第43話 戦友同士

 シュトゥルムガルトの戦いより明けて翌10月21日朝。

 プロイス全土が、マンシュタイン元帥率いる平和戦線派の大勝利の速報に湧く中、自由軍の統合司令長官室から、一人の男が浮かない表情で出てきた。顔前で戸を閉めると、大きなため息をつき、がさつに赤髪を掻きむしる。

「その様子では、よほど絞られたね」

 赤髪は、急に声を掛けられて驚き、鋭く右手側を見る。すると、そこには、自分と同じ黒いパンツァージャケット姿の戦友がキザに壁にもたれかかっていた。ほっと胸をなでおろす。

伯爵グラーフ! いや、そんな特別絞られた訳ではないさ。いつものことだ」

「……それは、いつもこってり絞られているだけじゃないかな?」

「そういう見方もあるかもしれない。まあ、俺には前しか見えないがな!」

 前進隊長の異名に全く恥じない語勢を吐いて胸を張る。戦友は苦笑を浮かべ、腕を組んで嘆息した。

「立派だよ、アレク。だけど、強引な前進は敵に対してだけにしてくれ……」

 アレクは困り眉の戦友の肩を叩き、わざとらしく大声で笑うと、二人並んで殺風景な廊下を歩き出す。

 スコーピオン本社とスコーピオン自由軍統合司令部が同居するこの建物は、創業二か月を目前にして未だ仮本社に過ぎず、美術品や装飾物はほとんど置かれていない。仮でも本社なら少しくらい見栄を張って然るべきだろうが、寂しい廊下を歩む二人の戦車兵には、もう五年以上の付き合いになる上官が、合理主義者らしく真顔で否定する様が浮かんでいた――どうせ引っ越すのだから、身軽な方がいい、と。

 伯爵グラーフが口を開く。

「正式な本社と司令部建物への引っ越しはいつなんだろうね?」

「どうだろうなあ。すぐにという訳にはいかなさそうだが」

「そうなのかい?」

 問われ、アレクが軽くうなずく。

「それこそ、さっき話している途中で、元帥に電話がきていた。スコーピオン建設からな。土地の確保で難儀しているらしい」

「既存の物件を買うという話もあったが、自前で一から建てるのか」

「そのようだな。グループ本社のビルはすなわち、元帥の居城だ。平和戦線派の軍事の中枢であり、加えて、経済・金融・インフラ整備などの司令塔でもある。安全面を考えて、外部を入れない形で、グループ企業のみで建てる方針みたいだな」

「元帥の執務階は極秘になりそうだね」

 そうだな、とアレクは首肯した。

「ところで、土地の確保に難儀しているというのは、どういうことだい? 空き家や更地には困らないだろう、敵の爆撃のおかげで」

 皮肉な言葉に思わず低い笑い声が漏れる。

「簡単な話だ。土地の所有者も死んじまったから、権利者の確認に手間取ってるらしい。ま、直接聞いたわけじゃない、あくまで電話口の言葉からの憶測だがな」

 なるほど、とザイトリッツはうなずく。二人の軍靴が階段を鳴らす。そして、一階に至ると、元帥が爆殺されかけた応接室跡を横目にフロアを横切り、連隊駐屯地へ戻ろうと仮本社を出る。

 眼前には古都ミュンヒェルンの白亜だった建物の壁と、その上に未だ崩れかかる赤い屋根が連なっていた。二人は傷跡の深い古都の石畳の道を、伏し目がちに歩いてゆく。しばらく無言で足音だけが響いていたが、不意にブリュッヒャーが呟いた。

「おい、伯爵グラーフ。俺はシュトゥルムガルトで、恐ろしい敵の気配を感じたんだ」

 まだ朝の白い陽光の中、ザイトリッツが振り向き、眉をしかめる。

「どういう意味だい? ボナパルト将軍のことを言ってるのかい?」

「違う。ボナパルト将軍には確かに最後してやられたが、彼ではない。彼の部下に、警戒すべき相手がいるかもしれん」

 金髪の戦友が首を傾げた。アレクはそれをちらと見て、口を開く。

「一度、俺の前進を止めた奴がいたんだ」

 ザイトリッツは目を丸くする。

「アレクの突撃を?」

「そうだ。連隊本部三両で突撃したら、物陰で数十両の敵が待ち伏せしてたんだ。それまでは、従来通り側面に回り込むばかりだったんだが、突撃の先頭を点で押さえられたんだ!」

 前進隊長としてのプライドからか、語気が強くなった。が、早起きな通行人の視線が集まるのを感じ、咳払いすると声量を落とす。

「初めはボナパルト将軍の指揮かと思ったが、今思えば、彼にしては妙な気がする。ガーリーの軍人は、百年戦争の頃からそうだが、自分がこうだと信じた戦法を簡単には変えられない。今まで戦ってきた感触から言って、将軍もその例外ではなかった。だが、そんな彼が急に旧来の戦術を捨てて、よりにもよって俺の目の前に立ち塞がったんだ! 一度目はいつも通り側面に回り込んで来たのにだぞ?! あんな突然な変わりよう、我の強いガーリーの将軍が一人でできるものではない。あの迅速で柔軟な対応の裏には、相当優秀な副官なり参謀なりの影を感じる」

