第15話 女傑

 夜間、相対的多数の敵歩兵との遭遇戦になった場合、いかに立ち回るか――。

 スコーピオン自由軍養成所のある教室にて、新兵たちが自由にアイデアを練って発言するという斬新な時間が設けられた。

 それまでに短期間ながらみっちりと軍事の基礎を仕込まれた新兵らは、無線で味方を呼ぶとか、味方部隊のところまでおびき寄せるとか、基本にのっとった意見を発表していた。ほとんどが、つい数か月前まで、敗戦国の虐げられる市民だった者たちだ。占領軍将兵の暴虐に怯え、町の廃墟の影でぼろきれをまとっていた。それがノリのきいた軍服を着こみ、立派な兵士になっていく様は、逞しくも恐ろしくもある。だが、そんな中で、一人がとびきりぶっ飛んだ案を出した。

「味方を待つとか、おびき寄せるとかしゃーしいばい。挑発して、敵の指揮官に攻撃命令を叫ばせれば良か」

 秀才らしい出で立ちのプロイス男子たちが、訛りの強い言葉に振り向く。真っ赤な長髪を、一本の太い三つ編みに編み上げた隣国出の女性が、真っ赤な瞳でむっとして見返す。

「なん見ようと?」

 プロイスのシャイな若者たちが気まずそうに、教室の前へ向き直る。教壇に立つ元空軍降下猟兵の士官が、咳払いした。

「フロイライン。挑発して、敵に攻撃させる、というのは、どういう理由からだね?」

 このクラスでは、基本を叩き込むことより、新兵らの自主性を重んじることと、養成所所長作成のマニュアルに定められている。教官は驚きながらも、養成所のルールに従って質問した。

「正しくは、敵の指揮官に攻撃命令を叫ばせるったい、教官。夜は敵の位置が見えんけん、音が頼りったい。敵を挑発して、敵隊長に撃てって叫ばせれば、音の聞こえてきた方向で敵のトップの居場所が分かるけん。あとは、そこに手榴弾投げ込めば、敵の指揮系統を一撃で破壊できるばい」

 教官はしばらく唸ってから、控えめに首肯した。

「まあ、策は少ないより多い方が良い。引き出しに余裕があるのなら、今のような方法もまあ、覚えておいて損はないかもしれない……。ただ、フロイライン、それは実戦においては最後の策にするように。あなたに降下猟兵最初の戦死者になって欲しくはないからね」

 教官の言葉に、男子たちは笑い声をあげる。が、隣国ハンガリアからきた気の強い女性新兵は、静かに顔に苛立ちを浮かべていた。


 順調なはずだった奇襲の途上で、雄叫びを上げる頭のおかしい女に出会ったと思ったら、三個小隊をまとめる指揮官がいきなり木端微塵に吹っ飛んだ――予想だにしない状況に、敵は即座に対応できない。何しろ手足だけ残して頭がなくなったのだ。

 スコーピオン自由軍精鋭の降下猟兵にあって唯一の女性――ロージャーシュ・コダーイ少尉は、養成所で発言した通りに手榴弾一個で敵の指揮系統を破壊すると、突然の事態に混乱する敵のただ中に単身飛び込み、ナイフを振るって傷口をさらにえぐり回し、敵部隊の動揺を増幅していく。

 女性とは思えない長躯が、女性らしいしなやかさをもって、鞭のように全身を唸らせ、並み居るオロシー歩兵をなぎ倒してゆく。唖然と棒立ちする敵の喉元をナイフで切りつけ、背後から突進してきた敵を背負い投げで投げ飛ばし、投げ飛ばされた先にいた奴ごと拳銃で始末する。左右から銃剣を構えて突っ込んできた奴らは、さっとかわして首根っこを両腕に抱え込むと、そのまま力を込めて頸椎をへし折った。二人の立派な男性兵士が、銃剣を持ったまま、糸の切れたマリオネットのように、地面へ崩れ落ちる。一方的な虐殺の光景に、周りの兵らは小銃を抱きながら震えて後ずさる。

 しかし、小動物と化したオロシー兵の群れに、鬼と化した少尉は怪物の雄叫びを挙げて容赦なく飛びかかった。

 あまりの気迫に立ちすくんだ敵二等兵の鼻面を拳で凹ませ、遠くから狙いを定めていた敵弾の盾として使い捨てる。盾が息絶えると、今度は敵集団に向かって放り投げ、飛んできた遺体に気を取られた敵の隙をついて風より速く接近し、またナイフで二人、三人、四人と切り刻む。

 少尉がこうも暴れられるのは、敵の数を知らないためかもしれない。或いは、知っていても同じ結果になるやもしれないが、ともかくオロシー兵からすれば、恐れ知らずにも懐へ突っ込んできて、気迫満点に心臓をえぐり回してくる彼女は恐怖でしかなかった。何せ夜闇の中、一対百の虐殺劇が目の前で、いや、自らの身に起こっているのだ。

 オロシー軍の戦列に深く入り込んで暴れ回る“恐怖”に咄嗟に銃口を向ければ、撃つな! 同士討ちになる! と上官に叫ばれ、かと言って“恐怖”から背を向け逃げようとすると、敵前逃亡と見なされ問答無用で上官に撃ち殺される。前にはただの戦死、後ろには不名誉な銃殺が待ち構え、オロシー兵たちの脳からは冷静さが蒸発し、狂気が八十人の頭を支配する。二十秒経つと、三人が戦死し、七人が逃亡兵として上官に撃ち殺され、気が狂いそうな生き残りは七十人となった。

 三個小隊の損耗が、たった一人の敵の攻撃を契機に40%を超えた時、さらなる絶望がオロシー兵を襲った。

 プロイス語の男の怒声が響いたと思った瞬間、四十名近い降下猟兵が左側面の闇から突撃してきたのだ。

 一対百の虐殺に翻弄されていたオロシー兵が、四十対七十の勝負に勝てる訳もなく、自由軍最精鋭歩兵による非常識な夜間の白兵戦により瞬く間に全滅した。


 自由軍側の小隊副隊長が、敵の最後の一人が地面に倒れ伏すのを確認すると、未だ息の荒いコダーイ小隊長にゆっくりと近付き、肩を叩く。すると、次の瞬間宙を舞って、背中から地面に叩きつけられた。痛みに思わず目をつむり、呻き声を漏らすが、瞼を開ければ、数十センチ先に獣のような小隊長の形相と、ナイフが迫っている。

 副隊長は咄嗟に両腕を突き出し叫ぶ。

「少尉! 味方です! 味方! ハンス・レッチュです!」

 狂戦士と化していた小隊長が、はっと目を見開く。数拍の呼吸を挟み、ナイフを脇へ下ろした。

「おったんか。気付かんかった」

 そう言って、差し出した左手を、副隊長のハンスが握り返してくる。少尉は軽い力で、小柄な男性下士官を引き起こした。

「敵もうおらんと?」

「ええ、死体だけです。……危うく余計に一体、増えるところでしたが」

「いやあ、ばりすまん。急に背後に立たれたけん、反射的にな」

「……今度は正面から話しかけます」

 助かるわ、と短く返し、血まみれの小隊長は、さっさとタバコに火をともす。ゆっくり吸い込むと、戦闘後の至福の一服を胸いっぱいに味わってから、長く煙を吐き出した。

 副隊長はそれを少し驚きながら見上げ、小声で話しかける。

「あの、隊長。指揮本部への報告は……?」

 おお、と思い出したように相づちを打つと、無線機を担いだ兵士を呼び寄せた。

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