第45話 “不敗の大蠍”
「トゥルーマンは死んだ」
衝撃的な言葉に、は? と記者が呆けた表情になる。が、構わず社長は続けた。
「情報隊が確認した。心臓発作で急死したそうだ。合衆国内でさえまだ公表されていないが、間違いない。前任のローズベルトと違ってまだ若いし健康体だったから病気とは思えない。思い上がりも甚だしいが、シュトゥルムガルトでの完全敗北が余程ショックで憤死したのかもしれんな。これから合衆国の政局は荒れるぞ。トゥルーマンは前任の急死を受けて、副大統領から急遽大統領になった身だ。その彼が副大統領を任命することなく、就任から間もなくして突然死んだから、明確な後任がいない。アンダーソン元帥の後釜どころじゃないんだよ、あの国は。次の大統領を急いで選ばなきゃならん状況になったんだ。もちろん、こんな好機はない。簡単に選ばせてはやらんがね。……ああ、別にそこまで書かなくていいぞ。いや、むしろ書くな。トゥルーマン憤死、記事はこれだけでいい」
今更必死にメモを取る記者を冷たい目で見てから、また口を開く。今までにない程冷えきった声で。
「あと“不敗の大蠍”って何だ?」
途端、記者は顔を上げ、気持ち悪い程良い笑顔になる。フレッドは思わず社長椅子の中でのけ反ったが、記者は夜を知らぬ鳥のように鳴き出す。
「それはもちろん、元帥のことです! 事実、元帥は戦中から負け知らずでいらっしゃる。今回の戦いでも、四倍の敵に対し鮮やかな大勝利を挙げられた! 元帥は不敗です! その奇跡的な事実と、元帥が、ああいや、社長が社名に込められた想いを踏まえての異名です。いかがです!?」
自信満々で胸を張られ、フレッドは前髪をかき上げ、荒く息を吐いた。
「今回勝ったのは、本質的には、俺の作戦指揮が奏功したためでなく、敵が受け身になって攻撃らしい攻撃をあまりしてこなかったからに過ぎない。主導権を譲られて辛うじて勝っただけだ。物量を頼みに愚直に前進されていたら、作戦など関係なく負けていた戦いだった。それに、不敗と言うが、ライン撤退を知らんのか? 思い出したくはないが、忘れることは決してできない。俺の未熟で、多くの部下を失った……」
記者はわずかにうなずく。
「存じています。確かに途中で敵の爆撃も受けたそうですが、戦闘に負けたというのとは違うでしょう。そう卑下なさらなくとも良いではありませんか」
無神経な記者の発言に、敵に対する以上のストレスを感じながら脳天を掻きむしる。
「お前さんは何も分かっていないっ。俺の指揮で勝った、負けたなどというのはどうでもいいことだ。マスコミとしては重要だろうが、俺には勝敗など上辺に過ぎん。俺の指揮で何人死んで、何人生かしたのか、それだけが重要なんだ。第七装甲師団の半数、およそ一万名の部下をライン川の濁流に飲み込ませてしまったこの罪は、たとえ神が許そうとも俺が許せない。不敗の云々など、迷惑千万だ」
だが、元帥の不興を前にしても、なおも
「ですが、“陸軍最高の頭脳”にしろ“西部戦線の覇者”にしろ、既存の異名はいずれも先の戦中のものです。今の新しい戦い、解放戦争の軍事指導者として相応しいものではありません。何しろこの戦争において、元帥は陸軍どころか全軍の統合司令長官でありますし、敵は西部戦線でなく国内にいるのです。私は、戦後の新たな戦争の指導者として、元帥には代わりとなる二つ名が必要になると思い、考えたのです。“不敗の大蠍”の異名、それでも、お気に召されませんか?」
記者なりの考えを聞かされると、社長は深く嘆息した。
「考えは分かった。一理あることは認めるが、個人的には甚だ不快であるのに変わりはない。――とは言え、お前さんは俺の部下ではない。命令はできんよ。互いに仕事なんだし、取材対象である俺の話を聞いた上でなら、後は好きにしろ」
機関紙「
