第19話 アハト・アハトの咆哮

「ようやく命令がきたね」

 暗灰色ドゥンケルグラウに塗装された中戦車グローサー・パンターのキューポラから顔を出しながら、伯爵グラーフとあだ名される美秀な第一装甲連隊連隊長ヴィルヘルム・フォン・ザイトリッツ大佐は微笑んだ。眼前では、突然大挙して押し寄せてきたガーリー軍の精強な中戦車部隊が土ぼこりを上げて迫ってきている。これに対しザイトリッツは、配下のグローサー・パンターを、元帥の迎撃命令を先取りするように、南向きに横一線、美しい戦列で並ばせていた。中戦車としてはやや大ぶりな車体で、左右にスコーピオン似の曲面サイドスカートを引っ下げ、その図体の上には、被弾面積の少ない小顔な砲塔シュマールトュルムと、数年前まで戦車最強クラスの戦車砲だった8.8センチ砲アハト・アハトを凛とのせている。幾度となく連合軍を恐怖のどん底へと叩き落としてきた“アハト・アハト”の横隊が、東の陽光にさらされ、一本いっぽん、一直線の静かなシルエットを村はずれの地面に刻んでいる。そこ目掛けて、ガーリー製の大口径10.5センチ砲が、毎秒15メートルの速さで突っ込んでくる。

 伯爵グラーフも、いるはずのない敵の突撃に対し、元帥同様、内心ではかなり動揺している。だが、戦術レベルですべきことは明白であり、歴戦の戦車指揮官たる大佐はあえて不敵な笑みを浮かべた。

「熱烈なアプローチだけど、ただ走り込むだけでは敵も淑女も落とせないよ」

 笑いながら咽喉マイクを摘まみ、冷静に一言発する。

Feuerフォイエル freiフライ(各個に撃て)」

 待ってましたとばかりに、獰猛な黒豹パンターたちが火を噴いた。すぐさま最前列のパリス中戦車が、デザイン性に優れた細面の砲塔から火を噴き、乗員の断末魔とともに力尽きる。すぐに第二列が高速で飛び出してきて、精強な10.5センチ砲を放つも、時速55キロ以上で全力疾走しながら放つ砲弾は、自由気ままに飛んで行く。土にめり込んだり、空高く消えて行ったり、運が良くてもグローサー・パンターの傾斜した車体正面に当たって、軽やかに弾かれるくらいだ。大いなる黒豹たちは、おおらかに敵弾を受け止めた後、容赦なくアハト・アハトを敵の顔面に叩き込む。猛進するパリスの第二列も、砲台と化したグローサー・パンターの正確無比な第二射に叩きのめされた。

 パリス中戦車の砲塔正面は、優美に、しかし鋭利に傾斜しているが、実際の装甲厚は30ミリと紙のように薄く、8.8センチ砲アハト・アハトに容易く貫通される。車体正面の傾斜も、グローサー・パンター以上に強烈だが、こちらも結局は30ミリしか厚さがなく、いくら傾斜していても紙は紙だ。グローサー・パンターの砲手らからすれば、照準器に収まりさえすれば撃破できる、というくらい楽な的であった。

 高速で接近してくる光景は一定のプレッシャーを感じるが、自由軍側は立ち止まって撃っているため、全速力で突っ込んでくる敵と違いゆっくり狙う余裕がある。敵前で棒立ちになるなど普通なら危険であろうが、敵の大口径10.5センチ砲をもってしても、素が分厚い上に傾斜までかかった黒豹の面の皮は、容易には破れないのだ。

 ガーリー軍の奇襲は戦略上も戦術上も完璧に近かったが、“疾風”の異名を持つザイトリッツ大佐は、素早く迎撃の戦列を整え、車体の性能差をフルに発揮させることに成功した。彼の迅速な対応に、パリス戦車隊は逆に出鼻をくじかれ、一方的に被害が増してゆく。


 パリス中戦車の奇襲的突撃は、グローサー・パンターの一糸乱れぬ隊列の手前100メートル地点まで迫ったところで、ついに力尽きた。わずかに残った車両は反転し、ジグザグに走ってアハト・アハトをかわしながら、川沿いの町の方へと去っていく。

 敵の遁走を双眼鏡で確認し、ザイトリッツ大佐は咽喉マイクをつまんだ。

Alleアレ Panzerパンツェル, feuerフォイエル einstellenアインシュテレン!(全車、撃ち方やめ!)」

 黒豹たちは咆哮を止めた。長槍の先に硝煙がかすかにたなびく。

「通信手、次は司令長官に連絡。パリスの突撃は撃退。第二波に備えて待機する」

 Jawohlヤヴォールとヘッドホン越しに返事が聞こえる。伯爵グラーフは、南の町を見つめ、顎をさすった。

「……さて、敵は予想以上に多いようだけど、元帥はどうするのかな?」

 その声音は心配に沈むどころか、期待で跳ねるようだ。自分より七つも年下でありながら、数々の奇跡を目の前で起こしてきた上官を思い、状況にそぐわず心が躍っていた。




 ところが、勝手に期待される元帥の方は、スコーピオンの影で右往左往していた。

 ――一体、誰が戦場にいるんだ? 俺は今から、誰を相手に戦うんだ?

 前線で、これほど嫌な問いはないだろう。フレッドの右手は脳天から離れず、忙しなく五指がつむじを掻き続ける。

 連合軍側はそれほど鮮やかに、マンシュタインの予想を裏切ったのだ。元帥は攻撃計画について徹底的に情報を統制し、装甲師団二万人をわざわざ数日間に分けて送り込むという用意周到さでもって、合衆国軍第四二歩兵師団の駐屯地に奇襲を仕掛けようとしていたのだ。それが蓋を開けてみれば、合衆国軍の占領していた領域に、ガーリー軍がいるのだ! 合衆国軍が事前に自由軍の作戦を察知し、無理を言って援軍を出させたとしか思えない。

 ――あの町のレジスタンスに、裏切り者がいたのか……? ドル札で平手打ちされて、寝返ったのか?

 隙を見せれば、すぐさま反抗的な態度をとるレジスタンスの面々を思い出し、左拳を握る。

 だが、この怒りは無益なものだ。合理主義者は一つ深呼吸を挟んで思い直すと、これから対処すべきことにのみ集中する。フレッドは右手を脳天よりおろし、マリーの側に立つ白衣姿のドクトル・シュミットへ声をかけた。

「ドクトル。偵察ヘリの出番だ。さっそく真価を発揮してもらおう」

 博士はたばこを地面へ落とし踏みつけると、黙ってうなずく。

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