第17話 攻撃すべきか、せざるべきか
「おお、ニメールか」
一六歳の少女が、一歩部屋へ歩み入り、手を後ろに組んで微笑む。相変わらず宿屋の素朴な給仕服に身を包んでいるが、その立場は今や平和戦線の大代表であり、世界の列強に喧嘩を売った解放戦争の政治的指導者である。虐げられるプロイス市民の解放のために、自ら先陣を切った勇敢なリーダーだ。しかし、この一瞬だけは、憧れの英雄を前に、一介の少女の上気した笑顔を見せる。頬を若干赤くしながら、カールの横に並んだ。
「平和戦線は順調そうだな」
フレッドが労いの言葉をかけると、ニメールは満面の笑みでうなずく。
「はい! 参加を表明してくださるレジスタンスや町が想像以上に多いのです。今や平和戦線派の領域は、プロイスの南端から、北の境はザールブリュッケン、フランクフルト・アム・マインより、ツヴィッカウ、ケムニッツを東西に結ぶ辺りまで、概ねプロイスの南半分に及んでいるのです」
カールが髭の先をなで上げる。
「今やドナウ川をはるかに超え、ザクセンに食い込み、ブランデンブルクへ迫る勢いというわけだ。正直、私もこれほど急速に拡大するとは思わなかった。現状、管区憲兵の配属は何とか間に合わせているが、長期的にはより多くの人員が必要になりそうだな。憲兵隊としては、他にも部隊配属の野戦憲兵や、ミュンヒェルン駐屯の中央憲兵にも依然人員が必要だが、支配領域の拡大が落ち着くまで管区憲兵の増員を原則優先しよう」
「平和戦線派の支配領域はたしかに短期間で非常に広がった。今のところ憲兵管区の設置もほぼ同時に行えているし、急速な規模拡大という計画の第一段階は足元順調と言えよう。だが、問題は実情だ。実効支配を謳う領域の内側には、無傷の合衆国軍の占領軍が二個師団もいる。ガーリー軍の占領地域もあるし、一部オロシー軍の領域にまで達している。ここまで全面対決を避けてきた連合軍だが、そろそろ我慢の限界を迎えるかもしれん。我々は腹の内に、導火線に火が付いたダイナマイトを複数抱え込んでいるんだ」
足を組んで鼻を鳴らす。それから、思い出したようにニメールの方を向く。
「ああ、そうそう。今度は合衆国軍が俺の命を狙ってきたらしい」
ターコイズブルーの瞳を見開き、真剣な声音で返す。
「また刺客なのです?」
「そうだ。今回はボディチェックの段階で武器の所持が判明した。詳しくは、今、取り調べ中とのことだ」
憲兵総監が首肯した。ニメールは少し考え込んでから、再び元帥を見つめる。
「今回は声明を出してもいいのではないでしょうか? 先月のオロシー軍の爆弾魔については、戦略的判断から見送りましたが、すでに合衆国軍との戦闘は不可避ですし、戦力も一か月である程度整ったのです。実は今日参りましたのも、シュトゥルムガルトとフランクフルト――平和戦線領域内の合衆国軍への対処について相談をしたかったのです。無視し続けることはできないのですし、いっそ今なら刺客を口実に堂々と攻撃ができるのではないのです?」
フレッドがうなる。
自由軍創設からおよそ一か月間、兵力を蓄えてきたのは事実だが、編成できた部隊は、急ごしらえの装甲師団一個だけであった。将兵はすでに一個師団以上集まっていたが、兵器の生産が間に合っていないのだ。急ピッチでこさえた兵器一個師団分で対する敵は、最大で四か国。もはや数える単位から異なる。――現実的には、合衆国軍が自由軍討伐の音頭を取るなら、オロシー軍は参戦しないのではないかとも思うが、それにしたって三か国の軍隊対、一個師団では話にならない。だが、時を置けば、そもそもの戦略的な差が圧倒的である以上、一企業が一個師団を二個師団に増やす間に、連合軍はそれぞれ軍団規模での増員を行える。しかも、真新しく立ち上げるわけではなく、祖国で余っている部隊を送り込むだけで良いのだ。足踏みしていては、戦力差は今以上に拡大する。
十分な戦力とは言えないが、これ以上絶望的な状況になる前に、一戦交えるしかないのか……?
宣戦布告してから一か月以上、ほとんど戦火が交えられない奇妙な状況が続いてきた。その間、平和戦線は市民の熱烈な歓迎に支えられ、憲兵管区制度によって事実上の支配圏を急速に拡大し、占領軍の支配域を
一方の連合軍は、個人の暗殺を試みるばかりで、スコーピオン社や平和戦線、及びその支持者たちに対する表立った制裁を明らかに避けている。情報隊の報告曰く、四か国それぞれの利害が対立しているため、統一的な制裁の発動が困難らしい。かと言って、他の連合国を無視して自国だけが反乱勢力の武力鎮圧に大々的に乗り出すなど勝手なことをすれば、仲間からどのような制裁を加えられるか分かったものではなく、単独行動も取れないそうだ。退くにも進むにも、今の連合軍は互いの足を踏むばかりで、同じところから一歩も動けずにいるのである。
――敵の連携が乱れている今こそ、先制の一撃を加える好機か……。
フレッドは、いつの間にか頭頂にあった右手を下ろし、襟を正した。長考から目を覚ましたことに気付き、ニメールとカールが視線を向けてくる。一つ咳払いすると、四つの瞳に向けて口を開いた。
「合衆国軍の刺客に関する声明は、10月20日の党機関紙で発表したい。ラジオやテレビ局には、当日早朝に声明を録音したテープを提供する」
「今日は10月9日だぞ?」
「分かってるよ、
「それでは、どうして11日も空けるのです?」
「一個師団の作戦準備を、用意周到に行うためだ」
ニメールの瞳孔が大きく開く。カールも喉を鳴らした。フレッドは一度深く息を吸ってから、言葉を発する。
「連合軍が連合できていないのは知っての通りだ。今、先制の一撃を加えることができたら、四か国の軍隊をまとめて相手取るような状況にはならんだろう。一か国の軍隊相手なら、たとえ一個師団以上いても、やりようはある。不幸中の幸い、過去何度もそういう戦いはやってきたからな」
少女が大きくうなずき、二つ結びが跳ねる。カールも髭をなで上げながら、首を縦に振った。
「攻撃目標はどこなのです?」
血気盛んな少女が身を乗り出す。その瞳は年相応に純粋に輝いているが、鼻息は馬のように荒い。フレッドは一瞬苦笑を浮かべてから、唇の端をひね上げた。
「シュトゥルムガルト――合衆国軍占領軍、第四二歩兵師団駐屯地だ」
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