第16話 Ура!

 廃線上に仁王立ちするシュナイダー中尉に、副隊長の軍曹が近づき報告する。

「コダーイ少尉の一小隊が、背面迂回を試みた敵三個小隊を撃滅しました」

 中尉は満足そうにうなずく。

「やはり、あのアマゾネスの部隊に背後の警戒を任せて正解だったな。少尉は初めこそ、性別を理由に閑職に当てる気かと不満たらたらだったが、とんでもない! 三倍の敵相手だ、思う存分暴れられたことだろう」

 中尉がシニカルな笑みを浮かべ、副隊長を見やる。軍曹は笑って首肯した。

 しかし、すぐに二人とも真剣な面持ちになって、正面に目を向ける。降下猟兵の居並ぶ土嚢の向こうからは、相も変わらずオロシー兵たちが数に任せた攻撃を続けていた。

「背後の懸念は一旦解消された。だが、問題は正面だ」

 副隊長が眉間に皺を寄せる。

「直ちに突破されるとは思いませんが、オロシー軍の圧力に、確実に前線は疲弊してきています。主に精神的に」

 二人の後ろから迫撃砲が轟き、100メートル先で着弾の火炎が上がる。それでもなお、オロシー兵たちは雄叫びを上げながら迫ってくる。対して、中隊長らの前で放たれるアンタレス突撃銃による弾幕は、心なしか薄くなり始めていた。

 軍曹が進言する。

「コダーイ小隊をこちらに呼びますか? 損害は軽傷五名のみとのことでしたので、まだ十分に余力がありますが」

 中尉は腕を組みしばらく悩んでから、首を横へ振った。

「背面迂回への警戒を解くのは時期尚早だ。コダーイ小隊は、引き続き警戒任務に当てさせろ。別命あるまでな」

 含みのある言い方に、軍曹はうなずき、無線手の下へ駆け寄る。そして、中隊長の命令を伝えようとしたが、無線を取る下士官はなぜか緊張から解き放たれ興奮した様子で、軍曹に気付くと受話器を押し付けてきた。

「出てください! 騎兵隊の到着です!」

 副隊長は戸惑いながら、ひとまず受話器を受け取ると耳に当て話しかける。

「こちら指揮本部クロー軍曹。どうぞ?」

 すると、副隊長の耳に、女性の情けない声が響いた。

『ああぁ! こちらアーデルハイト・ベッカー中尉! すみません、道に迷って遅れました~! グローサー・パンター三個中隊、目標地点付近に到着です!』

 かすかに眉間に皺が寄るも、すぐ心の底から嘆息し、応答する。

「こちら指揮本部。具体的な位置を送れ。どうぞ」

『こちらベッカー中尉。ええっとですね、サーチライトが、その~、前方1キロ当たりに見えます! え、あの二階のサーチライトって友軍ですよね?! なんか前の方からオロシー語が聞こえるので、きっとそうですよね?』

