第30話 “軍人”の病
猛獣暴れる左翼側が、敵の抵抗を排しつつ概ね順調に敵戦線を圧迫する一方、マンシュタイン元帥率いる右翼側は、変化に乏しい状況が続いていた。
スコーピオン一両と、グローサー・パンター選抜隊五〇両の攻撃により、敵オリバー戦車隊は五割の損害を被って壊滅。味方を見殺しにしてでも有利な丘上に居座るブレナム重戦車隊に、ついに猛砲撃を開始するも、敵はわずかに頂上より後退するだけで、やはり簡単には裾野まで下りてこない。元帥は砲撃を続けさせながら、この間に、装甲部隊の前進を停止させ、小隊ごと入れ代わりでグローサー・パンターに弾薬補給とバッテリー交換を行わせる。前線から一個小隊五両が後退するのは、大きな隙になるが、オリバー巡航戦車隊はもはやそこに付け入る余力もない。ただ、意地のように自由軍の眼前に横隊で立ちはだかるばかりであった。
フレッドはキューポラから顔だけ出し、双眼鏡で正面の斜面を覗いて、舌打ちする。直後、丘の上の方から21センチ榴弾が一斉に炸裂する轟音が響いてきた。爆轟は腹の底を揺らし、色づいた木の葉を舞い落す。降りかかる落ち葉を右手で払い、車内へ頭を収める。
「
心底からの皮肉と嘆息に、四人の笑い声が届く。誰に見られるでもないが、思わず肩をすくめた。足元からカールの報告が聞こえる。
「アドラーからの情報では、相変わらず、砲撃を避けるように斜面を北西方向へ下りつつあるということだ」
フレッドは髪を軽く掻きむしる。
「なるほど。ここまでやっても、裾野で戦ってはくれんか」
『こちらの榴弾を撃ち尽くさせるつもりでしょうか?』
ニメールの不安げな声を、元帥は否定した。
「それは違うだろう。敵の狙いは、おそらく別のところにある」
「どういうこと?」
今度は足元で手持ち無沙汰にしている操縦手に問われる。フレッドは、右手で数度頭を掻いてから、外の砲撃音に負けないよう咽喉マイクをつまんだ。
「砲撃によって、確かに丘を下らせることに成功はしているが、こちらの本当の狙いとしては、
「西に? ……どゆこと?」
「西と言うか、まあ正確には北西だろうが、つまり、
シモン以外の三人が息を呑む音が、ヘッドホン超しに聞こえる。
『それでは、ここまで敵を撃ち減らしてきた努力が水の泡なのです』
「その通りだ、ニメール。要は賢い敵将は、砲撃を避けるべく、こちらへ一気に向かってくるのではなく、ゆっくり北西へ移動し続けることで、私に心理的な揺さぶりを掛け、こう脅してきてるのだ――砲撃されたところで、多少の損害は出ても合衆国軍側に逃げてしまえば、貴様らには手を出せまい、と。それでもなお、こちらが砲撃に終始し、戦車による直接対決を避ければ、取り返しのつかない事態になる……」
「つまり、デザート・ラッツが本当に中央に合流してしまうということか」
「おそらくな。それによって、高地はがら空きになるが、彼我の戦力差を考えれば、呑気に丘を占領することはできん。五一両で頂上を取っても、それに何倍もする敵に囲まれては、こちらが逃げ場を失って殲滅されるだけだ。連合王国軍が孤立している状況であっても、容易とは言い難いのだからな。もちろん高地を取らずに後を追うなど、正面の敵の数を考えれば論外だし」
敵のちょっとした動きから、戦局の二手三手先を読み、現時点で最善と思われる策を探す。元帥は、腕を組み目をつむった。しかし、五秒ほどで両目を開き、青銅色の瞳をぎらつかせる。
「通信手。砲兵連隊本部に、砲撃停止と伝えろ。それと、観測ヘリは撤収、別命あるまで待機せよ」
それから、キューポラより頭を出し、グローサー・パンターの補給状況を目で確認する。と、ちょうどレーヴェ車体を転用したL45装甲弾薬車が超信地旋回の後、廃村の方へ戻って行く。最後に補給を受けた小隊が、鉄の履帯を鳴らして戦線へと戻ってきた。
頭上を通り越す砲弾の風切り音が消え、正面からアドラー偵察ヘリの巨大な羽音が近づいてきて、そのまま背後へ過ぎ去ってゆく。
空を乱す音は消え、ただ天頂に日が輝くばかりだ。――フレッドは一つ深呼吸して、新たな命令を告げた。
「
五一両が一斉に前進し、砲撃を再開する。鏡のような青空の下、今度は地上が、地獄のような鉄の騒音と断末魔に満たされ始めた。
連合王国軍第七機甲師団師団長ブレナム公アーサー・ウェルズリー中将は、敵の砲撃が止んだことを、空の静けさから感じ取った。
「ブレナム全車、凹陣形へ」
すかさず重歩兵戦車部隊に下令すると、百数十両の甲冑武者たちが丘の斜面の半ばで東西に幅広く陣形を組み、迎撃の態勢を取る。斜面の先に続く裾野の林からは、オリバー巡航戦車隊が殲滅される音が聞こえてくる。確かに生き残っても扱いに困るほど弱い戦車ではあるが、自ら選抜して連れてきておいて、クッション代わりに見殺しにする公爵の冷徹な指揮ぶりは、味方からも眉をひそめられるものであった。
