第44話 “元帥”とマスコミ

 元帥に絞られた前進隊長が、まあまあ陽気に駐屯地に帰って行った一方、マンシュタインの眉間は、その後何時間も皺から解放されていなかった。

 一大会戦となった戦場から帰って翌日の終日に及ぶデスクワークの疲労を両肩に感じつつ、ため息をこらえながら、タイプされた文字の並ぶ紙より目を上げる。と、したり顔のお抱え文屋が自分のことを見つめていた。寸でのところで再び嘆息は飲み込むが、代わりに小さな舌打ちがまろび出る。平和戦線の機関紙「Anアン dieディー Freiheitフライハイト!(自由に寄す!)」の記者は、一瞬目を丸くしたが、すぐにまた、背が寒くなるような笑みを浮かべ手をもむ。

「いかがでしょう、社長、いや元帥! お気に召しましたでしょうか?」

 フレッドは早速朱色の万年筆を手に取りながら、ちらと目をくれる。

「お前さんは社長と呼べ。別に自由軍の兵じゃないだろ」

「いや、そんな畏れ多い! 英雄たる閣下には、やはり相応しい呼び名がありましょう」

「スコーピオン自由軍株式会社・・・・は、グループ統括会社たるスコーピオン社の子会社だ。元帥というのは自由軍のトップであって、グループのトップでない。それとも何だ? 俺にはグループ社長でなく、せいぜい子会社のトップが相応しいと言ってるのか?」

 朱の万年筆の蓋を開けながら睨みつけると、慌てて記者は両手を突き出し左右へ振った。

「と、とんでもありません! そういう意味ではなく、私は単に敬意をこめて、お呼びしようと思っただけです」

「お前さんの勝手な印象など知らん。記者なら事実を尊重したまえ。スコーピオン・グループにおいては、グループ総帥の下に自由軍元帥がいる。発足から何か月経ったと思ってるんだ」

 前線でもそうなかった苛つきようのまま、シュトゥルムガルトでの勝利を報じる記事原稿に朱のインクを落とす。

「朱を入れる前に、初めからもう一度読んでやる。今度は音読でな! こんな文章を俺が二度も読むなんて、お前さんにとってはとんだ栄誉だ。耳の穴かっぽじって、よく聞いておけ」

 普段の皮肉とは違うあからさまに怒気をはらんだ口調に、さすがの記者も背筋を正し、減らず口を閉ざした。沈黙した仮のグループ社長室に、フレッドの大仰な音読が朗々と響く。

「シュトゥルムガルトの戦いにおいて、アルフレッド・マンシュタイン元帥は、世界が瞠目する奇跡的な勝利を挙げた。合衆国軍占領軍をプロイス領内より一掃し、連合王国軍の名将ブレナム公アーサー・ウェルズリー中将を捕虜とした。連合王国軍占領軍総司令官と、その部隊の一部は未だ健在であるものの、同国史上随一の名将と呼ばれ同国民からも慕われるブレナム公を捕虜とされ、連合王国政府は動揺し、平和戦線に対するこれ以上の武力行使に慎重になっている。連合軍最高司令官の地位を兼ねていた合衆国軍占領軍最高司令官のダニエル・アンダーソン元帥は、辛くもシュトゥルムガルトの戦場より逃げ延びたが、却って同国市民より非難を浴び、その無責任と無能に相応しく、二つの最高司令官職より更迭される見通しだ。合衆国では早くも後任選びが進められているが、もはや地位相応の将官も元帥もおらず、さらに言えば、占領を継続するだけの部隊も欧州にはなく、プロイス占領から手を引く他ない状態へ追い詰められている。トゥルーマン大統領は『合衆国が欧州に派遣した将兵は、悉く怪物マンシュタインに喰い尽くされる』と嘆いた。また、他にはガーリー軍第二機甲師団の一部も参戦していたが、多大な損害を被り、プロイス占領を放棄して自国へと逃げ帰った。平和戦線の解放戦争は、奇跡的な大勝利で幕を開けた。だが、わずか二万弱の軍勢で、八万人以上の占領軍主力を撃破した我らの元帥、アルフレッド・マンシュタイン統合司令長官にとっては、これでさえ奇跡ではないのかもしれない。何しろマンシュタイン元帥は、戦いに挑んで負けることがない“不敗の大蠍”なのだから。全ての奇跡的勝利が、彼にとっては必然なのである」

 左手に握っていた紙切れをデスクに落とすと、即座に、朱色のインクがしたたる万年筆を紙の左上に添えた。

「さあ、まず冒頭だ。『シュトゥルムガルトの戦いにおいて、アルフレッド・マンシュタイン元帥は、世界が瞠目する奇跡的な勝利を挙げた』? 勝利を挙げたのは俺ではない。勝ったのは自由軍だ。兵が平素の訓練を怠らず、実戦においても良く働いてくれたから、強敵に勝ち得たのだ。だからここは正確に、元帥は勝利を挙げた、ではなく、スコーピオン自由軍は勝利を挙げた、とすべきだろう。そうでなければ、命を賭して戦ってくれた部下に申し訳が立たん。加えて、世界は瞠目どころか、怒りで目を血走らせてるだろう。今の国際世論は、ほとんど連合軍が作っているんだからな。残念ながら、平和戦線の味方など世界にまだおらん。己の欲を優先して適当を書くな」

 黒いタイプライターの文字の上から、荒々しく朱で訂正を書き込んでゆく。記者は複雑な表情でメモを取りつつ、荒ぶる社長を見やる。

「それと、敵の損害については数を書け! 数を! 一掃とか多大な損害とか、有耶無耶な表現は、市民に不信感を抱かせかねない」

「か、数ですか? も、もう数字が発表されているのですか……?」

「馬鹿か、貴様は!? その発表をするのが、この記事だろうがっ! 参謀本部に取材してないのか? 敵の具体的な損害の数字は、昼にはまとまっているぞ! なぜ記者なら取材をしない! 取材をしない記者など、かかしにも劣る! 貴様、職業人としての自覚や自負はないのかっ!?」

 思わず吠えたのち、はっとして首に浮いた青筋をなで、一旦息を入れる。

「他にも細かいツッコミどころや言いたいことは山ほどあるが、この調子で指摘していったら、脳の血管が二十本は切れそうだ。だから、もう致命的な点だけ指摘するが、トゥルーマン大統領の発言。これは何だ? この、俺に喰い尽くされただ何だという台詞は、きちんと取材したものなのか?」

 記者は生唾を呑んで、よく回る口を開く。

「様々な状況に基づく推量です」

 フレッドは大きなため息をついた。

「ほんとに貴様は……。舐めた口を利くな! それは取材ではない、創作というんだ! そもそもそんな手抜きをせず、記者として正しく、地道に真面目に徹底的に取材をしていれば、数字の件と似たような話だが、もっと大きなネタがあったのに」

「どういうことです?」

 身を乗り出して問うてくる記者に、フレッドは眉をひくつかせてから吐き捨てた。

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