第16話 エーデルヴァイスの大三角

 平和戦線とスコーピオン社の宣戦布告に対する連合軍の反応速度は、元帥やニメールの厳しめの想定は愚か、市井の人々の素人予想をも裏切る遅さであった。8月31日のマーリエンプラッツ宣言から、一か月以上が経過しても、一向に連合軍による武力制裁の気配がないのである。

 不気味に静かな9月の間に、スコーピオン重工では戦車百両以上を生産し、その他武器兵器もこさえていた。スコーピオン自由軍には、自由と公正の実現を求めて国内外から志願兵が殺到し、すでにそれなりの兵力を備えるに至っている。

 この間、連合軍――窮地の合衆国軍と、プロイス恐怖症のガーリー軍、我関せずな連合王国軍、ひたすらに資本主義陣営の仲違いを望むオロシー社会主義連邦軍は、一生懸命に内輪もめに興じていた。この敵のあまりにお粗末な“連合”っぷりについては、ロマーヌ・エロー上級大将率いる情報隊において、日々の無線傍受や潜入工作員の報告などから、確証を得ていた。

〈我々の宣戦布告から一か月、何ら主体的な反応や制裁ができていないところを見るに、連合軍の“連合”というのは、名ばかりと思われるのです。我々に対し、一歩前進することもできないほど、歩みが不揃いなのです〉

 平和戦線大代表ニメール・エローが、党機関紙「Anアン dieディー Freiheitフライハイト!(自由に寄す!)」でこう書いたのも当然だ。


 そんな中、10月9日、密かに事態が動いた。


 社長室で書類を決裁していたところへ、憲兵総監カール・アルプレヒト・フォン・ヴュルテンベルク上級大将が慌ただしくやってきた。ようやく支給された純白の憲兵制服のマントがたなびく。

「司令長官。一か月と三日ぶりの刺客だ」

 スーツ姿のフレッドは、万年筆のふたを閉め、ゆっくりとデスクへ置く。

「危険な状況か?」

「いや、すでに捕らえた」

 Wunderbarヴンダーバー!(素晴らしい!)と返す。

「またオロシーか?」

「今度は合衆国軍だ」

 なるほど、ついにか……嘆息して両手で髪をかき上げる。

「男一人だ。商談に来たと装って、体のあちこちに凶器を忍ばせていた。尋問したところ、合衆国軍陸軍の特殊部隊所属のようだ。今、裏付けとなる証明書や書類を確認している」

「手際がいいな」

「先月の爆殺未遂以来、来訪者のボディチェックを強化している。尋問方法も集中的に研修を行った。その成果が出たということだ」

「素晴らしい。総監の迅速な取り組みと、それを成果に繋げた現場の憲兵に、敬意と感謝を表する」

 壮年の憲兵総監は、両足をそろえて敬礼する。

「最終的な結果は、また報告に上がる」

「頼んだ」

 そう言って退出しようとするカールを、フレッドは急に呼び止めた。

「今聞くことじゃないかもしれんが、その制服の評価はどんなだ?」

 大公グロースヘルツォークが立ち止まって振り返り、自身の服を見回す。


 憲兵隊は、ニメールから注文が入ったように、平和戦線内で極めて重要な存在である。その存在意義と責任感を示すために、制服は際立ったデザインになっていた。

 上下とも純白で、羽織るマントも純白。真っ白のダブルジャケットには、金のボタンが六つ輝き、紺青プルシャンブラウのネクタイがアクセントを加える。両襟に、赤地に金模様の階級章が縫い付けられる以外、他に装飾はなく、とにかく潔白である。

 憲兵総監は満足げにうなずいた。

「私は好みだ。部下たちも、概ね気に入っている。特に込められた意味に、賛同する者は多い」

「それなら良かった。装飾が少なすぎやしないかと心配していたんだ」

「こういったシンプルなデザインも時に美しくて良い。そうだ、皆特にこのマントの模様を気に入っている」

 そうして背中側を元帥に向けると、尾を引いて長いマントが揺れる。その裾が静かになぐと、印象的な金の刺しゅうがはっきりと見えた。マントいっぱいに広がる模様は、エーデルヴァイスの大三角――高潔さと、自由と公正を、三輪の花の金刺しゅうで表した自由軍憲兵隊の象徴である。背中に揺れる大きなエーデルヴァイスの花の正三角形が、誇りとともに純白の衣装に輝かしい彩を加えていた。

「憲兵隊には、若い女性も多いからな。華やかで、なかなか映える衣装だ。私のような壮年が着ると、服の方が嫌がるかもしれないが」

「安心しろ。お前さんも、十分似合ってる。貴族の品格があっていい」

 それは光栄なことだ、と顔だけ振り返って屈託のない笑顔を見せる。

 徹底的に純白にこだわり、背中には分かりやすい三輪のエーデルヴァイスの刺しゅう。正三角形に配されたこの金の花模様こそ、スコーピオン自由軍憲兵隊の存在意義と、制服に込められた意味を象徴する存在だ。

 自由軍憲兵隊は、パルチザン狩りや占領地での虐殺で悪名を取った旧軍の憲兵とは、一線を画す。平和戦線の実効支配領域において、自由と公正に基づく秩序維持に、高潔な精神をもってあたる。ニメールとフレッドが、カールとともに真っ先に組織した理想的な内向けの保安機関なのだ。

 ぐるっと回って制服を見せたカールが、元帥の方へ向き直りカイゼル髭をなで上げる。

「しかし、ニメール女史の原案もさることながら、司令長官も上手いことを考える」

「何の話だ?」

「管区憲兵制度だ。平和戦線の理念に賛同し、指導に従う意思を示した町に、治安責任者という形で憲兵数名を自由軍から送り込み、各地で事実上の警察権と司法権を掌握し、緩やかな軍政統治を敷く。市民には、レジスタンスや住民有志への警察・消防活動の指導等を通じ安全な暮らしを保障し、さらに、こうした憲兵管区を各地に設定することで、内外へ平和戦線の実効支配領域を明示できる。よく出来たシステムだ」

「何も特別なことじゃない。歴史上よくある陳腐な制度の使いまわしだ……。まあ、あえて特別な点を挙げるなら、送り込むのはトップの数名だけというところくらいだろう。日常的な警察活動はご当地のレジスタンスに任せ、管区憲兵はその管理と指導を通して、町をコントロールする。要は、二、三名程度の人件費で、町や都市一つを治めることができるわけだ。警察部隊を百人単位で送り込まずに済むのは、我ながら自慢できるコストパフォーマンスだと思う」

「さすがは経営者だ」

「当たり前だ。労少なく功を得るのが、経営でも戦争でも最善だ」

 合理主義者らしい一言に、カールは苦笑しつつ頷き返した。

 その時、社長室のドアがノックされる。フレッドがJaヤー? と応じると、金髪の二つ結びが扉の影から現れた。

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