それでも、ブレナム公の眼中に、弱い味方はいない。無線を取り、全車に告げる。
「マンシュタイン元帥の本当の狙いは、左翼でも右翼でもありません。我々はコーラやワインに脳を毒されていない、スマートな紅茶狂いだ。そして、ティーカップには真実が映っている。敵の陽動部隊には早々にお帰りいただいて、本命へ再度集中しましょう」
紅茶狂の目に映るのは、弱い味方でなく、強い敵だけだ。軍事の名門ブレナム公爵家の末裔は、紅茶と同じくらい、戦場での栄光を心の底から望んでいた。
彼のような人種にとって、従える兵の生命は、時に将軍個人の軍事的栄光より下位に位置付けられる。これは彼自身の素質の問題でもあるが、それ以上に指導者たる“軍人”に共通する一般的な病と言えるだろう。栄光と勝利には犠牲はつきものであると、英雄は敵の軍旗と仲間の屍の上に立って、しばしばそう語る。確かにこうした軍事指導者の栄光への渇望がなければ、人類史に名将や英雄は存在せず、心躍る英雄譚も歴史の進展もなかったかもしれない。だが、戦争に勝った後、祖国がいかに発展しようと、世界がどのように変わろうと、ましてどんな英雄譚が生まれようと、使い捨てられる兵士にしてみれば、知ったことではない。それでも、指揮官が巨大な栄光や勝利を目前にすると、一兵卒の人生や命など、同じ人間であるのに、やはり“些末な問題”になるのだ。
その点、指揮官の心得として平然と次のように語る元会社員は、
「味方に傷一つ負わせず、敵を殲滅せよ――が、俺のモットーの一つなんだが……完遂するのはやはり難しいか……」
オリバー巡航戦車隊の戦列を完全に突破し、頭を掻いて嘆息する。ペリスコープより正面を覗けば、武骨な砲塔の向こうに、色づく木立に覆われた秋の丘の斜面が迫りつつあった。
目論見が外れ、グローサー・パンター乗員を死の危機にさらす決断を余儀なくされ、元帥は何度も脳天を掻きむしる。マリーは操縦中にも関わらず肩越しに振り向き、戦車内にあまりに似つかわしくない様子の車長に、明るく声をかけた。
「確かに装甲面の不安はあるけど、火力ならグローサー・パンターだって負けてないじゃない!
「まったく慰めにもならん。もしそれだけなら、ため息の一つも出んさ。問題は、17ポンド砲の貫通力も平均200ミリ程度あり、グローサー・パンターの車体正面は傾斜込みで実質200ミリ厚、砲塔正面はザウコップ防盾があるところ以外は、実質160ミリ程度しかないということだ。しかも、口径が小さい分、敵の方が装填速度は速い」
「
「敵は斜面の上にいる。つまり、こちらの傾斜は殺され、200ミリよりも薄い計算になり、実装甲圧の100ミリに近くなる。だから、この状況では、車体正面でも弾く可能性は低い。逆に、こちらは撃ち上げる格好になるから不利だ」
「じゃあ丘上行かないの?」
操縦竿を握ったまま、また振り向いて、不満顔でねめつける。するとフレッドは、理屈をこねていた口を閉じ、額を掻くと、肩をすくめた。
「いやあ……行くさ。もはやそうするより他にない」
「それなら悩んだってしょうがないじゃない。フレッドの想いは分かるわよ? そりゃ誰も死なずに済めば、それが一番だと思うわ。けど、攻めるより他ない時の指揮官の仕事は、愚痴を部下にこぼすことなの? それこそ合理的じゃないわ!」
車長の指示の下、戦車を操縦する係として、行くと決めたのに行きたくなさそうな態度を取られるのは、神経を逆なでされるものだった。戦場というのは、些細なことでも、平時とは比べ物にならないほどストレスを感じるのだ。マリーは、当初は励ますつもりに過ぎなかったのに、全て吐き出してから、想像以上に強い言葉になってしまったのではないかと、背後の妙な沈黙に汗が伝うのを感じる。が、フレッドは深く嘆息すると、顔を上げた。
「マリーの言う通りだ。少しナイーブになり過ぎていた。まったく……エミーリエや、フリッツによく尻を叩かれてたのを思い出すよ」
「は? 尻を? ちょっと弟に何させてるのよ。ほんと怒るわよ?」
「――言葉の綾だ。本当に叩かれてるわけないだろ。てか、操縦中は前を見ろ」
真顔で眉間に皺を寄せるブラコンに、呆れて言葉を返すと、背筋を正して咽喉マイクをつまむ。
「通信手、ホフマン中佐に伝え。陣形を保ちながら、選抜隊各車で索敵し、見つけ次第撃破しろ。以上だ」
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