第46話 ヤンデレ天使
『エリスだよ。入っていい?』
幼馴染の声に、思わず顔をほころばせる。
「もちろんだ」
ドアが開くと、中性的な容姿の幼馴染が、ワイシャツにスラックスという比較的ラフな格好で現れた。普段背中側で揺れている金髪のサイドテールは、胸側をゆったりと流れ、その先は左手の指先に巻き付いている。ドアを後ろ手で閉めると、右手もサイドテールの半ばを掴む。エリスは髪束につられるように首を左へ傾け、はにかんだ。
「邪魔じゃなかった?」
フレッドは天使の愛らしい仕草一つひとつに心が満ち足りて行くのを感じつつ、首を横へ振った。
「とんでもない。ちょうど仕事の片が付いて、寝るまで何をしようかと考えてたところだ」
エリスが安堵して微笑む。
「そっか。それじゃあ、僕とお話ししない? 前は、お仕事があって長くは話せなかったから」
「うん。そうしよう」
フレッドが笑顔でうなずくと、二人は部屋の奥と手前から、前に座ったソファに歩み寄り、またも並んでかける。距離感は、以前マリーが不審を抱いた密接具合と変わらない。二人にとっては、肩と膝が触れ合う距離が自然なのだろう。
二人は、互いの耳がこすれ合うような距離で、他愛もない雑談に興じた。徴兵後の苦労話や、エリスの姉たちの近況、互いの親のこと、大学時代のばかげた思い出、幼い頃一緒にはまっていた遊びなどなど……。フレッドにとっては、マリーに大金で
しかし、二人の感情のままに過去を飛び回る話題は、ひとしきり思い出話で盛り上がった後に心が落ち着いてくると、つられて楽しくない現在へと落ちてゆく。
少しずつ口が重くなってきたフレッドが、ついに一つ伸びをすると、嘆息交じりに吐き出す。
「お前さんと話すと、いつも心が癒される。ありがとう。エリスには昔から助けられてばかりだ……」
「いつでも声かけて。僕にとって、フレッドの安心した笑顔は、何よりの宝物だから。それに、僕こそ、フレッドにはいつも救われてるよ、それこそ出会ったあの日からずっと。フレッドのいない世界なんて、もう想像できない」
唯一無二の幼馴染に、天使のように微笑まれ、フレッドは思わず鼻の下を掻いた。それから、今一度ため息を漏らすと、不意に鼻をひくつかせ、右手を挙げて額をこすった。
「実は、今回の戦いで、あらためて感じたことがある……。エリス、聞いてくれるか?」
元帥の青銅色の目が、天使の緑の垂れ目を見つめる。エリスは無言でうなずいた。フレッドは目線を逸らすと、頭を掻いて、かすかに息を漏らす。
「この世には、どうにも勝ちきれん相手がいるらしい」
エリスが小首を傾げる。
「いやな……昨日シュトゥルムガルトに集った敵将の中でも、俺は
戦争嫌いでありながらも、生まれついて捨てられないプライドという自然な意識が、元帥の言葉に棘を生やす。
「8月のフロイデンヴァルト事件では、乗機を大破へ追いやったが、占領軍士官を人質に取ることを阻止された。今回、シュトゥルムガルトの戦いでは、血の気の多いアレクが誘い出され、撤退ついでに新車のレーヴェ重戦車を四割超廃車にされる大損害を被った。……引火性のないバウムバッテリーと分厚い装甲のおかげで、乗員が最悪でも軽傷で済んだのは、驚くべき不幸中の幸いだったが。無論、昨年の11月11日も忘れられない。黒の森作戦の包囲網を唯一食い破って脱出に成功したのは、奴の部隊だった」
「一体、誰のこと?」
首を傾けたまま、緑の垂れ目がじっと見つめてくる。青銅色の瞳は静かに見つめ返し、唇の端がかすかに下がった。
「ガーリー軍の
「エロイカ……? エロイカって、イタリー語じゃないの?」
「イタリー戦線で名を挙げたから、そう呼ばれてるのかもしれんな。無論、同姓の皇帝に捧げられるはずだった交響曲も無縁ではなかろう」
それに納得して、音楽家は首肯した。
「その皇帝の子孫なの?」
「俺もそう思って、初め聞いたときは身構えたが、どうも違うらしい。まあ、仮に血族であったとしても、三世は我らがプロイスの鉄血宰相にセダンで負けて捕まったし、一世だってプロイス軍がワーテルローに駆け付けてセント・ヘレナへ追いやった。どちらも先達が成敗したと考えれば、多少気が楽になっただろう。が、実際は無関係だからな、先祖の実績を考えるだけ時間の無駄だった」
