第24話 大蠍の突進

 重戦車と歩兵からなる部隊が、町の中を西に向け前進開始したと報告を受け、スコーピオン超重戦車の車長席に座るマンシュタイン元帥は、咽喉マイクをつまんだ。

「作戦の第二段階を始める。ホフマン中佐以下グローサー・パンター選抜隊は、スコーピオンに続け。マリー、Panzerパンツェル vorフォー(戦車前進)」

 間髪入れずマリーが、ハンドブレーキを押し下げ、左右の加減弁レバーを手前に引く。漆黒の巨体が静かに滑り出し、車体前方足元から白い蒸気を噴き上げる。両側から立ち上がる水蒸気の入道雲は、5メートル以上の壁となり、スコーピオンの漆黒の雄姿を完全に覆い隠す。後に続けと言われた中戦車隊は、超重戦車の姿がいきなり見えなくなり、わずかに慌てるが、すぐ一陣の風が濃霧を吹き去った。気づけば、スコーピオンとの距離が随分離れており、各車慌てて速度を上げる。

 スコーピオン隊は、廃村を出て真西の林へと分け入った。ブリュッヒャー隊が初めに目指した方角とは90度異なる。漆黒のスコーピオン超重戦車が先頭に立って進み、その左右後方にグローサー・パンター中戦車が矢じりのように広がって付き従う。しばらく黙々と、丘の麓へ続く木立の中を前進してゆく。すると、不意にスコーピオンの戦艦並みの装甲が、甲高い音を立てて震えた。

 戦車を走らせたまま、車長がペリスコープを覗き込む。

「シモン、二時方向、350メートル。オリバー」

 武骨な砲塔がゆっくりと旋回する。

『……捉えた』

Feuerフォイエル(撃て)」

 14センチ砲が咆哮を発し、途端に数百メートル以上先の藪の中から火柱が上がった。敵戦車撃破を確認すると、素早く次の指示を出す。

「ニメール。次弾装填。弾種徹甲」

 Jawohlヤヴォールと少女の返事がヘッドホンに届くと同時に、敵の発砲音が聞こえ、次の瞬間、敵弾三発を車体正面装甲で鋭く弾いた。しかし、それでもフレッドは戦車を止めさせず、敵に接近し続けてゆく。

「憐れだな。オリバーの貧弱な75ミリ砲では、スコーピオンの装甲には歯が立たなかろう。ウルムで経験済みだぞ?」

 挑発的に独白しながら、スコーピオンを敵集団へと近づけてゆく。

『装填完了なのです!』

「シモン、一時方向、150メートル。Feuerフォイエル

 再び轟音とともに敵戦車が爆発四散する。

 相変わらず車体と砲塔の正面に、無数の敵弾が命中しているが、ことごとく宙へ弾き返しながら、構わず突き進む。

『装填完了なのです』

Feuerフォイエル

 二発目から二十秒後、三発目が三両目の敵を撃破する。その間も、その後も、異形の漆黒の怪物は火を噴きながら、恐れ知らずにも、敵中戦車集団の中へと鼻面を突っ込んでゆく。

 装甲に物を言わせての突進であったが、それにしても異様な急接近に、オリバー隊は次第に後退を始める。その敵の動きは、ペリスコープを覗く元帥の目には、計画的な行動というより、本能的な脅えからくる後ずさりに見えた。と言うのも、後退している戦車がいる一方で、ところどころ勇気を振り絞りその場に踏み止まっているものもいるのだ。つまり、敵の最前線はスコーピオン超重戦車の不可解な突進に気圧され、指揮統率が乱れ出したのだ。

 フレッドは期待通りの敵の反応にほくそ笑んでから、今度は左右のペリスコープを覗く。そして、操縦手の背中へ呼びかけた。

「マリー。ゆっくり減速。まずは時速20キロまで」

 女史が左壁面の速度計をチラ見し、ポニーテールがかすかに右へ揺れる。右足のフットブレーキを軽く踏み込み、自然に速度を落としてゆく。それから静かに左右の加減弁レバーを1センチ弱前方へ押す。

