第14話 距離の近い客

 フレッドは喜色満面に、来客を迎え入れた。しばしば冷徹さを見せる彼が、純粋に優しい笑顔で大きく両腕を広げる。真っ白い天使のような人物は、微笑み返しながら、その腕の中にすっぽりと収まった。

「久しぶりだね、フレッド。しっかり話すのは、大学以来だね」

「ああ……。傷一つなく、無事で良かった」

 フレッドが強く抱きしめると、客も背中に腕を回し、力いっぱい応えようとする。しかし、途端にフレッドが呻いたので、慌てて手をほどき離れた。

「ご、ごめん。痛かった?」

「ああいや……普段なら足りないくらいだが、実は昨日ちょっとな」

「……フレッドは、無傷じゃ済まなかったんだね」

 これも仕事の内だ、と右手で頭を掻く。すると、天使はそっとその手を取り、両手で包み込む。フレッドの喉が鳴る。それから、エリスと呼ばれた美しい顔は、垂れ目の端を細くして、真っ直ぐ社長を見つめた。

「凄いね、フレッドは。昔から、どんな苦しいことがあっても、弱音を吐こうとしない。でも……僕の前でくらい、素を見せて?」

 自然と心の奥底に触れてくる、そんな愛情を受け取って、フレッドは空にあった左手を、エリスの手に重ねた。

「やはり、エリスがいなくては、俺の人生に平安はなさそうだ」

 そんな甘ったるいセリフを吐いて、慈愛にあふれる垂れ目を見つめる。が、そんな垂れ目の下で、急に唇が小悪魔のように吊り上がった。

「でも、僕知ってるよ? 例のきれいな奥さんに、子どもができたって」

 瞬間、フレッドの上気した頬から色が失われ、土気色になる。エリスの緑の瞳が動揺に波打つ目の前で、急速に碧眼が灰色に覆われる。

「エミーリエか……最近、そのことを随分説明しているんだが、お腹の子もろとも、オロシーの糞芋どもに八つ裂きに殺されたよ。聞きたいか? まず、信頼ある部下たちにパリスで裏切られ、俺の意に反して脱出させられ、時間を置いて家に帰れば、分かるか!? 最愛の妻が……妻だった物が、腹を引き裂かれ、子どもと内臓を床にぶちまけて、この世のものとは思えぬ異臭を家のリビングで放っていたんだ! 俺はその場に崩れ落ちて、たまらず妻と我が子を抱き寄せた。それから、涙と声が枯れるまでむせび泣き続けた。耐えられなかった。いっそ俺も、そのまま添い遂げたかった! だが、人間というやつは憎たらしいほどに強靭で、体をかっ捌かれない限り、幾ら絶望しても死ねないんだ。いっそ絶望だけで死ねたら、どれだけ幸いか!!」

「ごめん、フレッド! ごめん。嫌なこと思い出させて。僕、そんなつもりじゃ……」

 エリスが握る両手に力を入れて、許しを請う。それに、フレッドは目を覚まし、次第に瞳の曇りが晴れてゆく。

「すまない、こちらこそ取り乱してしまって。どうにも最近、多忙過ぎて、肉体だけでなく心まで疲弊していたようだ……」

 とりあえず座ってくれ、そう言って、部屋の脇に置かれたソファへ導く。そして、二人で並んでかけた。両者の距離は異常に近いものの、肩が触れようが、膝が触れようが、互いに気にする様子はない。

 しばらく無言で肩を触れさせていたら、フレッドが口を開いた。

「エリスが志願してくれて、本当にうれしいよ」

 天使が垂れ目を細くして微笑む。

「当然だよ。唯一の幼馴染の窮地だし、僕、やっぱり少しでもフレッドの力になりたくて。徴兵された後、軍楽隊にいたから、戦いでは役に立たないと思うけど……それでも受け入れてくれるなら、すごくうれしいな」

「一流の音楽の腕前を、存分に発揮して欲しい。スコーピオン自由軍に軍楽隊を設けるのと、スコーピオン社の文化事業としてオーケストラを立ち上げるつもりだから」

 Wunderbarヴンダーバー!(いいね!)とエリスが目を輝かせる。

「でも、オーケストラもなんて、お金あるの?」

「今はまだない。だから、立ち上げは、いずれグループで収益がきちんと上がり出してからだな。だが、軽い気持ちではない。絶対に作りたいと思っている」

Warumヴァルム?(どうして?)」

「軍需メーカーと私兵という死の商人のイメージを、少しでも払拭するため……というありがちな面もあるが、私が経営者として考える企業の社会的責任を果たしたいという想いもある」

「それは、どういう意味?」

「今の社会の状況を考えて欲しい。長い戦禍の末に、ホールやギャラリーは焼け落ち、数々の名品が失われ、おびただしい数の名手が亡くなった。かつて社会で文化的活動を担っていたものは、すべて黄泉の国へ旅立ってしまった。この文化的に荒廃した社会を、今一度人間的な潤いで満たすためには、強力な後援者が必要だ。この七年間で失われた建築、作品、担い手を復活させるに足る資金力と、社会的発言力を持つものが――。今はまだだが、いずれスコーピオン社は、平和戦線とともに、プロイス市民にとって非常に大きな存在となる。その頃には財務に余裕も出よう。金と信頼という力を得た時、私はできる限り、その力を万人にとって有意義に使いたいんだ。エリス、お前さんは、その第一歩だ。軍楽隊と、いずれ必ず結成するオーケストラで、指揮をしてもらいたい」

 エリスは頬を上気させ、首を何度も上下した。

「うん、やるよ! 指揮者の経験は少ないけど、僕、全力で当たってみせる。それでフレッドに、あっと言わせるからね!」

 楽しみにしてる、と顔をしわくちゃにして微笑む。

「それで、第二次世界戦争が終わって四か月ほど経つが、どうしていたんだ?」

「僕は、実家に身を寄せてたよ。お姉さまたちは全員嫁ぎ先の復興で手いっぱいだから、お父さまの手伝いを。カレンベルク家は旧政権時代は優遇されていたけど、逆にその分、戦後は立場が危うくて」

 なるほどな、と首肯して、優しく手を取る。その瞬間、二人の背後で物音がした。頬がすれそうな距離で、同時に振り向くと、許可なく開けられたドアからは、青目一つと、狐の尾のような太いポニーテールが覗いていた。

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