歴史好き二人が笑い合う。それから、フレッドは真っ直ぐな瞳で前方を見つめ、言葉を漏らす。
「ボナパルト将軍は敵ながら良将だ。良く判断し、良く動く。昨日だって、無能な合衆国軍の司令官に従う立場でなければ、より脅威度は高かっただろう。何せ昨晩の戦いの最終局面、将軍の果敢な機動によって、下手をすれば第二装甲連隊が、逆に連合軍に挟撃されて消滅する危険さえあったからな。アンダーソン元帥が例に漏れず逃げ出してくれたから助かったが、もしガーリー軍の背面展開にきちんと協調していたら、第二装甲連隊が挟撃された後、第一装甲連隊も数の暴力で撃破され、自由軍全体が壊走を余儀なくされていた可能性さえあった。ボナパルト将軍の機転は、戦いの流れを一撃で逆転させ得るものだったが、逃げのアンダーソンのおかげで不発に終わったんだ。敵の最高司令官が違っていれば、俺はこうして、エリスの肩に頭を預けることもできなかったかもしれん……。まったく、ボナパルト将軍は、“機動一流”の名将だ」
まさかの敵指揮官を激賞する発言に、普通の軍人なら良い顔はしないだろうが、フレッドの一番の理解者であるエリスは、肩によりかかる頭を軽く撫でながら微笑む。
「フレッドは昔からそうだよね。偏見がなくて、いつも真っ直ぐな目をしてる。戦争を経験してなお、変わってなくて安心した。敵を敵だからって罵倒し出したら、僕どうしようと思ったよ」
が、元帥は不意に幼馴染の肩から起き上がり、首を横へ振った。
「別にどの敵だって褒める訳じゃない、アンダーソンやマクドナルドみたいなのもいる。ただ、俺は正式な士官教育を受けていないから、教師は自分で探すしかないし、その範囲を味方に限定しては成長に限界が生じる。ボナパルト将軍や
「それでも、大抵の人は敵に対する憎悪で理性が支配されて、敵将の優秀さを認めて謙虚に学ぼうとは思えないよ。フレッドはたしかに理性的だけど、それだけじゃないと僕思うな」
幼馴染の分析に口をつぐみながらも、どういうことだ? と青銅色の瞳が左から見下ろしてくる。今度はエリスが、フレッドの右肩にサイドテールの根元を押し付けた。
「フレッドは、やっぱり真っ直ぐなんだよ。理性的である前に、どこまでも、どこまでも真っ直ぐ……真面目で、謙虚で、一生懸命で、責任感が強くて、不正義や不条理が大嫌いで、色眼鏡もかけず、すごく優しい。優れた人格者だ。僕、フレッドほど優しくて強い人、他に知らないよ。まあ、フレッドほど優しすぎて嘘ばっかつく人も、他にいないけど」
エリスの言葉は大げさではない。しかし、言われた当人は、かすかに天使のつむじが当たる右頬がむず痒いようだ。フレッドは思わず少し顔を逸らす一方で、根の真っ直ぐさより、皮肉屋の顔を出さざるを得なかった。
「どうかな。口を開けば皮肉と金ばかりと嫌われた将軍だぞ、俺は? 真っ直ぐな人間だなんて、思われてないだろう」
「もう……そうやってすぐ卑下して、自虐で照れ隠しするんだから。僕の前ではいらないのに」
「なっ、ちがっ、照れ隠しとは何だ! 別にそういうのでは……」
「ふーん、じゃあ本気なの? だとしたら、僕怒るよ?」
エリスが肩に寄りかかったまま見上げてくる。覗き込めば、緑の垂れ目に、どす黒い炎が揺らめいていた。フレッドの喉が収縮し、流れ込んだ空気が音を立てる。
「僕が惚れたフレッドを無意味に貶めるのは、たとえフレッドと言え許さないよ?」
幼馴染の冷たい手が、自分の左頬にナイフのように添えられる。フレッドは数度深呼吸すると、不意に唇をゆるめ、声を立てて笑った。
「いやはや、罪作りな男がいるものだな。こんな天使を怒らせるなんて。俺は人格者らしいから、そんな悪行許せないよ」
回りくどい軽口で自身の非を認めると、エリスの垂れ目から地獄の火が消える。もう……と苦笑しながら、幼馴染の白い左手がフレッドの頬から上へと移動し、優しく耳に触れてから、頭を撫でた。フレッドは気持ち良そうに目を細める。
――不意に二人の背後で扉が叩かれ、一秒と経たず開け放たれた。二人は返事をする隙も与えられず、恋人のような距離感のまま固まる。
「ねえ、フレッド。レーヴェの改修案と、例の輸送機のことで相談があるんだけど……いや、何やってんの?」
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