度目となる電話を取った。

「Hallo?」

『社長、憲兵総監よりお電話です』

「……繋いでくれ」

 交換手に応えながら、予期せぬ相手の名に動揺し、右手が神経質にコードを巻き取る。程なくして受話器に、落ち着いた大公の声が出た。

『夜分遅くに申し訳ない。至急を要する報告がある』

「構わん。どうした?」

『ザールブリュッケン憲兵管区より、同市がガーリー機甲師団の攻撃を受けているとの通報があった。第二機甲師団かは不明だが、ガーリー国内より侵攻してきたのは間違いないとのことだ』

「……。ザ、ザールブリュッケン? カールスルーエ、あるいはバーセン=バーセンではないのか?」

『これがガーリーの予告していた武力制裁だとするなら、バーセン地方の主要都市に電撃的に侵攻するという情報は、欺瞞だったのかもしれない。事実、攻撃を受けているのは、ザールラント地方だ。バーセン地方ではない』

 フレッドは右手でつむじを掻きむしる。

「ザールブリュッケンの市民は? 避難状況はどうなってる?」

『管区憲兵が避難指揮を執っているが、突然の侵攻故、まだほとんど退避できていない』

「可能な限り多くの市民を避難させるんだ。また、近隣の憲兵管区にも万一に備え、避難準備をさせろ。引き続き情報収集を頼む」

Jawohlヤヴォール

 カールの簡潔な返事とともに電話が切れる。フレッドが前髪をしつこく撫で上げつつ受話器を置くと、再び甲高い音で鳴り出す。元帥は即座に受話器を上げた。

「Hallo?」

『社長、参謀総長よりお電話です』

「分かった。繋いでくれ」

 ローテーブルのソファから、冷静な水色の視線が刺さる。しかし、フレッドにそれを気にする余裕はない。

『元帥、お休みのところ申し訳ありません』

「ザールブリュッケンの件か?」

 電話先で、女性が息を呑む音が聞こえた。

「たった今、憲兵総監から聞いた。これはガーリー政府の予告していた武力制裁だと思うか? 我々は欺瞞情報を掴まされていたんだろうか? バーセン地方を電撃的に攻撃するという……」

『実際に交戦中のザールブリュッケン独立装甲擲弾兵連隊からの報告に基づけば、そうとしか言えません。侵攻してきた敵戦車のマークなどから判断すると、敵は第二機甲師団である可能性が非常に高いです。独立連隊が、辛うじて配備できた武器で応戦中ですが、十分な戦力とは言えず、今夜を持ちこたえることすら厳しいかと……』

 元帥の右手がつむじを離れ、重厚なデスクを力なく叩く。そして、冷え切った腹の底から、熱い息が漏れた。

「初手は我々の負けだ……。情報戦に敗れ、市民たちは逃げ惑い、多くの兵らが明日を迎えることなく死んでゆく。欺瞞情報に踊らされ、敵の真意を見誤った。この戦略的ミスで、多くの生命を損なうことになる……出だしは、我々統合司令部の負けだ。――だが、かくなる上は、第二機甲師団の将兵を生きて帰させはしない。オリオンを誅する大蠍スコーピオンの名にかけて、卑劣な攻撃にふさわしい最期をくれてやるッ!」

 深い後悔をバネに噴き上がった怒りの太陽風に、参謀総長は固唾を飲む。それから、力強くこたえた。

Jaヤー, natürlichナトゥーリッヒ. Herrヘア Marschallマーシャル(もちろんです。元帥)』

「ザールブリュッケン周辺の独立装甲擲弾兵連隊は全て臨戦態勢に。同時に、第一装甲師団に非常呼集。参謀本部において、敵の今後の侵攻ルートの予測と、それに応じた装甲師団の作戦計画を策定せよ。私もすぐそちらに行く」

 参謀総長が了解とこたえ、通話が切れた。フレッドは電話を耳から静かに離す。その左手は、深い後悔と、憤りのはざまで細かく震えている。受話器はかすかな金属の振動音とともに台座へ戻された。それから、一つ息を吐き、放置してしまっていた客の方を向く。フレッドが何か言う前に、ブレナム公は席を立った。

「プロイス語は分かりませんが、状況は察しました。今夜はお暇しましょう」

「申し訳ない。続きはまたいずれ、必ず」

 そう言って近づき、右手を差し出す。鉄公爵は快く握り返した。

「健闘をお祈りします。ガーリー対プロイスなら、私はプロイスの味方だ」

 フレッドは紳士・・の言葉に素直にうなずくと、握る手に力をこめ、短くこたえた。

「Danke」

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