 めちゃくちゃな女性戦車長の無線報告に苦笑いを浮かべつつ、無線機を握りしめたまま、上官に叫んで報告する。

「シュナイダー中尉! ベッカー中尉の装甲部隊が、前線正面1キロ付近にようやく到着したようです! 敵の背後に進出した模様です!」

 シュナイダー中尉は呆れた様子で肩をすくめた。

「やっとか! 待ちくたびれたぞ! 中尉はシュトゥルムガルトの戦いで、初陣ながら八両の戦車を撃破して勲章を受けたと聞いたが、ただの奇跡だったのじゃないか?」

「しかし、結果的には実に良いタイミングで、実に良い場所に現れました」

 副隊長の言葉に、中隊長は笑顔を浮かべた。

「そうだな。ベッカー中尉は大層な強運の持ち主と見える。――そのまま前進し、敵の背中に榴弾を浴びせてやれ!」

 軍曹はJawohlヤヴォール!と応え、再び無線に口を近づけた。


 軍曹の無線後、即座にグローサー・パンター十六両が甲高い発砲音とともに、榴弾を放った。

 オロシー軍側指揮官が、背後より鳴り響いた突然の砲撃音に驚いて振り向く。同時に多数の榴弾が付近に着弾し、爆炎が網膜を焼く。続いて、断末魔が鼓膜を叩いた。

 副官が目を剥いて叫ぶ。

「88ミリ砲です!」

「敵の装甲部隊か?!」

「おそらく、そうでしょう。残念ですが、この耳障りな発砲音、少なくとも我が軍による誤射でないことは間違いありません」

 再び特徴的な高音域の雷鳴が轟き、周囲に爆炎があがる。

「背面へ送った迂回部隊は?! 奇襲が成功すれば、まだ覆す余地はある!」

 大尉の叫びに副官は頷き、榴弾の直撃で絶命した無線手から無線機をむしり取り、予備部隊へ連絡を取る。三発目の着弾の音圧の中、かすかな電磁音が耳を抜ける。大きく跳ねる心音が体の中から鼓膜を揺らす。と、無線機の向こうの雑音が途切れ、呼吸音にとって代わる。副官は発信機を飲み込む勢いで口に押し当てた。

「こちら本部。迂回の状況を送れ」

 早口に告げると、応答を待つ。そして、数秒後、受話器に女の声が聞こえた。

『……なん言いよると?』

 訛りの強い言葉に、言葉が詰まる。一瞬オロシー語とは思えない響きだが、オロシー語でないと断言することもできず、生唾を呑んで、次の句を待つ。と、別の男の声が聞こえた。

Leutnantロイトナント! Dasダス istイスト dasダス Funkgerätフンクゲレート desデス Feindesファインデス!』

 はっきり聞こえた外国語に、副官の意識は遠のく。

『ああ、これ敵の無線? やけん、なん言いよるか分からんかったんか』

『……少尉も、割と何言ってるか分かりませんけどね』

『あ?』

『な、何でもありません』

 プロイス語の応酬が終わり、また不快な電磁音が戻ってくる。副官は無線機を手放すと、力なく立ち上がり、榴弾の炸裂音の中、大尉に報告した。

「……迂回部隊と連絡つきません。すでに、全滅したものと思われます」

 最後の希望を打ち砕かれ、大尉は深く嘆息しうなだれた。その間にも、前から後ろから銃砲弾がありったけ飛んできて、爆発音と断末魔が脳を揺さぶり続ける。オロシー軍主力は攻撃限界点を迎えており、もはや前進できない。そして、背後には敵戦車隊が現れ、後退もできない。自分たちの右側面、町に向かって駆け下りれば、幾らか部下を生きて返すことができるかもしれない……。しかし――

「黄金の奪取も、占領地の奪還も叶わなかった我々だが、君なら降伏するかね? 或いは、二度目の敗走を甘んじて受け入れるか?」

 副官が青い顔をして震え上がる。

「冗談言わないでください……っ! 名誉のために、ここで死なせてください。私には妻子がいます……戦死すれば、祖国の英霊になる余地がありますが、降伏などしたら……後々帰る故郷を失いますし、家族も無事じゃ済みません。ましてまた敗走するなど……死ぬより恐ろしい」

 オロシー軍では、戦死すれば自分の死に留まるが、降伏・敗走すれば自分と家族に死が訪れる。それも地獄のような苦しみと恐怖を伴った死だ。畑でとれる兵士・・・・・・・には、わずかばかりの人権も尊厳も認められていない。いっそじゃがいもの方が、食べられる分、丁重な扱いを受けられよう。

 大尉は同志にうなずき返す。

「ならば、ここが墓場だ! 最後の一兵になるまで、我々は戦い続ける! 一人でも多く、敵を地獄へ道連れにしてやれ!!」

 そして腹の底から、雄叫びを上げる。

Ураaaaaaaaaaaaウㇽㇽㇽラアアアアアアア!!」

 刹那、咆哮は榴弾の炸裂音に飲み込まれ、後には声なき肉片が残った。

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