 肩を並べて戦ってきたザイトリッツは、戦友の話にうなずいた。

「たしかに今まで聞いたことがない戦術だし、それを前線で急に導入するというのはあまりボナパルト将軍らしくない。しかし、部下が戦術の転換を促したのだとすれば、その人物は恐ろしい才能の持ち主に違いないね。将軍が自分の馴染みの戦術を捨てて献策を採用したことになるのだから、よほど高く評価していて、厚く信用しているのだろう。さすがに厄介という印象かな?」

 伯爵がちらと横に目をやると、赤毛の闘将は胸をそらして笑った。

「とんでもない! 戦いがいのある奴は大歓迎だ! その方が前進のし甲斐がある!」

 どうやら元帥に叱られても、効いてないみたいだね……戦友は内心ため息をつくと、優しい微笑みを浮かべて前へ向き直る。

 話が一旦切れると、沈黙の後、今度は伯爵グラーフが口を開いた。

「ところで、アレク。再会以来、元帥の側にずっといるピエヒ技師を見て、何か思わないかい?」

 野蛮な笑みを浮かべていた闘将が、真顔になって色男の戦友を見やる。

「また女の話か。さすがに元帥の周囲に手を出すのは止めておけ。俺らが知らないだけで、関係を持ってる可能性だってあるだろう」

「いや、そういうつもりじゃないんだ。もちろん彼女の魅力には興味を捨てきれないけど、そういった点以外で気になることがあって」

 何だ? とブリュッヒャーは眉をひそめて問う。

「……アレク。元帥の亡くなった奥さんの写真、見たことあるよね?」

「エミーリエさんか。無論あるが」

「フロイライン・エミーリエと、ピエヒ技師。外見が似てると思わないかい?」

 言われた途端、アレクは手を叩いた。

「なるほど! 確かにそうだな!」

「きつねの尾のように太く豊かな毛量で、肩丈の長さのポニーテールに、小柄な身長、そして、身長に比して大きめのバスト……」

「バストサイズは覚えてないが、何より意志の強そうな大きな目がよく似ている。亡くなった奥さんは、元帥を立てつつも、基本的に気が強かったらしいが、もしかしてそういう女性が好みなんだろうか」

「分からないけど、話が飛躍していないかい?」

「ああ……そうだな。ただ、俺は、目の印象は内面通りだと思っているから」

「そういうことなら、僕も同意だ。フロイライン・エミーリエにしろ、ピエヒ技師にしろ、あの力強い目は、性格を表してると思うよ」

 アレクは数度うなずくと、思わず肩をすくめた。

「しかし、元帥なら、恋愛的な意味合いで技師を見ることはできないだろう。あの呆れるほど生真面目な性格では、奥さんのこと、むごい形で失ったそうだし、そうそう忘れられないだろうからな……」

 戦友の色男は、首を横へ振った。

「たぶん逆だと思うよ。忘れられないからこそ、面影を現世に求めるんだよ。仮にアレクが奥さんを亡くしたとして、再婚相手にはどういう女性を選ぶ?」

 闘将が青い顔をして、伯爵グラーフを睨んだ。

「やめろ。縁起でもない……」

「愛妻家なのは分かってるよ。けど、あくまでたとえばだよ」

 なおも不快そうな顔のまま、オールバックの赤髪をなでる。

「仮に万一、万が一だ、そんなことがあったとして――俺なら、再婚など考えられないが……それでも、どうしても再婚しろと言うんであれば、確かに今の妻と似た女性を求めるだろう。だが、そんな理由で選んでは、その、再婚相手に失礼だ。正直言えば、俺なら以後、男手一人で娘たちを立派に育てながら独身を貫く。妻は戦車と違って替えはきかない」

 敵を見るたび嬉々としてVorwärtsフォアヴェルツッ!!(前進!!)と叫び、高笑いしながら蹂躙しているとは思えない愚直な軍人の表情に、敵も女性も華麗に落としてみせる伯爵は微笑を浮かべた。

「ともかく、やっぱり似たタイプを選ぶだろう? 僕と違って、アレクも元帥も人間的に真面目だからね。まあ、実際の元帥と技師の関係は分からないけど」

 ううむ、と筋骨隆々な闘将がうなる。しばらく考えふけっていると、不意に翡翠の瞳を戦友へ向けた。

伯爵グラーフなら、どうする? 想っている相手に先立たれたら」

 ドン・ファンの異名を持つ戦友が、整った顔の眉間に皺を寄せ、碧眼で見上げてくる。

「想っている相手に先立たれたら? ……そうだねえ、葬儀を回るのに、身一つでは足りないかな」

「恋の多すぎる奴め」

 アレクが大きくため息をつく。

 対照的な戦友は互いに笑い合うと、穴だらけの石畳を、慎重に並んで歩いて行った。

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