「時速20キロよ。維持するわ」

 フレッドはKlarクラー(了解)と返事をしながら、また左右のペリスコープを行ったり来たり覗き込む。

「マリー。再度ゆっくり減速。時速15キロまで」

 再び黒い作業服に包まれた右足がブレーキを優しく踏み、白い手が加減弁レバーを包んで、花を摘むような繊細な手つきで前へと押し倒してゆく。手元のレバーの動きに合わせ、車体天板裏に隠された蒸気溜まりの弁が少し閉じ、砲塔下のシリンダーへ流入する蒸気量が絞られる。その操作結果は、マリーの目には、左壁面に並ぶ四つのシリンダー内蒸気圧計の針がそれぞれかすかに下がり、逆に蒸気溜まりとボイラーの蒸気圧計が上がる形で伝わった。視線をずらせば、速度計はちょうど15キロを差している。気持ちレバーを手前へ引き戻してから、握り込んでいた親指の力を抜き、レバー先端のボタンから離す。加減弁が固定された後、速度計は一旦14.5キロまで下がり続けるが、女史の繊細な操作に遅れて反応し、15キロに回復する。

「時速15キロ。維持するわね」

 車長は了解と返事をしながら、相変わらず左右を交互に確認する。この間も、ひっきりなしに敵弾が飛んでくる。スコーピオンはまるで太鼓のように、75ミリ砲に叩かれ続けた。しかし、その強靭な装甲で、正面はもちろん、側面でも悠々と弾き返す。特に車体側面を覆うサイドスカートは、強烈な曲面を描いているため、厚さ60ミリと比較的薄いにも関わらず、命中した敵弾を滑らせるように弾き飛ばす。何度も、何発も。

 計算上はゼロ距離でも貫通不可能な敵の攻撃だ。だが、人間は理性だけでなるものではない。時に感覚的な恐怖が、客観的事実を蔑ろにして暴走することがある。

 特に戦車戦にまだ慣れていないカールは、後部席車体側の通信手席に一人取り残されたように体を丸めて座り、砲弾が直撃する強烈な音を身近に感じるたびに、肩を震わせていた。ニメールは、機械的に引き金を引き続けるシモンの横で、子供並みの重さがある砲弾と装薬をひっきりなしに装填することで恐怖を紛らわせる。そして、忙しくペリスコープを覗き回る車長の足元、操縦手席のマリーも、内心でドラムの中に放り込まれたような不愉快さを感じていたが、持ち前の前向きさを発揮して言い放つ。

「ドラムロールを中から聞けるなんて、貴重な経験ね!」

 ……底なしの前向きさに、カールとニメールが、力の抜けた笑いを漏らした。

「良かった! 二人が笑ってくれて」

「呆れ笑いだぞ」

 元帥がペリスコープの間を行き来しつつ、冷静に突っ込む。マリーは何よお、もう! と頬をふくらませるが、忙しい車長は取り合わない。代わりに再度、減速指示を出す。

「ゆっくり減速。時速10キロまで」

 敵弾を一身に浴び続けながら、スコーピオンは外からは分からない程度に慎重に接近速度を落とす。

 落ち葉を踏み、器用に林の中を走り抜けながら、漆黒の超重戦車は、とうに敵哨戒網を突き破り、オリバー隊本隊へと突入している。オリバー中戦車は目前に七〇両程度集結しているようだが、驚異的な怪物の唐突な突進を前に、前から横から砲撃をしつつも、ゆっくりと後ずさる他ない様子だ。敵戦車七〇両の恐怖はスコーピオン一両からなり、七〇両の注目は全てスコーピオン一両に注がれていた。連合軍の最も恐るべき敵と形容されたマンシュタイン元帥の乗る怪物が、異様な強さと圧力を持って迫ってくるのだ、世界最強の14センチ戦車砲と、戦艦級の装甲をもって。この威容を前にして注目するなと言う方が、無理であろう。

「時速10キロ。維持するわ」

 その報告を聞くや否や、フレッドの口が悪魔的に歪み、笑みをたたえた。

「完璧だ。通信手、選抜隊ホフマン中佐に伝え。各個に攻撃を開始せよ!」

 カールが命令を無線で伝えるや否や、林の木陰という木陰から、鋭い砲声が轟いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る