第13話 元上司来訪?

 爆殺未遂事件の翌日9月7日、創業から一週間と一日たって、ようやくスコーピオン社社長室に社旗が納入された。

 マンシュタイン社長自らがデザインしたもので、歴史的にプロイスの自由主義を象徴してきた黒赤金の三色が配されている。長方形の旗の中心に、赤線の菱形に囲まれた真っ黒の世界があり、その暗黒世界を横へ切り裂く稲妻のように、さそり座の星座記号が金色で描かれている。黄金に輝くさそり座の記号は、獰猛な尾で菱形の右下を突き破り、闇に覆われた世界に風穴を空けている。抑圧者、つまり占領軍の排斥による自由と公正の実現というスコーピオン社の使命を表したこの社章を長方形で囲み、菱形の社章の外側、右上と左下のスペースを金色、左上と右下を黒に塗りつぶし、社旗としていた。

 社長デスクの背後の壁面に社旗が飾られ、一層雰囲気を増した社長室だが、背中に無数の穴を開けたままのフレッドは、仕事に手を付けられておらず、常ならず心あらずといった様子である。マリーは万年筆を設計図に走らせながら、青い目で社長の忙しなさを流し見る。戦場で追い詰められた時以外は、ふてぶてしい程に余裕を装う彼が、銃弾一発もない社長室で、執拗に髪をなで上げ、デスクの上を几帳面に整理し、立ち上がって右往左往したかと思えば、壁に掛けられた絵の角度を直す。神経質に何度も額縁に触れ、数歩下がって一人うなずくが、第三者の視点ではむしろいじる前より斜めになっていた。

 マリーがため息をついて、万年筆の尻で頭を掻く。

「どうしたの、一体?」

 フレッドが肩を跳ね上げて、ゼンマイ仕掛けに振り返る。

「な、何の話だ」

 そう言い返しながらも、視線は宙を泳いでいる。

「何の話だ、じゃないでしょう。明らかに今日、落ち着きがないじゃない。まったく、仕草だけなのに騒々しくて、集中できないわ」

「そもそもお前さん、なんで社長室で仕事してんだ……。仮とは言え、技術顧問の執務室をやっただろう」

「無人無音だと集中できないのよ。とは言え、アンナは空軍創設準備、カールは昨日の処理やら色々、ニメールちゃんは平和戦線で忙しそうで、お邪魔するには忍びないから、仕方なくここに来たの」

「おい。それじゃあ、まるで俺が邪魔しても問題ない暇人みたいじゃないか」

「事実、そうじゃない。さっきから全然仕事してないわよ?」

 きれいさっぱり片づけられたデスクを顎で指すと、フレッドは唸る。

「……シ、シモンがいるだろう」

「……すごく言いづらいけど、いてもいなくても存在感ないじゃない」

 これには戦友も、悪かった、と首を垂れた。

「それで、どうしたの?」

 マリーが少しやわらかい声音になって、離れて立つ社長の顔を覗き込む。

「正直、尋常じゃないわよ。今日のフレッド」

 そこまでか……と呟かれ、強く首肯した。

「そうよ――まるで、初恋の女性を初めて家に呼んだ時みたいよ?」

 突如、Wヴ、,Wasヴァスッ!?(な、何っ!?)と大音声が部屋に響く。マリーは驚いて、万年筆を落としかける。手を震わせながら、なんとか愛器を掴むと、唖然として見つめた。

「え、何? ほんとにどうしたの?」

 フレッドが前髪を右手でかき上げながら、深く息を吐き出す。それから、左手をドアの方へひらひら仰いだ。

「これから来客があるんだ。ここにいてもらっては困る」

「ああ……それは仕方ないわね」

 マリーは慌てて仕事道具をまとめ出す。時の独裁者にも平気で盾突いた恐れ知らずな英雄が、ここまで神経を尖らせる相手ということは、例の行員時代の上司だろうか。非常に尊敬している様子であったし、誠実な彼としては、無茶苦茶言う総統は鼻で笑えても、むしろ真に優秀でお世話になった上司は出迎えるだけで緊張するのかもしれない。そんな風に推察していると、卓上の黒電話が鳴り、社長は駆け寄ってとる。二言三言返すと、受話器を騒々しく置いた。それから、マリーの方を振り向く。

「そら、早く。人が来るから」

「分かったわ。ごめんなさい、お邪魔しちゃって」

「そもそも社長室に自分の仕事をしに来るな。お前さん、社長じゃないだろ」

 最後に正論を言われ、舌をちろと出して誤魔化す。それからいそいそと部屋を横切り、ドアを押し開ける。すると、わっという可愛らしい声が耳を叩く。マリーはドアノブを握ったまま、驚いて見上げる。と、視界いっぱいに、色白の天使の、はにかんだ顔が広がっていた。

「あ、ごめんなさい」

 慌てて頭を下げて、脇へずれる。色白の天使は、柔和な垂れ目に優しい緑の光をたたえて微笑む。

「いえ、こちらこそ、不注意ですみません」

 マリーは思わず、その美しい姿に見ほれた。ほっそりとした体つきに、慈愛に満ちた表情、腰まで伸びる細長い金の左サイドテール、清涼感のあるスーツの着こなし……大人らしい美と、子どもっぽい純粋を、その身に宿している。

 ――この人が……例の上司?

 社長室へ入れ替わりに入っていく後姿を、ぼうっと見やる。

 ――え、ほんとに? 若すぎない?

 話を聞いた感じ、キャリアを相当積んでいる女性だと思っていたが、自分より年下にしか見えない。何なら、フレッドよりも若く見える。

 閉じかかったドアから、そんな社長の声が漏れる。

「おお! エリス! 久しいな」

 それを最後に、分厚いドアは目の前で閉まった。

 静まり返った廊下に一人残され、マリーは首を傾げる。

「エリス……? え、エリーゼじゃなくて?」

 と言うか、なんか距離感、近くない……?

 歴戦の女性銀行員、エリーゼ・フォン・アイゼンシュタインのイメージにそぐわぬ外見に、フレッドの妙な第一声――マリーは首を傾げながらも、仕方なくその場を後にした。

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