第25話 元帥と戦友の
オリバー隊は、異常に接近してくる怪物に恐怖し、全員がこの一両に気を取られていた。が、突然部隊の正面と側面にわたる広範囲から猛砲撃を受け目を覚ました。
右翼側にいたオリバー戦車の車長が、キューポラから外を確かめ驚愕する。
「い、いつの間に!? パンテル戦車は、スコーピオンのずっと後方にいたはずなのに!」
次の瞬間、真横の木立から突如現れた
そんな阿鼻叫喚の図が各所で発生し、辛うじてじわじわと後ずさるに留まっていたオリバー隊は、急速に全面崩壊へと転落してゆく。
見せたいものを見せ、見せたくないものを見させない――マンシュタイン元帥が国防軍時代、部下たちに乞われて語った指揮の要目の一つである。
スコーピオンの注目度を利用して、敵の注意をあえて自身に集め、その隙に、後ろへ広げていたグローサー・パンター隊の左右の翼を、林の木陰を伝って前へと――敵の側面を包み込むように前へと大きく進めたのだ。結果、スコーピオンを先頭に中央突破を図るかのように見えた矢じりの隊形は、今や、七〇両の敵を半包囲し殲滅せんとする網の形へと変わっていた。この逆V字からU字へのダイナミックな展開を、敵と至近距離で交戦しながら、しかも、その敵に気取られない内にやってのけたのである。
元帥が時折見せる自信なさげな態度からは、到底想像もつかない大胆不敵な用兵だ。……内心不安に思っていたか、案外自信があったのかは分からないが、ともかく、この高難易度の指示を、“陸軍最高の頭脳”の期待通り、完璧にこなす戦車兵たちの練度は間違いなく凄まじいと言えよう。それもそのはず、グローサー・パンターに乗っているのは、大半がフレッドと長年苦楽を共にしてきた大ベテランたち――元第七装甲師団のパンテル乗りらであった。
オリバー戦車隊は、イリュージョンのような敵の展開と、自分たちの突破ではなく壊滅を狙う殺意の高い半包囲網に士気を瓦解させ、戦列を乱して我先にと逃走し始める。
しかし、慌てふためく彼らのヘッドホンに、スコットランド訛りの怒声が響いた。
『うろたえるなっ! 我らの背後に勝利はないっ! 目の前にのみ勝利はあるっ! 敵は圧倒的に少数であり劣勢だっ! 各車、
無線を受けたオリバー乗りたちがぎょっとして、部隊の左翼側を見る。すると、一両のオリバー戦車が、敵の半包囲網にわずかに生じていた隙間に向けて、一直線に突っ込んでゆくのが見えた。
「た、隊長車に続け! 急げ!!」
車長が操縦手に向かって命じる。おそらくどの車両もそうだっただろう。火力と装甲で勝る敵中戦車に対し単身飛び出していったのは、あろうことか、彼らの隊長、
まさか大隊長の自殺的な突撃を放っておくわけにはいかない。半ば壊走し出していた部下たちは、目の色を変えて一斉に脳筋な男爵の後を追った。結果的に、わずかに生じていたグローサー・パンターの戦列の隙間に、大きなくさびを打ち込み、そこから圧倒的な速力と数による圧力で、敵右翼の一部に突破口を開くことに成功する。このこじ開けられた穴より三〇両以上が脱出に成功した。
「
敵に怒涛の如く突破された穴を、旧知のベテラン戦車兵の力で何とかふさぐと、元帥は舌打ちした。男爵が突っ込んだ戦列の隙間は、元国防軍のベテランが乗る戦車と、レジスタンス上がりの即席兵が乗る戦車の間であった。練度の差が、戦列の間に表れてしまっていたのであろう。
今朝からレジスタンスに苛つきがちなフレッドだが、スコーピオン自由軍にしろ、平和戦線にしろ、その基盤に、全国に点在するレジスタンスが多分に含まれている以上、言い過ぎるのはよろしくない。まして、後部席とは区切られた前方の砲塔には、元フロイデンヴァルト・レジスタンス首班のニメールがいる。レジスタンスを執拗に悪者にされては、良い気分はしなかろう。
マリーが、若干荒れ模様な上官に優しく声をかける。
「文句言っても始まらないわ。味方に腹立てる前に、敵をどうにかしましょ?」
フレッドは前髪をかき上げ、ああ、そうだなと仕方なく鼻息交じりにこたえた。
「通信手。ホフマン中佐に伝え。まずは包囲網の中に残っている敵を片付ける。右翼側を鉄床に、左翼側をハンマーにして殲滅。その後、右翼側を反転させ、現在、右翼背後に取り付きつつある脱出した敵を、真正面から攻撃する。以上だ」
カールが無線でグローサー・パンター選抜隊指揮官に命令を伝えるのを待つ間、ニメールの声がヘッドホンに聞こえる。
『今からの攻撃が成功すれば、オリバー巡航戦車隊は五割程度の戦力喪失が見込めるのです。……ブレナム公は動くでしょうか?』
フレッドは頭を掻いて嘆息する。
「動いて欲しいものだが、何せ不動の
カールが命令伝達を終えたことを報告すると同時に、左翼側のグローサー・パンターが足並みそろえて前進を始める。静かな電気モーター車故、騒々しいエンジン音はないが、代わりとばかりに
左右に羽を広げていたグローサー・パンターの戦列は、ついに左翼が右翼に合体する形で一本のラインとなり、脱出に成功し、陣形再編を急ぐオリバー隊へ真正面から砲火を食らわせる。元帥は戦線右端から敵と味方の状況を確認しつつ、適宜指示を飛ばす。
とは言え、七〇両近くいた敵の過半数をすでに消し飛ばしており、初め寡兵だった自由軍側は、気付けば、局所的に三〇両のオリバー相手に数的優位を築いていた。
装甲と火力のみならず車両数も不利な状況で、真正面から撃ち合うなど、連合王国軍側からすれば、正気の沙汰ではない。筋肉質な大隊長は、唇を噛み切って命令を下した。
「一時っ……後退するっっ」
快足を発揮して逃げていくオリバーの後姿を見ながら、フレッドは咽喉マイクをつまんだ。
「通信手、伝え。深追いは不要。戦列を整えてから、さらに敵陣深くへ攻め込む。陣形は、再びスコーピオン中心のくさび形。以上」
ハッチをスライドさせ、車長用キューポラから顔を出す。元帥の青銅色の瞳は、逃げるオリバーを通り越し、色づく林の木々を超え、動揺させ難い紳士が紅茶でも片手に鎮座しているであろう丘の頂上を望んでいた。
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