それでも最低限の意思表示として徹底的に朱入れした原稿を記者に渡し、退室させる。閉ざされた扉を睨み、一人舌打ちを飛ばした。
「適当な態度で、適当な仕事をしやがって……まだドブねずみの方が可愛げがある」
小説家のように己の妄想を書き連ねた上、自分に取り入ろうと頓珍漢なおべっかを並べる姿が思い出され、怒りが再燃し頭皮の下が熱くなる。眉間に皺が寄り、右手がつむじに伸びかけるが、途中ではっとして手を止め、首を左右へ振った。宙に所在なく浮いた右手をデスクに置かれた水瓶へ伸ばし、ガラスのコップへ水を注ぐ。瓶を静かに置いてから、コップのぬるい水を一口含むと、長く息を漏らす。フレッド流のアンガーマネジメントだ。
フレッドは決して短気で怒りっぽいわけではない。皮肉はよく言うが、腹の底から怒っているというのとは違うし、どちらかと言うと、怒りという感情は非合理的なものとして忌み嫌っている。指揮官という立場上、強い言葉で部下を叱咤することはあるが、あくまで本心でなく、組織運営上、必要に迫られてに限られる。
そんな彼が珍しく腹の底から怒気を露にしたのは、記者のあまりに無責任な仕事ぶりと、舐め腐った態度が、厳格を形にしたようなフレッドの神経を強烈に逆なでするものだったためである。また、何より、戦中ご都合主義的に自分を持ち上げて報道したマスコミというものに対し、生理的嫌悪を根強く抱いているということも大きな要因であろう。
余談だが、現在スコーピオン社傘下の子会社には、軍隊、重工、運用金庫に留まらず、印刷造幣所に、資源エネルギーの研究所、建設会社に鉄道会社まであるが、社会的影響力の大きい新聞社や放送局は存在しない。実はグループ設立時、ニメールから、マスコミがグループ企業にあった方が便利だろうと設立を促されたのだが、フレッドは「手前宣伝は市民受けが悪い。みんな旧政権のプロパガンダがトラウマになっている」と断ったのだ。
結果、新聞は官報を兼ねる党機関紙が平和戦線より発行されているが、ラジオ・テレビ放送は直属の局はない。もっとも近々、運用金庫を銀行に改組し業務内容を拡大させると同時に、この銀行が出資して、地元ミュンヒェルンの放送局から新たな局を独立させ、事実上の平和戦線ご用達局を作る構想があり、すでに具体的な準備が進んでいる。資本関係を辿れば、すぐに手前宣伝と分かるので、フレッドの先の説明に疑問符がつくが、矛盾の訳はおそらく彼の言葉と本心が別だからであろう。複雑な形態をとってでも、グループ内に直接マスコミなど置きたくない――宣伝省より勝手に英雄と都合よくもてはやされ、不快極まる心境だった彼が至った除きがたい嫌悪である。しかも、国民にはそう喧伝する一方、軍首脳部からは直言を嫌われていたために、軍功に見合った昇進も昇給もなく、むしろ何度か謀殺されかけたのだから、ますます嫌になる。
何とか怒りを鎮めると、大きな感情の去った心に大きな空洞が残る。嘆息して髪を掻きむしり、卓上の時計を見て、窓の外を見て、それから残った書類を見た。時刻は夜十一時過ぎ、外は闇に包まれ、急ぎの書類はない。
昨晩、戦場から帰ってすぐに仰いだウィスキーの瓶が、机の端で静かに佇んでいる。緑の瓶の中、暗く光る水面は底に近い。
――これ、昨日開けたんだよな……?
万単位の殺し合いをした後で、心がいつも以上に安定剤を求めていたとは言え、昨夜の自分の過剰摂取具合に驚く。瓶に伸ばしかけた手を思わず引っ込め、右脇腹をさすった。酒も薬も過剰摂取は有毒だ。肝臓をいい子、いい子と撫でながら、今夜は我慢することを決意する。
しかし、このままではどうにも心が落ち着かず、寝付くに寝付けないだろう。やはり精神安定剤を――と数秒で決意が揺らぐが、控えめなノックの音にまたも伸ばした手を引っ込めた。
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