第21話 2万対8万

 アドラー偵察ヘリコプターの鷲の目から次々送られてくる敵情は、スコーピオンの影に集う眉間の皺を、深々と険しくさせた。

 地図にカールが赤鉛筆で書き込んだ敵の配置を、額を合わせて覗き込む。

 奇策師のニメールが、力なく垂れた二つ結びの先を掴む。

「こ、これは……想像以上なのです」

 大公も、渋い表情でうなずく。

「同感だ。町にエロイカことボナパルト将軍のガーリー軍第二機甲師団、町の北西と丘の南西の間の平原に、合衆国軍第四二歩兵師団と、第一七機甲師団、それに、丘には連合王国軍の名将、鉄公爵アイアン・デューク率いるデザート・ラッツこと第七機甲師団……。第二機甲師団とデザート・ラッツはそれぞれ全軍による出撃という訳ではないようだが、西側連合軍のエースがそろい踏みだ。兵力差は、こちらが二万人弱に対して、あちらは八万人程度と、実に四倍以上ある……」

 連合軍内の不協和音は欺瞞情報だったのか……? 思わずそう疑いたくなるほど、空から伝えられた現実に打ちのめされた。

 完璧な奇襲を仕掛けたはずが、連合軍八万にコの字型の堂々たる布陣で待ち構えられており、フレッドの眉間も、険しく寄せられ盛り上がっている。しかし、最近、絶望節を吐きがちだった口は一文字に引き結ばれていた。砲手シモン・ヴォル曹長が、戦友の横顔を静かに見つめる。その視線の先で、フレッドは腕を組み、前傾姿勢で地図を食い入るように読み続けている。大きく地図全体を捉えたり、瞳孔を開いて細部を読み解いたり、望遠鏡を覗く天文学者や顕微鏡を覗く科学者のように、網膜というガラスレンズの奥で、瞳が青い炎をまとって動く。その瞳のさらに奥では、プロイス陸軍最高と称えられた頭脳が、限界まで回転し続けていることだろう。

 数々の修羅場をともに乗り越えてきた黒髪の戦友が、思わず一つあくびを漏らす中、底抜けの楽天家が口を開いた。

「みんな深刻になり過ぎよ……今あくびしたシモン以外」

 マリーの言葉に、すかさず砲手は大口を閉ざす。

「ニメールちゃん、そんな顔しちゃダメよ。暗い顔に、幸せや希望は訪れないわ。カールは最年長なんだし、そんな露骨に表情に出さない! まず希望を持たないと! それから現実的に考えましょう?」

 ね? と言って、楽天家はうつむく悲観主義者を心配そうに覗き込む。ニメールとカールも、元帥を仰ぐ。シモンも黒目を上官へ向ける。……フレッドは、しばらく黙して地図に向き合っていたが、おもむろに面を上げた。

「この状況なら……ん? 何だ? すごい見られてるな」

 マリーが腰に両手を当てて、大げさにため息をついた。

「全然気づかないじゃない。こんな至近距離で四人から見つめられてたのに……大丈夫なの?」

「地図を見てたんだ。やむを得まい」

「なるほどね。けど、そんなに集中して見てたなら、きっと勝ち筋も見つけられたわね?」

「ああ」

 短く返し、力強くうなずいた。

 望んでいたが……待ち望んではいたが、予想外の反応に、シモン以外の三人は目を見合わせる。それから、マリーはフレッドの顔を真っ直ぐ見つめ、背伸びして、そっとその額に手を当てた。元帥が驚いてのけ反る。

「な、何だ急に」

「いや、熱あるのかと思って……」

 大真面目な声音と表情に、ニメールとカールは思わず噴き出した。とは言え、彼らもまた、マリー同様の困惑を抱えている。対するフレッドは眉をしかめた。

「熱なんてある訳ないだろ。仮にあったとしても知恵熱だ。心配無用」

 だが、女史は案ずるように上目遣いで覗き込んだ。

「けど、やけに強気じゃない……。いや、それでいいんだけど、今までと比べ物にならないほどのピンチなんでしょ? そりゃ、あからさまに動揺するよりは、よほどいいわよ?」

 ――でも、ヘリで偵察する前は、別人格みたいに弱ってたじゃない、という言葉は、舌でまるめて飲み込んだ。技師の言葉に、ニメールと大公も首肯し、フレッドを下から見つめる。ところが、彼は平然とこたえた。

「別に強気なわけじゃない。ただ、この状況なら、戦術的に勝つ見込みがあるというだけだ。感覚の問題ではなく、合理的な計算の結果として」

 “プロイス陸軍最高の頭脳”が、さも当然のように言い放つが、三人は誰もが耳を疑った。

「準備万端整った四倍以上の敵に、戦略的な奇襲をかけられたわたしたちが、戦術的に勝つ見込みが……あるのです?」

 ニメールが首を傾げると、元帥は力強くうなずいた。

「ある。たしかに、敵は優に八万はいるのに対し、我々は二万弱だ。教科書的には絶望的と言われる戦力差だろう。だが、史実を紐解けば、数量差は戦略的にはほぼ絶対だが、戦術的には意外と少数が勝つという例外が見られる。私自身の経験の中でもそうだ。ただ、今回のように厳しい条件下においては、細いほそい一本の糸を、勝ち筋として見出さなければならない。しかも、糸のくせして複雑に編み上げる必要がある。その糸筋は、見える者には見えるが、見えない者には決して見えないし、まして、それを編み上げて糸にできる者は、ますます限られる。だが、幸運にも、俺には見えるし、俺の“狂信者”とまで呼ばれた優秀な部下たちとならば、奇跡の糸を繰り出すことも可能だろう」

 ほぼ比喩表現しかない説明に、シモン以外の三人は眉をしかめる。しかし、フレッドは詳細を解説する前に、腕時計を確認すると、矢継ぎ早に指示を出す。

大公グロース・ヘルツォーク。砲兵連隊長ミュラー大佐を無線で呼び出せ。その次は、ブリュッヒャーとザイトリッツだ。マリーはスコーピオンへの給炭と給水、及び予備の準備。ニメールとシモンは、念のため点検を。おそらく長丁場になるから、念入りに頼む」

「な、長丁場って、どれくらいなの?」

 マリーが用意する燃料の量を計算するため問い返す。車長は即座に返した。

「夜まで持つように」

 夜まで……なのです? とニメールが呟く。カールもスコーピオンへ向かって歩き出しながら、首を傾げた。

 ――一体、元帥は何をしようとしているのか……?

 三人は顔をしかめながらも、一方で、無類の英雄に対し、確かな胸の高鳴りを感じ出す。

 輪の外にいたシモンが一つ伸びをして、車体側面に取り付けられた工具箱を開けて、中をあさる。そうしながら、少し離れたところに立つ戦友の方へ目線だけ向けた。馴染みの上官の背は真っ直ぐと伸び、その瞳は青銅の光をたたえ、敵のいる方を鋭く見すえている。砲手は視線を工具箱へ戻すと、安堵したように小さく息をつく。

「……ニメール。ハンマー」

 呼ばれた少女が近づき、整備用のハンマーを受け取る。それから、シモンの表情に、思わず声を漏らした。

「シモンさん……砲撃してない時でも、笑うのですね」

 指摘された途端、寡黙な砲手の笑顔は引いた。

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